第51話 ブリューナク

 振り降ろされる刃が、やけにスローに見える。刃の表面に走る無数の傷が判別できるほどだ。知覚だけが異常に引き延ばされて、他の全て、自分の体すらもスローに感じている。体をゆっくりと動かし、落ちてくる刃をすれすれのところで躱す。横切る刃の腹に自分の顔が映った。髪が数本、引っ張られるような感覚すらなく斬られて漂う。通り過ぎた刃はガン、と路面を打ち砕き。飛び散る破片がゆっくりと自分の体を追い抜いて行く。刃の横を滑るようにしてフルンティングに肉薄する。

 ミハルであれば、この通り過ぎる所でこの腕を切り落としたりするのだろうが、あいにく僕にそこまでの技術は無い。やろうもんなら中途半端に刃が食い込んで抜けなくなるのがオチだ。そして相手の腕一本と引き換えに武器を失う羽目になる。

『逃がさん!』

 フルンティング二本目の左腕が持つハルバートが、一本目の右腕を躱した僕に迫る。垂直に落ちてくるハルバートに対して剣を上に掲げながら潜り込んだ。ハルバートの矛先と剣が火花を散らして摩擦熱を帯びる。純粋な力勝負なら絶対に勝てない。斜めに受け流しているはずなのに押し潰されそうな圧殺力だ。一瞬にも満たない程の攻防に体力を持って行かれるが、その甲斐はあった。潜り抜けた先には、フルンティングの胴体がある。痺れの残る腕を振りかぶり、渾身の力で持って斬りつける。

 ギィイン

 鈍い残響が鼓膜を震わせる。

 胴体と僕の間にギリギリで刺し込まれた斧が、一撃を防いだ。斧の刀身には半ばまでひびが入り、三分の一ほどが欠けたが、そこまでだ。力は届かない。

『がぁああああああ!』

 びき、びき、と関節部を軋ませながらフルンティングが左腕を振りぬく。ラクロスのボールよろしく僕はかっ飛び、再び家屋に激突した。

 ガラガラと破片を振り払いながら立ち上がって踏ん張ったとき、右足から一瞬力が抜けた。思わず剣を突き立て支えにする。

 初めての感覚に驚いた。力はすぐに込められるようになり、両足で立てるようにはなったが、先ほどの動揺は消えない。

『どうした、辛そうじゃないか?』

 使い物にならなくなった斧を投げ捨てて、からかう様にフレゼルが言った。

「大したことじゃない。ちょっと腹が減っただけだ」

 適当に返した軽口だったが、それが理由だと気づいた。多分これは、腹が減っているのだ。

 たかが空腹、されど空腹だ。血中の糖が不足すれば手足の痙攣や頭痛などの低血糖に似た症状が出る。力も入らない。決して侮れない。特にこんな一瞬のミスも許されないような戦いのときに、集中力が続かないと死に直結する。

 では、なぜいきなり空腹になったか。答えは簡単だ。蛇神の呪いである超回復能力のせいだ。ロハで回復していたわけではなく、体にある脂肪や外部から摂取した栄養を治癒のエネルギーに回しているからだろう。究極のダイエット方法だ。二の腕、下腹を気にしたことなんかないけどな。

 ある意味収穫だ。蛇神の呪いも万能ではない。戦い続ければ死ねる。

 ただ、このままじり貧からの敗北なんてつまらないじゃないか。戦いは勝たないと面白くない。約束もあるし、適当に諦めてあっさり死んだら少々不義理だ。だから、負けて死ぬまでは勝つことを考え続けることにする。

「やっぱ、一手遅いんだよな」

 先ほどの攻防にしてもそうだ。相手の攻撃を潜り抜けてから、こちらは一度振りかぶる、構えるなどのワンアクションが必要になる。その一手を打つ前に、フルンティングの三本目の腕が防御に回る。攻撃させて隙を作ろうと思ったが、それも読まれているのか攻撃してくるのは主に二本目まで、三本目はほぼ防御のために使われる。圧倒的な力を持ちながら力押しで来るかと思いきや、堅実で戦略的な戦い方をしやがる。まさに知恵持つ怪物だ。看板に偽りなしってか。

 剣で出来る最速の攻撃といえば、突きか。少しシミュレーションしてみるが、ちと厳しそうだ。突進の力をそのまま使えばワンアクション入れずに済む。けれどそのまままっすぐ突進できるかと言うと別の話だ。どうしても躱しながらいかなければならない。躱すということは方向を転換すると言うことだから、当然そこまで走ってきた勢いは削がれる。振る力が加わらないから、あの装甲をぶち抜けるとは思えない。

 ちらと手の中の剣を見る。以前下っ端のグレンデルと戦った時、僕がミハルのように綺麗に切断できなかったのは道具の影響もある。言い訳がましくなってしまうが、彼女の持つ剣は反りこそ無いものの日本刀に近い作りで刃部分がかなり薄く、鋭利さに重きを置いていた。切断するってことは、結合している物質の組織の合間に割りこんで引き裂く行為だから、鋭利であれば合間に割り込みやすい。漫画には単分子ソードなんていう単分子の厚さしかない剣が登場してなんでも切り裂いていたけれど、その薄さでもって分子同士の結合の隙間に斬り込めるからだろう。

 もちろん、薄いのは脆いっていうデメリットもある。カミソリやカッターは良く斬れるが、横から少し力を加えただけで簡単に折れる。動いているものを斬るってことは、当然横からの動きがあるわけで、タイミングを誤ればすぐにペキッといく。そこまでの薄さではないけれど、あれだけ動き回るグレンデルの頑丈な腕や足を切り落とすのだから、やはり彼女の技量が優れているという証でもあるのだけど。

 対して、僕が持つ呪いの剣は、斬る、というよりかは割る、って感じだ。切れ目を見てもわかる通り、剣の丈夫さと重さで力づくで引き千切っている。通常の、と言うのはおかしいが、今までのような生身の敵相手ならば問題なく斬り裂けるだろうが、相手がああいった金属の装甲を持っていたらこの剣では中途半端だ。切るには少々鈍すぎて刃が通らない。かといって装甲ごと叩き潰せるわけではない。いっそハンマーのような鈍器なら左腕ごとへし折れるかもしれないが。仮にハンマーだったとしても、やはり振りかぶるアクションが必要になるし、速度等の問題で剣よりも攻撃をヒットさせるのが困難になりそう。結局は相手の攻撃をかいくぐらなければならず、ハンマーでは防御しにくい。

 まいったね。まさか武器がここまで重要なファクターになるとは思いもよらなかった。むしろ今まで良くやってこれたな。

 さて、剣では効果的なダメージが期待できず、ハンマーでは攻撃を当てることも難しい。それ以外なら何がある? クシナダのように弓か? それこそ彼女ほどの技術がなければ致命傷どころか傷も負わせられない。却下だ。やはり、現時点で効果的なのは突きだ。防御に手を割かずに、何とか突っ込めれば勝算がある。

「ん?」

 攻める方向性が決まった途端、久々に剣が脈打った。視線をやると、驚いたことにまた勝手に形状を変えだした。ガリガリと質量の法則を無視して、剣先がどんどん細く長く変わる。また、握っていた柄にも変化が表れる。

「おおう・・・」

 何てご都合主義な展開だ。

 数秒後、手の中に現れたのは槍。それも西洋風の馬上槍だ。普通の槍が長い柄に穂先がついているのに対して、馬上槍は八割くらいが刀身になっている。イメージにある様な円錐形ではなく、剣の形を少し継承したかのような、底が二等辺の三角錐。根元の柄付近には外に歯車のついた三つの環が、リボルバーみたいに付いている。

 しかも、槍だけでなく肩までのガントレットが作られた。右腕だけごつい鎧を装着したみたいに完全に覆われている形だ。柄の部分にはバイクのハンドルカバーになっていて、ガントレットの上から右腕をカバーしている。見た目には、槍と盾をくっつけたようになっていた。しかもこの素材、以前戦った魔龍の鱗にそっくりだ。魔龍の鱗は強度もさることながら表面はガラスのようにツルツルしている。攻撃を弾くのにもってこいの素材だ。

 通販番組のセット、あるいは十徳ナイフのように必要なもの全部コミコミで入っている。

『ほほう、面白い。武器が変化するのか』

 フレゼルが言った。

『それが貴様の隠し玉か』

「まあ、そういう事にしておいてくれ」

 本人も知らない隠し玉は隠し玉ではないし、喜んでばかりもいられない。これを作りだした影響か、目が少し霞んできた。疲れ目だ。体力の限界が近い。

 次が最後だ。

 右腕を軽く肘を曲げた状態で前に出す。左手は右腕の肘に添える。体内電流を右手に集中させると、そのまま電流は槍の方へ流れ、槍についていた三つの環がフィンフィンと音を立てて回転し始めた。途端、槍に蓄積されていく電気量が増大していく。

 そうか、この輪はコイルみたいに、流れる電流を増幅する機能があるのか。

 環がF1カー顔負けの回転数を叩きだした頃、蓄積される電力はおそらく限界値に到達した。ついでに僕の体力の限界にも到達しそうだ。

「行くぞ」

 小細工は無用。どうせばれてる。ならば、真正面から粉砕する。

『来い!』

 フレゼルが吠え、フルンティングを構えさせた。腕を大きく広げて、剣とハルバート、折れた斧の代わりにギミックからメイスを取り出して構えている。

 一歩前へ。槍から漏れ出る高電流が空気中で爆ぜて鳴く。

 徐々に速度を上げる。フルンティングが近づく。

『おおおおお!』

 フルンティングが第一撃目を放った。タイミングとしてはこちらの槍とかち合う。槍にあてることで僕の体勢を崩し、遅れて放つ二撃目でとどめを刺すと言ったところか。

 甘いな。その剣はさっきまでの攻防でボロボロなんだよ。

 剣と槍がぶつかった瞬間、剣の刀身が粉微塵になった。

『チィッ!』

 完全に目論みが外れたフルンティングだが、二撃目の軌道を強引に修正し、僕への直撃コースを取った。あの一瞬で動揺を引き摺らずに、すぐに次の手を打てるのはさすがだ。他のグレンデルたちとは踏んでる場数が違うぜ。

 斜め上から落ちてくるメイスに対して、僕は右肩を少し上げた。先ほどの槍についた盾で防ぐような形だ。もちろん、このままでは体重差で圧殺されてしまうが、ヒットの瞬間、落ちてくる軌道に合わせるように飛んで体を横回転させた。ボクシングで言うところのスリッピング・アウェーだ。しかもこの盾は魔龍の鱗と同じく良く滑る。果たして僕の狙い通り、メイスは僕を潰すことなく路面を叩き、僕は突進の勢いを緩めることなく今度こそ胴体に肉薄する。

『まだだ!』

 最後の腕がハルバートで突きを放った。下手に柄で防ごうものならさっきの剣と同じ運命を辿っていたところだ。

 槍の先端とハルバートの先端が激突する。

「だぁああああああああ!」

『ぬぅううおおおおおお!』

 互いの全ての力をその一点に集中させた。拮抗は瞬きの間。

 ベキュ、とハルバートの穂先が折れた。

「ぶち抜けぇっ!」

 柄を砕き、腕を砕き、槍の先端がフルンティングの胸部装甲を貫いた。

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