第28話 魔女の戴冠

 十年後、セリフォスは『外敵』によって制圧された。

 敵から街を守るべき兵たちは、率先して敵を招き入れ、その地に住まう人々は悲鳴ではなく歓喜の声で彼らを出迎えた。敵は戦う前からすでにセリフォスの内部に入り込み、内部から瓦解させていた。十年前のある事件をきっかけに、セリフォスに住まう人々の心は王から離れていた。瓦解させるのは赤子の手を捻るよりも簡単で、むしろ敵に進んで協力を申し出る始末だった。抵抗したのは、王の側近たち、王の近くで権力と暴力を振りかざし、利権を貪っていた者たちくらいだ。彼らは自分の権利を必死で守ろうとし、あっけなく敗れた。


 豪華絢爛を誇った王城は、今や見る影もなく、そこかしこから火の手が上がり、窓という窓から煙を吐き出している。

 セリフォスの王、アクリシオスは、玉座に座らされていた。数年の間に何があったか、見目だけは屈強だった男が、今は色白くやせ細り、髪や髭は伸び放題で、王というよりは病人のように見えた。彼の前には二人の人物がいた。謎の兵を率いていたのがこの二人だ。

「き、貴様ら! 私に、王たる私にこんなことをして、ただで済むと思って」

「思ってるんだよ」

 大柄な、見るからに屈強な男が笑いながら言った。全身鎧を装着し、フルフェイスの兜をつけていて正体はわからない。が、笑い声から、比較的若い男だと想像できた。その後ろから、ローブをまとった小柄な女が現れた。こちらも目深にフードをかぶり容貌は知れない。

「街は既に私たちの手に落ちました。あなたを守っていた兵たちも私たちに敗れ、捕虜となっています。彼らは勝てないと見るやすぐさま武器を捨て投降しましたよ」

 人望がお有りで、と皮肉る。

「何なんだ貴様らは!」

 アクリシオスが叫ぶと、男女は顔を見合わせ、苦笑した。

「おいおい、嘘だろ? わからないのか?」

「こちらは、一日たりとて忘れたことなどなかったのに」

 男が兜を、女がフードを脱いだ。

 予想通り、若く精悍な顔つきの男だった。だが、その顔を見て若造と侮る者など皆無だろう。顔から体からにじみ出る彼の自信は、決して根拠のないものではなく、幾つもの戦いを駆け廻ってきた経験によるものだ。鍛え上げられた肉体に加え、潜り抜けてきた修羅場の数が彼を身長以上に大きく見せていた。

 女の方も男と変わらず若く、また、今のこの状況をアクリシオスに忘れさせるほど美しかった。金の波打つ髪に、涼やかな切れ長の目。真っ白な肌。船乗りたちの間でおとぎ話として語られるセイレーンを彷彿させた。セイレーンは美しき容姿と歌声で船乗りたちを誑かし、真っ暗な海へと引きずり込むというが、なるほど、この美しさならば船乗りも溺れてしまうだろう。

「まあ、分からないのも仕方ないや。俺たちも大分変わったから」

「十年ですからね。長かったです」

「でも無駄じゃなかった。この十年鍛え続けたから、今の俺がここにいる。もう二度と負けないように。大切な人たちを守れるようになったんだ」

「頼もしいですね。でも、私としては、まだまだ強くなってもらいたいものです。ゆくゆくはタケル様と並び立ち、追い抜くほどに」

「・・・・到達点はまだまだ遠いけどな」

 青年は、自分が知っている中で最強の人間を引き合いに出されて苦笑した。

「ですが、いずれ至れると信じていますよ。ずっとそばで見てきた私が言うのですから、間違いありません。ヘルメスも言ってましたよ。すでに全盛期の自分を超えられたと、少し悔しそうに、でも嬉しそうにね」

 へへ、と少し恥ずかしそうに鼻の下を指でこする青年。

「ヘルメス、だと?」

 そんな中、アクリシオスが彼らの会話から、聞き覚えのある名前を耳にした。ヘルメス。セリフォスの元守備隊長であり、薄汚い裏切り者であり、そして、

「ま、まさか、貴様らは・・・」

 彼らの正体に、ようやく気づいた。あの時の恐怖を忘れたことがないのに、その恐怖を届けるはずの者たちのことに今更気づいた。

「やっと思い出したか。その様子じゃ、毎晩毎晩、恐怖に震えて眠れなかったようだな。安心しろ。もうすぐ、深い眠りにつけるぜ」

 青年、ペルセウスがすらりと剣を抜く。

「どれほど待ったことか。この日が来るのを」

 冷酷な笑みを浮かべて、メデューサが魔力を高める。今や媒体無しでもあらゆる魔術を駆使し、アテナの再来とまで呼ばれる彼女の、その額が割れる。いや、割れたのではない。そこに現れたのは、縦長の瞳。

「その瞳は、やはり、貴様魔龍の!」

「ええ、一度同化したからか、私も使えるようになりまして。今ではこれこの通り」

 彼女の第三の瞳がアクリシオスの足を睨みつける。たちまちアクリシオスの足が、つま先から石化し始めた。

「あ、足が、足がァ!」

「呪いをかけることができます。さて、城が燃え落ちるのが先か。あなたが石化するのが先か」

「止めろ、止めてくれ! 何でもくれてやる! 欲しいものがあるなら何でも! だから、だから殺さないでくれ!」

 じわりじわりと迫りくる冷たい『死』にアクリシオスは慄いた。彼がいつか彼自身が蔑んだ、彼の前で命乞いをしていた者たちのように、涙と鼻水を垂らしながら懇願した。

「石化はお嫌ですか? 永遠に自分の姿を残せますのに」

 肩を竦めて、メデューサが可愛らしく唇を尖らせる。

「じゃあ、選択肢をやるよ。・・・メデューサ」

 彼の言葉に「はいはい」とメデューサはあっさり呪いを解呪した。ほっと胸をなでおろしたアクリシオスに、ペルセウスは短剣を渡す。

「これで、自害しろ。これまでの自分の行いを懺悔しながら死ね」

「な、何だと? 助けてくれるんじゃ、無かったのか」

「何で? どうして? これまでの自分の非道を忘れたわけじゃあるまい。むしろ、自分に選択肢があることを幸運に思え。苦しまずに死ねるんだからな。無理だというなら、もう一度メデューサに任せるけど?」

「そ、それは・・・」

 アクリシオスは、手元の剣と、楽しそうにこちらを見ているメデューサを見比べた。

「さあ、どうする? 早くしないと、我慢しきれなくなったメデューサに殺されるぞ?」

「人を、餌を前にしてお預けをくらった犬みたいに言わないでください。・・・まあ、否定はできませんが」

 容赦なく急かすペルセウス。震えるアクリシオスと、彼の葛藤を楽しむメデューサ。

「ぐ、ゴホッ、ゴホッ」

 あまりの圧迫感、緊張感に、アクリシオスが咳き込んだ。体をくの字に曲げて、激しくむせる。

「大丈夫か? 咳き込んで死ぬなんて、ちょっとカッコ悪すぎやしないか?」

 アクリシオスの背中をさすってやろうと、ペルセウスが近づく。俯いていたアクリシオスの目が、ギラリと光る。ペルセウスが、アクリシオスに覆いかぶさるような体勢になった、次の瞬間。

「死ねェ!」

 体を跳ね上げるように起こしたアクリシオスが、ペルセウスから渡された剣を、彼の腹に突き刺す。何度も何度も何度も突き刺す。

「死ね! 死ね! 死ね! 何が懺悔して死ねだ偉そうに! 死ぬのは貴様だ! ははは、いい気味だ。偉そうにしやがって! 私は王だぞ! そうやって頭を垂れ・・・て・・・・」

 調子よく突き刺しながら喋っていたアクリシオスの言葉尻がしぼんでいく。

「痛えだろうが」

 刺されて体を折り曲げていたはずのペルセウスが、ゆっくりと体を起こした。傷らしい傷はどこにもない。

「な、何故・・・・こ、これは!?」

 ふと、手の中にある短剣を見て、アクリシオスは驚愕する。短剣は、根元からぽっきりと折れてなくなっていた。幾ら刺しても死なないはずだ。刺すべき刃自体が無いのだから。

「子どものおもちゃだよ」

 パンパンと刺された箇所を手で払う。鎧にすら傷一つついてない。

「試したのです。あなたという人間を」

 メデューサが言う。

「あなたがそのまま自分の喉でも胸でも突いたなら、流石の私たちも、ああ、反省してるんだなあと思って、見逃した。死ぬのが嫌で、そのまま逃げ出そうとしても、私たちは追わなかった。みじめに生きながらえるだろう、そのくらいのもんです。王の最後にふさわしく、正々堂々ペルセウスに一騎打ちを挑むのならば、その気概を買いました。腐っても、王は王だったのだと」

「結構、生き残る選択肢は用意しておいたんだが」

 やれやれ、とペルセウスは首を振った。

「あんたは、選んではいけない一択を選んだ。俺たち二人にとっては、願ってもないことだが」

 人懐っこい笑みが、消える。

「残念だ」



 誰もいなくなった城を、二人は後にした。

 そこから、集合場所である、元神殿跡地へ向かう。そこにはすでに街の住民たち、彼らに協力したセリフォスの兵たち、二人の仲間である元スラムの者たち全員が集結して、広いはずの跡地が人でごった返していた。二人は人を掻き分け、奥へと向かう。

「お疲れ様」

 最奥にいた人物が、彼らに声をかける。その声の主の前で、二人が傅く。

「セリフォスは完全に我らが押さえました。捕虜は港の広場に固めておりますが、処遇はいかがいたしましょう?」

 ペルセウスが堅い言葉でうかがう。声の主は居心地悪そうに体を少し震わせた。

「え、と。選ばせてあげて。我々に従うなら、そのままこの街にいても良い。今までと同じように、とはいかないけど、みんなと同じように働くなら同じように扱うって。従わないというなら、仕方ないから街から出て行ってもらいましょう。逆らって、我々に危害を加えようとするなら、その時は仕方ありません。各自の判断で動いて」

「かしこまりました」

 ペルセウスがまた堅い言葉で返事をして、声の主はまたむずがゆそうに体を震わせる。

「あのさ、あんたその言葉使い、何とかならない? 似合わな過ぎて気持ち悪いんだけど」

 周りから失笑が漏れる。いつもの彼の口調や性格を知っているだけに、やはり違和感はあるようだ。

「・・・その言い草は無いんじゃないの?」

 いつもの口調に戻して、伏せていた面を上げた。

「他の人間に示しがつかないとか言うから、こっちも慣れない言葉使いしてるってのに」

「そうですよ。あなたはこれからここの王になるのですから」

 メデューサも立ち上がり、呆れたように言った。

「そこんとこわかってます? 姉さん」

 たはは、とアンドロメダは弱々しく笑った。十年前、致命傷を受けながら彼女は生きていた。いや、死んでいたはずだった。彼女を救ったのは一緒にいたクシナダだ。

 クシナダが思いついたのは、自分の血を彼女に分け与えることだった。タケルも自分も、蛇神の呪いで簡単には死ねない呪いを受けている。あの時と同じようにすればもしかしたら、とギリギリのところで思いついたのだ。一か八かの賭けだったが、結果は、アンドロメダがここにいることが答えだ。

「でも、本当に私が王なんかでいいのかしら。ヘルメスとかの方が妥当じゃない?」

 それに泡食ったのは言われたヘルメス自身だ。

「何を仰るんです! あなた以外の誰が王になるというのですか! ここにいる皆、あなただからこそついてきたのです!」

 その通り、と言わんばかりに周りにいた全員が首を縦に振った。

「あなたでなければいけないのです。誰よりも一番、この街のことを思ってきたあなたでなければならないのです。そんなあなただから、皆が支えたいと思ったのです」

 再び周囲の者たちが、力強く、首を縦に振った。そして、熱いまなざしをアンドロメダに注いでいる。

「・・・あなたの事情も分かっております」

 ヘルメスがふと、そう切り出した。予想外の会話の切り口だったため、アンドロメダはきょとんとするほかなかったが

「タケル殿のことでしょう?」

「はあっ?」

 あまりの予想外に素っ頓狂な声を上げた。

「何で私があんな失礼な男の後を追わなきゃなんないのよ! あいつ、助かった私に開口一番、なんて言ったと思う? 「あれ? 何で生きてるの?」よ!? 人のこと死んだと思ってたのよ! どうしてそんな奴を気にしなきゃならんのよ! あんな奴のことなんて知るものですか! 大体あいつにはクシナダがいるでしょう!」

「あ、いや、そこまで言ってはいないのですが。私が言いたかったのは、彼のように、自由に旅をしてみたい、ということではないのかな、と」

 慌てて弁明するヘルメスの前で、アンドロメダはこれ以上ない位赤面していた。

「ま、紛らわしい言い方しないで!」

「姉さんが勝手に勘違いしただけでしょう? それとも、実は本気で憧れていて、あの方の後を追いかけようとか思ってます?」

「そんなわけないでしょうが!」

 姉妹のやり取りに、周りから笑いが溢れる。二人がこの街で、再び言い合いをすることがどれほどの奇跡の上に成り立っていて、どれほど幸福なことか知っているからだ。

「姉ちゃんもメデューサも、そこまでにしとけよ。皆待ってんだからさ」

 ペルセウスが間に割って入り、姉妹は、特にアンドロメダは不承不承、と言った感じで口を閉じた。

「さあ、アンドロメダ様」

 ヘルメスが促す。彼が指示した方向の人垣が、ゆっくりと割れる。王への道だ。

「新しい使命も、なかなかキツそうね」

 苦笑しながら、それでも迷いなく新しき女王は歩む。ゆっくりと、着実に。今度は、多くの仲間たちと共に。

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