【外伝 奇跡を生み出す者】
第58話 幽霊
かみさま
どうかわたしのねがいを聞いてください。
どうかどうか、おねがいです。
すてきなおーじさまを、私にください。
わる者をみんなやっつけて
私と兄ちゃん、イスラ姉ちゃん、ヤスじい、いっしょにいるみんな、せかいじゅうののうりょくしゃのみんな
みんなを守ってくれる みんなを笑顔にしてくれる
かんぜんむけつ、さいきょうむてきのおーじさまを
私にください。
私の、いのちとこうかんで。
百々瀬が目を覚ますと、真っ白い天井が目に入った。蛍光灯の刺激が強すぎて目を細める。白い壁に光が反射して威力が倍増していた。
「まぶしい・・・」
うめき声が口をついて出た。すると、空気を読んだか、黒い影に光がさえぎられる。
「あ。おきた」
声を出す影と目があった。その声とともに、影はどんどん増え続け、天井からの光をさえぎるほどになりつつあった。
「な、何だぁ?」
視界が慣れてくると、影の一つ一つが人だと判明する。それも小さな子どもばかりのようだ。みな一様に、何の飾り気もない、白色の服を着ていた。子どもが絵で描くような、一筆書きをそのまま仕立てたみたいなシンプルな奴だ。
「「おきたーっ!」」
声をそろえて、子どもたちはわらわらと、楽しそうに走っていく。呆気にとられるとはこのことだ。半身を起こした百々瀬の何が楽しいのか子どもたちは彼を指差し、キャーキャー騒ぎ立てて、より一層はしゃぎまわる。
「本当に、何なんだ一体」
子どもの存在に驚きながら、百々瀬は現状把握するために必死で周囲から情報を取り入れていた。彼が昨日最後に記憶した状況と現状ではあまりに差があるためだ。
ゆっくりと過去を手繰る。まずは、昨日何していたか、だ。
「上だ! 上に逃げたぞ!」
階下から百々瀬を指差し、警官隊の怒号がそこかしこから上がる。嘲笑うように投げキッスを返して、窓を突き破り文字通り外に飛び出した。あらかじめ用意しておいたロープにフックをひっかけてビルからビルへと滑走する。星明りの何万倍もの光量を誇るサーチライトが背後から彼を追いかける。光の円にとらわれる前に、次のビルに飛び移った。脱出プランをBに変更。さっき滑空中に上空から見下ろしたら、Aの方向にはパトカーが待機していたのが見えた。逃げきれないこともないだろうが、わざわざ危険を冒す必要もない。
逃げ道を確認し、いざ降下しようと手すりに手をかけた時、後方から強烈な光を浴びせられた。振り返るとあまりの光量に視界が一時的に失われる。同時に、大勢の人が流れ込んでくる気配が感じられた。
光に目が慣れたころ、百々瀬は周囲を完全に囲まれていた。
「追いつめたぞ。【幽霊】」
警官隊中央にいた、私服警官が目の前に立った。
「よお、上川警部補。こんばんは。久しぶりだな」
「警部だ。先月おかげさまで昇進してな。お前との追いかけっこで培った知識が、ずいぶんと役に立ったよ」
気軽に挨拶を交わせる程度には、百々瀬と上川警部と付き合いが長い。そして挨拶しながら、どちらも相手のすきを窺っていた。
「それはそれは、お役にたてて光栄だ。俺のおかげで昇進したようなものじゃないか。じゃあ、今度酒でも奢ってもらおうかな」
「もちろんいいとも。なんなら、今からでも構わんぜ? 集合場所は、刑務所の中だがな」
「いくら警部の頼みでも、そいつは聞けないねェ」
「諦めろ。警官隊に包囲され、もはや逃げ場はない。おとなしく捕まるなら、これまでのお前の功績に免じて手荒な真似はしない」
「諦めろ?」
百々瀬が牙をむいて笑う。臆することなく、大胆不敵に。
「警部、教えてやる。悪党のルールだ」
「悪党の? ルールを破るのが悪党というものだろう?」
警部の言葉に、百々瀬は人差し指を立てて横に振る。
「あるのさ。悪党だからこそ絶対遵守するルールがあるんだ。それが無ければ悪党じゃない。ただの獣だ」
「そこまで言うなら、ぜひとも拝聴させてもらおうじゃないか。お前のルールとかいうのを」
後ろ手で、警部が警官隊に合図を送る。これが時間稼ぎなのは明白だった。合図を受け、警官隊は全員腰を落とし、身構える。それを知ってか知らずか、百々瀬は言う。
「ルール、その一」
言葉の途中で、警官隊の包囲の環が一気に狭まる。話に意識が向いている時に飛びかかったのだ。いかな百々瀬でも避けられない。警部は逮捕を確信した。だが、百々瀬は慌てず騒がず続けた。
「悪党は諦めないのさ。絶対に」
言い終えた瞬間、百々瀬は背面とびの要領で柵を飛び越え、警官隊の手をすり抜けた。空中に身を躍らせる。飛び降りるとは思っていなかった上川警部は、泡を食って飛び降りた場所へと急ぐ。柵から身を乗り出し、見下ろす。その視線は、すぐに上へと向くことになる。真っ黒な気球が彼と警官隊の眼前五メートルに浮かんで、上昇していく。気球には当然のように縄梯子がかかっており、百々瀬がそこに掴まっていた。
「野郎」
上川警部が歯ぎしりする。目の前にいるのに、手の届かない絶妙な距離。捕まえた、と思った瞬間、幻のようにその手の中から消えている。百々瀬が【幽霊】などと呼ばれる所以だ。
「宴会はまた今度だな。警部」
そう言って、百々瀬は真っ黒な夜空の中へと溶け込んでいった。
翌朝、ニュースが二つ。
良い噂を聞かない、さる企業が入っているビルに、泥棒が侵入した。現金と一緒に、癒着・賄賂・脱税等の悪事の証拠が盗み出され、それが警察、マスコミ各所にばら撒かれた。この事件は大きな騒ぎとなり、企業は世間と警察から大いに叩かれた。
もう一つは、小さなニュース。海外に手術に行くために募金を集めていた家族数組、海外支援を行っているNPO法人、災害に遭った地域の自治体などに多額の寄付があった。
百々瀬の仕事は泥棒だ。幽霊とあだ名されるほどの凄腕の泥棒で、テレビやニュースでは義賊など呼ばれ、注目を集めている。
ただ、本人はそれをあまり良く思っていない。百々瀬は自分の行動が悪だと理解し、自分を悪党だと自覚している。義賊は、貧しい人々のためにやむなく泥棒を働くことだ。彼自身は常に自分のために進んで泥棒をしている。彼が金の匂いを嗅ぎ取り、盗みに入った先が、なぜか自分よりも悪党な連中の根城だったりブラックな企業だっただけだ。根こそぎ全部盗み出し、適当に処分したら、そいつらが叩かれた。ただそれだけだ。それに、悪党がため込んでいる金は世間に出せないものが多い。被害届を出しにくいのも都合がよかった。理由などその程度のものだ。
寄付に関しては、完全にただの気まぐれだ。百々瀬は使い切れない額の金を必要としない。必要な分を必要なだけ確保したら、後はその時自分の目に付いた、自分以上に金を必要としているところに置いておいただけだ。募金箱の呼びかけに札束を突っ込んだことも一度や二度ではない。昨日も淡々と仕事を終えて、家に帰ってきて、飯を食って風呂に入って、寝た。
「そうだ。俺は家で寝てた、はずだ」
ベッドの上で胡坐をかき、百々瀬は考え込んでいた。そのベッドの陰から子供たちが観察している。非常に落ち着かない。
「何だよ」
目の前の少年に苛立ちを隠そうともせずに問う。ずっと目線があっていたのだ。焦れた百々瀬が反応を見せると、少年は怯えるそぶりなど全く見せず、むしろ嬉しそうにニカッと笑ってベッドの陰に隠れた。他も同じようなもので、目が合うと嬉しそうに眼を細めて隠れ、そしてまたじわっとベッドの陰から顔を覗かせる。
鬱陶しいったらないな、と百々瀬は自分の我慢が限界に達しようとしているのを感じていた。これまでは怒りよりも、大声を出して余計な騒ぎを呼び寄せるのを嫌ったためにおとなしくしていた。だが、もともと百々瀬の気は短い。よく我慢した方だと自分を褒めても良いくらいだ。そして、彼の背中に誰かが飛びつき、抱きついたことがきっかけとなった。
「だあああああ! いい加減にしくされクソガキ共が!」
勢いよく立ち上がり、体をひねる。遠心力で首根っこにしがみついた子どもを振り落す。ぼてん、と子どもがベットに転がり落ちたのをみて、次は歯を剥き出しにして、周りでこそこそしている連中を威嚇する。
百々瀬の顔は、甘いマスクの反対側に位置していた。別段不細工という訳ではない。猛禽を思わせるような鋭い目と彫の深い顔立ちは、戦士のように精悍だ。ただ、人に好かれるようなものじゃないのも確かだった。百八十を超える身長と日々の泥棒稼業で鍛えられた鋼の肉体も威圧感充分だ。
その鋭い目で高所から睨まれれば、子どもなどすぐにおびえて近寄ってこなくなる、はずだった。
彼の予想は完膚なきまでに外れた。子どもたちはきゃあきゃあと悲鳴を上げるが、皆笑顔で、逃げろなどと言いながらぐるぐるとベッドの周りを走り回る。恐れていないのは明白だ。
舐められているのかもしれない。こうなれば後は実力行使だ。百々瀬はベッドから足を降ろし、どいつからビビらせてやろうかと品定めを始めた。
ガチャリと奥のドアが開いたのは、百々瀬が子どもの一人の首根っこを掴んで持ち上げた時だ。持ち上げられても子どもは楽しそうに手足をぐるぐる回している。子どもをあやす時の高い高いと同じ感覚なのだろう。
「ああ、気がつかれたのですね」
入ってきたのは、温和な顔つきの、十七、八の青年だ。
「みんながはしゃいでいる声が聞こえたから、多分そうだろうなと思って」
青年は子どもたちに外に出ているよう伝えた。百々瀬の怒鳴り声など歯牙にもかけなかった子どもたちが、彼の言うことを聞いて部屋から出ていく。
「お前が、あいつらの保護者か?」
「ええ、そうですね。そのようなものです」
子どもが出て言った後に、青年は後ろ手にドアを閉めた。
「ご挨拶が遅れました。僕はサレムと言います」
にこやかに握手を求める。だが百々瀬はその手を無視した。幾らにこやかにされようが、こちらはいまだ現状を把握しきれていない。目の前のサレムこそ自分を誘拐し、ここに押し込めた人物かもしれないのだ。不用意なことはできないと判断した。百々瀬の警戒を知り、少し残念そうにサレムは手を下げた。
「ここはどこだ」
「ここはシナイ隔離病院。特殊な患者を収容する病院です」
「病院?」
「はい。ええと」
そこでサレムは初めて口ごもる。百々瀬の呼び方に困ったのだ。この時点でサレムは百々瀬の名を知らなかった。
「百々瀬だ」
仕方なく百々瀬は名乗った。情報を得るためなら自分の名前くらいなら構わないと判断した。どうせ、他にも名前はある。
少しだけ黙考した後、百々瀬は質問を代えた。
「家で寝ていたはずなんだ。どうしてその俺がそのシナイ病院とやらにいる。お前が、俺をこんなところに連れてきたのか?」
「いえ、僕ではありません。ですが、あなたを呼び寄せた人間ならわかります」
連れてきた、ではなく呼び寄せた、という表現が気になるが、後回しにした。
「誰だ」
「僕の妹です」
妹? こいつの妹とすれば、当たり前だがこいつより若いわけで、見たところ十代後半に届くか届かないかというところのこいつの妹だとすると十代前半以下の子ども、ということになる。百八十センチを超える百々瀬の体を女の細腕、それも子どもが運べるとは考えられない。
「モモセさん、あなたは超能力を知っていますか?」
訝しげな顔をする百々瀬に突如、サレムは突飛な話を持ち出してきた。質問の意図が読めず怪訝に思いながらも、記憶を探る。超能力、と聞いて、百々瀬が思いつくのは、スプーンをグニャグニャ曲げるものだ。
「いえ、そういうものではなく。もちろんそういった鉄を自在に操るものもいるのでしょうが」
「鉄を操る? ちょっと待ってくれ。お前は一体なにが言いたいんだ。そんなことできるわけ」
「できるんですよ」
百々瀬の言葉を遮ってサレムが言った。
「この病院は、そういう超能力を持った人間が集められ、収監される監獄なんです」
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