第35話 守護龍

 前を行く彼らは追っ手の目をかいくぐるためにダミーやトラップをそこかしこに仕掛けていた。しかも大勢の囚われていた奴隷たちを連れて逃げているにもかかわらず、移動速度が速い。現行人類最高クラスの感知能力を持つクシナダがいなければ、僕らもとっくに撒かれていた。それくらい彼らは用心深く逃げていた。

「止まった・・・?」

 そう言ってクシナダが立ち止まる。つられて僕とミハルもその場で停止し、息を殺した。

「気づかれた?」

 小さな声でミハルが尋ねる。

「わからない。・・・・、あ、いや。また動き出したわ」

 クシナダが再び歩き始めた。彼女の感覚に従って、僕たちも後に続く。

「なんか、おかしい。少しずつ人数が減ってる」

 少し焦る様な口調でクシナダが言った。心なしか、進む速度も上がっている。

「減ってる? 前に進んでるから、感知範囲いなくなったせいじゃなくて?」

 確認のために聞く。彼女は戸惑いながらも「自分の感覚を信じるなら、それが一番正しい表現」と返した。

「徐々に減ってる。後、十五人、十二、九、七、五・・・」

 カウントダウンみたいに数が減っていく。零になるまでそう時間はかからなかった。クシナダが誰もいなくなったと判断してから一分経つかどうかというところで、僕らは彼らが最後まで存在した場所に辿り着いた。

「誰も、いない」

木の陰からこっそりと覗き込む。

そこは、切り立った岩肌がそびえ立つ崖だ。所々蔦か雑草の緑があるが、大体茶色と鼠色の断層を見上げる。

「行き止まり、だな」

 ここからは右か左のどちらかしか進めない。だが、左右に生い茂る草木には折れたり押し固められたりと、人が通った形跡が見られない。かといって、高さ十メートルを軽く超える九十度の壁を昇って行ったとも考えにくい。むしろそんな集団なら戦争に負けないだろう。

「なるほど、確かに『消えた』な」

 崖のそばに近付く。彼らが通ったと思しき足跡も、崖の前で消えている。

「こういう場合のお約束といえば」

 崖に触れる。じゃりじゃりして、少し冷たい。触れた傍から、ボロボロと崩れた砂利が下に落ちる。構わず、ぺたぺたと辺りを触れる。

「何してんの?」

 後ろからクシナダが近寄ってきた。

「ん? ああ。こういう時、僕の世界で良くある話なんだけど」

「というと?」

「仕掛けがあるんだ。別の場所へ転移させるタイプか、スイッチ式か、もしくは」

 言いながらも手を動かしていると、岩肌を撫でていたはずの指から感触が消えた。ビンゴだ。

 指が触れた位置まで移動する。他の場所と比べても特に変わったところのない壁だ。そこに向かって、今度は腕を突きいれてみる。

「あ」

 クシナダが手で口元を押さえ、驚きの声を上げた。僕の腕の肘から先が壁の中に完全に埋没しているからだ。確信を持って、そのまま頭を前へ。頭は壁に邪魔されることなく通過する。突き抜けた先は、かなり広い洞窟が広がっていた。点々と星のように壁面で輝いているのは、コケの一種だろうか。そのおかげで洞窟内は非常灯だけが灯る映画館くらいの明るさが保たれている。ようやくファンタジーっぽい風景が現れたな。

「ちょっと、大丈夫なの?」

「大丈夫っぽい。入れそうだ」

「入れる? 一体そっちはどうなってるの?」

 答えずに、一歩踏み出す。体が完全に洞窟の中に入り込んだ。ヒンヤリした、どこかじめっとした空気が体の内外にぺたりと張り付く。

「タケル、ちょっと待って・・・・って」

 続いてクシナダが入って来た。

「前のも凄かったけど、これは、また」

 以降、言葉が続かない。

「なん、だ、こりゃ」

 クシナダの後に入って来たミハルも、馬鹿みたいに口を開けて、その光景に魅入られる。

「クシナダ」

 まだぼうっとしているクシナダに声をかける。

「今、外の気配を感じ取れるか?」

「え、ええ、えと」

 我に返り、すうっと集中する。しばらくして、首を横に振った。

「彼らは消えたわけじゃなく、ここに入った。だからあんたの感知から逃れた」

「ええ、そして、今ならわかるわ。彼らの気配が、ね」

 ああ、そうだね。僕にもわかるくらいだ。僕たちは導かれるように奥へ進む。甲高く響く足音を引き連れて先へと進むと、円状の空洞が広がっている。空洞の中央あたりにまで来たところで、ヒュ、と短く小さな音を立てて、僕の顔すれすれを矢が飛んでいった。カツンと壁に当たり、火花を散らして落ちる。

 足を止め、当たりを見渡す。光の影に体を溶け込ませて、何十人もの射手が、こちらに向かって狙いを定めている。先ほどのは警告替わりか?

「何者だ。ロネスネスの手の者か」

 静かな声が洞窟内に木霊する。この殺意に満ちた中に放たれたにしては、えらく穏やかな声音だ。

「この声、さっきも聞いたな」

「とすると、お前たちはさっき広場にいた者か? 追跡に全く気付かなかったぞ。見事なものだな」

 陰から一人進み出た。先ほど見た、中性的な容姿をした、確か

「私はティル・ベオグラース・シルド、シルド王族の生き残りにして、シルドを率いる者。短い付き合いになるかもしれんが、そちらも名乗られよ」

 近くで見ても、やはり若い。声も高いし、この容姿だ。男なら可愛い可愛いと女子に弄られながらもちやほやされ、女ならカッコいいとやはり女子にモテモテのタイプだ。

「僕はタケル。ええと、一応『狩猟者』ってことになってる。自覚は無かったけどね。短い付き合いになるかもしれないから最初に聞いておきたいんだけど、あんた、男? 女?」

 ティルは、一瞬キョトンとした後、大笑した。

「私の方こそお前に聞いておきたいな。この状況で、それが最後の言葉になるやもしれんのに、出てきたのが私が男か女か、そんなことで良いのか、と」

 ようやく落ち着いてきたのか、それでも腹を押さえ、ヒィヒィとひきつった様な呼吸でティルが言う。

「その落ち着きぶりからすると、私たちがここで待ち構えているのを分かって、ここに来たな?」

「まあ、そうだね」

「こうなることが分かっていて?」

「想定の範囲内だ」

「目的は? 狩猟者と言っていたが?」

「僕の目的は、化け物と戦うことだ」

「化け物、とな?」

「僕らが持つ地図には、強大な力を持つ化け物の位置が映し出される。地図は今、こっちを示している。あんたらの後ろを興味本位でついてきたのは、たまたまその方向を地図が示していたからだ」

 話の途中から、周りが少しざわつき始めた。目の前のティルは真意を見極めようと目を細め、僕を見つめる。

「・・・化け物に、心当たりでもあるの?」

「化け物には、無い」

 『には』か。なら、何にならあるのかな?

「だが、その情報をお前にやるわけにはいかんな」

「別に、無理に貰おうとは思わないよ。どうせ地図に示されてる。その方向へ進むだけさ」

「それも困るのだ。だから」

 すっと、ティルは一歩下がった。四方からの殺意が強まり、ピリピリと肌を刺す。

「選べ。このまま何も見なかったことにして、ここから消えるか。四方より矢の洗礼を受けるか」

「ずいぶんな二択だ。そんなに大切な物がそっちにはあるってことか?」

「答えてやる義務はない。これでもずいぶんと譲歩していると思うがな。お前らはロネスネスの者ではない。私たちは無益な殺生を好まない。奴らにここの情報を伝えぬと約束するなら、無傷で返そうというのだ。もともと選択の余地などあるまい?」

 ああ、無いね。僕は、自分の目的のための手段を選ぶだけだ。いつだって、どこだって、それだけは変わらない。

「短い付き合いになったね」

「ああ、どうやらそのようだな」

 僕の意志をくみ取ったか、ティルもまた、腰に佩いていた剣を取る。幅広の曲刀が抜き放たれるとともにシャランと鳴った。

「って、待て待て!」

 ミハルが大声で僕とティルの間に割って入った。

「てめえ、何勝手に話し進めてやがる。いつからお前が私たちの意志決定ポジションに付いたんだよ!」

「だって、何も言わないから」

「言う暇を与えなかったんだろうが! あと、お前!」

 ズビシ! とティルを指差す。

「お前もだこの野郎・・・野郎か? まあいい! 言っとくが、こんなことを言ってるのはこいつだけで、私らは違う! 今てめえ、私らのことひとまとめにしたろ!」

「え、違うのか?」

「違うわボケ! こんなやつと一緒くたにするのも腹立たしければ、私らの話も聞かずに殺戮開始ってどういう神経してんだ! てめえ王様だろ。ここのもん率いるリーダーだろ! てめえの指示一つでどういう結果が導かれるか考えたことあんのか!」

「そのくらいわかって」

「分かってねえ、全っ然わかってねえ! お前は目の前の敵をきちんと分析したか! ただの人間としか見てねえんじゃねえのか!?」

 あれ、この話、どっかで聞いたことなかったか?

「狩りの時、目の前の獲物がすげえ弱そうでも万全を期すんだ。何故かわかるか? 獲物の生体、行動を調べて調べて、調べ尽くしても逃げられたり、時には手痛い反撃を喰らうからだよ! 良く知ってるのでもそうなんだ。未知の獲物に真っ向から向かうなんて愚を犯すのか!? それで死ぬのは、お前の大切な仲間たちだぞ!」

「ぬ、うぬぅ」

「うぬうじゃねえよ馬鹿! その程度のこともわからねえでうかつに号令なんぞ発すんな!」

私が以前、あなたに言った事なんだけど、とクシナダが苦笑を漏らした。

「ティル様! 大変です!」

 部下らしき女性が、洞窟の奥から息を切らせて走ってきた。

「卵が、卵が・・・!」

 その言葉を追い抜かんばかりの勢いで、影が飛んできた。女性を追い越し、ティルに怒鳴り散らしているミハルに向けて強襲する。

「え?」

 背後からの完全なる不意打ちに、ミハルは声を上げることも躱すこともできなかった。

「ぐぶぅっ!」

 普通の女子なら一生上げないであろう悲鳴を上げて、ミハルが吹っ飛んだ。ゴロゴロと転がること三回転。ミハルの上に、影が乗っかっている。

「きゅう!」

 影が鳴いた。暗闇に慣れた目が、全貌を映し出す。

「可愛いわね」

 隣でクシナダが微笑ましいものを見るかのような笑顔で言った。ふむ、どこの世界でも、いつの時代でも、女子はマスコットキャラが好きなのか。

 そこにいたのは、小型の龍だ。僕が持つイメージとは少し違い、鱗の代わりにふかふかの毛皮で覆われていた。羽も蝙蝠型じゃなくて鳥の羽根っぽい。

 昔見た映画に出てきた、少年を乗せて空を飛ぶ龍に羽根をつけて小さくしたら、多分こんな感じだと思う。果てしない物語が始まりそうな予感がするよ。

「ごほ、ごほ、なんだ、こいつ・・・・?」

 ミハルが体を起こし、龍と顔を合わせる。自分に気づいてもらえてうれしいのか、きゅうきゅうと甘えた声で鳴きながら、彼女の顔を舐め回した。

「ちょ、おい・・・・うっぷ・・・止めろって!」

 ミハルが龍の胴体を掴み、引き離す。それすらも構ってもらえていると思っているのか、高い声を上げてまた鳴いた。旗から見れば子どもをあやす母の図だな。

「守護龍様!」

 ティルが驚いたように叫び、平伏する。他の連中もぞろぞろと慌てて出てきて、龍の前に跪く。守護龍様、だと? まさか・・・・

 ある予感を胸に、ごそごそと地図を取り出す。

 僕たちがいる場所を示す三角マークと、化け物のいる赤印が、見事に重なっていた。

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