第48話 守る者の戦い、守られる者の義務

 タケルとミハルがグレンデルを引き付けている頃。ティルたちシルド兵たちは場内を駆け巡っていた。先頭を行くのはホンドだ。彼の手引きにより、ティルたちは迷うことなく道を進んでいる。あまりに迷うそぶりがないので、途中から皆が不信感を抱き始めたほどだ。彼らは一度、ホンドに欺かれている。当然と言えば当然だ。むしろ良くついてきたと褒めてもいいくらいだ。

「ホンド、次はどっちだ」

 ティルだけは、特に異論を挟むことなくホンドの後に従っている。先ほどから何度か兵たちから不安と不満の声を聞いているが、ティルはそれを上手く押さえていた。ティル自身にも迷いはあった。本当に信じていいのか、と。彼が裏切ったのは紛れもない事実。しかし、タケルの言葉がティルには引っかかっていた。ちらりとホンドの表情を窺う。先ほどから全く変わらぬ鉄面皮を貫いていて、そこからは何も読み取れない。ついさっき同じ表情で仲間を裏切り殺したときも同じ顔をしていた。動揺も後悔も何もない。

「こちらです」

 その声に、ティルは思考を一旦振り払った。今はついていくほか道はない。そう腹を決め、兵を二手に割く。一組は見張りと敵が来た際の足止め、もう一組が救出組となる。

 ホンドが城内一階の奥まった場所にある木製のドアを開く。昼間であるのに薄暗い、地下牢への入り口だった。おお、と小さな歓声が上がる。ここまで大した敵兵に発見されることもなく、簡単に到達できた。囮の効果が絶大とはいえ、ここまで抵抗らしい抵抗がないのも気持ちが悪い。

「・・・よく知っていたな。ここまでの道を。仮に脱走されたとしても逃げられないように、かなり入り組んで作られていると聞いていたが」

 いくらかそういったもやもやした感情も込めて、ホンドを窺うようにして尋ねる。少しでもおかしなそぶりを見せればすぐさま判断が出来るよう、前もって二、三の指示を頭の中で想定しておく。

「タケルではありませんが、幾つもの策を練っておくのは当然です。そのためにはあらゆる材料を集めておく必要があります。可能性という芽を育むために。ロネスネスに寝返ると決めたときも、流れが変わって囚われたシルドの民たちを解放することになるかもしれないと考えて、この城の地図は頭に叩き込んでおいたのです」

 どこで何が必要になるかなど、誰にもわかりませんからな。何でもないことのようにホンドは言った。

予想を良い意味で裏切られたティルは、改めて王家に古くから仕える老臣に目をやる。その細い目は一体何を見ているのだろうかと純粋な興味が湧き上がるのを止められなかった。どうしてここまで思慮深い男が自分を、仲間たちを裏切ったのか。処刑されるかもしれないのにまだ自分たちに付き従うのか。謎は尽きない。全てを解決するには、タケルが言ったように本人から聞き出すしかないのだろうか。

「ティル様」

「ああ。行くぞ。全員助け出す」

 目の前に広がる薄暗がりに視線を移し、ティルは階段を下る。


 どさ、どさ、と地下牢入口を見張っていた敵兵がティルたちの足元に転がった。彼らに向けて、ティルが顎をしゃくると、意図をくみ取った兵が倒れた彼らの懐を探る。しかし、しばらく探しても牢の鍵らしいものが出てこない。鍵がないと鍵自体を破壊することになる為大幅に時間が遅れ、時間が遅れれば彼らの身も危うくなる。

「代われ」

 ずい、とホンドが鍵を探していた兵を押しのける。探す事数秒、ホンドは鍵ではなく小さな光沢のある板を取り出した。

「ホンド、それは?」

「これこそが、この城の鍵にございます」

 そう言って、ホンドは見張りが守っていた、妙につるつるとした金属製の扉に板をかざす。


ピーッ


 音に驚いて、ビクリとティルたちが肩を竦める中、ホンドは何事もなかったかのように扉を押す。プシュ、と空気が抜けた音と共に、最初に若干の抵抗のあった扉は音もなく開いた。

「行きましょう」

「ま、待てホンド」

 先ほどから驚きっぱなしで状況に頭がついてこれないティルは、歩みすらも置いて行かれてはかなわないと慌ててホンドの後を追い、扉をくぐった。

「何だ、これは・・・」

 その先には、更にティルたちを驚嘆させる光景が広がっていた。

 地下に広がる空間は、一般的な地下牢のイメージとは少し違った。五人が横に並んでもまだ余る広い通路、その高さは降りてきた階段の高さを考えても優に人の身長の三倍はある。

 壁もティルたちが知る素材とは違っていた。上の城は通常、というのもおかしな話だが日干し煉瓦や石材で出来た、自分たちの知っている素材だったが、地下の壁は所々に細かなヒビが入っているものの、どこにも継ぎ目も凸凹もない、一面真っ平らな壁だった。そこに備え付けられている、内と外を隔てている牢は鉄格子ではなく、空気のように透明な板。全員がその異様な光景に固まる。

 ここにタケルやミハルがいれば、彼等とはまた違った理由で驚くだろう。彼らにとっては懐かしきコンクリートに強化ガラスが存在し、入り口にはカードキーで開ける電子ロックの扉。その先に広がるのは牢獄や刑務所というより、研究施設のようなのだから。

「大昔、それこそ神代の時代に建設されたのでしょう。グレンデルが発見されたのもこの遺跡の奥深くだったそうです」

 先を進むホンドが、以前訪れた時に調べておいた情報を共有する。

「大昔に、こんなものが作られていたというのか」

「詳しくは誰もわかりません。資料もわずかに残ってはいたようですが、誰もそこに書かれていた文字を読むことが出来なかった、とのことです」

 それも無理からぬことだと思う。目に見えているものすら、理解の範疇を超えている。まともに考えていたら頭がおかしくなるかもしれない。

「考えても仕方ない。今は救出に専念しよう。その板で鍵を開けることはできるのだな」

「はい。理屈のわからない物をそのまま使っていたのが幸いです。かざせば開く、ということさえわかれば誰にでもできるのですから」

 その情報を聞き出すのが大変なはずなのだが、ホンドはその情報も持っていた。先ほど何が必要になるかわからないから備えている、と言っていたが、どれほどの情報を揃えているのか。

「着きましたぞ」

 急に立ち止まったホンド、その前に一際大きな牢があった。そこには数十名のシルド人が閉じ込められていた。憔悴し、蹲ってはいるが、死人は出ていないようだ。彼らがティルたちに気付く。死んだようにうつろだった瞳にティルの姿が映り込むと、そこから生気が溢れ、みるみる内に体に巡り、活力を取り戻していく。

「ティル様!」

「皆、無事か? 助けに来たぞ!」

 ああ、とも、おお、ともつかない、何とも言えない声が安堵の吐息と共に出た。ホンドが鍵を操作して扉を開けると、我も我もと飛び出してきた。

「疲れているだろうが、もう少し頑張ってくれ。脱出するまでの辛抱だ」

 ティルの声に全員が頷く。

 そんな時、一番入口に近い兵が振り返った。最も目と耳の良い彼は、遠くから何かが聞こえた気がしたのだ。集中し、耳を澄ます。耳に届いたのは、剣戟の音と怒声だ。

「ティル様!」

 緊急事態に、兵は声を上げる。

「どうした!?」

「物音が聞こえます。おそらく、上階で戦っているものと思われます!」

 その報告に救出で緩みかけた神経が一気に緊張する。

「確かか?」

「はい! それに、今」

 兵が指差す方向から階段を駆け下りる音が先に届く。降り立ったのは、残してきた兵の一人だ。腕に血を滲ませ、息を切らせながらティルたちのもとへ走ってくる。

「報告を」

 走ってきた兵に端的に問う。気遣う余裕もないことを、その兵自身の顔が物語っていた。

「はっ! タケル殿とミハル殿、クシナダ殿がグレンデル相手に互角以上の戦いを繰り広げております。敵はそれを見て危機感を募らせたか、地下にいるシルドの民を人質として利用しようとしておりました。地下に足を踏み入れそうだったので、上に残った者たちが外までの道を守っております」

 報告を受けたティルはすぐさま指示を飛ばす。

「疲れているところ悪いが、お前は戦先頭を走り、この者たちを安全な場所まで連れて行け。皆は、この者の後に続け。決して振り返らず、全力で走り抜けろ。我らは彼らを挟むようにして布陣し、並走しながら寄ってくるものを片っ端から倒す」

 指示を受け、降りてきた兵が入口に向かって走り出した。その後を囚われていたシルド人の女、子どもが追い、兵士が彼らを挟むようにして護衛する。

 階段を上りきった先では、血なまぐさい戦いが繰り広げられていた。兵力で圧倒的に劣るシルド兵たちは細い通路や階段、部屋などを駆使して、一対多数にならないように戦っていた。しかし不利なのは変わりなく、傷だらけになっているシルド兵の死体がいくつか転がっている。そんな中であろうと通路を死守しているのは、執念の成せる業だろうか。凄惨な光景にシルド人たちは立ちすくんだ。

「止まるな、俯くな!」

 仲間の死を悼む暇も悲しむ暇も彼等にはない。彼らの死を無駄にしないためにも逃げきらなければならない。ティルは沈みそうになった一団に喝を入れた。

「走れ! ここで死んだ仲間のためにも、皆は生きなければならないのだ!」

 ティルの言葉に全員が腹をくくる。

 そして叫んだティル自身が、何かに気付いた。裏切りが判明したときの、ホンドとのやり取りだ。シルドの血を残す事こそが義務だと彼は言っていた。どんな手を使ってでも残さなければならないと。それが、これか?

 通路を守っていた兵たちの間をすり抜け、敵が近寄ってきた。護衛の兵と敵兵が切り結ぶ。走りを止めた護衛はすぐさま敵兵に囲まれ、横から、後ろから斬りつけられる。傷つき、血を流しながら、護衛は力尽きるまでその場で剣を振り続けた。助けに行こうとした仲間に対して「来るな!」と叫びながら。自らを盾にして仲間を助けようとしているのだ。その光景を見て、ティルは唇を噛み千切るほど食いしばり、血を滲ませながら、非情な命令を飛ばす。

「決して振り返るな! 絶対に止まるな! 止まった者は置いて行け! 助けに行くな! それがたとえ、私であってもだ!」

 死を覚悟しながら、ティルたちは外までの数百メートルの距離を疾走する。

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