第53話 これからという願い
一陣の風が僕たちの間を駆け抜けた。だが、どれほど強い風が吹こうとも、この場に芽吹いた疑問の山を吹き崩せはしないだろう。
「そんな目で見んな!」
全員から白い目で見られ、顔をさらに真っ赤にしながらミハルは怒鳴った。
「分かってる、分かってるから。わけわかんないこと言ってるの分かってるから!」
しかし、彼女の頭に乗っかったままのライザだけは、彼女を非難の目で見ていない。まるで我が子の成長する瞬間に立ち会った親のような誇らしげな顔をしている。
順を追って説明するから、ちょっと待って、とミハルは一度、二度と大きく深呼吸した。
「私はこの世界のルールとか良く知らないんだけど、ロネスネス風に考えるとつまりはさ、一番強い奴が王様ってことなんじゃないかな、と思ったわけ。全員の意志を決定できる立場につけると思ったんだよ」
「だから他の意見のある連中をねじ伏せようと? それがかかってこいの真相なのか?」
呆れたように言ったのはティルだ。
「いやまあ、自分の意見を力尽くで押し通すのだから、最終的にミハルの意見が通るだろうが、ちょっと強引すぎやしないか」
「うっせえな。そんなことは百も承知なんだよ。それだけ押し通したいんだよ。その辺汲み取れよ」
「汲み取れと言われても、何の手がかりも無しに相手の心を読めと言うのはいささか無茶が過ぎないか?」
『ふん、やってもないうちから出来ない出来ないとは情けない』
どんな時でもライザはティルに厳しいな。一体彼の何がライザは気に入らないのだろうか。
「では、そこまでしてミハルが皆に願うこととは何だ?」
ティルが促す。話の導き手がいることで、ミハルは上手く願いを口にできた。
「あんたらの気持ちは、私にも少しわかる。私も大切な人を殺されて、その復讐を成すためにここまで来た。そんな私には、あんたらの復讐を止める権利は無い。だからこれから言う事は私の我儘だ。
私は、あんたらに生きていて欲しいんだ」
その言葉に、復讐者たちが呆気にとられた。
「本気で復讐しようとすると、壮絶な殺し合いになる。相手も殺せるけど、自分も死ぬ、そういう状況だ。泥沼の戦いで生き残るのは多分数えるほどになる」
「それが、なんだというの?」
復讐者たちの中の一人が、ミハルに言った。まだ若い女性だった。
「夫を殺され、子どもと引き離され、死にたくなるような辱めを受けて、それでも生きてきたのは、いつかこういう日が来た時に、彼らに一矢報いる為。その為だけに生きてきたの。死ぬことすら怖くは無いわ。だって、私はもうすでに死んでいるのだから。たった一つのその望みさえ叶えられないなら生きている意味がないのよ」
「だよな。うん。だと思う。ひどく共感してしまえる」
「だったら」
「でも!」
遮って、ミハルは言う。
「それでも、生きていてほしいんだ。頼むから。あんたが死んだら、一体誰が、あんたの旦那さんのことで泣いてくれるんだ」
そういうミハル自体が、感極まったのか苦しそうに顔を歪めて、瞳に涙を湛えていた。もしかしたら、自分の境遇と、自分の大切だった人と重ねているのか。
「私たちの世界では、人間は二度死ぬって言われてる。命を失った時と、誰の記憶からも失われた時だ」
若くして亡くなった、ある名優の言葉だ。
「二度、死ぬ?」
「そうだよ。あんたが死んだら、もう、誰も旦那さんのことを覚えてる人間はいなくなる。その瞬間、あんたの旦那さんはこの世から消えるんだ。生きていた意味が消えるんだよ。良いのかそれで」
なあ、とミハルは彼女にやさしく投げかける。
「殺すな、とは言えない。口が裂けても私には言う事が出来ない。死んでほしくないんだ。生き残ることを優先してほしいんだ。あんたが大事だった人が、仇を取れたとしてもあんたが死んだとあっちゃあ、本末転倒で悲しむんじゃねえかと思うんだ。だって、あんたの夫はあんたに生きていて欲しいから、守りたかったから戦いに行ったんじゃねえのか」
ミハルは復讐者たちの顔を見回して言う。
「人生経験のない若造が薄っぺらい言葉で語ってるってのは重々承知してる。勝手な理想を押し付けてるのもわかってる。でも生きてくれ。あんたらの大切な人たちの記憶とか思い出とか、意志とか。そういうもんを、ここで絶やさないで、守ってくれよ」
少し、熱量が下がったように僕は感じた。復讐者たちの沸騰しかけた頭に、確かに彼女は差し水を入れた。一度下がれば、次沸騰するまでに時間がかかる。
復讐者たちの心情の変化を見逃さなかったのはティルだ。
「彼女の言い分を私は指示する。私ももう、ここで無駄な争いを起こしたくない。シルドの皆が傷つくところを見たくはないのだ。ここでの戦いは終わった。フルンティングが敗れたことで、生き残っているロネスネス兵は全員降伏した。そうだな!」
ティルの視線の先にいるロネスネス兵たちは、ぎこちなくも首を縦に振った。
「だが、これで戦いが終わったわけではない。ここにいるタケルが言ったように、この地は再び戦乱の嵐が吹き荒れよう。私たちも、ロネスネスも、お前たちも、このままではおそらく、嵐に吞み込まれてしまう。せっかく得た自由をズタズタにする風を纏い、理不尽の雨を降らせる嵐だ」
ティルは復讐者たち、ロネスネスの人間たちに視線を巡らせる。全員が注目していることを確認して、肝を話す。
「私は、その嵐を乗り切るための家を作る。自由を守り、理不尽を跳ね返す強くて大きな家だ。けれど、今のままでは、その家の外壁すら作れない。
だから、共に来てくれないか。失うものなど何もないと言うならば、私たちを助けてくれないか。それを生きがいにしてもらえないか。その命を、私たちとお前たちと、子どもたちのために生きて使ってはもらえないか」
ティルの言葉が、彼らの体に深々と降り積もっていく。
「残酷なことを言っているのかもしれないが、どうか頼む」
深々とティルが頭を下げた。
「まあ、そう簡単に上手くはいかんか」
ティルがため息を吐いて言った。
結局、ミハルとティルの要望を聞き入れ、共に生きると判断したのは復讐者たちの半数にも満たなかった。
「そう、だよな。人間そう簡単に心変わり出来たら苦労しねえよなあ」
はあ、とこっちではミハルが珍しく落ち込んでいて、クシナダが励ましている。
「そんなことないわよ。二人ともよくやったと思うわ」
「私も上出来な方だと思います」
慰めるような言葉をホンドが言った。僕も同意見だ。復讐者に復讐を止めさせることがどれほど大変か、復讐者目線でわかるからな。
「その場で殺し合いをするのは喰い留めましたし、残りの者たちも、まだ考えは保留だということですから。答えが出ていないということは、いずれこちらの願いを聞き入れてくれる可能性がある、ということですから」
「・・・そんな言葉が聞けるとは思わなかったぞ。いつも最悪の可能性しか考えないようなお前がいうと、妙な気分だ」
それは心外、とホンドは薄く笑い、ゆっくりとその場に倒れた。
「ホンド?!」
ティルが駆け寄り、抱き起こそうとする。ホンドの背中に手を回した時、顔をしかめた。ゆっくりと背中に回した手を面前に持ってくると、そこにはべっとりと血が付いていた。
「ホンド、お前この傷!」
すぐさまホンドの服を剥ぎ取る。そこにま真っ赤に染まった布が何重にも巻かれていた。布に血が吸われて、見た目にはさっぱりわからなかったのだ。
「全てが終わって、気が抜けたからですかな」
倒れたことを茶化すようにホンドは言った。よく見れば、彼の額や首筋には汗が浮かんでいるし、顔の血色も悪い。相当な痛みを我慢していたことが見て取れた。立っていることすら困難だったはずだ。それをうめき声一つ立てずに良くここまで耐えたもんだ。
「いつからだ。いつからこんな傷・・・まさか、あの門を守っていた時からか?!」
それがどれほど前なのかはわからないが、計画の一部にシルドの民が逃げるまでの時間稼ぎがあったから、僕がティルフィングと戦っている時かその前からだ。体感的には一時間以上は経っている。
「なんで黙ってたんだ! すぐに手当てをする」
「手伝うわ」
名乗り出たのはクシナダだ。ただの出血であるなら、彼女、というか僕らには切り札がある。僕らの血を傷口に垂らすと、そこに含まれる呪いか成分か、それに準ずる何かが傷口をすぐに修復する。以前胸を貫かれた魔女の傷を治したことがあるから実績ありだ。
「お止め下さい。治療は不要です」
しかし、治療者がそれを拒んだ。
「ホンド!」
「良いのです。これで良いのです。新しい時代が来ようとしている時に、私のような古い人間がのさばっていてはいけないのです。それに、私は許されないことをした。その報いです」
「やり方は間違っていたのかもしれない。けれど、それは、お前がシルドのことを考えたからで」
「考えていても、間違っては意味がないし、悪い結果になってしまっては元も子もない。そういう悪手を私は取ってしまったのです」
いいですか、とホンドがティルに言う。おそらくこれが最後になるだろう。
「あなたは今、この場での最善手を打った。しかしそれが最良であるか、はたまた最悪になるかは、今後のあなたの行動次第です。ゆめゆめそれをお忘れなきよう」
「分かっている。分かっているからもう喋るな。クシナダ、何か手があるんだろう、早くホンドを」
「駄目です。ティル様。分かっていますでしょう。ここで私は死ななければならんのです。今部下を殺されたばかりのあなたの言葉だからこそ皆は聞くはずです。それでもティル・ベオグラース・シルドは憎しみを振り払い、共に生きようと手を伸ばしているのだと。・・・今更どの口があなたの部下などと言えるのか片腹痛いですがね。色んな意味で」
自嘲気味にホンドが笑う。誰もウケないよ、そんな冗談。
「乗り越えてください。憎しみも悲しみも、人種も国境も。あなたなら出来る。後は、お任せします」
ゆっくりと、ホンドの瞼が閉じられた。ティルの肩を掴んでいた手が、ふっと離れて落ちた。落ちた手を、ティルは握りしめる。
「・・・・ああ、任せておけ。お前が描いた理想をはるかに上回るものを築いてみせる。だから、見ていてくれ」
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