第23話 初めての姉妹喧嘩

【愚かですね】

 森を抜け、街を見下ろせる場所まで近づいたアンドロメダ一行全員の頭の中に声が響いた。ヘルメスが手で合図を送り、行軍を止めて警戒するよう指示を出す。

「メデューサ?」

 耳を押さえながら、アンドロメダは周囲に目をやる。

【探してもそこには居ないのでご安心ください。そもそも、今の私はあなた方が潜んでいた森ですら姿を隠すことが出来ないほどなのですから】

「そうよね。大きくなれ、大きくなれと願いながら育てたけど、あんなに大きくなるとは思わなかったわ」

【冗談を言いに戻って来たのではないでしょう? もう魔龍は復活したのです。とっとと逃げればいいものを】

「そういう訳にはいかないわ。大事な妹を置き去りにして、私だけが逃げることなんてできない」

【その考えが愚かだと言ったのですよ。私こそが魔龍。いわば、倒されるべき存在なのです。倒せるものがいれば、の話ですがね】

「倒すわ」

 アンドロメダはきっぱりと断言した。

「ここにいるみんなで、魔龍を倒す。皆と街を守って、そして、あなたをそこから引きはがして拳骨付きの説教をくらわせるわ。覚悟していなさい」

【・・・ふう。これ以上、何を言っても無駄の様ですね。どうしてそこまでこんな街とそこに住む連中に肩入れするのか、理解に苦しみます。誰も彼も、私たちを裏切ったというのに】

「そんなことないわ。見て。ここにいるみんな、私たちのことを覚えていてくれた。誰もアテナや、私たち一族のやってきたことを忘れてなんかなかった。あなたのために声を上げてくれる人が、行動を起こしてくれる人がここにいるの」

 これで心が揺らいでくれれば、とアンドロメダは祈った。契約を結ぶというのは成立してしまえば相手が魔龍であろうが絶対に厳守されるもの。しかしその代り、互いの契約内容に齟齬が現れた場合解除できる。この場合の契約内容は、メデューサ、ひいては彼女の一族がやってきたことを認めてくれる人が一人もいなければ、魔龍は彼女の体を奪うことはできない。つまり、契約として融合している状態の彼女と魔龍を分離することが出来るかもしれないということだ。

 ただし、この契約内容はあやふやではある。口先だけならば何とでもいえるというところを、魔龍はついてくる可能性があった。そこにいる全員が、極端な話アンドロメダに『脅されて』言わされているかもしれないからだ。

【本当でしょうか。彼らが本心から、そう思っていたなど、疑わしいですね】

 やはりというか、その部分をメデューサは突いてきた。そしてそれは、メデューサが契約を破棄したくないという意志の証明でもあった。どこか、まだ魔龍に操られているだけであってくれというアンドロメダの儚い願いは、ここに潰えた。

【まあ、それもはっきりさせましょう。姉さん】

「どうやって? 心を覗いて確認するとでもいうの?」

【そんなことをしなくても、人は自分の命がかかっていれば、簡単に本音を吐くものですよ。そして、助かる為ならどんなことでもするものです】

 メデューサの話が終わるか終らないかのところで、アンドロメダたちに近付いてくる足音があった。それも一つや二つではない。軍勢だ。

 近づいてきたのは、魔龍に恐れをなして逃げ帰ったはずの兵士たちだった。先頭には、アクリシオスがいる。あの勇ましい姿はどこへやら、ずいぶんとやつれている。武器を構え、アンドロメダたちを取り囲む。アンドロメダを守るように、ヘルメス、クシナダが前に、左右を他の男衆が固めた。

「アンドロメダ! 前に出ろ!」

 アクリシオスが叫ぶ。

「私に何の用?」

「アンドロメダ様! 危険です!」

 前に出ようとする彼女をヘルメスが後ろ手に押し留める。

「勘違いするな。私たちは戦いに来たのではない。迎えに来たのだ」

「迎え? どういうつもり? 私は、わざわざあなたに迎えに来てもらえるような身分ではないけど」

「私ではなく、魔龍様が貴様を所望しているのだ」

 魔龍様、ですって? アンドロメダは形のいい眉をひそめた。

【簡単なことですよ。姉さん】

 再び、頭の中にメデューサの声が響いた。

【彼らに言ったのです。死にたくないなら、アンドロメダを生贄として差し出せ。そうすれば街は襲わないでおいてやる、と】

「メデューサ、あなた・・・っ」

【彼らは喜んで姉さんを捉え、差し出すでしょう。そして、あなたの周りにいる連中も】

「そう、上手くはいきませんぜ」

 同じくメデューサの声を聞いていたヘルメスが言い返す。

「儂らはもう、アンドロメダ様と共に戦い、死ぬ覚悟です」

【口だけならば、なんとでも言えるわ】

「ならば、行動で示してみせましょう。そして、アンドロメダ様と共に、あなたも救い出して見せますぞ」

【期待しないで、待ってるわ】

「アンドロメダ! 早く出て来い! こいつらを殺すぞ!」

 兵士たちが剣を、槍を、弓を構えて、突撃の体勢を取っている。彼らには、メデューサの声は聞こえなかったらしい。どうやら、メデューサは任意の相手に声を届けることが出来るようだ。

「貴様が大人しくついてくるのなら、こいつらの命は助けてやる。どうだ、悪い話じゃないだろう?」

 いかに優れた道具があるとはいえ、こちらが百に満たないのに対し、あちらは千を超える。戦いになれば敗北は必至だった。

「いけません、アンドロメダ様! こやつらの口車などに乗せられては」

 怒鳴ったのはヘルメスだ。

「だけど、ヘルメス。このままじゃ」

「ヘルメス? ヘルメスだと? あの臆病者のか?」

 アクリシオスが笑う。

「命惜しさに守るべき主を見殺しにした守備隊長ではないか。まさかこんなところで会うとはな。恥知らずにも、まだ生きていたのか。薄汚い、主人殺しの溝鼠めが」

「ご覧の通り、みじめったらしく生きておるよ。お前と同じだアクリシオス」

 にやりと挑発するようにヘルメスが言い返す。

「何だと! 私のどこが貴様と同じだというのだ!」

「同じも同じ、同類よ。命惜しさに魔龍に従うお前とな。何が魔龍様だ。つい先ほどまでその存在すら信じてなかったのに、現れたと見るや尻尾を振ってお使いか。儂が薄汚い溝鼠なら、お前はびくびくと怯えながらご主人様の顔色を窺う、犬っころよ」

「貴様、言わせておけば!」

 アクリシオスが抜刀する。合図が近いと兵たちが武器を握る手に力を込め、アンドロメダを渡すものかと彼女を囲むヘルメスたちが衝突に備えて身構える。

「待ちなさい!」

 両軍の衝突を、アンドロメダが文字通り体と大声を割り込ませて止めた。

「その申し出、受けるわ。私を魔龍のもとまで案内しなさい」

「アンドロメダ様!」

 引き留めようとするヘルメスの手を軽く押さえて「大丈夫」と言った。

「クシナダ、後のことはお願い」

「わかったわ。気を付けて」

 頷きを返して、アンドロメダはアクリシオスの前まで歩く。

「約束通り来たわ。そちらも約束を守ってもらう」

「偉そうに。自分たちが置かれている状況を分かっていないのか?」

「そっちこそ、周りが良く見えていないようね。あそこにいるクシナダが見えないの? この距離なら、あなたの眉間に穴をあけることだって可能なの。その覚悟があるならどうぞお好きに」

 応えるように、クシナダは少し大仰に弓を構えた。ぴたりと狙いをアクリシオスに定める。死の恐怖を感じてアクリシオスが怯む。

「あなたの部下にも言っておきなさい。先ほど彼女に挑んだ者の末路をお忘れか、と」

「くっ」

 悔しそうに歯噛みしながらも、アクリシオスは引き下がった。

「ついてこい」

 アクリシオスと十数名の兵士に囲まれる形で、アンドロメダは連れて行かれた。

 街は静まり返っていた。喧騒は過去のものとなり、いまは痛いほどの静寂が街に横たわる。

 向かった先は港だ。港には、他の兵や民たちが集まっていた。

「わざわざ出迎えてくれるとは、ありがたい話ね」

「喧しい、黙って歩け」

 せっつかれるように、桟橋の先まで連れて行かれた。

「魔龍様! お約束通り、アンドロメダを連れてまいりました!」

 アクリシオスが叫ぶと、水面に波紋が現れた。波紋は次第に大きくなり、遂には水面を突き破って、巨大な魔龍の頭が現れる。

【ご苦労様。下がって良いわ】

「は、ははっ」

 アクリシオスが頭を垂れ、そそくさと下がっていく。まるで暴君に怯える家臣だ。思わずアンドロメダは笑ってしまった。今までは、奴こそが家臣に傅かれる立場だったのに。

「ずいぶんと従順になったものね。あなたの躾が良かったからかしら」

【ええ。そうですね。始めからあれくらい殊勝な態度であるなら、誰も不幸にはならなかったでしょうけど】

 魔龍もつられたように笑う。

「で? 生贄にするつもりらしいけど、どうするつもり?」

【もちろん、決まっています。古より、生贄の運命など】

 すわわ、と再び水面が荒れ、巨大な腕が現れた。腕はアンドロメダに向かって伸び、器用に彼女をつまみ上げた。

【怪物に喰われる結末です】

 巨大な口を、これでもかと大きく開けた。その真上に、アンドロメダを吊し上げる。

「腹を下しても知らないからね」

 奈落のように真っ黒な、魔龍の口の中を見下ろして、アンドロメダは言った。

【減らず口も、それまでです】

 ぱ、とアンドロメダを吊るしていた手が離される。当然の如く、重力に引かれてアンドロメダは落ちる。

 バクンッ


 落下する彼女の体に対して、不釣り合いなほど大きな魔龍のアギトが閉じた。

 魔龍は、しばし上を向いた状態から動かなかった。まるで食事の余韻を堪能しているかのようだった。

「ま、魔龍様」

 おっかなびっくり、アクリシオスが進み出た。今しがた、簡単に人を吞み込んだ魔龍に、簡単に自分の命も奪われるのだ、と再認識したためだ。出来るだけ早く言質を取って、この場から逃げ去りたい。アクリシオスの心中はそればかりが占めていた。自分たちの街を守る為に生贄となった少女のことなど、欠片も頭になかった。

 いい気分のところを邪魔された魔龍は、ゆっくりと、その恐ろしい顔をアクリシオスへ向ける。

「約束は守りました。これで、私の命は見逃していただけますね?」

 それを聞いた魔龍は、思案するように首を捻った。

【そうですね。じゃあ、こうしましょう。あなたがこれまで、同じようにあなたに向かって命乞いをした人を助けたことが一度でもあるなら、私はあなたの命も、街も、奪わないと誓いましょう】

「そっ・・・れ、は・・・」

 アクリシオスが詰まった。魔龍は笑う。

【そうですね。あるはずがないのです。私たちやヘルメスのように逃げ出した者以外は、全員殺されていますからね。あなたに】

「ち、違」

【何が違うというのでしょう?】

「あれは、あいつらが、あいつらが悪かったのです。王たるこの俺に刃向うから。意見するから。俺は王として、正しい判断を下したのです」

【なるほど、そうでしたか】

「そう、そうなのです」

 魔龍が自分の意見を肯定したため、アクリシオスは安堵した。

【ならば、私も魔龍として、魔龍らしい正しい行動を示しましょうか】

「・・・は?」

 アクリシオスが凍りつく。

 魔龍は徐々に陸へと近づき、巨大な手をついた。大地に悲鳴を上げさせながら、その巨体を陸へ押し上げる。ずずん、と腹の底に響く重低音。たったそれだけの動作で、触れた船や桟橋は破損し、その場で局地的な地震が起こったように揺れる。

「そんな、魔龍様! 魔りゅ・・・」

 アクリシオスの悲鳴が唐突に消えた。魔龍が崩した岸壁と一緒に海へと投げ出されたのだ。

【あははははは! 魔龍の言う事を本気で信じてどうするというのですかアクリシオス!】

 高らかに笑い声を上げながら、魔龍は街を蹂躙していく。


「街が・・・王が・・・」

 クシナダたちを取り囲んでいた兵士たちが、崩壊していく街の様子を見て一人、また一人と、足から力が抜け、蹲っていく。

「クシナダさん」

「ええ、良くは無いけど、予定通りですね」

 ヘルメスとクシナダの会話が、くずおれた兵士たちの顔を上げさせた。

「予定、通り・・・」

 一番手前にいた兵士が、彼女らに向かって問う。

「そうよ。私たちの誰も、諦めてはいないわ」

 クシナダは、アンドロメダと別れ際に話し合った策を彼らに伝える。


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「多分、私はあの子に喰われるわ」

 クシナダに向かって、アンドロメダは言った。

「魔龍はまだ復活したばかり。いくらあの子の魔力が高くても、完全に力を取り戻しているわけじゃないわ。私を生贄として要求してきたのは、その不足分を私で補う為よ」

「ならなおのこと、行かせるわけには・・・」

 いいえ、とアンドロメダは首を振った。

「そこが好機になる。私は魔龍の体内へもぐり、心臓を目指す。そこにあの子がいるはず」

「メデューサちゃんが?」

 クシナダの中で理解の不一致が起こる。魔龍こそがメデューサ、という訳ではなかったのか?

「今現在の時点では違うわ。今あそこには、魔龍の肉体と、それを動かしているメデューサという心臓がいる状態なの。船と船頭みたいなものね。もちろんこのまま放っておけば一体化するでしょうけど」

「では、完全に一体となる前に、彼女を魔龍から引き離すことが出来れば」

「もしかしたら、倒せるかもしれない」

 倒せなくても、弱体化させることはできるかもしれない、アンドロメダはそう答えた。

「しかし、危険ですよ。丸呑みにされるとも限りませんし、よしんば入れたとしても、あの魔龍の中なのですよ?」

 洞窟内で魔龍の残した瘴気を浴びて、ふらふらになっていたのを思い出す。

「そこは、念入りに薬を塗っておくしかないわ。人事は尽くした。後は、魔女アテナの加護があることを祈るのみよ」


「そして今、魔龍の腹の中でアンドロメダさんは心臓に向かっている。私たちの役目は、魔龍を食い止めることよ」

 兵士たちに聞こえるように、クシナダは声を張った。

「さあ、あなた達はどうする? 共に挑む? 逃げても良い。それも賢い選択よ。勝てるとも限らないのだから。一番まずいのは打ちひしがれてここで呆然としていること。巻き込まれても知らないからね」

 それだけ言って、クシナダは進む。ヘルメスや他のみんなも後に続いた。後には、兵士たちが残った。従うべき王を失い、そして今、住処を失おうとしていた。


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「では、皆。手はず通りに」

 街に入って、ヘルメスが指示を出す。各々が配置につくために散っていく。

「私も行きます」

 クシナダが風に乗る。空を飛べる彼女の役目は斥候であり、囮であり、攻撃の要であり、アンドロメダの救出と、四役を果たすことになる。

「クシナダさん。アンドロメダ様をお願い致します」

「そちらも、どうかお気を付けて」

 上昇気流を巻き起こし、空へと舞い上がる。それを見届けて、ヘルメスも自分の持ち場へ向かった。

「さて、と・・・・?」

 真上から戦場を俯瞰した彼女は、何かを見つけた。最初なんだかわからなかった。そこに在るとは思わなかったからだ。しかし、目をこすり、二度見する。

 正体が判明した。

「間違いないっ・・・!」




「意外に明るいのね」

 魔龍の体内で、ひとり呟く。真っ暗闇だと思い込んでいたので、いくつか火種とそれに類する魔術媒体を持ち込んでいた。

 予想に反して、魔龍の体内は明るい、とまではいかないが、辺りを見渡せる程度の光量があった。

【魔龍の体内に入って言う事がそれですか?】

 どこか呆れたような声が響いた。

【豪胆というかなんというか。もっと他にも言うことがあるでしょう?】

「あら、視界が利くってのは大事よ」

【まあ、そうでしょうね。明かり代わりの火が、全て攻撃に使えるわけですものね】

「・・・見抜いていたの?」

【戦いに来ていることを、ですか? さすがにわかりますよ。姉さんが食べられたのに、クシナダさんはおろか、ヘルメスすら動揺せずにこっちに向かっているのですから。それに、自分の身を犠牲にして街の人々を救う、なんて殊勝な女じゃないでしょう? 私の知る姉さんならば】

「あなたが一体どういう目で私を見ていたのか、一度問いただす必要がありそうね」

 懐から、銀の鎖の先に水晶のついた『ペンデュラム』を取り出す。魔力を通すと、ペンデュラムはゆらゆらと揺れ始め、やがてある一点を指し示したまま動かなくなった。失せ物探しの術だ。指し示す方向に、彼女が探しているもの、メデューサがいる。

 導きのまま、食道というにはあまりに大きすぎる中をただ前へ進む。進めなくなれば、短刀を壁に突き立て、強引に道を作る。そのたびに粘液や血液を浴び、彼女の体はドロドロになっていった。悪臭とまとわりつく不快感に顔をしかめながら、服の裾を絞る。薬の効果がなくなれば一瞬で死に至るであろう、そんな中、彼女の口からついて出たのは

「気持ち悪いぃ。帰ったらまず風呂ね、風呂」

 気を取り直して、ざくり、とまた壁側に切れ目を入れる。

【流石ですね。最短距離を選んできている。姉さん、昔からものを探すの得意でしたものね】

「あなたがすぐに物を無くし過ぎなのよ。そのくせ無くしたらひどく泣くから、私が探してあげてたの」

 懐かしい思い出話に花を咲かせながら、姉妹の距離は近づく。今度は再会を喜び、抱き合う為ではない。

 最後の壁を潜り抜けた先は、少し広めの空間だった。足元が、ゆっくりとだが上下している。ここが心臓部だろう。

「ようこそ。魔龍の中心部へ」

 中央に、真っ赤なドレスを着たメデューサがいた。

「待たせたわね」

 右手に短刀を、左手の五指に魔術媒体を挟んで構える。

「メデューサ。これが最後よ。魔龍との契約を解きなさい」

「嫌だ、と言ったら?」

「あなたを、殺す」

 短刀の切っ先を、最愛の妹へ向ける。

「あはっはっはははっ! 殺す? 姉さん、せめて足の震えを止めてからお言いくださいなっ!」

「そっちこそ、余裕を見せていられるのも今の内よ。・・・で、どうなの? いつもみたいに素直に言う事を聞いてくれると、姉さん嬉しいんだけど」

「そう、ですね」

 おとがいに指を当てて、可愛らしく悩む。

「ごめんなさい。姉さんの言う事を聞くことはできません」

「・・・ふう、初めてね。あなたがそんなこと言うのは。これが反抗期という奴かしら。できれば、これからもこうやって、言い合いしたり、時に喧嘩したりしたかったのだけど」

「出来ますよ。姉さんが私と魔龍と、一つになってくれさえすれば。この中で永遠に」

「お断りよ。あなたはともかく、魔龍と一つになるなんて。吐き気がするわ」

「見解の相違ですね。これほど万能感に満ちて最高の気分になれるのに」

 言葉が途切れる。

 先に動いたのはアンドロメダだ。媒体を一つ、メデューサに向かって投げつける。対してメデューサは手を中空にかざす。そこにうっすらと半透明の膜が現れた。

「『渦炎』」

 アンドロメダの言葉に合わせて、媒体が炸裂、激しい炎が顕現する。それは天井部まで達し、壁面を焦がす。熱さに驚いたか痛みを感じたか、魔龍が身を少しよじる。しかし、膜に覆われたメデューサは、無傷。完全に炎を遮っていた。

 アンドロメダも、この一撃で上手くいくとは思っていなかった。媒体を薙げた次の瞬間にはその場から移動し、側面へ回り込んでいる。その場に媒体を一つ落とす。もう一つをメデューサの真上に投げる。最初の炎は目くらまし、本命の一矢はまだ放たない。

「『業雷』」

 その言葉に反応したのは、真上に投げた媒体だ。激しい閃光を放ち、下へと雷が走る。轟音を響かせて直撃した。だが

「・・・・・いない!?」

 そこにいたはずのメデューサが姿を消していた。

「後ろです。姉さん」

 声にたいして振り返らず、横っ飛びに逃げる。アンドロメダの髪の先が、鋭利な刃物で切り取られたかのように落ちた。それだけにとどまらず、見えない刃は壁を大きく削り取った。

「『刃風』、呪文も媒体も無しでこれなのっ?!」

「当然です。今の私ならば造作もない」

 メデューサが二度、三度と腕を振るう。そのたびに躱しきれないアンドロメダの腕や足に裂傷が生れ、壁に切り傷が刻まれていく。

「自分まで傷つけて大丈夫なのっ?!」

 息を切らせながら逃げ回るアンドロメダが叫ぶ。

「ご心配なく。この程度で死ぬようなやわな体はしてません。最初の傷なんか、すでに治ってますよ?」

「病弱だったくせに、元気になったものね!」

「もう風邪で寝込むこともありません。そっちは、そうもいかないようですが」

 いつの間にか、アンドロメダは壁際に追い込まれていた。メデューサは適当に魔術を使っていたわけではない。一手一手計算し、この状況を創り上げた。

「もう逃げられませんよ」

 勝利を確信したメデューサが、一歩、また一歩と近づく。姉妹の距離が狭まる。

「くっ・・・」

 左右に視線をやるも、逃げ場がない。

「姉さん。私からも最後の宣告です。私と魔龍と、一つになりましょう。そうすれば、もう苦しむことはなくなる」

「言ったはずよ。あなたとならともかく、魔龍とは絶対嫌だって」

「そうですか。残念です」

 メデューサが目を細める。

「さようなら。姉さん」

 腕を振り上げ

「?!」

 突如、足元からツタが伸び、メデューサの体を巻き取った。絡めたまま成長を続け、ツタは撚りあい、やがて一本の大木となった。メデューサはまるではりつけにされたように、絡まって囚われている。

「これは『樹縛』? いつの間に」

「『業雷』の前よ。先に仕掛けておいたの」

「そう、か・・・。参りました。まさか姉さんに読み負けるとは」

「あんまり姉を馬鹿にしないことね。そりゃ、確かにあなたのほうが賢いけどさ」

 頭を使う遊びは敵わなかったしね、とアンドロメダは笑った。

「メデューサ。契約を解く気は」

「くどいわ。姉さん」

 いくばくか、怒気を孕んだ声でメデューサは姉の声を遮った。

「私と魔龍の契約を解きたければ、私を殺すしかないの。そして、今これが、姉さんにとって私と魔龍を殺す最後の機会よ」

 メデューサを封じているツタが、徐々に枯れ始めている。もう少しすれば、自由を取り戻してしまうだろう。そうなれば打つ手はなくなる。

 アンドロメダは覚悟を決めて、懐から媒体を取り出した。

「安心して、あなた一人で死なせない。私も共に死ぬわ」

「まさか、それは、その魔術は!」

 メデューサが初めて動揺した。先ほどまでアンドロメダが使っていたものより二回りも大きく、それ自体も強い魔力を有している。

「そう。アテナが残した禁術の一つ。術者の力量に応じて範囲内が広がり、その中にある全てを消滅させる魔術」

「『終淵』・・・」

「あなたほど強い魔力を持ってはいないけど、この特別性の媒体があれば、私とあなたと、魔龍の一部くらいなら巻き込めるわ」

「待って! 止めて!」

 ツタの隙間から懸命に腕を伸ばす。

「嫌よ。さっき私の言う事を聞かなかったお返し。私もあなたの言う事を聞いてあげない」

 アンドロメダが媒体に魔力を込める。反応して、媒体が『開花』する。花弁の一枚一枚にアンドロメダの血によって呪言がびっしりと書き込まれている。黒ずんだその文字が、再び血の色を取り戻していく。

「姉妹喧嘩の続きは、あの世でしましょうか」

「姉さん!」

「はい、そこでストップ」

 第三者の声が姉妹の間に割り込んだ。途中まで進んでいた術は止まり、媒体も初期状態へと戻る。

「悪いが、姉妹揃って消滅、魔龍も消滅、そんなくそ面白くもない展開、僕は望んでないんだよね。あんたらにも言ったはず。僕は魔龍と戦いに来たんだ。なのに、僕の知らないところで決着がついてしまうのは困る。非常に困るんだ」

「あなた、あそこからどうやって」

 メデューサが今度は驚きの声を上げた。彼女が仕掛けた封印は完璧だったはずだ。たとえ魔龍の力であろうとも、あの封印を施した壁は破れないと踏んでいた。

「本気で閉じ込めるつもりなら、今度から天井を海にすべきではないね。確かに普通の人間なら水圧とか呼吸とか、そういう問題でくたばるから逃げられないんだろうけど。あいにく化け物の一種になってしまった僕は、その程度では死ねないんだ」

 勉強になったかい? と須佐野尊は肩を竦めておどけてみせた。

「遅れてしまって申し訳ない。こっからは、僕も参戦する」

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