第49話 虎の威を狩る者

 一人、また一人と兵たちが脱落していく。

 足止めとして残っていた兵たちは、誰一人合流できていない。

 たった数百メートル。その距離を走り抜けるだけで、多くの兵士が命を落としていった。 その地獄の道も終わりを迎えようとしていた。数多の犠牲を乗り越えた先に光が見えた。

「出口だ!」

 グレンデルが通れるほどの巨大な城門が見えた。先頭の兵がその門をくぐり、その後をシルドの民が走り抜けていく。それを見届けて、ティルは門前で急停止し反転した。

「ティル様?!」

 前を走っていたはずのティルを追い越してしまった兵数名が慌てて引き返す。彼らに対して戻るな! とティルが叫んだ。普段のティルからは考えられないほどの強い口調に彼らは立ちすくむ。

「何をなさるおつもりですか?!」

「私が時を稼ぐ。皆が逃げる時間を少しでも長く、敵を一人でも多く食い止める。時を稼げば稼ぐほど、追いかける兵が少なければ少ない程、シルドが生き残る確率が高くなる。お前たちはそのまま民たちを誘導しろ」

 追いすがって城から出てきたロネスネス兵たちを睨む。確認できた数は十ほど。その中に、味方の姿は見つけられない。その意味を理解し、歯が折れんばかりに食いしばり、手に持った剣を強く握りしめる。

「しかしそれではティル様が」

「立ち止まった者は誰であれ置いて行けと言ったはずだ」

「馬鹿を言わないでください! あなたが、王族のあなたが生き残らなければ意味がないじゃないですか! シルドはあなたあっての国なのですよ!」

「意味ならある」

 少し表情を緩めて、ティルが言う。

「少し、ホンドの言っていたことが分かった。血を残すということの意味とは、国を残すという意味は、王家に連なる者が生き残ることではないのだ。国という領土が残ることでもない。それは後で出てくる結果だ。自分がシルドの子であるという意志と誇りを持つ者が立っている場所、そここそがシルドだ。そういう者たちがいて、彼らが支えてくれることで、初めて王は王でござい、という顔が出来るのだ。ならば、真に生き残るべきは王ではない」

 誤った判断で国を亡くした王族などは特に、と自嘲する。

「分かったら早く行け。全員の通過を確認次第、この門を降ろす」

 ちらと横目で見た先には、城門の上部にある鉄格子と、それを上げている巻き上げ機だ。ロネスネスの軍を一人で食い止めるのは無理でも、外へと通じるあの門さえ封じるのは一人でも十分だ。外へ無事逃げても、追手がかからないともわからない。守る者は多い方が良い。そう考えれば、ここで自分が残るのが最善手と言えた。

「し、しかし・・・」

 兵たちも頭ではティルの策を理解していた。だがここに残るということは、死と同一だ。

また、これまで使えていたティルを残して行くことなど考えられなかった。

死の恐怖と、これまでの忠誠及び植え付けられた思想との間で迷う兵たちに、再びティルが怒鳴りつける。

「行けと言っている! これは命令だ!」

 肩をすくませた彼らは、ティルと出口を何度も見比べる。

「安心しろ。先ほどホンドに教えてもらったのだが、この城には抜け道があるそうだ。ただし、小柄な人間しか通れないような狭い道でな。お前たちでは逃げられん。だが、私なら逃げられる。門を閉ざしたら、すぐにそっちへ逃げるつもりだ」

「ほ、本当ですか?」

「本当だ。だからそこでぐずぐずされると私の計画に支障が出る。私が早く行けと言うのはそう言う意味なのだ」

「わ、かりました。では、後で必ず会いましょう」

「当たり前だ。皆のことを頼んだぞ」

ようやく踵を返して、兵たちも最後尾の民と合流した。それを見届けて、ティルは巻き上げ機のストッパーに剣を思いきり叩きつける。ガチャリ、とストッパーが外れ、鉄格子が上から降ってきた。ずずん、と重々しい音を震わせて、門が閉じる。

「さて、と」

 迫りくるロネスネス兵に向けて切っ先を向けて構え、舌なめずりをする。恐れは無い。シルドの未来を託せたからだろうか。彼等なら大丈夫だと。ここに到達するまでに散っていった仲間たちも、同じ心境だったのだろうか。

 ロネスネス兵の熱気すら感じられる。負けじと声を張りながら、ティルが敵陣中央へ切り込む。先頭正面にいた兵が槍を突きこんでくる。それを半歩ずれることで躱し、お返しにと上段から袈裟切りにする。頭を割られた兵はその場で脳と血をまき散らしながらどう、と倒れた。その光景に敵兵が一瞬怯む。そこを見計らって、名乗りを上げる。敵の狙いを自分に集中させるために。

「我こそはティル・ベオグラース・シルド! シルド王家の最後の生き残り! 命が惜しくなければかかってこい!」

 瞬間、ロネスネス兵の目の色が変わる。逃げて行った捕虜など比べ物にならない大物が目の前にいるのだ。討ち取れば多額の報酬と栄誉が約束された獲物だ。歩みを止め、狩りのようにじりじりとティルを囲む。誰かが合図を出せば、四方八方から襲い掛かられ、一瞬にして穴だらけの死体に成り代わる。ならば先手、と考えるが、簡単には打たせてくれそうにない。隊列を整えた彼らに下手に斬りかかれば、一人躱してもすぐに左右後方から攻められる。勢いで攻め込んだが、早くも手詰まりだ。

「一体何をしているのです?」

 そんな声と同時、囲いの一部が崩れる。背中から血を流し、ロネスネス兵が前のめりに崩れ落ちたのだ。

「ホンド! それに、お前たち!?」

 空いた穴から新たに現れたのは、てっきり逃げたと思っていたホンドと十数名の兵たちだ。全員ボロボロだが、その顔に浮かぶのは苦悶ではなく悪ガキのような笑みだ。

「かかれ! ティル様をお助けせよ!」

「おおっ!」

 応じて、シルド兵たちはロネスネス兵に襲い掛かる。もともと彼らは山岳地帯に住んでいた為、真正面から当たるより奇襲を得意とする。不意を打たれたロネスネス兵は体勢を立て直す暇すら与えられずに駆逐されていく。全滅するまでさほど時間はかからなかった。

「嘘は良くありませんな。私はあなたにそんなことを教えた覚えがありませんが。だいたい入り込んだばかりの私に城の逃げ道などという命綱に等しい情報を漏らすはずがありません

 血を拭った剣を鞘に戻しながらホンドが近づいてきた。

「どうしてまだこちら側にいる!」

「どうして? それはこちらが言いたいですな。ティル様一人が残ったところで幾ばくの時間稼ぎにもなりません。すぐに囲まれて殺されてしまうでしょう。殿は時間を稼いで任務達成となるのです。時間も役割も果たせないのを殿と言いません。無駄死にと言うのです」

 ついさっき無駄死にしそうになったティルはぐうの音も出ない。

「それに、ティル様の答えを聞きましたのでな。採点に参った次第です」

「私の、答え?」

 少し記憶を巡らせて、先ほどの兵と話したことだと気づく。あの時からどこかに伏せて、門を閉じるのを待っていた、いや、ティルがしなければ彼らが門を閉じる役目を担おうとしていたのだ。

「私から言わせれば、満点とは言い難いですな。むしろ誤り、大間違いだ」

「んなっ!?」

 腹を括り、覚悟を決めて至った答えを一蹴されて唖然とする。

「確かにあなたの言うとおり、民あってこその国でありましょう。それを維持するのは未来ある子ども、子を育てる母、なるほど、確かにそうだ。が、肝心なものを忘れていらっしゃる」

「それは、何だと言うのだ。そんなものあるのか?」

「あなたですよ。ティル様。あなたが不要と判断した、あなた自身が彼らにとって必要なのです」

 ずずいと目を覗きこまれ、ティルは少しのけ反る。

「私、だと? 馬鹿な。王家などあっても意味がないことは、この度の戦でわかったではないか」

「そこが間違いです。あなたは王の意味を履き違えていらっしゃる。王とは象徴、もしくは希望。民の心の拠り所です。この人について行けば間違いない、と思わせるような人です」

「はっ、それならばなおのこと、私は該当しないだろう? 導けなかったからこその現状であろうが」

「そうですね。だからこそ、私は不遜にも自分がそれになろうとした。私こそが、残ったシルドの民を率いて行けると思ったのです。けれど、それもまた、誤りだったようです」

 ティル様、と改まった口調でホンドは言った。

「あなたには、王の資格がおありだ。それを見抜けなかったことが、私の最大の誤り」

 言うだけ言って、ホンドはクルリと向きを変えた。その方向から先ほどの倍のロネスネス兵が現れた。話はこれで終わりだ。

「私が言えた義理ではありませんが、頑張って生き伸びてください。もしこの局面を生き延びることができたならあなたは・・・」

「私は・・・なんだ?」

 いえ、とホンドは首を振る。

「それはまたあとで話しましょうか」

「分かった。その時は全て話せ。一切合財だ。良いな?」

「お約束しましょう」

 互いにその約束を守れそうにないと思いながら剣を抜く。周りにいた兵たちも習って、各々の武器を構える。

「行くぞ!」

 そこからは文字通り死力を尽くし、血みどろの戦いとなった。シルド兵は誰もが獅子奮迅の活躍で、数で勝るロネスネス兵を圧倒していた。しかし時間が経つにつれ、形勢は徐々にロネスネス勢に傾いていく。いかにシルド兵が強くとも体力には限界があり、対してロネスネス兵はその数を徐々に増やしていく。わらわらと、シルド兵たちにとっては悪夢のように城から兵たちが流れ出てくる。彼らは焦らなくていい。防戦で良いのだ。相手が力尽きるのを待つだけで良い。数が増えてくるのに焦り、飛び出したところを討ち取るだけでいい。始めから負けない戦いだ、という心の余裕は大きい。余裕があれば冷静に物事を考えられる。反対に焦りは視野を狭くし、思わぬ不覚につながる。

「ぐぶっぉ」

 ついに、シルド兵の一人が討ち取られた。相手の防御の隙を突こうと前に出た瞬間だ。いや、正にその隙こそロネスネス兵が作りだした誘い込むための罠。

「ブーレカ!? くそ!」

 一人が倒れれば、少数の陣が崩れるのも早い。一人が抜けた穴を他で補うための労力、仲間を殺されて生じる怒りと次は自分ではないかという恐怖。その他様々な精神的負担が、これまで気力でねじ伏せ無理矢理忘れていた体力の限界を脳に思い出させ、疲れとなって体を蝕み始める。まるで波に削り取られていく砂上の楼閣のように、ボロボロとシルド兵は削られていった。遂には城壁に追いつめられる。その頃にはシルド兵は数を最初の数の半分を割り、ティル、ホンドを含めて七名にまで減らしていた。

「諦めろ」

 槍衾の向こうから、ロネスネス兵の嘲笑混じりの声が飛ぶ。彼らの傷に塩を塗り込むように、ねっとりと丹念に。

「諦めろ。お前らは終わりだ」

「逃げた連中も終わりだ」

「今頃、グレンデルに皆殺しにされているかもしれない」

「我らの仲間たちに掴まっているかもしれない」

「全て無駄だ」

「お前らの行いは全て無駄だった」

「無意味だ」

 毒のように、言葉はシルド兵の耳から入って頭を侵し、四肢から力を奪う。

「諦めろ、だと?」

 だから、ティルは抗った。抜けて行く力を必死でつなぎ留め、剣を強く握り直す。

「嫌だね。何一つ貴様らの要求などに従ってやるものか」

 ただの強がりと解りきっているロネスネス兵は笑う。

「やはり、シルドの、愚か者が住まう国の王族は、輪をかけて愚かだな。・・・そう言えば、前にたった一人で乗り込んできた王も愚かだったなあ」

 その言葉にティルたちが目を見開く。

「仮にも王の癖に情けなく頭を垂れ、陛下から譲歩を引き出そうと懇願していた哀れな男よ」

「頭を垂れていたから、その頭を落としやすかったらしいぞ」

「誰が貴様らのような弱小部族と交渉するというのか。おこがましいったらないわ」

 ははは、と勝利を確信したか良く喋る。その嘲笑がシルド兵たちの折れかけた心に火を入れたことに気付かない。そして、もっと重要なことにも。

「何がおかしい! 国の為にたった一人で戦った男に、何一つ恥じるところなどあるものか!」

「戦う? あれがか? 意地も誇りもなく相手に頭を下げることが戦いだと? シルド人というのはどこまでも愚かなんだな。相手にへりくだることが戦いと言うなら、貴様らは一生我らの足でも舐めてろ」

 その発言に、ティルたちは飛び掛かる、つもりだった。意気揚々と喋るロネスネスの油断、自分たちの体力が幾らか回復したこと、その二つが重なったからだ。切り抜けるには今しかないという最高のタイミングで、彼らは飛び出せなかった。

 正確には、飛び出す必要性が失われてしまった、と言うべきか。


「死んでもごめんだね」


 突然降ってわいたのはロネスネス兵でもシルド兵でもない、第三者の声。

 同時、ロネスネス兵中段あたりが爆発に巻き込まれたかのように吹き飛んだ。

「な、あっ!?」

 何が起きたかわからないティルたちは、ただ視線を彷徨わせ、見つけた。ポッカリとあいた空間の中心に、龍を頭に乗せた女が降臨しているのを。

「悪い。遅くなった。生きてたか?」

 女がティルたちに向けて手を振った。今しがたロネスネス兵たちを吹き飛ばしたとは思えないほどの細腕だ。呆気にとられているティルは、反射的に手を振り返してしまう。

「き、貴様、なぜここに!? どうやってグレンデルから逃げおおせた!?」

 ロネスネス兵の問いに、女が不機嫌そうに眉を顰め

『控えよ下郎! 我が母があんな木偶如きに後れをとるか!』

 言い返す前に頭上の龍が言い返した。

「だから、何であんたが偉そうなんだよ」

『我と母は一心同体。母の手柄は我の手柄、我の声は母の声だ』

 当然のように答える龍に、女は言い返す気力も無くしたか、まあいいや、とため息一つで切り替えた。

「頼みのグレンデルは叩き潰した。残りはお前らだけだ。さあ、もう一回言ってみろやこの虎の威を借りたハムスターどもが。虎がいなくても同じように強気で入れるかどうかなぁ!」

 虎のような獰猛な笑みを浮かべて、大賀美晴は牙を剥いた。

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