第26話 神の加護無くとも
「ここが正念場だ! 者ども、行くぞ!」
ヘルメスの声に呼応して、左右から再び光の帯が飛び交う。手足に巻き付き、自由を奪おうとする。
「さあ、もう一度動きを止めるわよ! みんな、引けぇ!」
アンドロメダが音頭を取ると、綱の光度が増した。彼女の魔力を流し込むことで、強度が上がるようだ。全力で左右から全力で引かれ、腕を取られた魔龍が、万歳の形で突っ伏した。
【ギイイイイアアアアアアアアアッ!】
それ以上はさせじと、魔龍は体を起こしながら、左、右と腕を自分の体の方へ引き寄せる。人類と魔龍の綱引きは、均衡も一瞬、すぐに人類側が敗北し、引きずられる形になる。慌てて帯を解除し、次の機会を待つ。相手の力が強いうちは、押さえつけるのは無理だろう。ふと、自分もプレイしたことのあるハンティングゲームを思い出した。あのゲームでも、モンスターをある程度弱らせないと罠にかけられなかった。
「僕らも行こう」
「ええ」
クシナダがまず一矢放つ。矢は唸りを上げて飛翔して、胴体に命中したが
「あれだけ大きいと、当たっても効果があるのかさっぱりわからないな」
当たった瞬間はパッと血煙をふいたが、それで終わった。急所以外だと効果は薄そうだ。
「一本で駄目なら、百本射るまでよ」
頼もしい言葉と共に、クシナダが空へと舞い上がる。
「姉さんたちは下がって!」
後方から、指示を飛ばすメデューサの声が聞こえた。
「アルゴ、ダナ! 弓兵に魔術媒体を鏃に付けるように指示を! クシナダさんを援護します!」
「合点でさぁ!」
「承知しました!」
そう言って禿頭の男と恰幅のいい婦人が左右に分かれて走っていく。
「準備は?!」
「準備良し!」
「こちらもいけます!」
合図を聞いたメデューサが、手を上げる。彼女に向かって魔龍が近づいてくる。遠近感が馬鹿になっているため、僕から見たらすでに魔龍の鼻先に彼女がいるように見える。
「メデューサ様!」
合図はまだかと声が上がる。
「まだ! まだです! 我慢して!」
しかし恐れることなく、彼女は冷静に相対距離を測る。全ての矢を余すことなく当てられる距離を見極めようとしているのだ。やがて、魔龍の鼻息がかかり、彼女の髪がたなびく。
「射て!」
かざしていた手が振り降ろされる。生臭い息を切り裂くように、何本もの矢が魔龍に向かって飛来する。
ガカカカカッ
豪雨がトタン板を打ったかのような音とともに、何本もの矢が魔龍に突き刺さった。
それでも魔龍は止まらない。自分をハリネズミみたいにした小癪な娘を真っ先に喰わんと口を開ける。
「アテナの末裔を喰おうというの? 腹を下しても知らないわよ?」
姉と同じようなことを言って不敵に笑い
「『氣爆』」
細い指を鳴らしたと同時、魔龍の体のそこかしこで爆発が起こる。鏃に仕込まれた魔術媒体が、彼女の呪文に反応して起動した。
【ガアアアアアアアアッ】
もうもうと立ち上がる煙の中、苦悶の声を上げて、魔龍が歩みを止めてのけ反る。
「姉さん!」
「分かってるわ!」
姉妹が合図を交わす。息の合い方は当然ぴったりだ。再び光の帯が魔龍の体を縛り上げる。魔龍も足掻くが、矢の痛みが動きを阻害し、先ほどよりも暴れる力は若干ながら落ちている。
好機だ、そう思った僕は、魔龍へ向けて走る。僕の他にも、何人かの近接戦闘要員が魔龍に向かっていた。目指すは腕。そこから飛び乗り、頭を目指す。
後二十メートルほどで到達、そんな時、上から視線を感じた。見上げれば、僕よりもでかい目玉と視線がかち合う。魔龍がこちらを睨んでいた。気のせいかもしれないが、少し喉元が膨らんでいるような気がする。
奴が口を開いた。また吠える気か、と思ったが、違う。
「何かくる、気をつけろ!」
僕の声に気付いた数人も、同じように魔龍を見上げ、危険を察知した。前進を止め、左右後方に散らばる。
ごぽぉっ
大量の水が沸き立ったような音と共に、魔龍の喉元がから何かがせり上がり、吐き出された。
それは真っ黒な球体に見えた。ゆっくりと、しかし重力に従って加速しながら落下してくる。
結果的に、それは誰かに直撃することはなかった。代わりに、地面に接触すると同時に、水風船が割れたように破裂し、あちこちに飛沫を飛び散らせた。飛沫に触れた建物や地面は、強烈な酸を浴びせられたかのようにどろどろと溶けはじめる。直撃した場所なんかは、クレーターのように抉れていた。
「絶対当たっちゃダメよ!」
アンドロメダが叫んだ。
「魔龍の毒よ! 私の薬でも耐えられるかどうかわからないわ!」
へえ、これが伝説の。興味本位で少し触れてみたい欲求に狩られたが、それもすぐに失せた。第二波が来そうなのと、その見た目がどうしてもゲロ吐いてるようにしか見えないからだ。あれで死ぬのは、流石の僕もちょっと遠慮したい。
二発目が吐き出された。山なりに飛び、さっきまで僕たちがいた場所で破裂した。誰かが逃げ遅れたか、悲鳴がいくつか聞こえた。光の帯も何本か消え、魔龍の動きを封じれなくなっている。
うめき声と、アンドロメダやメデューサが彼らを励ます声や、治癒のための呪文が聞こえた。悲鳴が聞こえるってことは、そう簡単には死なないってことだ。彼女らの行動からして回復する見込みが多少ある、とも取れる。薬の効果かどうかは分からないが。
「厄介なことには変わりない、な」
ちょうど、囮になるにはうってつけの技を発明したばかりだ。剣を持つ手に力を込める。刀身がバチバチと帯電し始める。先ほどアンドロメダに向かって放った時よりも、長く、強く、意識して溜め続ける。蓄積される電力が高くなって、腕の毛が引っ張られるようにして逆立つ。セーターを脱いだ時や、小学生のころ下敷きを使って静電気で遊んでいた頃を思い出した。遊んでいるのは今も変わらないか。
「お前も味わえ。冬になると誰もが味わう不快感を」
刀身はまるで雷雲のように稲妻を纏い、それ自体も白く輝いている。充電は完了だ。剣を逆手に持ち、建物の屋上から屋上へと飛び移りながら目標へ接近する。
残り五十メートルと言った辺りで、魔龍が僕に気付いた。その三つの目が僕の動きを完全に追ってくる。三度、魔龍の喉が膨れ上がった。この距離から落ちてくる毒の塊を完全に回避するのは難しいな。多少浴びる覚悟を決め、突っ込む。
まさに吐き出そうとした、その時。魔龍が嫌そうに片目を瞑った。そのまぶたに、一、二と矢が突き刺さる。クシナダだ。
クシナダの力をもってしても、分厚く丈夫なまぶたに庇護された魔龍の目を貫くことはできなかったが、気を引くには十分だったようだ。その後もクシナダは挑発するように魔龍の目の前を8の字を描くように飛び、揚句、べえ、と舌を出した。
魔龍に人の仕草を区別することが出来るのかどうかは不明だが、完全に標的は僕からクシナダへと移った。彼女へ向けて、毒を吐きかける。しかし、空を舞う彼女にはかすりもせず、また、吐き出した方向は海しかない。放物線を描き、海面に落ちた。被害はない。
「なるほど、考えることは一緒か」
彼女もまた、囮を考えたのだ。確かに彼女ほどうってつけの逸材はいないだろう。その間に、僕もやることをやろう。
完全にクシナダに気を取られた魔龍は、僕に背を向けている。つまり一番低い場所、尻尾という足場がそこに在るのだ。ますます好都合だ。建物の屋上から、尻尾に向かって飛び移った。ざらざらかと思いきや、その表面は意外につるつるしている。爬虫類というより、どちらかというと魚類の鱗みたいだ。この鱗がクシナダの矢を滑らせて、刺さりにくくしているのか。
これは僕にとって予想外だった。駆け上がろうにも、つるつるしてるから意外に走りにくいのだ。かといって、頭も心臓も、弱点っぽい箇所から程遠いここでは効果が期待できない。参ったな。
クシナダを追っていた魔龍が僕に気付いた。でかい図体して、僕が飛び乗ったことに気付いた。分厚い鱗に覆われてるくせに、敏感肌だったらしい。体を震わせ、僕を振り払おうとする。左右、上下とアトラクションよりも過激に人の体を振り回してくれる。ここで振り払われたらまた近づかないといけない。必死でしがみついて、はたと気づく。もしかしたら、これは利用できるんじゃないか。
左右の揺れを耐え切り、それは来た。念願の上下ビッグウェーブだ。大きく波打つ尻尾。タイミングを見計らい、ぐぐん、と足元が一度大きく下がる。そして、次に来るであろう反動に、足の力を溜めて、その時を待つ。
ずおおっ、と再び尻尾が上に跳ね上がる。それは元の位置を超えて、魔龍の背中の半分くらいまで到達した。
今だ。タイミングを合わせて、上空へ飛び上がった。
「タケルっ!?」
クシナダの声が遠くから聞こえた。彼女からだと、僕は跳ね飛ばされたように見えるだろう。現に、僕の体は魔龍の背を超える高さに到達し、まだ上昇し、トンビが飛ぶくらいのところまで到達して、ゆっくりと止まった。真下の喧騒が遠い、静寂の世界だ。
さあ、ここからだ。体をぐるりと回転させ、下を向く。最初は秒速五センチメートルくらいの速さで、そこから秒単位で加速していく。
気分は稲妻だ。紫電を走らせながら一直線に降下する。目指すは奴の脳天。このスピードで剣を突き刺せば、頭蓋骨すら貫く。
しかし、魔龍も馬鹿ではなかった。ぐいと顔を上に向ける。そのまま大きく口を開けた。喉が膨らむのが見えた。次にどうなるかは火を見るより明らかだ。
「とんだチキンレースだ」
それでも僕は、顔がにやけるのを押さえることが出来ない。
ごぽり、と音が聞こえた。漆黒の沼が、魔龍の喉の奥で揺れる。
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
気づかれているのだ。隠密性など気にしても意味がない。それに、叫びたい気分なんだ。手の中にある剣も、僕の気分につられたように脈動し、電流も迸る。
ドパッ、と魔龍の口から毒が吐き出された。一直線に僕に向かってくる。いや、この場合は僕が毒に一直線なのか。まあ、どっちでもいいや。やることは変わらん。
毒だなんだというが、結局のところ魔龍の体内で生成された体液みたいなもんだ。高電圧をかけると、水が沸騰すると聞いたことがあった。それに賭けた。
「ぶち抜けぇっ!」
毒の塊に向かって、剣を突き刺した。剣先が触れた瞬間、毒が爆ぜ、僅かながら空間が生まれた。その中を突き進む。剣先は触れた端から毒を揮発させていく。少し吸い込んだだけで喉がやられる。飛び散ったわずかな飛沫が腕や顔に飛ぶ。じゅう、と音がする。皮膚が焼けているのだ。数秒にも満たない交錯で、そこかしこが大ダメージだ。
知ったことか。
遂に、毒の塊の反対側へと抜け出した。そこにいるのは、マヌケにも大口を開けたままの魔龍がいた。格好の餌食だ。勢いそのままに、魔龍の上あごに剣を突き刺した。下向きの勢いも手伝って、そのまま魔龍を三枚に下ろすように切り裂いていく。ため込んだ電気は一気に解放され、魔龍の口内を雷が無数の蛇のように駆け巡る。
【シギャアアアアアアアアアアアアッ!】
苦痛の叫びが僕の体に叩きつけられる。吐き出される息が空気の壁となり、僕の体を外へと押し返した。再び宙を舞う。三半規管もやられ、上手く体が動かない。この先に待つのは地面だ。激突は避けられないかと諦めかけたその時、魔龍よりさらに上空から僕に近付く飛行物体があった。
「タケル!」
クシナダが僕に向かって両手を差し出した。タックルするように、僕の胴めがけて飛び込み、背中に手を回して抱きかかえた。
「馬鹿! 無茶にもほどがあるでしょう!」
「楽しくて、つい」
「子どもみたいな言い訳しない!」
怒られた。
上空から戦況を見下ろす。戦況は、大分こちら側に傾いている。
「さっきのが効いたのね。毒を吐くようなそぶりも見せないわ」
口の中を裂いたからな。口内炎どころの痛みではないだろう。また、あれだけの猛烈な毒を吐けたのは口内にも分厚い皮膜があるからだ。それさえ無くしてしまえば、毒は吐けない。趨勢は決まったか、誰もがそう思ったその時。
ギィン、と辺りの光が一瞬吸い込まれた。そう表現するしかない現象が起こったのだ。吸い込んだのは、魔龍の額にある第三の目。
「何だ?」
目を凝らす。細長かった額の目は、今は満月のように真ん丸に見開かれている。
【逃げて!】
メデューサの声が頭に響いた。
【みんな、建物の陰に入って!】
「メデューサ、一体何を」
姉がなだめるように妹の肩を抱く。
「良いから! 早く!」
メデューサがそう言って姉に飛びつき、強引にしゃがませる。その間も、光は断続的に魔龍の目に吸い込まれていく。
「クシナダ、こいつは従った方がよさそうだ」
「同感よ。嫌な予感がするわ」
真下へと急降下する。空いていた窓に飛び込み、言われた通り陰に隠れた。直後、二つ目の太陽が地表に現れたのかと勘違いするほどの強烈な光が窓から差し込む。
照射時間は数秒ほどだったが、照らし出された景色は一変していた。
窓からゆっくりと顔を出した僕は見た。
「何、コレ・・・・」
クシナダも同じものを発見したようだ。いや、ものと言っていいのかどうか。
そこには石像があった。恐怖に顔を歪めた人の石像だ。この顔は、たしか、アルゴと呼ばれていた禿頭の男だったはずだ。さっきまではこんな石像は無かった。いたのはアルゴ本人だ。そして今、アルゴはおらず、アルゴの石像がある。
「そうか、その可能性も、あるか」
石像は見える範囲に数体存在した。どれも、何かから逃げるような作りだ。おそらく、いや、間違いなく、今さっき創られたものだ。
「石化の呪い、ってこと?」
メデューサは自分の足を石にしていた。あれはアンドロメダを欺くためもあるだろうが、眠っている間、意識を失っている間に自分の体を魔龍に好き勝手に使われないためでもあったのだと思う。
自分の体を石化させられるなら、相手を石化させることも可能だろう。本来の使用方法は、こっちだ。
「つくづく化け物だな」
手負いの獣は手に負えないとよく言うが、手負いの魔龍がここまで厄介な奥の手を持ってるとはな。
【みんな、無事ですか!】
頭にメデューサの声が届く。
「こっちは無事だ。そっちは?」
【私たちは無事です。けれど・・・、アルゴや、魔龍を綱で封じていた数名が逃げ遅れて、石化しました・・・・】
声に後悔が滲む。
「じゃあ、やっぱりあれは」
【魔龍最悪の呪いです。あの目に睨まれた生き物は石化します】
睨まれる、つまり見える範囲にいたらダメってことか。
「対処方法は?」
【見えない位置にいる事です。ですが、それでは】
「魔龍は倒せない。倒すためには外に出て近づくことが必要で、外に出れば隠れられない」
八方ふさがりだ。
「じゃ、じゃあ、あれはどう。何か、盾の様なもので全身を隠しながら近づくってのは」
クシナダが言った。良い案だとは思う。魔龍が呪いを発動するまでにわずかだがタイムラグがある。その間に少しずつ近づき、あの目を潰せば、あるいは。
【しかし、それでは敵の姿を視認できません。攻撃方法は石化の呪いだけではないのです。毒は封じましたが、あの圧倒的な巨体はそれだけで凶器です。かすっただけでも危険な腕や尻尾、牙を、前が見えないまま躱し続けられるとは思えません】
それが問題だ。近づこうとして踏みつぶされたら元も子もない。上空にいた僕に気付いたくらいだ。敵の気配には敏感だと考えて間違いない。攻撃しようとしてちょっとでも盾をずらしたところにあれが来たらアウトだ。
こちらには鏡のような盾も、姿を隠す帽子もない。神話のように助けてくれる神様はいない。ここにいる人間だけでどうにかしなければならない。
「どうしたらいいの。ここまで来て、打つ手は無しなの?」
悔しそうにクシナダが呻く。その背には、まだ空気の翼を纏っていた。いつでも飛べるようにという配慮だろう。
・・・・あるじゃないか。姿を隠す帽子が。その問題さえクリアしてしまえば、盾は何でもよくなる。そして、ハルパーの鎌の代わりもここにある。
「メデューサ。聞こえる?」
作戦はこれしかない。
【タケルさん?】
「一つ教えてほしいんだが、さっき矢に仕込んでいた媒体を爆発させたと思うけど、どのくらいの距離でなら起爆できる?」
【距離は、そうですね。私の力だと、自分の足で大体五十歩くらいの範囲でしょうか】
一歩が五十センチと考えて、二十五メートルか。
「アンドロメダでも同じくらいか?」
【そうですね。同じくらいだと思います。あ、あと、姉さんと力を合わせると、もう少し伸ばせるかもです。多分、もう三十歩くらいなら】
四十メートル。
【どうしたんですか?】
「一つ策を思いついた。聞いてくれるか?」
【先ほども言ったはずです。魔龍を滅ぼせる策があるなら、是非とも聞きたい、と】
「そうだったね」
苦笑しながら、僕は仔細を全て彼女に伝える。
「そんなことが可能なの?」
傍で聞いていたクシナダが、半信半疑の顔で聞いてきた。
「理論上は、可能かな」
あくまで理論上は、の話だが。
「ま、あんま深く考えなくていいよ。失敗したら死ぬだけさ」
「ああ、なら安心ね」
意外なことに、クシナダが納得した。いつもなら反論の一つでも帰ってきそうなものなのだけど。きっと、僕はとても不思議そうな顔をしていたのだろう。クシナダは小さく噴出した。
「だって、あなたがそういう時は、絶対死なないんだもの」
そうだったか?
「賭けるわ。あなたの策に」
【私たちも、です】
メデューサも応えた。
「よし。じゃあ、今伝えたとおりに配置についてくれ」
僕たちは窓の外へと飛び出した。ぐい、と魔龍の視線が僕たちをトレースする。そして再び、光が目に吸い込まれていく。
「タケル!」
「分かってる」
目の前にそれを出す。先ほどまで隠れていた建物の、入り口のドアだ。取っ手がついていて持ちやすく、潮風を通さない頑丈で僕たち二人を隠すほど分厚く大きな一枚板だ。
カッ
背後に影が伸びる。目から光が溢れだしたのだ。だが、
「クシナダ。石になった?」
「なってたらこのまままっさかさまよ!」
想定通りだ。ドアが光を防ぎ、僕らを呪いから守った。
魔龍の方も馬鹿ではなかった。呪いを塞がれたとみるや、すぐに攻撃方法を切り替えた。接近する僕たちに向かって、ひっかくように腕を上から下へと振り降ろす。空間に満ちる大気を押しのけながら、一本一本が大木のような指を持つ巨大な手のひらが僕らを押し潰そうとして、するりと抜けた。
タネは学校で教えてくれる、光の屈折だ。最初にクシナダが空を飛んだ時、空気の翼を突き抜ける光が屈折していたことを思いだした。同じことを、もう少し大がかりにしている。僕らのもう少し前に、クシナダが違う密度の空気で断層を作っている。魔龍が見えている場所に僕らはいない。もう少し上空にいたのだ。
腕を躱した僕らは魔龍の頭上に辿り着く。そこから、スキーの直滑降のように魔龍へ向けて滑り落ちる。風圧で板が軋む。周りの風景から、間もなく頭に到達すると判断。
「よし、第二段階だ」
僕は板をクシナダに渡す。思った通り、頭上までもう二十メートルくらいか。
「離すわよ!」
クシナダと僕が分離する。彼女はそのままアンドロメダとメデューサを迎えに行った。僕はそのまま自由落下。訪れるであろう衝撃に備え
ドスン
未来から転送されたばかりのターミネーターみたいな姿勢で着地。ちょうど魔龍の鼻っ柱あたりだ。三つの目が僕の姿を捉えた。その目が憎しみに燃える。自分の喉を切り裂いたのは僕だと理解しているようだ。
「決着をつけよう」
剣を逆手に構えて、前へ。魔龍が叫ぶが、この距離での叫び声など音ではない。ただの衝撃だ。可聴域に含まれない。
三度、魔龍の目に光が吸い込まれる。だが、
「遅い」
僕をこの距離まで接近させた時点で、お前の負けだ。
一歩、二歩とステップを踏んで、三歩目を大きく足を踏み出す。右足のつま先で強く蹴り、太もも、腰、背中、肩と回転させながら力を伝達させる。回転する右肩から遅れるようにして右腕、肘へと鞭がしなるようにして伝えていく。そのまま最後の右手へ。最高到達点から手放し、柄頭を人差し指と中指で押し出す。
一直線に飛び、ガラスの砕けるような甲高い音を立てて、剣先が額の目に突き刺さった。痛みから、魔龍が背筋を逸らせた。斜めになった魔龍の鼻先を駆ける。行く先はもちろん、今しがた突き刺した剣だ。
「もう一つ、おまけだ!」
柄を思いきりぶん殴った。三分の一ほど突き刺さっていた剣が、腕と一緒に完全に埋没した。まずい、ちょっとやり過ぎた。慌てて、指で柄を摘み、引きずり出そうとする。
痛みで暴れる魔龍のせいで作業は難航したが、何とか取り出せた。代わりに、今しがた空けた穴に、ポケットから取り出したある物を詰め込む。魔龍の腹の中で、アンドロメダから没収した魔術媒体だ。ぐぐっと押し込む。これで落ちては来ないだろう。
ぶうん、と魔龍が一際大きく首を振った。自分の作業分が終わったからといって油断したら駄目だな。反動で僕は再び海へ。落ちる前に、これだけは伝えておこう。
「アンドロメダ! メデューサ! 今だ!」
叫ぶ僕の視線の先に、二人の姉妹と、彼女たちを抱えて飛ぶクシナダの姿があった。
--------------------
「二人とも、合図が来たわ!」
クシナダは抱えた二人に声をかける。
「でもタケルは!」
海へと真っ逆さまに落ちていく男の名を呼ぶ。
「あいつは、あの程度でくたばるような男じゃないわ」
「姉さん。タケルさんは、私たちを信じてあそこで戦ってくれたのです。今は、あの方の信頼に応えるのが最優先です」
クシナダとメデューサに言われ、アンドロメダも気持ちを切り替えた。魔龍の腹の中まで自分たちを追ってきた男だ。そう簡単に死ぬわけがない。ここまでお膳立てしてくれた彼の心意気に応えるためにも、目の前のことに集中する。
「アテナより続く、永きにわたる戦いも、これで終わりにしましょう」
もがく魔龍に対して、アンドロメダは言った。聞こえていたわけでもあるまいに、魔龍の残りの二対の目が、彼女たちを捉えた。
「賭けは、私の勝ちで良いですよね。だってみんなが、こんな愚かな私を助けに来てくれたんですから」
メデューサがそう言い、姉の手を握った。姉はその小さな手を握り返す。温もりが、魔力が伝わり、二人の間を循環。さらに大きな魔力が生れる。
「「願わくば、安らかに眠れ」」
同時に紡ぐ、最後の呪文。つないだ手をゆっくりと前に突き出した。
「「『終淵』」」
光すら飲み込む漆黒の闇が、魔龍の頭を吞み込んだ。
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