第25話 セメント・マッチ

「何故ですか!」

 今度は妹、メデューサが声を荒げて僕に何故、と問うた。

「そこまでわかっていながら、何故私を討たないのですか!」

 そう叫ぶ彼女に変化が表れ始めていた。まずその両目が、真っ赤に染まる。充血どころの話じゃない。白目部分が深紅に染まったのだ。また、黒目の部分は黄金色に輝き、瞳孔は縦長になっている。魔龍の意志が顕在化しているようだ。皮膚も、龍の鱗が現れ、びっしりと彼女を覆う。その顔と、普通の顔、二つの顔が照明の明滅のように入れ替わる。

「今が魔龍を殺せる好機なのです! 私を討てば、私と共にある魔龍の意志そのものを冥府へ送ることが可能なのです! 残るのは、抜け殻となった巨大な肉塊のみ。あなたの剣でこの胸を貫くだけで、全ては丸く収まるのです!」

「だから、それが困るんだって」

 何も話を聞いてないな。

「最初に会った時も言ったし、今も言った。僕は、魔龍と戦いに来たんだ。生意気なガキじゃない」

「あなたは、魔龍の力を知らな過ぎる! アクリシオスと同じだ。自分の力を過信し、魔龍を侮っている。人知の及ぶものではないの・・・ガホッ、ガホッゴホッ」

 メデューサが激しくむせた。吐き出した唾の中に血が混ざっている。彼女の中にいる魔龍が暴れているためだろうか。

「今なら、まだ間に合うのです。私が抑え込んでいるうちに、私ごと魔龍を」

「お断りだってば」

 きっぱりと僕は言った。

「何度言わせれば・・・!」

「何度言わせれば、はこっちのセリフだこのクソガキ。『僕たち』は魔龍と戦いに来たっつってんだろうが。メデューサなんていうガキじゃない」

 彼女の言葉をぶち切って、僕は言う。

「僕も、そこにいるアンドロメダも、外にいるクシナダも、ヘルメス何某たちも。全員が魔龍と戦う覚悟で、死ぬ覚悟でここにきてるんだよ。そっちこそ僕たちを舐めるな。ガキが抑え込める程度の鰐一匹、怖いわけあるか!」

 駆ける。彼女との相対距離は瞬時に狭まる。目標を見定め、跳躍。居合抜きのように、腰だめに構えていた剣を横に一閃させる。彼女を捉えていたツタは薙ぎ払われ、唐突に自由を取り戻した体は、一時空中に停滞していたかと思えば、重力を思い出したかのようにすぐさま落下を始めた。

「アンドロメダ!」

「言われずとも!」

 すでに駆け出していたアンドロメダが、妹の体に手を伸ばす。

 メデューサの体は二重にぶれていた。二つの体が繋がっているようにも見える。一つは普通の姿、もう一つは魔龍に乗っ取られている姿だ。彼女は左手で妹の体をがっしと掴み、もう片方の手をメデューサの背中、魔龍側に回す。

「私の妹の中から、出て行け!」

 お菓子の袋を開けるように、力任せに二つを引き剥がす。ずるり、という音と共に、二つの体が分離した。離れた体の片方はアンドロメダが抱きかかえた。もう一つは、離れた途端魔龍の体内に吸い込まれていった。

「何という、ことを・・・」

 諦念の顔で、メデューサが呟いた。

「唯一の機会を逃してしまった。これで、魔龍は復活します。もう終わりです」

「何一つ終わってはいないわ」

 胸の中にある妹の顔を愛おしそうに撫でながら、アンドロメダが反論した。

「私たちはまだ生きているのだから」

「ま、それもここでじっとしてたら意味ないけどな」

 姉妹の会話を邪魔するつもりはなかったのだが、口を挟ませてもらった。足の裏から感じる振動から、どうやら魔龍が活動を再開したと考えられる。

「まずは脱出。あんたらはヘルメスと合流だ」

 行こう、と声をかけ、先頭を走る。来た時に切り開いたはずの壁は魔龍の再生力の為か塞がりつつあったので、再度胃潰瘍やら内出血になってもらう。ストレス社会からきた人間のプレゼントだ。遠慮なく受け取ってくれ。

「脱出すると言われましても、どうやって?」

 姉に手を引かれながら走るメデューサが聞いてきた。

「まず、口元まで行く。そこで」

「「そこで?」」

 姉妹の声が重なる。

「叫ぶ」

 単純明快な答えに、二人揃って目を白黒させる。

「行けばわかるよ」

 百聞は一見に如かずだ。管から管へと渡り、最も太い場所に出た。おそらく最初の食道だ。

「まさか、口を開けさせて出る気?」

 僕の行く先を察したアンドロメダが言う。

「そのまさかだ」

「無茶言わないで。いつ開くかもわからないのに。それならどこか別の場所を切り開いた方が早いんじゃないの?」

「それも少し考えたんだが、結局は分かりやすい所の方が都合がいいんだ。迎えが来るからな」

 まだ要領を得ない顔をしている二人には、これ以上説明しても無駄だ。見た方が早い。なだらかな傾斜を駆け上がると、行き止まりにぶち当たる。ここが目的地だ。証拠に、ぎざぎざの乱杭歯の隙間から光が漏れこんでいる。

「よし、じゃあ、せえの、で叫ぶぞ」

「叫ぶって言われても、何と叫べば」

「そんなもの、決まっている。こいつは今動いている。触れたら圧殺されるような巨体に近付けるのはあいつだけだ。彼女の名を呼べ」

 じゃ、せえの

「「「クシナダーっ!」」」

 瞬間、ぎざぎざだった明かりの中に突如大きなスポットが出来る。生臭い匂いを一新する烈風が魔龍の口内に吹き荒れた。驚いた魔龍が、少しだけ口を開けて身をよじる。

「無事なのね!」

 外から彼女の声が響いた。揺らぐ足元をしっかと踏みしめながら、風穴の空いたところから顔を出す。矢を放った体勢のクシナダがこちらを見つけた。心底ほっとしたような顔を浮かべている。

「全員無事だ。これから投げる。受け取れ」

 投げる、と聞いた瞬間、後ろからついてきていた姉の方がびくりと反応した。振り返ると、回れ右して逃げようとしたので

「おい、どこ行くんだよ」

 とっさに服の襟首をひっつかむ。

「無理、無理だから。幾らなんでも無理だから。ここ、城のてっぺんより高いのよ!?」

 アンドロメダが口から泡を飛ばしながら泡食ったように慌てて叫ぶ。両腕を突っ張って上半身を起こしている魔龍の頭は、この崖をくりぬいた作りの街の、もっとも高い所とほぼ同じ高さにある。

「あんたクシナダと空飛んだだろうが。あれと似たようなもんだ」

「あれだってかなり怖かったのに、今度は頼るものもないのに虚空へとおおおおおおおおおおっ!」

 五月蠅いし、時間もないので問答無用で投げた。狙い通り、空中を飛んでいたクシナダがキャッチする。そのまま、地上へと降下していった。

「ちょっと待ちだ」

 そのまま歯に背中を預けるようにして座り込む。久しぶりに泳いで、何だかんだで疲れている。服を着たままだと泳ぎにくいってのは本当だったな。

「豪胆ですね。魔龍の口の中だというのに、その歯に寄り掛かるなんて」

 僕の前にメデューサが立った。

「そっちも座ったら?」

「では失礼します」

 チョコンと隣に腰を下ろした。

「最悪です」

 メデューサが口を開いた。

「何が」

「あなたのせいで、私が練りに練った計画は水の泡です」

「それはそれは。申し訳ない」

「本来であれば、姉、アンドロメダが今頃魔龍を倒し、街の人間に英雄として迎えられ、新たな王として君臨していたはずなのです」

「そのためなら自分は魔龍としてくたばってもいい、と?」

「そうです。それが、もっとも合理的で確実性が高く、姉と、虐げられていたみんなを元の場所に戻せる方法だったので」

 まあ、そうだな。魔龍と王の二つの邪魔者も一緒に排除できるからな。この年でこの考え方、末恐ろしいね。

「で? 泡になった計画の代わりは何かあるのか?」

「ありません。自分が死ぬ計画の次の手など、考えても見ませんでした」

 それもそうか。

「じゃあ、支障がなければ、ここからは僕らの策に乗れ」

「あなた達の、策? どういったものでしょう」

「ここまで色んな策を巡らせてきたメデューサには悪いんだが・・・」

 突如、魔龍が大きく体を揺らした。外からガラスの割れるような音が響く。

「あれは、魔龍を封じていた綱が千切れた音ですね。どうやら体の自由を取り戻し、本格的に活動を再開したようです」

 あの光の帯のことだ。やはりメデューサによって力が封じられていたから、大人しく捕まっていたのだろう。

 揺れはますます拡大し、外からも怒声や破砕音が響く。このままだと乗り物酔いになりそうだ。暴れているということなら、クシナダでも簡単に近づけないだろう。仕方ない。予定を変更して

「タケルさん!」

 メデューサが叫ぶ。ずっと薄暗かった僕たちに日差しが当たった。魔龍がガバリ、と口を大きく開けたのだ。次に起こることは二つ三つ予測できるが、どれも口内にいる僕らにとってろくなことではあるまい。

「耳を塞いでろ!」

 確率の高そうなやつを予期して言い、僕はメデューサを抱きかかえ、そのまま空中へ飛び出した。刹那ののち

【ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!】

 頭を、体を突き抜ける轟音。体勢をぐらつかせながらも、なんとか魔龍の体に剣を突き立て、落下速度を弱める。

「頭が割れるような大音声ですね!」

 耳を塞いでいてもダメだったか、メデューサが怒鳴る。そうでもしないと自分の声すら聞こえないのだろう。事実、その声も僕には遠くからの呼び声のようにかすかに聞こえるのみだ。

「威勢のいい宣戦布告だなぁ、ええ?」

 そうだ、こうでなくては。僕が求めるのは、これだ。

「タケル、さん・・・・?」

 メデューサが僕を見て何か言ったが、さっぱり聞こえん。ただひどく怯えた顔をしている。

 何を怯えることがある? 楽しいのはここからだ。己の命を賭け金にして、己の全てを賭して、相手の命を喰いに行く。

 恐れるな。怯えるな。立ち止まるな。道は前にしかないのだ。

 ぎょろり、と魔龍の目が下にいる僕たちを見下ろした。相手にとっては蚊が止まっているような不快感があったのだろうか。太い腕を、それこそ虫を追い払うように振るう。大気を押しのけながら、圧倒的な質量が迫る。さすがにあれをぶった切るわけにはいかない。

 反動をつけて剣を引き抜き、斜め下へ飛ぶ。髪の先を魔龍の腕の後追いでついてきた風が撫でた。直角の壁を走る。確か、ゲームが元になったゾンビ映画の二作目に、ビルから走りながら降りるこういうシーンがあった。命綱有る無しの違いだ。同じ人体の構造をしているなら僕にもできるはずだ。そうだろう?

「ひぐっ・・・!」

 メデューサが目と口をグッと堅く閉じた。

「くくくかかかああはっははははははは!」

 ああ、やばい。血が滾る。これからあれに挑むと思うと、楽しくて、楽しくって

「狂ってしまいそうだっ・・・・・・!」

 駆け下り、途中で強く蹴る。真横に飛んだところでそこまで迫っていた建物の屋上に転がりながら着地、ザリザリとスニーカーの靴底を削りながら、止まった。

「無事か?」

 抱えたメデューサを立たせる。最初は足腰に力が入っていないようだったが、大丈夫です、とふらつきながらも自分の足で立った。そうだよ。魔龍の力なんぞかりなくても、お前なら自分の力で立ち上がれるだろうさ。

「さっき言いかけた、僕らの策なんだけど」

「はい」

 魔龍を見上げながら、僕は言う。

「大したもんじゃないんだ。これまで幾重もの策を巡らしてきたメデューサ様々に聞かせるには、あまりにもお粗末な策なんだ」

 僕の隣に、クシナダが空から降りたった。隣の屋上にはアンドロメダと体格のいい髭面の男、おそらくあれがヘルメスだろう。他にも周りから次々と、戦意溢れる人たちが現れた。

「是非とも、聞きたいです。あの魔龍を滅ぼしうる、その策を」

 問うのなら、応えよう。

「やることはシンプルだ。持ちうる全て、力、人、道具、ありとあらゆるものを持って、魔龍に叩きつけ、叩き潰す」

 剣を魔龍に突き付ける。相手もこちらを睨み返してきた。

「真っ向勝負だ」

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