第39話 心のゆとりが生み出すもの

 面白いことになってきた。

「そんな、そんな馬鹿なことあるわけないだろう! ホンドが言っていたのだ、彼らを止めてくれると。私との間を取り持ってくれると」

 セーオを支えていたはずのティルがよろめいてくずおれる。セーオがあわててティルの両肩を押さえて、支える側と支えられる側が入れ替わってしまった。

「いえ・・・残念ながら。ホンド様自身が先頭を切って出て行かれました。まるでこの時を待っていたかのように勇んで」

「何故だ、何故だ!」

 頭を抱える。

「勝ち目がないと、自分でも言っていたではないか! なのに何故!」

「・・・勝ち目がないからじゃねえの?」

 そう言ったのは頭に龍を乗せたミハルだ。

「どう、いうことだ」

 その問いに、ミハルはさも当然という顔で答えた。

「他の連中はともかく、あのホンドって野郎、寝返るつもりなんじゃねえか?」

「ありえない。ホンドは古くから仕えてくれていた重鎮だぞ。憶測で適当なことを言うな。客人とはいえ、彼を侮辱することは許さんぞ」

 ミハルは、そんなティルの怒気を受け流し「どうだか」と皮肉げに口を歪めた。

「あのおっさんに良く似た顔を、私は知ってんぞ。私の叔父だ。人のいい笑顔で相手に近付いて、耳触りのいい言葉で籠絡して、裏では相手の全てを奪い取るために画策している。気づいた時には全ての権利が叔父の物だ。そうやって何人もの人間を不幸にしてきても、何ら良心を咎めない人種の目と良く似てる。全く笑ってない、泥沼のような濁った目をしてたぜ」

 私をその目でねちっこく見てたからな、とミハルは言った。

 彼女の話を正とすると、色んな推測が出来る。主に悪い方向のものだ。

 まず、彼女を見ていた理由は、彼女自身が魅力的に見えた、という他、おそらく龍が母と慕う彼女の価値だ。

 なぜその価値を求めるのか? 交換材料としてではないのか。

 誰と? 当然ロネスネスだ。

 ロネスネスと交渉する訳は? 自分を取り入れさせるためだ。

 別段不思議なことはない。あっちの世界でもよくあることだ。未来のない国を捨て、強国に付くことなんて、戦国時代ならざらにあったはず。古来より人は生きる為、自分の血を残すためにあらゆる策を弄してきた。ここでもそうだったというだけだ。そうやって淘汰が行われて、幾つもの国が興り栄え衰え滅亡してきたのだ。それに従うように人の流れも推移する。

さて、人と国はどこでもそんな変わらないという結論がでたところで。

「これからどうする気?」

 それが一番重要だからだ。

「ここで待ってても何も変わらない、というよりも事態は悪化の一途を辿るだけだ。ホンドが寝返ったのか、それとも若い連中と戦いに行ったのか、それすらここにいただけではわからない。気づいた時には手遅れ、なんてことは簡単に起こりうる状態だ。さあ、どうする?」

「他人事だと思って、簡単に言わないでください!」

 怒鳴り返してきたのはセーオの方だった。ティルは、何か考えるかのように歯を食いしばって黙り込んでいる。口ではホンドを庇う様な事を言いながらも、あらゆる想定について検討中のようだ。

「セーオ」

 結論が出たらしく、ティルが彼女の名を呼んだ。

「今すぐ、ここに残っている皆を集めて、逃げろ。行先は初代シルドの王が守護龍様と初めて契約を交わしたとされるオールボーの山へ向かえ。あそこなら、まだ奴らには知られてはいまい」

「あそこは、王族と我々巫女以外禁足地となっておりますが」

「そんなことを言っている場合ではない。今はタケルの言うとおり、最悪の事態のことも考えねばならない。シルドが滅びるかどうかの瀬戸際なのだ」

 そして、ちらとミハルの方を見た。

「悔しいが、彼女の言う事も否定できない。弁明するべきホンド自身がここにいないのだからな」

「・・・かしこまりました。それで、ティル様はどうなさるのですか?」

「私は、先に出た兵士たちを追う。ホンドにも真意を問わねばならないしな」

「危険です! ホンド様の思惑が何であれ、ティル様にとっては良からぬことでしかないのは明白です。ティル様をおびき出すための作戦だとしたらどうするのですか!」

「それでも行かねばならん。兵士たちの中にはそのことを知らぬ者もいるかもしれない。ホンドの罠か、それともロネスネスの罠かは分からないが、明らかに危機に陥ろうとしている彼らを放っておくわけにはいかないのだ」

 両者一歩も譲らず引かずの状態だ。どちらもなかなか折れず、時間だけがかかりそうだったので、少し石を投げ込んでみるか。

「決着がつかないのなら、僕が代わりに見に行こうか?」

 ティルとセーオが同時にこちらを振り返った。

「どうせ僕の狙いはグレンデルだ。出かける先にロネスネスの兵がいるなら、そっちに向かった方が出会える可能性が高いしね」

 どうせここに居ても退屈なだけだ。

しかし、返ってきたのは「お断りします」という、セーオの冷たい返事だった。

「申し出はありがたいのですが、私はティル様のように、あなた達を信用しているわけではありません。それこそ、あなた達がまだロネスネスの間者であるという可能性を捨てたわけではないのです」

 そう言われては、しょうがない。僕らが信用されてないのは解りきっていたから、想定の範囲内だ。けれど

「あんたの考えなど、正直僕にとってはどうでも良いんだ」

「んなっ!?」

 目を向くセーオに対して「勘違いしないでもらいたいのだけど」と前置きする。

「僕は僕の好きなように動く。たまたま僕の目的がグレンデルで、あんたらの目的地と被ってたから言ってみただけだ。その後の報告とかは僕の気分次第になる。僕は、あんたらの仲間でも部下でもないんだから」

 別段黙って出て行ってもよかったし。

「すまない。頼めるか?」

「ティル様!」

 セーオがまだ言い募ろうとするのを、手で制止し、ティルは言う。

「報告の義務も必要ない。私も行くからな」

「あんたも?」

「そうだ」

「だからティル様! それは!」

「私の考えは、意志は変わらないよ。セーオ」

 ポン、と彼女の肩に、ティルは手を添えた。

「君は一刻も早く、残った皆をまとめて逃げろ。三日経っても私が現れなかった場合、そこからさらに南へ向かえ。また別の国の領土になっていたはずだ。どこでもいいから、無事に生き延びろ。これは命令だ」

 そして、セーオの返事も聞かずに踵を返した。そのまま出口の方へと消えていく。僕も後に続くためにと踏みだし、後ろからついてくる気配に、足は止めずに首だけ振り返る。

「クシナダはともかく、あんたも来るの?」

 そこには苦笑を浮かべるクシナダとミハルがいた。

「当然だろうが」

 ミハルが後ろで歯を剥いた。

「てめえをぶっ殺すまで地の果てまでついていくんだよ」

 と凄んでくるが、全然怖くない。むしろ和む。

「で、そいつも連れてくの?」

 彼女の頭上でとぐろを巻く龍を指差す。指摘すると、ミハルは顔を真っ赤にして

「仕方ねえだろうが! 離したっていつの間にか乗っかってるんだよ!」

『我はまだ生まれたばかりだ。母上の庇護下にいるのは当然だ』

 いるのは頭上だがな、と小粋なジョークを挟むバリトンボイス。この世界で初めてアメリカンジョークを飛ばす奴に出会ったが、それが龍だとは思いもよらなかった。

 そうか、この世界の人間に余裕がないためだ。ジョークや冗談などを飛ばすのは余裕がある奴だけだ。

「ちなみに何だけど。いつ庇護下から独り立ち、独り飛びか? するの?」

 そこは僕としても気になるところだ。赤印は間違いなくこいつを示している。ならばいつ成長しきるのか知っておくのは当然だ。

『ふむ、我に残された記憶を探ってみたが、個体差や環境による差が大きく、何とも言えないな。今回のように何かと争っているさなかであり、また母と呼べるものが存在しなかった場合は生まれて翌日には戦場を駆けていた。自分を守る為に、防衛本能として成長が早まったと推測できる。その時の龍は歪な成長をしたようで、後々苦労したようだがな。反対に、穏やかな場合は十数年ほど共に過ごしたという記憶もある。今回のように、龍族以外の母を持ったのは初めてのことではあるから、正直どうなるかはわからん』

「自分のことなのに?」

『自分の体の成長速度は、残念ながら自分の意志では操ることが出来ない。もちろん、何らかの作用を与えていることは否定できないが、人がそうであるように、我らもまた、例外を除いて育つのに時間を必要とする』

「じゃあ、ずっと私の頭の上に居座る気?」

『はっはっは。母上はなかなか面白いことを言う』

「いや、笑い事じゃないんだけど。今はまだ小さくて可愛らしいけど、これから成長しても頭の上に乗っかられたままじゃ首が疲れるんだけど」

『ご安心めされよ。我は既に空を駆けることが出来る。つまり常に浮遊している状態を維持できるということだ。重さによって、母上の健康に害を与えるようなことにはならん』

「その答えが答えになっとらんわ! 居座る気満々じゃねえか!」

「お母さんは大変ねえ?」

 クシナダが笑いながら龍を撫でると。

『む、クシナダ殿、そこだ。そこ』

 気持ちよさそうに目を細めていた。

「そういえば、あなた、何という名前なの?」

『我か? 我の名はライザ=ブレーゼル=ゲーティア=ウィン=ニデーサ=ベオウォルフ』

 龍が名乗ったとき、僕とミハルは同じ反応をした。

 ベオウォルフだと? なるほど、敵のロボットの名前はグレンデルだ。面白い偶然の一致だ。龍の腹の下に敷いてるのは宝ではなくミハルの頭ではあるが。

「ら、らいざ、ぶれ・・・」

 唯一ベオウォルフの意味が分かってないクシナダだけ、言い難そうに龍の名前を呼ぼうと苦戦していた。

『長ければライザと呼ぶがいい。我らの一族は、この世に初めて現れた六柱の龍の名前をそのまま順繰り順繰りに変えて名乗っている。先代がブレーゼル、先々代がゲーティアだ。そして我がライザ、我の子がベオウォルフになる』

「ということは、ライザは女なの?」

『その質問に答えるのは難しいな。雄でもあり、雌でもある、というべきか。他の龍族がどうかは知らぬが、我らの一族は単身で卵を産む。普通の生物はより強い個体を生み出すためにつがいを持ち、己の血を混ぜ合わせるが、我ら一族の場合、経験や知恵を引き継がせることを主体に置いている。変な話だが、先代と我は、体の大きさこそ違えど、ほぼ同一の存在であると言える』

「クローンみたいなもの?」

 ミハルの答えに、僕もああ、と納得した。

 龍のように元から強大な力を持つ種族なら、他の生物と遺伝子を掛け合わせて子をなすよりも、同じ遺伝子を持つ子を生み出し、経験を積み重ねた方が強くなる可能性は高い。しかも親が積んできた経験は子に全部受け継がれるというのだから、積み重ね続ければ生きるデータベースの誕生だ。

「あ、じゃあ、もしかして、敵のグレンデルの強さも知っているってことになる、のか?」

 ふと思いついた。実際グレンデルと戦った先代の記憶をそのまま受け継ぐのであれば、そう言う話になるが。

『いや、残念ながら、先代が戦うときは既に我は産み落とされた後だったからな。それまでの記憶であれば引き継いでいる。これも、本来であれば卵が産み落とされ、そして我が孵化する間の空白を先代が母上となり埋めてもらえたのだが、今はそれも叶わぬ』

 セッションの切れたデータ通信みたいだな。

『さて、お喋りはここまでにした方が良いだろう』

 何かに勘付いたライザが、前方へと視線を向ける。クシナダは既に気づいていたらしく弓を携え、いつでも戦える状態だ。僕とミハルもそれに習い、視線を前に向ける。

「・・・・・・追いついたようだね」

 前方に小さな背中があった。先に出たティルの背中だ。そして、そのさらに前方からは音が響いている。ギィン、ギィンと鉄同士がぶつかる甲高い音と、それをかき消すように時折聞こえる断末魔だ。

 戦いは既に始まっていた。残念ながら、ティルの目的は既に叶わない状況に陥っている。

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