第38話 若さゆえの過ち
「敵の数は?」
ティルは部下たちとともに、テーブルの上に周辺の地図を睨む。僕たちは完全に蚊帳の外で、彼らの軍議を外側から眺めていた。さっきまでティルと言い争いをしていたミハルは体を横に向け、あっち側を見ないようにしていた。子どもの拗ね方と一緒だ。
「およそ千。三つに分かれて、こちらに向かって進軍中です」
「この場所がばれた、ということか?」
「わかりません。報告ですと、敵は四方に同数の兵を送り込んでいる模様です」
偵察かもしれないな、とあごに手を当てて呟く。
「敵の中に、グレンデルは」
「確認できておりません。やはり思った通り、グレンデルは一度動いた後、一定期間動けないのではないか、と」
「グレンデルさえいなければ、我らにも勝機が!」
血気盛んな部下を「早まるな」とティルは制した。
「グレンデルの重要性を知っているのは他ならぬ奴らだ。その奴らがグレンデル抜きで進軍してくるなどあり得ない。もし来るとすれば・・・」
しかし、ティルの言葉を部下は聞かない。
「ティル様は慎重に過ぎます!」
「それでは後手に回ってしまいますぞ!」
比較的若い、とは言ってもティルよりも年上の奴らが物申す。
王族の一人とはいえ、年若いティルには、まだ部下を御するほどの力はないようだ。彼らにとって、王とは守護龍を率いることのできる者だ。守護龍に嫌われている者を王とは認めていないのかもしれない。もしかしたら、見た目のせいかもしれないが。見た目からは王族の威厳とか人を率いるカリスマは微塵も現れず、むしろアイドル的素養しか見当たらない。
「待て! 勝手なことをするな!」
ティルが引き留めるのも聞かず、若い連中は部隊の編成に行ってしまった。くそ、と苛立ちを机にぶつけるティルの肩を、背後に使えていた中年男性が叩いた。「ティル様、彼らの気持ちも分かってやってください」
「ホンド・・・」
彼らの中で一番の年長者がこのホンドだった。それよりも上の世代、同世代の将軍やら隊長にあたる者たちは、全員戦死してしまったそうだ。若い彼らの不安を取り除いて信頼を集め、また王を補佐し、その命を下位に上手く伝達する中間管理職がいない状態だ。これではまとまるものもまとまらない。良くこんな状態で救助に来れたな。
「貴方も、彼らも、奴らに大切な人を奪われました。私だって奴ら一人一人の首をねじ切ってやりたい。そして今、彼らの前にそのチャンスが訪れたのです。止まれというのが無理な話です」
「分かっている。けれど、性根は腐っていても、奴らは百戦錬磨の強国なのだ。グレンデルがなくても、兵士の数は圧倒的にあちらが多く、兵も精練されている。感情に流されるままに戦って勝てる相手ではない!」
「おっしゃる通りです。ですが、彼らはそれを理解していない。グレンデルさえいなければ負けるはずがない、そう思い込んでいるのです」
また、とホンドが続けた。
「恐れながら、今のティル様は、戦を避けようとした先代ラーク王と同じ、弱腰に見えるのでしょう。そのことが、彼らが貴方を王と認めない一因でもあるようです」
「弱腰と皆に叩かれた、その先王の意見に逆らった結果が、今の私たちだということを忘れたのか?」
「認めたくないのですよ。自分たちが敗れたということ、間違っていたということを。だから証明しようと焦っているのです。ロネスネスの守備をかいくぐり、仲間たちを解放しただけでは、彼らが失った分を満たすには足りないのです」
「では、どうしたらいい? 兵は私についてこようとはしない。このまま彼らの好きなように無謀な戦いを挑ませ、無残に殺されていくのを見届けろと?」
「私が何とか、彼らをまとめます。戦の知識など、あらゆるものでティル様に及びもつきませんが、唯一勝る年の功で、貴方と彼らを繋いでみましょう」
そう言い残して、ホンドは踵を返し、彼らの後を追った。それを見届けて、ティルは深く深く息を吐いて虚空を見上げた。
「なかなか上手くいかないものだな」
そう言って苦笑した。まるで部下が言う事を聞いてくれない中間管理職みたいな哀愁を漂わせている。
「人を使うのも技術だって、聞いたことがある」
その背中に、窓の外を眺める中年サラリーマンの影がダブって見えたので、思わず話しかけてしまった。
「相手にどうしてほしいのか、その要求を通すためにこちらはどうすれば良いか、自分の手札を準備し整える技術だ。その技術は、もちろん先天的、才能というものもあるかもしれないが、経験や実績、相手との信頼関係の積み重ねによるところが大きい、と思う」
「私には、それが足りない、ということだな」
「そうだね。だから、足りない分は他から補ってもらえばいいんじゃない? 今みたいに」
ティルが虚を突かれたように、口を半開きにして呆けた。
「人間、どうせ出来る範囲なんかたかが知れてるしね。出来る事はやって、出来ないとこは出来る奴に頼めばいいんだ。あんた王族なんだから、頼む相手とよっぽどの注文で無けりゃ、大抵のことは上手く頼めるだろ?」
そう言うと、ティルの眉間からようやく皺がとれた。
「すまない。気を使わせたようだな」
「僕は言いたいことを言いたいときに言うだけだ。気を使ったつもりはないよ。気なんて、相手に使えば使うほど疲れるだけだからね」
「ふふ、そうか」
口元に手を当てて笑う。そういう上品な仕草をされると本当に男か女かわからない。結局聞きそびれてからずうっと聞けずじまいで、いっそ知らないままの方が面白いような気がしてきた。
ところで、と話は変わり。
「お前たちはどうする。このままここに居たら、戦闘に巻き込まれるかもしれない。逃げるというなら、裏から出られる。セーオに案内させるが」
そのことなんだけど、と前置きして
「僕は、少々残らせてもらおうかな」
当然というか、ティルは驚いた。
「それは、何故だ?」
「守護龍がまだ成長しきってないなら、後はグレンデルくらいしか僕の相手がいない」
「・・・本気か?」
正気を疑う様な目で見られた。
「最初に話したはずだと思うけど。僕は化け物と戦うために旅をしている。ただただ、強い敵と戦いたいだけのキチガイなんだ」
「お前がどれほどの敵と戦ってきたかは知らないが、グレンデルは人の知恵を備えた怪物みたいなものだ。もちろん、搭乗者の力量、グレンデル本体の性能によって違いは出るが、同じ知恵を持っていて、相手の方が頑丈で力も強ければ、勝ち目などないぞ?」
頑丈さと力なら多少自信がある。そんなこと、それこそあんたが気にすることじゃない。
「一番強いのは、王が乗るグレンデル?」
そうだ、とティルは頷いた。
「私の目から見ても、動きや力が段違いだった。守護龍様にとどめを刺したのも奴だ」
「じゃあ、ここでの最終目標はそいつだ」
待ってればそのうち来るのだから、楽な話だ。
僕の意志を覆せないと悟ったティルが、残りの二人にも同じことを尋ねたところ、クシナダ、そしてミハルも僕と同じく残ることを選択した。
「あなたが残るのだから、私も残るわよ」
「てめえが残るんだから、私も残るんだよ」
同じようなセリフなのに含まれる意味が全く違う。まったく、言葉というのは面白い。使う人間の意志一つで同じ言葉が全く別ものになる。
僕たちの方針が決まった丁度その時、眠っていた龍が目覚めた。
『母上』
最初、誰の声か気づかなかった。バリトンの利いた渋い声だったからだ。
『母上、嫌な感じだ』
再びバリトンボイスが母上と呼ぶ。
「え、まさか、あんた!?」
ミハルが自分に顔を向けている龍を指差す。うん、やはり、間違いなく音源はそのチビ助だ。勘違いじゃなかった。
『当然だ。我が母と呼ぶのは貴女を置いて他にいない』
「いや、私結婚どころか恋愛も・・・違う! 何言わせやがる! そうじゃなくて、喋れんの?! 生まれたばっかだぞ?!」
『龍は先代の記憶や知識を受け継ぐ。人の言葉程度なら、喉の調子さえ整えば造作もない』
ついさっきまできゅうきゅうと愛くるしいマスコット的鳴き声をしていたとは思えない流ちょうな話し方だ。
『そんなことよりも、母上。何かおかしい。嫌な感じがするのだ』
多大なる違和感を押さえつけて、声ではなくその中身を吟味する。
「静かすぎやしない?」
最初に気付いたのは、やはりクシナダだった。
「ここってそんなに広い洞窟じゃないわよね。で、今さっき、ホンドって人が今にも飛び出そうとしてる兵士たちと話をつけに言ってるはずよね?」
僕たちの視線が絡み合う。互いが互いの顔を見回し、同じ考えに至る。走り出したのはティルだ。すぐに僕たちも続く。
先ほどの円形の空洞にはすぐに辿り着いた。そして、そこにいるはずの兵士たちは一人もいない。ホンドもだ。代わりに、猿轡を噛まされてその場に転がされているセーオの姿があった。
「セーオ!」
駆け寄り、縄をほどくやいなや、セーオがぷあ、と大きく息を吸った。
「ティル様!」
「大丈夫か? 何があった」
「皆さんが、出て行ってしまいました!」
目を瞬かせながら絶句する。
「止めようとしたのですが聞き入れてもらえず、ティル様を呼ぼうとしたところ、このようなことに」
申し訳ありません、と項垂れる。雪玉式の事態の悪化に、ティルは目をきつく瞑り、天を仰いだ。
「ホンドでもダメだったのか・・・」
その言葉に驚いたのはセーオだった。
「え、どういうこと、でしょうか?」
「敵が近くまで来ているのは知っているな? グレンデルがいない今が好機と、皆が血気に逸ってしまってな。私では止めることが出来ず、ホンドに間に入ってもらうよう頼んだのだ」
「それ、おかしいです。だって、皆さんを扇動したのは、ホンド様なのですから」
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