第50話 思考の迷宮

 たちまち乱戦になった。ティルたちの士気が上昇したのはミハルの参戦だけが影響ではない。彼女の後ろから、死んだと思われていた、足止めを買って出た別働隊にいた生き残りが駆け付けたのだ。腕を失い、目を失っても彼等の戦意は衰えることなく、動揺の収まらないロネスネス軍の横腹に喰らいついた。

「彼らを助けてくれていたのか!」

 自らも闘争の坩堝に身を投じて剣を振るいながら、ティルが叫ぶ。

「通り道だったからな! ついでだついで! それでここに来るのが遅くなってんだから世話ねえよ!」

『ぼさっとするな母上! 右から来るぞ!』

「わーってんよ!」

 ライザの注意に、ミハルは返事のついでに三人ほど薙ぎ払う。

『しかし、もうひと押し欲しい所だな』

 ライザが策略家気取りでふうむと唸る。

 相手に勝つのは、何も相手を倒すだけではない。相手の戦う意志を叩き折ることも一つの手だ。先ほどのミハルが起こしたド派手な演出、数人をまとめて吹き飛ばす作戦も、一時は相手に恐怖を与え、戦意を削いだ。いまだミハルを見るロネスネス兵の目に怯えの色が見えることから、影響は残っているとみていい。しかし、そんなものは時間によって薄れてしまう。今が絶好の機、潮目というやつだ。今もうひと押し、彼らの度肝を抜くことが出来れば一気に瓦解させられる。

 そんな時、ライザの鬣を風が撫でた。鋭敏な感覚を持ち、自らも風を纏って空を舞うライザだからこそ、この風がただの風ではないと気づいた。意志を持つ風だ。髭をぴんと伸ばして、風上に目をやる。その方向から高速で何かが接近し


 ごう、と突風を連れて上空を横切った。


「マジかよ、オイ!?」

 目の前にいた兵の股間を蹴りあげて、色んな意味で再起不能にしながらミハルが頬を吊り上げた。

『まさか我を差し置いて、大空を我が物顔で飛ぶ者がいようとは』

 流石のライザも驚愕の声を上げる。

 駆け抜けた猛烈な風によって、両陣営は綺麗にシルドとロネスネスに分けられた。空いた隙間に、ガン、ガン、と矢が突き刺さる。地面を陥没させるほどの威力と音に、誰もが呆気にとられて戦いから意識が離れる。

「そこまでよ!」

 駆け抜けた先の、城門のてっぺんに着陸し、クシナダが叫んだ。

「ロネスネス兵たちに告ぐ! 勝敗は決した! 今すぐ武器を捨てて投降しなさい!」

 大仰な演説をするように、クシナダは大きく手を振った。

「グレンデルは既に十四体破壊された! 残っているのは王が駆る一機のみ! お前たちに勝ち目はない!」

 しかしそれに、ロネスネス兵が言い返す。

「一騎残っているではないか。それは陛下の乗られる『フルンティング』であろう!」

「そうだ!」

「では、貴様らの勝利などと言えるのは早計だ! 最強のグレンデル『フルンティング』が残っている限り、ロネスネスに敗北は無い!」

「・・・なら、見に行く?」

 これにはロネスネス兵だけではなくティルたちシルド兵たちも驚いた。今まさに自分たちが死守してきたこの場を捨てると言うのだ。

「クシナダ。逃げた連中は無事か?」

 ただミハルとライザは彼女の提案の意味するところを考えていた。提案、交渉をするからには彼ら全員と戦う気はないのだ。また、彼女のことだからシルドの民を殺させるつもりは欠片もないだろう。クシナダの提案とはつまり『シルドの民は安全なところに逃げている』ということを表していると踏んだのだ。そして、彼女からは予想通りの返答がある。

「ええ、安全なところまで逃がしておいたわ。追おうとしていたロネスネス兵は私の方で食い止めたし。それに今の彼らには、逃げたシルドの民を追う余裕はないはずよ」

「ど、どういう意味だ」

 先ほどクシナダに怒鳴った兵が問い返してきた。

「こういうのは、百聞は一見に如かず、聞くよりも見た方が早いそうよ。受け売りの言葉だけど」

 あ、とクシナダはポンと手を打った。何か思いついたらしい。

「賭けをしましょう」

「賭け、だと?」

「ええ。今、私の仲間のタケルが、あなた方の王と戦っているわ。その勝敗を賭けましょう。王が勝てばあなた方の勝ち。タケルが勝ったら私たちの勝ち。それでどう?」

「陛下が勝ったら、お前らはどうする気だ」

「おとなしく軍門に下りましょう」

「ふん、意味のない賭けだ。陛下が勝つに決まっている。そうすれば、自然とお前らも降伏する羽目になる。そんな賭けに乗る理由がない。だいたいあのまま戦いを続けていても・・・」

「本気でそう思ってるなら、今から再戦したっていいのよ? ミハルもまだまだ戦い足りないでしょうし。けど、あなた方はどうかな? もう一度、私たちと戦う?」

 それでもいいけどね、とにこやかにほほ笑むクシナダと、その下で指をゴキゴキ鳴らすミハルに、ロネスネス兵は震え上がった。何の返事もできないロネスネス兵を見て、決まりね、とクシナダは言った。

「その代り、タケルが勝ったら、そっちこそ大人しく降伏しなさい。良いわね?」

 誰からも異論は出ない。それに満足して、クシナダは城門から飛び降りた。

「とりあえずは、開城といきましょうか」


 二つの軍の兵士たちは、戸惑いながらも今更争うことはせず、大人しく従った。

「完全にクシナダのペースに吞まれてるよな」

 ミハルが少し前を行くクシナダを見ながら言う。

『それもあるが、彼女に逆らわない方が良いと全員が思ったのではないか』

「ああ、それもあるわ・・・」

 ミハルは遠い目をした。さっきの話だ。話が決まったということで、早速城門を開けようと言う話にはなったのだが、ティルの一撃で巻き上げ機のストッパーの一部が歪み、上手く巻き上がらなかったのだ。これでは誰も外に出れない、と思っていた矢先、なんてことないようにクシナダが言った。

「しょうがないわね。じゃあ、破っちゃいましょう」

 言うやいなや矢をつがえて放つ。放たれた矢が城門に当たった瞬間、轟々と風がうねり、石造りの頑丈な城門は脆くも崩れ去った。

「とんでもねえな。ホントに」

 あの技を見せられ、まだ戦おうという気概を持つ者などいないだろう。うむうむ、とライザが共感する。

『通常の我ならば、下賤な人にこの身を触れさせることなど許さぬのだが、あの方にならば仕方ないことだ、うむ』

 渋々、と言った感じでライザが言うので、ミハルはぴんときた。

「・・・もしかしてあんた、ビビってんの?」

『びびって?』

「クシナダが怖いんじゃないかってことよ。そうよね、あんた龍、てか動物だし。人間よりも本能で生きてそうだし。あんたの本能が、クシナダが怖いって警鐘を鳴らしてんのかもね」

 だから、大人しく触らせていたのだ。というか、動けなかったのだ。怖くて。そう思うと、頭の上でふんぞり返っているライザが、まだまだ生まれたばかりの子供だと言うことを実感させられ、可愛く思えてきた。

『い、いかに母上とてその、その物言いは許さぬぞぅっ! 我が、お、怯えるゥことなど万に一つもあり得ぬわ! とんだ勘違いだ! 訂正しろ!』

「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」

『我は偉大なる始祖龍の血脈! その我が恐れるものなどありはしない!』

「じゃあ、何で触らせてあげてんだよ?」

 意地悪な笑みを浮かべてミハルが言う。

『あ、あれは、そう。あれだ。あれは我が認めたという意味だ。我は何者も恐れはしないが、実力者はきちんと認める。思慮深く、懐も深いのだ。少し相手の方が優れているからといちいち嫉妬したりするような矮小な人間とは違うのだ』

「ふうん、そう?」

 空を飛んだり一撃で城門破壊したりするような女は、流石の龍族も認めざるを得ない、と言うことらしい。

『笑っていていいのか? 母上よ』

 神妙な声で、ライザが言う。

『母上が殺そうとしているのは、その相棒だぞ』

 その指摘に、一瞬ミハルの足が止まる。頭に浮かぶのはあの男の顔だ。簡単にあしらわれた、最初の出会いを思い出す。あの男も、クシナダのように特殊能力を持っていてもおかしくない。すぐに傷が治ってしまう驚異的な再生力もその一つだ。

 あの時、あの男が自分を侮っていると思っていたが、全くの逆だ。自分が奴を侮っていたのだ。奴にとって自分は、何も知らずに突っ込んでくるだけの猪と同じで、結果はあの様。倒すどころか、本気を出させることすらできなかった。

 自分が生きているのはあの男の気まぐれにすぎない。本来ならばあの時点で殺されていてもおかしくなかった。

 故に彼女の思考は、ごく自然にその方向へ向かう。

「じゃあ、何でだ?」

 何故、奴は自分を殺さなかったのか。奴は父を殺すために優しい兄に取り入り、平気で裏切って父もろとも殺害するような悪魔のはずだ。その疑問は、矢のように深く自分の脳に突き刺さって消えてくれなかった。どころか、検索機能で引っかかったか、余計な記憶まで引っ掛かった。

 ―タケルは分別のある、冷静な人間だ―

 ティルがミハルに言った言葉だ。これまで自分が描いていた最低最悪の犯人像と証言が一致しない。

 二重の意味で、あり得ないことが起こっていた。

 これまでの自分ならば、どれほど須佐野尊が善人だと周りが言ったとしても絶対に信じなかった。その確固たる、自分の中でぐらついてはいけない軸が、ほかならぬ自分の思考せいで揺らぎつつある。

 ―自分の兄のことを良く知らないのではないか?―

 再びティルの声が蘇る。そんなわけはない。自分以上に兄のことを知っているものなどいるはずがない。そう自分に言い聞かせれば、返ってくるのは冷徹な自分自身からの反論だ。ならば何を知っているのか。自分といないとき、兄が何を考え、何を成そうとしていたのか、死の間際に何を思ったか知っているのか。わかると言うなら答えて見せろ。自分の中で意見が分かれ始めた。須佐野尊と言う男を殺すために統一された意志が、今は奴のせいでバラバラになっている。

 ―全体像を見なければ、真実にはたどり着けない―

 ミハルの知っている事実とタケルの知っている事実は同一だ。ミハルの兄が死んだという事実だ。しかし、視点が違う。

「くそっ・・・」

 頭を振る。自分にとって不都合な考えを追い出すように。

『急に頭を振らんで欲しいな』

 ライザが苦情を呈する。

「嫌ならいい加減私の頭から離れろや」

『断る』

 そうかい、とミハルは返す。

『で、答えは出たかな?』

「・・・あ?」

『奴をどうするのだ?』

「んなもん、最初っから決まってる。ぶっ殺すんだよ」

 先ほどまでの葛藤を打ち消すために、言い聞かせるように口に出す。ライザはふう、と大きく長く鼻から息を吐きだし『そうか』と言った。

 彼女らの話が一区切りついたところで、一同は広場に出た。巨大な龍の死骸のある場所で、二体の化け物が斬り結んでいる。

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