第27話 復讐者

「終わったわね」

「はい」

 夕日と、額の部分がくりぬかれたように無くなったまま動かない魔龍の死骸を見ながら、姉妹は並んで座り込んでいた。

 二人とも、もう一歩も動けないほど疲弊していた。それでも、その表情は晴れやかだ。先祖代々彼女たちを縛っていた使命が、遂に果たされたのだから。

 彼女たちを運んでいたクシナダは、相棒が再び海に落ちたので探しに行ってくると言い、沖へ向かった。あの、遠くに見えるのがそうだろう。水を滴らせながら引き上げられる彼の姿に、二人は笑った。

「アンドロメダ様」

 背後から、ヘルメスが声をかけた。振り返ると、共に戦った仲間たちが揃っていた。その中には、毒を浴びたダナ、石化したアルゴも居る。

 毒に関しては、事前に塗っておいたアンドロメダ製の薬が毒を緩和し、また同時に、迅速な治療が功を奏した。完治には時間がかかるが、命に別状はない。

 石化したアルゴたちにしてみても、魔龍の目が失われた途端、呪いが解けた。硬直していた為か、筋肉が凝り固まって全身筋肉痛になったように痛むが、これもまた、治療を続ければ完治するだろう。

 あれだけの激戦を繰り広げたにも拘らず死者は一人も出なかった。考えうる限り最高の結果だ。

 よろよろと、それでも二人は立ち上がり、彼らに向き直る。そして、最大限の感謝を言葉に乗せて送る。

「みんな、お疲れ様。みんなのおかげで、私たちは長年の悲願を達成することが出来ました。本当にありがとう」

「なんの。お父上に受けた恩、ようやく少し返せたというものです」

 一同が笑う。

「メデューサ!」

 大人たちの間を掻き分けて、足の間から飛び出してきたのはあの悪ガキだ。一直線にメデューサに向かって駆けつけ、抱きつく。勢い余って倒れそうになるのを、アンドロメダが支えた。そこかしこから「ほお」やら「まあ」などの感嘆の声や口笛が上がった。

「無茶苦茶心配したんだからな! ずっと心配し通しだったんだからな! アクリシオスの野郎に連れて行かれるし! 処刑されそうになるし! 気づいたらいないしアンドロメダ姉ちゃんやクシナダ姉ちゃんからは魔龍になったって聞かされるし! さっきの戦いでももう少しで食われそうになってるし毒には当たりそうになってるし石になるってのにその目の前で浮いてるし!」

「あの、私もその時一緒にいたんだけど、心配してくれなかったの?」

 茶化すように、横合いからアンドロメダが口を出す。

「二人とも心配した! 一生分心配した!」

「すみません。でも、もう心配させるようなことは、ありませんから」

 ぽんぽん、とメデューサは彼の背を優しく叩いた。ゆっくりと悪ガキがメデューサから離れる。

「そう、だよな。もう魔龍はいないもんな」

「そうですよ。もう恐ろしいものはありません。終わったのです。全て」

 終わった、その言葉に、皆の肩から力が抜けた。

「さあて、明日からどうしようかな」

 ううん、と伸びをしながらアンドロメダが言った。これまで魔龍を封じる、倒すことを中心に添えた生き方をしていた。その目的自体が無くなったのだ。生きる目的を探すか、作らなければならない。しかし、今の彼女にとっては嬉しい悩みだ。好きに生きられる、ということは。タケルやクシナダの真似をして、旅に出る、というのも面白いかもしれない。いっそ二人について行っても良いかも、などと、思いを馳せ

 そんな浮かれた気分は、明確な殺意によって消えた。

 声を出す余裕もなかった。他の誰一人として気づいていない。だから、自分が動くしかなかった。

 目の前で微笑ましく未来について話す妹たちに覆いかぶさる。二人は何事かと驚いた顔でアンドロメダを見ていた。

 背中に強い異物感。続けて灼熱の如き熱さと痛みが異物から全身へと広がる。

「姉、さん・・・?」

 何が起きているのか理解できていないメデューサは、ただ、姉を呼んだ。応えようと口を開き、声の代わりに喉からせり上がってきたのは血の塊だ。

「姉さん、姉さん!」

「メデューサ様、お下がりください!」

 事態を察した数名がすぐさまアンドロメダに駆け寄る。彼女の背には矢が突き刺さっていた。すぐさま止血と治療が行われるが、誰が見ても致命傷だった。

「貴様らに、明日などない」

 陰鬱な声が響く。

 ヘルメスたちが後ろのアンドロメダを庇うようにして前に出る。

「アクリシオスッ!」

 怒りと憎しみを込めて、その名を呼ぶ。アクリシオスは生きていた。その手に弓を携え、背後に兵を引き連れて。彼が、アンドロメダを射たのだ。

「よくぞかの魔龍を屠った。褒めて遣わすぞ。魔龍さえいなくなれば、この地に真の平穏が戻るであろう。残るは貴様らだけだ」

 アクリシオスが手を上げた。兵たちが一斉に弓矢を構える。魔龍との戦いには一切現れなかったくせに、終わった途端湧いて出た。彼らは一体何のために兵士になったのか。

「それが命がけでこの街を守った、彼女らに対する仕打ちか!」

「馬鹿を言うでないわ。そこの小娘は魔龍の封印を解いてまで私を殺そうとしたのだぞ? つまりその娘も魔龍同前。その妹を守ろうとした姉も同類同罪。殺して何が悪い? 王の命を狙ったのだから、極刑が至極当然だ」

「どの口がほざく! 元を正せば、全てアクリシオス、お前自身によるものではないか!」

「黙れ! 黙れ! 全て貴様らが悪いのだ! 魔龍のことも、もっと貴様らが私に訴えればよかったのだ! 私を敬い、誠意を込めて! さすれば過去の私も心を動かされただろう。貴様らの、私に対する忠誠心が問題なのだ! 此度の件は、全て貴様らの責任だ!」

「ふざけるなよ。誰がお前などを王と戴くか! この暗君めが!」

「私も、貴様らのような反乱分子に王と呼ばれたくはない。ここで死ね」

 無造作に、腕を振り降ろす。

「・・・・・・どうした。何をしている」

 兵士から、矢は飛ばなかった。

「アクリシオス王、本気ですか・・・?」

 隣にいた兵士長が、つがえていた弓を降ろす。彼らは戸惑っていた。街を守った者たちに対して、本当にこれが正しいのか。王命との間で彼は迷い、その迷いが伝線したか、部下たちも矢を放てないでいた。

「貴様、私に逆らうのか?」

「そ、そういう訳ではありませんが」

「ならば、やらないか! 他の者もどうした! 私の命令がきけないのか!」

 ヒステリックにわめく。それでもまだ動けずにいた兵士長を、王は袈裟切りにした。肩から腹部までざっくりと割られ、血をまき散らしながら兵士長はどう、と倒れた。

「今から貴様が兵士長だ」

 血で濡れた剣を、兵士長の後ろにいた兵の首に突き付ける。

「貴様らは分かっていない。奴らの目的はこの街だ! 魔龍を倒した今、次は我らを殺しに来る! 私が、自分達を街から追い出したと思い込んでいるからだ。そして、その片棒を担いだ貴様らだって放っては置かない! 今しかないのだ!」

「し、しかし」

「いいから、やれ! それとも、私に新しい兵士長を任命させたいか!」

 アクリシオスが再び剣を振り上げた。

「ぜ、全員、構え!」

 慌てて兵士たちは矢をつがえる。逆らえば、次は自分が斬られるかもしれないからだ。

「放て!」

 今度こそ、矢は雨のようにヘルメスたちに降り注ぎ


 ごうっ


 突如として吹き荒れた突風によって何物も射抜かず、地に落ちた。

 突風が過ぎ去ったあと、ヘルメスたちとアクリシオスたちの間に誰かが落ちてきた。


 ヘルメスたちには、神話にある、救世主の背と重なって見えた。


 アクリシオスたちには、剣を携え笑う死神にしか見えなかった。


「クシナダ。そいつらを連れていけ。あんたの風なら守りながら退けるだろ?」

 タケルは剣を肩で担ぎ、構える。彼から遅れて、空から嵐の女神が降りてきた。彼女の風が、ヘルメスたちを降り注ぐ矢から守ったのだ。

「わかった。こっちは任せて。あなたは?」

 クシナダが尋ねると、タケルは歯を剥いて笑った。

「最初に言ったはずだ。僕の目的はこの地に住まう『化け物』を殺すことだ。一匹残らず、全滅させることなんだよ」

 けっして大きくはない彼の声が、アクリシオスとその背後にいる兵たちに届いた。自分たちのことを言っているのだと怯えた。

 彼らも当然見ていた。とどめこそアンドロメダとメデューサの魔術ではあったが、そこに至るまで、ほぼ一人で魔龍を相手取る、一騎当千と呼ぶにふさわしき戦いを繰り広げる男の姿を。その力が、自分たちに向くという。逃げていくヘルメスたちを追うことなどできはしない。自分たちの方が、この魔龍よりも恐ろしい男から逃げなければならない。

「な、何をしている。たった一人を相手に臆するな!」

 アクリシオスの檄にも、今度は誰も動けない。前に出れば死ぬ。

「来ないのか?」

 タケルがいっそ不気味なほど気さくに声をかけた。

「なら、こっちから行く・・・ん?」

 一歩踏み出そうとして、まだ背後に人の気配があることに気付く。クシナダと共に全員が退いたと思い込んでいたタケルは、少し眉根を寄せて、振り返った。

 そこにいたのは、顔や腕など上半身を血に染めた、あの悪ガキだ。誰の血かなど、解りきっている。

 誰かが残していったのだろう剣を、よろけながらも両手で持ち上げ、タケルの隣に並んだ。

「俺が、戦う」

 タケルに宣言した。

「お前が?」

「そうだ。俺が、あいつを、アクリシオスを殺す!」

 自分で言っていて興奮してきたのか、幽鬼のような能面から、徐々に赤みが差し、鬼の顔へと変貌した。普通の子どもがする顔ではない。

「本気か?」

「当たり前だ! あいつは、アンドロメダ姉ちゃんとメデューサを傷つけた! 絶対許さない! 俺の手で八つ裂きにしてやる!」

 タケルは悪ガキの方を見ながら記憶を探る。こういう場面を、以前にも見たことがあったからだ。思い出せば、見たことがあって当然だった。過去の自分だ。姉を理不尽に奪われた過去の自分と、目の前の悪ガキがそっくりなのだ。

 タケルは笑みを深めて言う。

「無理だな。そんなヨタヨタで、まともに剣すら振れないのに。返り討ちに遭うのがオチだよ」

「何だと!」

「だから、ここは僕に任せて見たら? 僕なら確実だ。ここにいる全員を殺せる。一人残らず殲滅できる」

 それでも、とタケルは続けた。

「それでも、自分の手で決着をつけたいかい?」

「ああ」

「そのためなら、どんな苦労もいとわない? どれほど時間がかかっても構わない?」

「この手で殺すことが出来るなら、どんなことだってやってやる!」

 わかった、タケルは目を細めた。

「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったね。名前は?」

 ふと、思いついたようにタケルが尋ねた。

「・・・ペルセウス」

 彼の名前を聞いて、タケルは一瞬目を丸くし、大笑した。誰もが、隣で復讐に燃えていた悪ガキすらもギョッとするほどの大声で笑う。

「譲ってやるよ。新たな復讐者。頭も体も鍛え上げ、いつか目的を果たすといいさ」

 そして、アクリシオスに向き直る。

「良かったな、王様! 今ここで、僕はお前の命を奪うことを止めてやる。けれど、心せよ! ここにいる新たな復讐者が、いずれ必ずお前の首を取りに来る! それまで待っていろ! ガタガタと、毎夜毎夜恐怖に震えながら、胸に刃が突き立つその日をな!」

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