第36話 共存の振動数

「私たちは龍と共に暮らしていた」

 争う理由が、主に僕のやる気の低下によって無くなった。こんな子トカゲとなど戦う気は起きない。一気に面倒くさくなってきて、彼らの相手をクシナダに全て丸投げした。

 クシナダの方は元々敵対する理由は無いから戦う意志など持ってない。だからこうしてテーブルについて、のんきに出された茶をすすりながら話を聞いている。

 ティルの方も、僕たちが敵でないと判断した。それは、ミハルに龍が懐いていることも無関係ではないだろう。

 多分あれだ、動物に好かれる人間は優しい奴だ、とまことしやかに囁かれている都市伝説と一緒だ。うちの守護龍様が懐いているのだから、彼らは良い奴に違いない、話せばわかる連中だ、みたいな感じで。龍と共に暮らしてきた連中は、判断を龍に委ねる傾向になるみたいだ。

 ちなみに僕は全く逆の説、動物に優しい奴は人に冷たい説を支持している。動物に優しい連中は総じて、人間関係に疲れて、人間相手なんぞうんざりという奴が多いからだ。

 すでにこの地の敵から興味を失った僕をほったらかしにして、ティルがクシナダ、ミハルにこれまでの経緯を話している。

「なぜ、生物の頂点に君臨する龍が地を這う人と共に生きているのかはわからない。遠い昔、私たちのご先祖様と龍との間で何らかの契約がなされたらしいが、詳しいことは分からない。知っていた人間は、今回の戦争で全員殺されてしまったからな」

 資料も焼き払われてしまったし、とティルは唇を噛んだ。

「ともかく、私たちは龍を祀り、龍は私たちを守護してくれていた。民たちは穏やかに暮らし、それがこれからも続くものだと誰もが思っていた。あの日までは」

 彼らのもとに、突然そいつらは現れた。

「ロネスネスの使者がいきなり集落に現れて、何の交渉も挨拶も・・・・・ああ、一応あったな、人を見下したような偉そうな挨拶が」

 怒りながら笑うという器用なことをした後、ティルは続けた。

「その後に一方的に通達していったのだ。我らに従え、手下になれと。それだけでも無礼千万であるのに、毎年の税を支払う義務やら分不相応な金品の没収やら村に代官を置くので今後はそいつに従えやら、好き放題要求を吹っかけてきた。噂には聞いていた。近年力をつけたかの国が、周辺の国を次々と併呑していると。そして、滅ぼされた国の民たちは酷い扱いを受けていると」

 族長であったティルの父ラークは、それだけの無礼を働かれながらも、どうにかしてロネスネスと交渉し、平和的に事を解決しようとした。

「誰もが口々に父をなじった。我らには龍の守護がある。これまであらゆる国がシルドを攻め落とそうとして、龍の加護に阻まれ、龍の息吹に逃げ帰った。なのにどうしてわざわざ奴らをいい気にさせる必要がある、奴らこそが頭を垂れて許しを請うべきだと」

 龍にとっては迷惑な話だろうな。勝手に戦いの頭数に入れられているのだから。

「家族である自分までもが、父親は臆病風に吹かれてしまったと嘆いた。父の、あの悲しそうな笑顔は二度と忘れることはないだろう。あの時の私は、浅はかというほかなかった。父の考えを読み取ろうともせず、怒りで考えるのを放棄してしまっていた。全てを話してくれさえすれば、私も父の味方に回ったのに。そう嘆くのは、都合のいい話か」

「全て、というと? 何か事情があったということですか?」

 クシナダの問いに、ティルはミハルに目を向けた。正確には、彼女の頭に飛び乗ったまま離れようとしない守護龍へ向けて。つられて、ミハル以外の全員が目を向ける。

「先代の守護龍様が、新たな命をその身に宿していたことを、さ」

 きゅ? と視線に気付いた幼い龍は首を傾げた。

「龍は最強の生物だ。だが、そんな龍でも力を衰えさせるときがある。出産がまさにそれだ。龍の出産は、他の生物とは一線を画する。己の力を、積んできた経験を次代に受け継がせるために全身全霊を賭す。だからこそ次に生まれる龍はさらに強い個体になる。が、その代り、母体は極限まで弱る。生命力、魔力、根こそぎ出産のために用いられるからだ」

「おいおい、それってもしかして」

 ミハルが、上から垂れてくる龍の尻尾を煩わしそうに払いながら言った。さっきから何度も頭の上から追い払おうとしていたが、追い払っても追い払っても龍は彼女から離れようとしない。ついにミハルは諦め、頭上を龍に占拠されてしまっていた。

「そうだ。父は守護龍様の体調が弱っていることを知り、身籠っていることを察した。だが、そのことを私たちに打ち明けなかった。打ち明けられなかった。数代前、そのことが外部に漏れたことで、悪しき者が龍の卵を奪おうとしたことがあったのだ。以来、龍と直接言葉を交わせるのは歴代の王と祭事を司る巫女長のみ。情報を外に漏らすことを禁じたのだ。漏らせば、王であろうとも極刑は免れん」

 堅い口がよもや国を滅亡させるとは思わなかっただろう。皮肉なものだ。ルールを破れば死、ルールを守れば死、完全に打つ手なしの八方塞がりだったのだ。

「私たちの反対を押し切って、王はロネスネスへと交渉へ向かった。王は、おそらく分かっていたのだ。敵は強大で、たとえ守護龍様の加護があろうと勝つことは難しいと。だから和平の道を探した。そして、首だけになって帰ってきた」

 ティルの両こぶしに力が入る。

「我らの怒りは頂点に達した。怒りの炎が天を焦がさんばかりに立ち上り、一族は一丸となって敵を討つ、そう気炎を吐いていた。我らには龍の加護がある。負ける道理などない。先ほど、ミハルが私に言った通りだ。敵のことを調べようともせず、無根拠に勝てると思いあがっていた」

 愚かだった。自分たちの行為を、そう評した。

「結果はこのありさま。多くの仲間を失い、守護龍様を失い、国を失った」

 場に重たい空気が流れる。

「しかし、王はあらゆる事態を想定していた。自分が死ぬことも含めて、私たちが勝手に敵に挑み、敗れるのも見越していた。万が一の場合に備えて、卵をここに隠すよう命じていた。守護龍の卵は、私たちにとって最後の希望。守護龍あるところにシルドの民はある。卵は孵り、新たな龍が誕生したのは喜ばしいことだ」

 ただ、とティルは続けた。

「まさか、あなたにこれほど懐くとは思わなかった」

 すっと、龍に向かって手を伸ばす。すると

「ぎゃう!」

 伸びてきた手に噛みつこうとした。慌ててティルは手を引っ込める。ガチン、と鋭い牙が指先寸前で合わさる。あのまま伸ばしていたら確実に指を噛み千切られていただろう。古い映画にも出てきた、真実の口を思い出す。

「そして、私がこれほど嫌われるとも思わなかったが」

 少し傷ついたように、噛まれそうになった手と龍を見比べる。龍はティルを睨みつけ、威嚇するように喉を鳴らす。

「本当に、何ででしょう? 私にも一応触らせてくれるのだけど」

 クシナダが龍に向かって手を伸ばす。今度は噛みつこうとはせず、されるがままに撫でられて、気持ちよさそうに声を出した。

「一体どういう事なのだ? ミハル殿」

「いや、それ私の方が聞きたいから。そんな恨みがましい目で見られても困るから」

 そう、さっきからこの龍、本来の守護対象であるティルに全く懐かず、むしろ毛嫌いしている。反対にミハルやクシナダに対しては無警戒で、されるがままになっている。かくいう僕は、というと

「ぐるるるる!」

 龍よりもミハルが威嚇してくるので、まだ試せていない。

「もしかしたら、ミハル殿を親だと思っているのかもしれません」

 ティルの背後に控えていた女性が口を挟んだ。ゆったりとしたローブと、それですら隠し通せない豊満な体つきをした、生真面目でちょっと苦労性がにじみ出ている美女だ。先ほど卵の異変を伝えに走ってきた女性で、龍を祀る巫女長らしい。先代が先の戦争で亡くなったため、急きょ繰り上がりで任命された、と本人が言っていた。

「セーオ、どういうことだ?」

 セーオと呼ばれた巫女長は「先代からの教えに、自分の推測を加えたものになりますが」と前置きして

「いかに龍とはいえ、子は成長するまで自分を庇護する者を欲します。通常であれば、それは親である先代の守護龍様の役目でありました。しかし、もういません。そこでこの子は、親の代わりに自分を守ってくれる者を探していたのではないでしょうか。そこへ、ミハル殿が現れた。ミハル殿の怒鳴り声が届いた瞬間から、卵はひび割れ始めたのです」

「声を聞いてた、ってこと?」

 はい、とセーオは頷く。

「おそらくミハル殿の怒鳴り声は、先代の守護龍様の声と似ていたのではないか、と。それを親が自分を呼んでいると勘違いした守護龍様は、その声の主のもとへと飛んで行った。私はそう考えております」

「・・・ちょっと無理ない? その話」

 龍と声が似ていると言われてもピンとこないんですけど、とミハルが愚痴りながら目の前で揺れる尻尾に息を吹きかけた。細い尻尾がゆらゆらと揺れる。

 彼女は信じられないみたいだが、僕はそう的外れな話じゃないと思っている。テレビの砂嵐画面で流れる音を聞かせると、鳴いていた子供が泣き止んで眠る、とは有名な話だ。母体にいた頃と同じ音だから安心して眠れるそうだ。音楽にはヒーリング効果があるし、女性は男性の低音ボイスに惹かれるという。また、黒板のひっかき音が駄目な人と大丈夫な人がいるように、音に対して耐性というか、個体差もある。

 声も音も、空気の振動だ。耳朶を打ち、刺激を脳に伝える。龍の耳が振動をどういうとらえ方をしているかはわからないが、振動数とか周波数とかが似ている、もしくは自分にとって心地よいから懐いている、と考えられるんじゃないだろうか。つまるところ波長が合ったってことだ。

「しかし、本当に困った。私たちは囚われていた者たちを解放したら、卵を抱えてこの地を離れるつもりだった。しかし、奉るべき守護龍様がミハル殿から離れようとしない。無理矢理引き離せばどうなるかわからん」

 どうしよう、とティルは頭を抱えた。そんな仕草は年相応に幼く見えた。

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