道を切り拓く者
第29話 仇
「見つけたぞ!」
私の声に、奴が振り向く。どうでもよさそうな顔で、私を見ていた。
事実、そうなのだろう。何の感情も浮かばない、無気力そうな顔。あの様子では、私のことなど覚えてはいまい。目を瞑れば、私はいつでもあの日あの時あの光景を思い浮かべられるというのに。今日まで忘れることなどなかったというのに。
小学生の時の道徳の時間で、先生が言っていた。いじめについての話だ。いじめた方がその時のことを覚えていることはまれだが、いじめられた方はずっと覚えているものだ、と。なるほど違いない。被害者が被害のことを忘れることはないのだ。加害者の顔を忘れることはないのだ。
奴の顔は、あの頃と何一つ変わらない。違うとすれば、過去の奴は返り血で顔や手を真っ赤に濡らしていたことくらいか。
いいだろう。そちらが私のことを覚えていようといまいと、関係ない。こちらはただ、復讐を遂行するのみ。
雄叫びを上げ、目標に向かって駆けた。手には剣がある。銘は忘れたが、宝剣と呼ばれるほどの業物だそうで、切れ味も実証済みだ。人間の体が小型とはいえドラゴンの鱗より硬いはずがない。
標的との距離が近づく。こちらの存在に気付いているにもかかわらず、奴は面倒くさそうにこちらを見下しているだけで、構えることすらない。私の手にある剣も見えているはずなのに。
その、人を小馬鹿にしたような態度に一層怒りが増す。出来ないと思っているのか? だとしたらとんだ勘違いだ。今の私を、あの時の私と、恐怖に怯えて震えていたころの私と思うな。
距離がゼロになる。体ごとぶつかっていった。ズブリ、と肉を刺し通す感触が手のひらに伝わった。そのまま体重をかけて押す。関取が相手を組んだまま土俵の外へ押し出すように、私は相手に体を密着させたまま数歩進んだ。ずず、と奴が勢いに押されて後退りする。刺し傷からの血が刃を伝い、手に付着する。そこでようやく、足を止め、少し体を離した。
剣が、奴の胸のど真ん中を突き刺していた。剣先は体を突き抜け、向こう側に見えている。どう見ても完璧な致命傷だ。
やった。とうとうやったぞ。仇を討った。ずいぶんとあっけないが、目標は達成した。
「痛えな」
少しのイラつきを感じさせる声が頭上から降ってきた。傷口から視線を移し、奴の顔を見上げた。
驚愕に目を見開く、とはこのことだろう。私は自身が生れてからこれまでないくらい目をひん剥いて驚きを現した。声すら出ないほどだ。
奴は死ぬどころか、面倒そうに眉根を寄せて、こちらを見下ろしていた。胸の傷など何の痛痒も感じていないようで、その証拠に剣の柄から私の手を振りほどくと、無造作に引き抜いた。血飛沫が舞い、私の頬を濡らす。
先ほどの驚きを超える出来事が、目の前で起こった。ビデオの逆再生のように、奴の胸の傷がゆっくりと塞がっていくのだ。
驚きに気を取られたのがまずかった。奴が接近しているにもかかわらず、私はあまりの衝撃に動くことすら忘れていた。
がっ、と片手で後頭部を掴まれる。
「な」
にをする、と問う前に、答えが来た。奴の額だ。体を目一杯逸らせたかと思うと、鞭のようにしならせ、先端である額を私の頭めがけて放ったのだ。頭突き、いわゆるパチキ、という奴だ。
頭蓋骨がへしゃげた、本気でそう思った。奴の頭の形の通りに、私の前頭部が陥没した。脳が揺れ、めまいが起き、気分が悪くなって、体中から力が抜け、倒れながら吐いた。砕けた頭蓋骨の隙間から脳みそが口を伝って飛び出てきたのだと錯覚した。視界が一気に暗くなる。瞼が自分の意志とは関係なく閉じようとしていた。意識を失いかけているとすぐに分かった。そして、二度と目覚めることが無いであろうことも、悟ってしまった。
悔しい。口惜しい。後悔と未練でいっぱいだった。涙がこぼれた。よだれもこぼれた。鼻水も。色んな感情が湧き出して、一緒に水分も出ているようだ。
ここで終わるのか。わざわざ異世界にまで来て仇も取れず、返り討ちに遭い、見知らぬ土地で朽ちていくのか。最後の気力を振り絞り、憎き仇を見上げる。
「須・・・佐野、尊・・・」
そして私は、暗闇に放り込まれた。最後に網膜に焼付いたあの男は、やれやれとため息を漏らしていた。
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