第32話 それが彼女の進む道

 兄と半分血が繋がっていないことを知ったのは、父と兄が死んでからずいぶん後、十七歳の時。父が私の母以外との女性の間にもうけた子ども、いわゆる妾の子だということを知った。

 その女性が病で無くなり、兄は大賀家に養子として引き取られた。

 父や母の、兄に対する扱いは家族ではなく、無料で働く使用人と言った方が正しい。ボロボロになるまで兄をこき使った。その様は、まるで使うには足りず、捨てるには微妙な大きさの固形石鹸を意地にになって早く無くなれ、早く無くなれとスポンジにこすり付けているようだった。

 父たちは、自分たちから兄を捨てるわけにはいかなかった。そんなことをすれば自分たちの社会的地位を貶める傷になるからだ。だから、兄の方から逃げ出すように、特に母はきつく当たった。

私だけが何も知らず、のんきな顔で苦労をしている兄にじゃれついていたわけだ。出来る事なら過去の自分をぶん殴ってやりたい。

苦しかったはずだ。辛かったはずだ。心の中でどう思っていたかはわからないけど、それでも兄は、笑顔で私に付きあってくれていた。

 兄は過酷な環境に耐えた。耐えて耐えて、ようやく、その苦労が実るはずだった。苦しみから解放されるはずだった。就職が決まり、家を出ることになったからだ。やっと、自分の人生を歩むことが出来たはずだったのに。


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 翌日、僕らは村から出た。化け物を倒してしまったらここには用はない。次に向かうためだ。地図は、今度は西を指していた。

「ねえ」

 後ろからついてくるミハルを気にしながら、僕は少し小声でクシナダに声をかけた。

「何企んでんの?」

 ついてきてもいいよ、とは言ったものの、やはり気になる。ミハルについてこいと提案した、彼女の意図を探っておくことにした。

「企むだなんて、人聞きの悪い。あなた達の、お互いにとっての落としどころを言ったまでよ」

 それが彼女を連れてくることに、どうしてもつながらない。

「あなたの願いは?」

 唐突に、クシナダが訊いてきた。彼女には、何度も話しているはずなんだけど。意図が読めなくて戸惑いながらも、再度同じことを口にする。

「・・・死ぬことだよ」

「今は、かの神との約定があるから、強い化け物と戦い、その中で死ぬこと、でしょ?」

「まあ、そうだね」

 そういうと、クシナダは声を潜めて

「化け物じゃないけど、あの子は強いわ」

 ・・・もしかして、そういう意図か?

「あなたが刺されたあの時、自分の意志で躱さなかったんじゃない。躱せなかったんじゃないの?」

 良く見てるなあ。狩人の彼女の目の良さに改めて崇敬の念を抱きつつ、正直に答える。

「その通りだ。僕が一番驚いたのはそこだった。あんなに早い踏み込みで懐に入られ、突き刺されるとは思わなかった。この世界で、あれほど強い女に逢ったのは、・・・ええと五人目、かな」

「五人目なの? 意外に多いわね。てっきり初めてって言うかと思ってた」

「記念すべき一人目が何を言う」

 僕を殴り飛ばして場外ホームランにしたのを忘れたか。

 あとは鬼の巫女トウエン、アンドロメダとメデューサの姉妹か。まあ、彼女らは強いといっても方向性が違う。魔術であったり、戦略などの知恵であったり、そういう強さだ。

 そしてミハルは、『力』の強さを持っている。切った張ったの強さだ。

「強い化け物を探すのも良いけど、身近にいる、あなたを倒したくてたまらない人をあなたが鍛えればいいんじゃないのかな、と思って」

 一理ある。あっちは戦う動機も充分だし。ふうん、と相槌を打って、少し気になっていたことを尋ねた。

「彼女が何歳か知ってる?」

「そうそう、それがさ。聞いてよ。同い年なの」

「誰と?」

「私とよ。十七なんだって」

 十七。ふむ、やっぱり計算が合わない。僕が彼女と初めて出逢ったのが七、八歳くらいの時だ。当時の僕がその時十八で、庵が十九だった。

 そして、彼女の父親である大賀雅史殺害を実行したのが翌年の十九の時で、こっちに来たのも同じ年だ。だから僕の体感上は、どう考えても彼女はまだ十歳くらいのはずなのだ。こっちでそんな年月がたったとは思えない。なら考えられるのは、こちらとあちらとは時間の進み方が違うってことだ。

「他にも、何か言ってた? たとえば、どこかで剣の練習をしたことがあるのか? とか」

「ああ、そう言えば『ケンドー』を習ってたって言ってたわね。あとは『コブジュツ』と『イアイ』を少し、とか」

 剣道に古武術に居合いか。まるで侍だな。親しい友人も作らず、青春も謳歌せず、ただただ僕を殺すためだけにずっと訓練してきた風景が目に浮かぶようだ。涙がちょちょ切れるね。

「おい」

 後ろから、ミハルが呼んだ。

「何?」

「・・・なんでもねえ。こっち見んな!」

 ふいっと明後日を向く。何なんだ一体。仕方なく、再び歩を進める。

「何か聞きたいことがあったんじゃないの?」

 クシナダが歩くスピードを緩めて、彼女の歩調に合わせて並ぶ。

「いや、これからどこに行くんだ、って思って」

 クシナダには、ぽつぽつとだが話せるみたいだ。同い年という気安さもあるのかもしれない。

「これから? ええと、たしかこのまま西に向かうのよね?」

「そうだよ」

「てめえには聞いてねえ!」

 聞かれたから応えただけなんだが。面倒くさいなこのお嬢さんは。

「クシナダ」

 僕は地図を投げてよこした。最近使い方を理解したらしく、また面白いらしく、暇があれば弄っている。

「お、ありがと」

 地図を開き、慣れた手つきで操作する。

「え、何これ!? マップ?! GPS機能でもついてんの?!」

「ふふん、凄いでしょう?」

「ファンタジーの概念が崩れたぞおい!?」

 ミハルが予想以上に驚いたのを見て、自分の手柄のようにクシナダが胸を張る。

「今私たちがいるのがここ。で、目的地は・・・・」

 画面を指で移動させる。

「この、赤い丸がある場所。ここに、次の敵がいるわ」

「敵・・・? クシナダって『狩猟者』?」

「しゅ、りょうしゃ?」

 聞き覚えのない言葉が出た。狩猟で食い物を得ているから、狩猟者には違いないのだが。

「狩猟者じゃない? なのに怪物を倒して回ってんのか?」

「私が、というよりも」

 クシナダの視線が僕を捉えた。

「タケルの目的、というか」

 ミハルが探るように僕をじろじろと、つま先から頭まで下から上へじっくり見た。

「趣味なんだ」

 おどけて応える。

「贖罪のつもりか? ええ?」

 皮肉げに口を歪めてミハルが笑う。

「大勢の人間を殺した罪を、大勢の人間を救うことで贖おうってのか? 自己満足も大概にしろよ胸糞悪い」

「ご期待に沿えなくて申し訳ないが、全く、微塵もそんなつもりはないよ。純然たる趣味だ。強い敵と戦うことが趣味の、キチガイなんだよ」

 どこの格ゲー主人公だよ、とわかる人間にしかわからない悪態を吐いた。お嬢様だが、俗世の娯楽にも通じているようだ。

「で、あんたはそのキチガイをわざわざ追ってきたキチガイ二号だ」

「何だと!」

「何だと、って、そうとしか考えられないよ。向こうに居ればエリートコースまっしぐらだったろうに。それとも、大賀コーポレーションの経営権が奪われて一族郎党散り散りにでもなったかな?」

「意地汚い叔父とお袋が経営権を巡って絶賛裁判中だよクソが!」

 泥沼だな。まあ、そういう混乱を狙ったといえば狙ったのだけど。些細なことに気付かれにくいようにね。

「・・・え? お前、今何つった?」

 僕の発言に何か引っかかったようで、ミハルが詰め寄ってきた。

「今、大賀コーポレーションっつったよな?」

「言ったかな?」

 言ったけど。

「とぼけんな! じゃあてめえ、私が名乗った時点で!」

 何も言い返さず、含みを持たせて笑みを作る。

「この野郎」

 ミハルが剣を鞘から抜く。柄の先端につけられた赤い宝石が鈍く光った。

「あの世界を捨てた代わりに手に入れたオモチャがそれかい?」

「てめえを殺すには十分だ」

「見たとこ、身体能力を劇的に上昇させる効果付、って感じか?」

 あてずっぽうで言ってみた。胸から引き抜くとき、結構な重量があった。鍛えているから筋力はある方だとは思うが、それでもあの細腕だ。剣の方に何らかの効果があるのではないかと推察してみた。

 どうやら当たりだったようで、ミハルの頬が少しひきつった。

「この程度のことで動揺するなんて、可愛いねえ」

「ぶ、っ殺す!」

「でも、ちょっとおかしくない?」

 一触即発になりかけた空気に割って入るように、クシナダが疑問を呈した。

「確か以前聞いたタケルの話だと、この世界には元の世界で不要とされた人間が送り込まれてるって」

 もしくは生きる気力を無くしたか、だな。蛇神が死んで、儀式も生贄も必要なくなったから、あっちから送られることはなくなるものだと思っていた。けど、こうして送られてくるのは何故だ。あの神のことだ、無意味に送り込んだりはしないだろうが、思惑がまだ見えない。それとも、僕の考えが間違っているのだろうか?

 僕としては願ったり叶ったりの敵対者だが、そもそも僕に対して神が提示した要望は、この世界に存在する化け物どもを倒して回れってことだった。化け物の数は、世界中の神話や伝説に出てくる化け物と同数らしく、僕が知ってる話のメイン級だけでも十体は超える。まだ三体しか倒してないのに、ここで僕の命を刈り取るのは気が早いんじゃないだろうか。それとも、僕もこの世界に化け物認定されて、倒してほしいリストに名前が載ったのか。

「どうやってこっちに来たの?」

 クシナダは、意図的なのかわからないが僕と彼女の間に移動していた。気を削がれたか、忌々しそうにミハルは剣を仕舞う。

「パーカーを着た神を名乗る女が、現れたんだよ」

 やっぱり、同一神仏か。

「そいつから、私の兄を殺した男が異世界で今も生きているって教えてもらったんだよ。どうりで、あらゆる伝手で探し回っても見つからないわけだ」

 大賀の力を存分に振るったのだろう。探せなかったのは、僕がこっちに来ていたからか。あっちとこっちで流れる時間の速さが違うのは、ほぼ確定で良い。

「信じたの? 神様の言う事を」

「最初は信じなかったさ。だって神だぜ? 今時お笑いのコントでもなかなか初っ端にブッこまないセリフだぜ? 前にもあったんだ、情報があるとか嘘ついて金をせびろうとした奴は。その類だと思った。けど、神っぽい力をいくつか見せてもらって、神かどうかは分からないが、人間じゃねえのは分かった。だから信じてみることにした」

 それに、と続ける。

「私は、こいつを殺すためだけに今まで生きてきたんだよ。こいつを殺せるのならどこにだって行く。それが帰り道のない異世界だろうが、地獄だろうが」

 それ以外に、私にはもう、何もないからな。少しだけ淋しそうに、彼女は言った。

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