第56話 最大公約数の幸せに個人の幸せが含まれる時

「すまない。しくじった」

 血まみれの手を差し出しながら、庵は言った。汚れるのも構わず、僕は庵を抱き起し、その手を握った。その場についたジーンズの膝に血が沁み込む。

 大賀雅史の部屋に乗り込んだとき、すでに奴の姿は無く、代わりに庵が血だまりの中で横たわっていた。何があったかなど、簡単に想像がつく。

「馬鹿が。なんで僕を待たなかった」

 計画では、僕が大賀雅史を自殺に見せかけて殺害し、その後で庵が奴の悪行の証拠を本人のパソコンから各種マスメディアに送付、良心の呵責に耐えきれず自殺した旨の遺書を残すはずだった。前日まで綿密な話し合いを行っていたのに、どうしてこんな無茶を。

「分かってもらえると、思ったんだ。どれほど強欲な父であっても、心の奥底には、まだ良心が残っていると信じていた。どれほど忌み嫌っていても、俺の言う事に、耳をかたむけてくれるんじゃないかって」

「そんなわけないだろうが! 教えただろう! あいつのせいで何人もの人間が死んでるんだよ! 肉親だろうがなんだろうが邪魔になるなら簡単に人を殺せる精神構造なんだよ。だから悪党でいられるんだ。悪党と善人は別種の生態系なんだよ!」

「お前の、ように?」

 にぃ、と痛みをこらえて庵は笑った。

 いつも僕が言っていることだ。人間と悪党は既に別の種族だ、遺伝子すら差異がある可能性がある、僕もその一人だ、と。しかし、今は人のセリフを真似て冗談を言っている場合じゃない。救急車を呼ばなくては。

「無駄だよ。お前ならわかるだろう」

 携帯を取り出そうとした僕の腕を、庵が抑えた。この出血量では助からない。これまで複数人を殺して得た経験から分かってしまう。それでも、何もしないで良い理由にはならない。結局のところ素人目だ。可能性はまだあるはずだ。だが、庵はそれをさせなかった。瀕死の癖にとんでもない力で腕を押さえつける。

「今お前がすべきなのは俺を助けることじゃない。ここで時間を費やす事じゃないだろ。俺が焦ってポカやった分の時間を取り戻して、奴を、大賀雅史を抹殺することだ。もう殺す以外に止める方法がないとは、救いがないな」

 時間をかければかけるほど、大賀は遠くに逃げてしまう。今は、庵が突きつけたであろう証拠を抹消するために奔走している。それが終われば雲隠れだ。ほとぼりが冷めるまで地下に潜るだろう。適当な代役を立てて、万が一不祥事が発覚すればそいつをトカゲのしっぽにして。

「すまん。最後の最後まで迷惑をかけて」

 ぐぷ、とせり上がる血を吐き出して庵が言った。

「そんなことは無いよ。庵のおかげで奴に近付けた。スケジュールも行動範囲も調べることが出来たんだ」

 感謝している。本当に。おそらく僕が大賀雅史暗殺の為に近付いたことも、最初から分かっていたのに、協力してくれたのだから。

「それは、俺にとっても都合が良かったからだ。あいつは、俺だけではなくハルちゃんをも自分の金儲けの道具にしようとしていた」

 ゆくゆくは政界進出を目論んでいた大賀にとって、大切なのは各方面へのパイプを作ること。美晴をいずれ有力者やその関係者に嫁がせることも計画されていた。

「彼女の幸せを考えた上でのレールであるなら歓迎しよう。けど、彼女の意志を全く無視し、自分の欲望のために利用しようとしているのなら、俺はそれを認めない。断固阻止する」

「相変わらずのシスコンっぷりだな」

「当然だ。ハルちゃんは宇宙一可愛いのだから。彼女の未来は輝かしいものでなければならないのだから」

「そのおかげで、僕は連日徹夜させられて書類一式を準備する羽目になったわけだが」

 大賀の遺言状を偽造し、大賀美晴が成人するまでの間何不自由なく暮らせるだけの財産を分与する旨が記載された書類だ。何度も何度も僕と庵でダブルチェックした力作。大賀の死後、必ず親戚間で遺産に関して骨肉の争いが起こる。その時にかすめ取られないために確保しておいたのだ。資産は金だけではなく、庵が探してきた信頼できる弁護士をはじめとした人材、住まい、学習環境等も含まれる。

「悪い」

 全く悪びれた様子もなく、庵が笑った。僕も笑った。多分、これが最後だと二人ともわかっていた。

「後は、任せてもいいか?」

「ああ。完璧にやり遂げておく」

「だろうな。お前なら安心だ。・・・・そうだな。お前なら・・・・ハルちゃんの婿として認めてもいい・・・・かもな・・・・」

「へえ、じゃああんたは僕の義兄さんになるわけだ」

「・・・・・・やっぱ、認めん。ハルちゃんは・・・絶対に嫁には・・・やらん・・・」

 最後の最後まで、庵は庵だった。握りしめていた手から、力が抜ける。彼の手を、胸の上で組ませ、瞼を閉じさせる。穏やかな顔してやがる。

「お疲れ様。後は、任せてくれ」

 黙祷は数秒。立ち上がり、踵を返す。もう僕が俯くことは無い。



「以上が、あんたの知りたがった庵の死の真相だ」

 客観的事実のみを、僕はミハルに伝えた。僕と庵との会話など個人的なものは言うつもりはないし必要がない。彼女にとって重要なのは庵で、彼が誰のために戦い、誰に殺されたかが気になるところだ。

 僕にとっては一年にも満たない過去の話だが、彼女にとってみれば十年越しの真相究明だ。横槍を入れることなく大人しく話を聞いている。

「つまりさ、大賀雅史を殺したがったのは僕だけじゃない。庵もそうだったんだよ。で、最後の最後に詰めを誤った。僕の忠告も聞かず、僕の到着を待たずに大賀に詰め寄り、自首を勧めた。で、当然その話を聞くはずのない大賀は庵を殺し、証拠隠滅を図った。途中で僕が殺したが」

 社会的抹殺と命の違いはあったけど、僕と庵の目的は同じだった。だから協力関係にあった。

「庵の一番の心配事はあんただ。大賀が牢獄にぶち込まれたり死んだりすれば、お家騒動に巻き込まれる。それを回避するために、あんたが苦労しないように色々と画策してた。だから、今まで何不自由なく暮らせたし誰に妨害されることもなく高校にも行けたろ?」

 彼女が貯金を崩して豪遊しなければ、五十年は何もせずに過ごせるだけの資産を家屋付きで残しておいた。

「あんたが普通に学校を卒業して、就職して、庵は非常に嫌がったが誰か良い人と出会って付きあって結婚して、子どもを産んで育てて、最終的には笑顔で大往生するような、幸福な人生を送ること、それが奴の望みだった。あんたは、それを蹴って今ここにいる」

 それが愚かでなくて何だと言う。

 僕の話をゆっくりと味わいながら咀嚼しているのか、ミハルは全部聞き終えた後もしばらく黙って目を瞑っていた。

 やがて、ぽつりと口を開く。

「私は、とんだ兄不幸者だったわけだ」

 ざまあねえな。とミハルは天を仰いだ。

「あんたのやったことは、全て見当違いの無駄骨だったってわけだ」

 本当にざまあねえので追い打ちをかけてやる。せめてもの腹いせだ。大人げない、とクシナダがため息を吐いた。

「やることが、無くなっちまった」

 突如職を失った働き盛りのサラリーマンのような悲しみを背負い、ミハルは途方に暮れる。

『やることならば、あるぞ』

 ミハルの頭に乗っかったライザが、何をとぼけたことを、とばかりに言った。

「何があるってんだよ。復讐だけで、憎しみだけでここまで来て、こいつを殺す為に元の世界も、兄の思いも全てを捨てたんだよ。それが間違いだって言われて、本当の仇は自分の父親でもう死んでて。事実を認められない自分とどっかで納得してる自分がいて頭ぐちゃぐちゃで、認めない自分に身を任せてこいつを殺すこともできなくて」

 何があるってんだ。泣きそうな顔でミハルが笑った。

 たった一つの目的の為だけに動いてきた人間は、それを達成、もしくは失うと本当に何もなくなる。ポッカリと空洞が出来るのだ。あとは、終わりの見えない無気力に付きあうだけの日々が続く。

 だが、誰かがその空洞を埋めれば話は別だ。

「ここにある」

 ティルが現れた。見れば、後から後から人々が続いていた。シルドの民、ロネスネスの民、亡国の民たち、人種の区別なく集う。

『母上はお忘れか。あなたは以前、そこのティルに向かって全部終わるまで付き合うと言った。またついさっき、囚われていた者たちに向かって生きていて欲しいと言った』

「その通りだ。その約束を反故にする気か」

「・・・そんなもん、知るか」

 拗ねた子どもの様に口を尖らせたミハルに、ティルは歩み寄り


 パァン


 ミハルの横っ面を平手で打った。

「いつかのお返しだ」

「なっ・・・」

 痛みよりも驚きのせいか、ミハルは反撃に移ることは無い。またミハルが殴られたにもかかわらず、ライザが何の反応も示さない。想定済み、ということか。

「本来、女性に手を上げたりするのは本意ではないが、致し方あるまい。我らの御旗がこのありさまでは」

 折れた御旗は、叩くなりして直さねばならんからな、とティルは言う。

「みは・・・た・・・?」

 そうだ。とティルが頷き、片足を一歩退いて、自分の後ろにいた人々を示した。

「ミハル。彼らの姿が見えるか」

「・・・視力は二・〇だ。見えねえわけねえだろ」

「本当に見えているか? 彼らは、お前の言葉によって導かれた者たちだぞ?」

 はっとした顔で、ティルの顔を見返す。ティルの言う『見える』の意味が分かったからだ。

「目的を失った者に生きろと言っておいて、自分はその体たらく、あまりに無責任であり、無様ではないか? 今の姿をお前の兄が見たら、きっと嘆くに違いないぞ」

「そうだろうよ。兄の思いを無駄にしたんだからな!」

「違う。さっきのタケルの話、少し聞かせてもらったが、お前の兄は、お前に何を望んだかを良く思い出せ。幸福な人生を送ってもらうこと、それこそが一番の願いではないのか」

「幸福、だと」

「それが何かは、私にもわからん。お前にしかわからんことだからな。だが、ここで項垂れていても幸福が舞い降りることがないのはわかる」

 すっと、ティルが手を差し伸べた。

「それまでは、一緒に行こう。お前の幸せが何か判明するまでで構わない。もしかしたら元の世界に戻る手段も見つかるかもしれない」

 もう一度あの神に出会えれば可能かもしれないね。

「情けのつもりかよ」

 差し出された手のひらを見つめてミハルが聞くと、いいや、とティルは首を振った。

「いいや、違う。我らも探しているからだ。皆が幸せになれる道を。お前の幸せまでの道も、そこに含めて、皆で探そう。我らはお前に協力する、だからお前も我らに協力する。そういう協力関係だ。それにお前の技量は、むざむざ手放すにはあまりに惜しいからな」

 企業のヘッドハンティングみたいなことを言って、ティルはもう一度彼女を誘う。

「共に生きよう」

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