第52話 これまでという因果の積み重ね

 仰向けに倒れたグレンデルからくぐもった声が聞こえた。よじ登って、捩じ切れてぽっかりと穴が開いた胸部装甲の隙間から覗き込むと、老いた男の上半身が見えた。

「よう」

 声をかけると、男はうっすらと瞼を開き、こちらを認めた。

「・・・俺の負けだ」

 口の端から血を垂れ流し苦しそうにしながらも男は笑った。

「予想よりも、大分老けてるな、フレゼル王。もっと若いと思っていたよ」

 思ったことをそのまま口にした。連戦連勝、勢いに乗っている国の王だから、さぞかし脂ののった働き盛りの三十、四十代を想像していた。だが実物は、真っ白な髪、頬こけた浅黒い顔、袖から出ているやせ細った手。どう見繕っても赤いちゃんちゃんこの似合う年齢は過ぎていると推測した。

「貴様からどう見えているか知らんが、俺は今年三十五だ」

「三十五?!」

 思わず声に出た。想像以上の若さだ。とんでもない老け顔もいたもんだ。

「フルンティングを動かす代償だ。通常のグレンデル以上の性能を発揮し、四本分の腕を動かすためには、人間を捨てる必要があった」

 そう言って、フレゼルは服を捲った。服の下にある、アバラ骨の浮き出た体には、それこそ機械を動かすための配線が数本突き刺さっている。太さは大体、僕の小指くらいだろうか。

「これに乗り込んだ時だ。この管が人の体に好き勝手にぶすぶすと突き刺さったのさ。管からは何か流れ込んで来て、どうやらその何かを定期的に体に入れないとひどく苦しむようになった。代わりにその何かは体を満たし、飯を食う必要が無くなり、眠る必要もなくなった。以来、ここが俺の住処だ。降りるのは整備の時と王として顔を見せなければならない時のわずかな時間くらいか」

 くっくっ、とフレゼルは喉を震わせた。

 パイロットの恐怖感を薄れさせるために薬を投与する、なんて話を昔聞いたことがある。それと同じか、それ以上の効果と中毒性をもった麻薬のようなものが、あの管から流れこんでいたのだろう。また、フレゼル本人が言ったように、四本の腕を動かすなんて言う、本来の体の機能には無い動作を機械で行うのだから脳の未使用領域を使っていてもおかしくない。もちろん今まで出会った人間の中にも角生えてたり予知したり魔法使ったりした奴らがいたが、全員天然もの、先天的に備わっていた能力だ。後天的にそういった脳の未使用領域を開発するためには、薬を使用するくらいあって当然ぐらいだろう。後は、僕みたいに呪いを受けるか、だ。

 そして、急速に老いているのはその副作用と言ったところか。

「もうすぐ死ぬことは分かっていた」

 ぽつりとフレゼルが言った。

「徐々に体が弱っていく苛立ちがお前にわかるか? 死期が近づく恐怖がわかるか? このままこの狭苦しい棺の中で死ぬのは御免だ、満足して死にたい、そう願うようになったら、生きるためにただひたすら命がけで戦っていた過去がひどく輝いて、幸福だったことに気付いた。不思議なものだな、当時は文字通り死ぬほど辛かったのだが。どうせ死ぬなら、もう一度あの時の幸福の中で、戦いの中で死のう。だから、戦った。戦って戦って、俺を殺してくれる敵を探し続けた。幸福の中で時間を止めてくれる者を探していた。そして・・・」


 我が願いは、ここに成った。


 満足そうに両手を広げて、フレゼルは言った。

「感謝するぞ、生涯最高最強の敵よ。貴様のおかげで、俺の人生は最高の幕引きを迎えた」

「こちらこそありがとう、楽しかったよ。死後の世界と言うのを僕は見たことがないから何とも言えないけど、もしあるとしたら。またそこで、戦おう」

 いずれ僕もそこに行くだろうから。そう声をかけると、大口を開けて「それは良い」とフレゼル王は笑った。

「では、またな」

 すうっと、フレゼル王は目を閉じた。

「ああ。またな」

 友人との別れのように僕たちは言葉を交わし、違う道を歩きはじめる。


 フルンティングから飛び降りると、周りをロネスネス兵に囲まれた。と言うよりかは、フルンティングを彼らが囲んでいたのか。そして、降りてきた僕に気付いた。見れば、兵の他にも、街の住民たちも一緒になって倒れたまま動かないフルンティングを呆然と、あるいは愕然とした面持ちで見つめいていた。

「陛下が、負けた?」

 兵士の一人が震える声で言った。

「フルンティングが負けた・・・」

「陛下は死んだ、のか」

 事実が空気を伝って、人々の頭に拡散していく。

「俺たちは、どうしたらいいんだ」

 誰かが呟いた。ロネスネスは、極論を言ってしまえばフレゼル王ありきの国だ。本人にその気はなかったとはいえ、強い王の元集っていたのは間違いない。

「貴様、が、陛下を、殺したのか」

 近くにいた兵が、僕を指差した。フルンティングに向いていた目が一斉に僕の方に向けられた。

「だったら?」

「どうしてくれるのだ!」

 どうしてくれるのだ、と言われてもね。

「陛下が死んだら、我らは誰に頼ればいいのだ。陛下がいたからこの国は平穏でいられた。それを貴様が奪ったのだ。ロネスネスの民は貴様を許さないだろう。平和を乱し、偉大なる王の命を奪った貴様を!」

 兵が、武器を取った。周りの兵も同じように武器を手に取った。群衆の狂気が僕を取り囲んだ。

 僕は笑った。そうか、新発見だ。苛立ちが一定値を突破すると人は笑うのか。

 結局、彼らの心配は彼ら自身の為に使われるのだ。まあ、フレゼル王自身も、その身を案じられて喜ぶようなタマではないだろうが。

「許さなければ、どうするって言うんだ」

 一歩、威勢よく叫んでいた兵に近付く。

「決まっている、貴様を」

「僕を、どうする?」

 もう一歩、二歩と足を進める。

「と、止ま」

 数に物を言わせれば止まると思ったのなら、大間違いだ。

「僕を、どうするって?」

 止まらず進み、震えながら突き出された剣を手のひらで押しのけ、そいつの面前へ立った。同極同士の磁石でも近づいたみたいに、そいつは僕から距離を取ろうと後退りして転んだ。見おろし、それから周りに視線を向ける。勇ましかった連中だが、僕から目を背けた。そうか、自分個人に向けられるのは嫌なのか。一生、その他大勢でいれば良いよ。

「あんたらが僕のことを憎んだり恨んだりしようが、知ったことじゃない」

 人間生きてりゃ恨みの一つや二つは買う。僕がそのことを良く理解している。恨みを買われることをした自覚もある。

「殺したいならかかってこい。いつでも、今これからでも相手になってやる」

 とは言ってみたが、多分、誰一人乗ってこないだろうな、という予測は当たってしまう。そのことに少しだけガッカリしつつ、話を続ける。

「・・・じゃあ、フレゼル王を奪われ、平穏を乱されたと嘆くあんたらに、その奪った張本人からアドバイスをくれてやる。これからのあんたらの指針にすると良い」

 全員が注目する。今しがた自分たちの王を殺した相手にでもすがるのか。それほどまでに自分で切り開くのを望まないのか。誰も立ち上がる気はないのか。

 そうか。この進退窮まった状況で、自らの意志で進む気がないのならここで滅びろ。

「あんたらは僕が平穏を奪ったと非難する。許さないと言う。さて、それでは平和を享受していたあんたらに問おう。あんたらの周りにいるのは、いったい誰だ? あんたらの平和の下に敷かれているのは、誰かの平和の残骸だ。そこに、かしこに、あんたらが奪った平和のなれの果てがいるぜ?」

 言われた通りに、ロネスネスの人間たちは周囲を見渡す。そこには、薄汚い布を纏った奴隷がいる。かつてどこか別の国で平和に暮らしていた、誰かの夫、誰かの妻、誰かの恋人、誰かの親、誰かの子どもがいる。奪われた者たちがそこにいる。

 ロネスネスの人間と彼らの目が合う。

「どうして奪われたことに気付くのに、奪ったことに気付かない。どうして自分たちが誰かを憎めるのに、自分たちが誰からも憎まれないと思い込めるんだ」

 きっと彼らには理解できないだろうな。自分から奪ったという記憶がないから。そもそも奪っているという認識さえなかったに違いない。フレゼル王が先陣切ってやっていることを後から続いてやっているだけだから。王がやっていたことだから、自分たちもしても問題ない。咎められる理由がないのだ。彼らにとっては。

「さあ、平和を奪われた側に問おう。どうする? どうしたい? あんたらが涙をのみ、したくても出来なかったことが今なら『出来るぞ』」

 ロネスネス以外の人間が、自分たちを虐げてきた者たちへと視線を移す。偶然か、それとも示し合わせたのかはわからないが、一斉に笑った。声も上げず、ただ静かに、ロネスネスの人間を見つめる目には昏い感情を湛えて。彼らの目を見たロネスネス側は怯えた。深淵を覗き込んだ人間は、きっとこういう顔をしている。勝者が敗者へ、敗者が復讐者へと変貌した瞬間だ。道は示した。あとは、それぞれがそれぞれの思惑で動くだろう。

 僕を取り囲むロネスネスの人間たちの、さらに外側にある復讐者たちの環が狭まる。武器を持っているのはロネスネスの方なのに、復讐者たちの気配に圧倒されたように竦んでいる。

「止めろ!」

 暴動突入にしようという流れに割って入った声が、彼らの動きを止めた。人ごみを掻き分けてミハルと、その後ろからクシナダが現れた。

「どういうつもりだよ! こんな時にそんな言葉で煽ったらどうなるかぐらい、分かんだろうが!」

 分かってて言ったつもりだ。むしろ僕が気になるのは

「どうしたねハルちゃん。何を怒っているのかな?」

「てめえがその名前で呼ぶんじゃねえ!」

「そうかい。ならミハル。改めて聞くが、どうしてあんたが怒るんだ?」

「あ? んなもん当然だろうが。目の前で、トチ狂った男が復讐しろって扇動してんだからな」

 おいおい、と僕は両手を広げた。

「あんたは復讐肯定論者のはずだろう。ロネスネスに虐げられてきた人々、奪われた人々の気持ちが痛いほど良くわかる人間のはずだ。なのに何故、彼らにそのチャンスが巡って来たのに、それを止めようとする? 自分は良くて、他人は駄目なのか? 元の世界からお持込みした自分の為だけにある倫理観を彼らに押し付けるのか?」

「そ、れ・・・は」

 ミハルが後ろを振り返る。怯えるロネスネスの人間はすがるように、復讐者たちは止めるな、邪魔するなと言わんばかりに、彼女を見つめていた。

「僕としては、ここで互いに戦い、殺し合い、どちらかが滅びた方が禍根は少ないと思うんだよね。どうせ放っておいても、ここは再び戦場になる。ロネスネスという強大な国家を支えていた王は死に、グレンデルは全て破壊しつくされた。今まで押さえつけられてきた周辺諸国はこぞって反旗を翻し、ロネスネスが治めていた領土を切り取りにかかるだろう。すでに何人かはこの場から消え、自分の国に戻っているんじゃないか?」

 強い国にはスパイが紛れ込んでいるのはお約束だ。

「どうせ起きるから、放っとけってのかよ。どうせ死ぬからここで死ねって、そういうことかよ!」

「そうだよ」

 ミハルが僕の胸倉を両手で掴んだ。

「てめえは一体何様だ! その原因を作ったのは」

「僕だ、と本気で思うのか?」

 彼女の手を掴む。引きはがすわけではなく、逃がさないためにだ。

「確かに抑止力となっていたフレゼル王を殺したのは僕だけど。それだけがこの状況を作ったと本気で思うのか? 違うね。作ったのは彼等だ。この国も、そこに住む人の人格も習慣も認識も蓄積されてきた問題もそこから生まれる結果も何もかも。『これまで』を積み重ねて『これから』を作り上げてきたのは、彼等なんだよ。因果応報、というやつだ」

「認め、られっかよ・・・!」

「ならどうする?」

 ぐい、と彼女に顔を近づける。

「それはっ、それはだなぁ!」

 ぎりぎりと歯を食いしばるも、彼女から答えは返らない。

「代替案もないのにあれもダメこれもダメと言うのか? ミハル、あんたこそ一体何がしたい。早く決めなければ全ておじゃんだ。すぐに提案しろよ。あんたの望む結果にするための案を」

 くそ、くそ、とミハルは項垂れて毒づく。それでも必死に頭を回しているのは見ていてわかる。他の連中も、彼女の答えを待っていた。僕も、大人しく待つことにする。

 そろそろ湯気が出るんじゃないか、と知恵熱の出過ぎで卒倒の可能性を危惧しだした時、彼女は顔を上げた。顔は真っ赤になり、漫画なら目がぐるぐる渦巻きみたいになっているんじゃないかってくらいテンパった様子で、僕の胸倉から手を離して振り返る。

 そこにいる全員を見渡して、何度か唾を吞み込み、緊張しながら言い放つ。


「わ、私が相手だ! 全員、かかってこい!!」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・どうしてそうなった?

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