第22話 受け継がれるもの、守りたいもの
クシナダは選択を迫られていた。
目の前には魔龍、下には放心したようにそれを見つめるアンドロメダがいた。メデューサは既に、姉だからと手心を加えるつもりはない。そもそもあの巨体だ。あっちにその気がなくても少し身震いするだけで簡単に押し潰してしまうだろう。
取れる手としては、自分が攻撃を加えて、相手の気を引き、この場から遠ざける。または、アンドロメダを連れて一旦引く。
幸い、というのもおかしな話だが、魔龍はクシナダやアンドロメダを歯牙にもかけず、海の方へ向かっている。一旦海に出て、そのまま一直線に港へ押し寄せるつもりだろうか。
「姉ちゃん!」
迷うクシナダの耳に、あの悪ガキの声が届いた。見れば、座り込んだアンドロメダの服を引き、必死で立ち上がらせようとしている。
その二人に向かって、進行方向を変えた魔龍の尾が迫る。選択肢は一択となった。
「手を伸ばして!」
急降下しながら、二人に向かって手を伸ばす。降りてくるクシナダに気付いた悪ガキも、彼女に向かって手を伸ばす。だが、アンドロメダの方は、項垂れたまま、クシナダの呼びかけに応じない。
「姉ちゃん、手!」
ぐぎぎ、と悪ガキがアンドロメダの腕を上げさせる。その手とそれを支える手を、クシナダはまとめて掴み、引き上げる。真下を長い尾が風を切って通り過ぎた。あれに巻き込まれたらただじゃすまない。上昇し、魔龍と街を両方見渡せる高さまで到達する。
「ひょわあああああっ!」
悪ガキが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「無事だったのね?」
腕を二人の腰に回して、抱きかかえるようにしてクシナダは飛ぶ。
「お、おう。何とか。ていうか、どうなってんの? 俺が気を失ってた間に何があったの?」
「魔龍が復活したわ。というよりも、復活していたというか・・・」
「何だよそれ。訳わかんねえよ。馬鹿な俺にもわかるように言ってくれよ。・・・メデューサ、メデューサは!? あいつどこ行ったんだよ」
すぐには答えられなかった。腕の中で、アンドロメダがビクリと反応する。
「・・・そのことも含めて、全部話します。どこか落ち着いて話せる、安全な場所はありますか? 彼女も休ませないと」
アンドロメダの方を見ながら答える。
「それなら、このまま西に行ってくれ。そこの森の中に、俺たちスラムに住んでた連中が避難してるんだ」
避難している? 街の人間はみなアクリシオスに呼び出されたのではなかったのか?
「メデューサの指示だ。最悪の事態に備えて、スラムの人間は全員逃がしておけって」
メデューサが? クシナダは眉根を寄せて思案する。民に選択させるなら、その彼らも加えておくべきではなかったのか。メデューサの行動に違和感を覚えながらも、クシナダは悪ガキの提案に従って西へ飛ぶ。
しばらく飛んでいると、森の中から煙が上がっているのを見つけた。
「あそこだ!」
悪ガキの指差す方向へ、クシナダは降下していく。近づくにつれて、木々の間からちらほらと人影が現れる。
「おお、見ろ! 空から人が」
「あれはダナエさんとこのやんちゃ坊主ではないか」
「もしやあの方は・・・」
地面に近付くにつれて、わらわらと人が集まってくる。おおよそ百人ほどだろうか。老いも若きも様々だが、共通しているのは全員が粗末なぼろを着ているということだ。
「坊主、無事だったのか!」
着地したクシナダの腕から飛び降りた悪ガキに、大柄な髭面の男が声をかけた。
「ヘルメスのおっちゃん!」
悪ガキがヘルメスと呼ばれた男に飛びつく。
「坊主、この方たちは? それに、こちらの方は、まさか」
「そう、アンドロメダ姉ちゃんだ!」
アンドロメダの名を聞いた周囲の人々が、おお、ともああ、ともつかない喜びと安堵の声を発した。
「よくぞご無事で」
「生きていらっしゃったのだな」
恭しく、人々は彼女に首を垂れる。
「あ、あなた達は」
弱々しく尋ねるアンドロメダに「覚えておられませんか」とヘルメスは言う。
「昔、あなたのお父上に世話になったものです。そうそう、幼いころのあなたを肩車して差し上げたこともあるのですが」
「え・・・、まさか、守備隊長のヘルメス?」
そうです、とヘルメスがにこやかに頷いた。彼女の記憶にある、精悍で、城一番の怪力を誇ったヘルメスと目の前のやつれた男とが全く結びつかなかった。
「あなたほどの人が、何故こんなところに」
「あなたと同じです。あの王によって地位をはく奪され、あまつさえ殺されそうになりました。その前に、家族ともども逃げ出したのです」
私だけではございません。とヘルメスは手を広げる。
「コックのアルゴや、乳母のダナもいます」
ヘルメスの横で、禿頭の男とふっくらした目の細い女性が頭を下げた。他にも、身なりは違えどアンドロメダの家族と親しかった人々がいた。
「みんな、無事だったのね。良かった」
アンドロメダは、彼らが死んだものと思っていた。彼女らの家族に近しかったものたちは、全員おかしな術をかけられて狂っている、などという理不尽極まりない烙印を押され、処刑されていったからだ。
「ええ。こうしてしぶとく生き残っておりました。アンドロメダ様こそ、ご無事で何よりです。しかし・・・」
ヘルメスは一旦言葉を区切った。
「一体どうされたのですか。そんなに憔悴なさって。メデューサ様は一緒ではないのですか?」
「そう、そうだよ。俺もそれが気になってたんだよ」
人々の視線がアンドロメダに向く。それは、と言ったきり、アンドロメダも口ごもり、俯く。まだ気持ちの整理が出来ていないようだ。
「私が説明します」
クシナダが彼らの前に立った。
「あなたは?」
「私は、クシナダと申します。本当はもう一人いるのですが、訳合って別行動を取っています。ここに来たのは、この地に封印された魔龍を倒すためだったのですが」
クシナダは、これまで起こったことを彼らに話す。王が封印を破ったことから、メデューサが魔龍となった経緯まで。
「嘘だろ。メデューサが魔龍だったなんて、そんなの嘘だよな・・・」
愕然とした悪ガキが、アンドロメダに縋り付く。ゆすっても、彼女から答えは返ってこない。彼女もまた、唇を噛み締めるだけだ。
「何でだよ、昨日まで一緒に飯食ってたじゃん。あの時からすでに、魔龍だったってのかよ」
「いえ、メデューサちゃんではあったのです。ただおそらく、そのころからすでに魔龍復活を考えていたと思います」
「どうしてだよ! だって、メデューサは、俺たちをここに逃がしたんだぜ! 魔龍になって街滅ぼすのが目的なら、なんでそんなことすんだよ!」
「理由は分かりません。けれど、分かっていることは、彼女が魔龍となり、街を破壊しに向かったということだけです」
信じらんねえ、信じらんねえと悪ガキは何度もうわごとのように呟く。対して、彼以上にメデューサに思い入れのありそうなヘルメスたちは黙ったままだ。
「アンドロメダ様」
やがて、ヘルメスが口を開いた。呼ばれたアンドロメダが顔を上げる。
「あなたはどうなされるおつもりですか?」
「どう、とは」
「メデューサ様、いえ、魔龍をどうするか、です」
それは、とアンドロメダは口ごもった。
「儂は、もう放っておいて、ここから逃げても良いと思うのですが」
予想だにしないことを言われたらしく、アンドロメダが目を丸くしてヘルメスの顔をまじまじと見つめる。
「クシナダさんの話を聞いていて、メデューサ様がああなってしまったのも致し方のないことだと思っています。アクリシオスは酷過ぎた。誰も彼女を責められません」
「しかし、街の人々は、あなた達の家だって・・・」
「私たちのことも、街の人間のことも、この際置いておきましょう。今はあなたのことです」
アンドロメダの目の前に手のひらを出して、遮る。逆に考えれば、とヘルメスは続けた。
「魔龍となったメデューサ様は、ある意味で最も安全だといえましょう。ならばあとは、あなただけなのです。魔龍は復活してしまったのだから、あなたにはもう、守るべき使命はありません。縛るものは何もないのです。自由なのです」
「自由・・・」
「そうです。何をしても良い。今まで苦しかったことを全て捨てて、新しい人生を歩いても良い。許されるはずです。あなたなら」
全てを捨てて、新しい人生を生きる。アンドロメダが口の中でその言葉を反芻する。ひどく魅力的な話に聞こえた。新しい選択肢、新しい道、新しい生き方。隣にいるクシナダたちのように、かつてのアテナのように、この世界を巡る旅。
「楽しそうね、それも」
「・・・では」
「けど、うん。やはり駄目ね」
自分の隣にある空白を見つめる。
「さっきまでずっと考えていたの。これからどうしようかって。でも、いまヘルメスが言われて、自由に生きるということを考えてみた。そしたら、やっぱり足りないの」
見つめていた空間に手を伸ばす。
「ここにいた、あの子のことを、どうしても考えてしまう。今までずっと一緒だったから。そばにいないと落ち着かないのよ」
ふ、と過去を思い出して、微笑む。
「それに、あの子がこのまま街を破壊して、ヘルメスや、皆に憎まれている、恐れられているというのは、どうも我慢できない。あの子に魔龍なんて似合わないわ」
すっと、立ち上がる。迷いは消えた。
「あの子を助けに行く。憎しみに囚われているのなら、そこから解放する」
クシナダ、と声をかけた。
「良いのですね。最悪・・・」
「分かってる」
魔龍から解放するということは、メデューサを殺すことになるかもしれないということだ。さきほどはメデューサのことに加えて、アンドロメダのことを慮って射なかった。
「私は、覚悟を決めた。あなたも遠慮しなくていい。ううん、あなたの力が必要なの。ついてきてくれる?」
「あなたが覚悟を決めたというなら、私がどうこう言うのは筋違いというものでしょう。それに、タケルも言っていたと思いますが、私たちの目的は、魔龍を倒す事なんです」
言われなくても、行きますよ。そう力強く応えるクシナダが頼もしい。有難う、と返して、今度はヘルメスたちに向き直った。
「私たちは、これから魔龍と最終決戦に向かうわ。どこまで被害が広がるかわからない。あなた達はここから早く逃げなさい」
そう言い残して、アンドロメダは踵を返した。その背にヘルメスが声をかけた。
「お待ちください」
「・・・ヘルメス?」
「どうして、あなた達だけを行かせることが出来ましょうか。儂らも行きます」
アンドロメダは目と耳を疑った。
「ちょ、馬鹿なこと言わないで! 遊びに行くんじゃないのよ!?」
「重々承知。そして、そんな危険なところへ行こうとするアンドロメダ様を放っておけるわけないでしょう。儂も共に戦います」
「私も!」「俺もだ!」と次々と声が上がる。どうして、と絶句するアンドロメダに対して、ヘルメスは言う。
「アンドロメダ様。儂らが生き残れたのは、あなたのお父上のおかげなのです。あの方は自分の命に危機が迫っているというのに、儂らに逃げるように便宜を図ってくれたのです。儂らはあの方と共に居たかった。一緒に最後まで戦いたかった。けれど、叱られました。命を捨てるのはここではない、と。あの時は何故、と思いました。役に立てなかったことが悔しかった。口惜しかった。守備隊長などと偉そうな肩書を持ちながら、守るべき方々を守れなかったのですから。それでも生きて、生き延びてきたのは、今日この日の為だったのです。今度こそ、儂はあなたを、あなた達を守ります」
「気持ちは、ありがたい。本当に嬉しいわ。けれど、何も用意も無しに魔龍に挑むなんて、ただの無謀だわ。死ぬだけよ」
「アンドロメダ様。侮ってもらっちゃ困ります」
ヘルメスの合図とともに、その場に居た男衆が森の中に入り、すぐさま大荷物を抱えて戻ってきた。どさどさとその場に置いていく。
「ずっと準備だけはしておいたのです。いつか、あなた達が立ち上がり、王を打倒するときに共に戦うために」
「ヘルメスのおっちゃんがリーダーで、色々やってたんだぜ。その一つが、いずれ自分たちの主となる、姉ちゃんたちの住処を今まで守ることだったんだよ」
「余計なことは言わんでいい」
わがことのように自慢する悪ガキの口を塞ぐ。
「儂らの仲間には、奥方様から魔女の治療薬の作り方を教えてもらった者がおりましてな。他にも、役に立つ道具をお父上の指示で持ち出し、隠しておいたのを用意しておきました。必ず役に立ちます」
まるで、この時のために取っておいたような道具がずらりと揃っていた。この治療薬なら傷にも、瘴気にも効果がある。また、揃えられたどの道具にも魔術が込められていて、魔龍にも効果がありそうだ。
「今こそ、大恩に報いる時。儂らは全員死ぬ覚悟で戦います」
彼らの顔を、アンドロメダは見渡した。彼らの意志を曲げることは無理だ、そう諦めざるを得なかった。そして同時に、嬉しかった。私たちのことを、こんなに思ってくれている人たちがいる。是が非でも、メデューサのもとへ行かなくてはならなくなった。
あなたの出した答えは間違いだった。こんなにも、私たちのことを考えてくれていた人たちがいる。父や母の思いを受け継いでくれていた人たちがいる。そのことを伝えなくてはならない。
少し潤んだ目元をぬぐい、決然とした表情で、アンドロメダは彼らの前に立つ。
「みんなの気持ち、受け取ったわ。けれど、死んでは駄目よ。必ず生き残りなさい。そしてもう一度ここに戻ってきて、皆でご飯を食べましょう」
「それは、アンドロメダ様が直々に腕を振るわれるということですか?」
「そうよ」
「・・・大丈夫ですか?」
初めて、ヘルメスの顔が曇った。他の面々も、なぜか不安そうな顔をする。元コックのアルゴが彼らの不安を代弁するかのように口を開いた。
「以前、奥方様が私らを労いたいから、と料理を作ってくれたことがありまして。それが、元気になる魔女の秘薬などを大量に入れたらしく、その、何とも形容しがたいというか、ものすごいものが出来上がったのです。で、我らに振る舞っていただいたのですが」
それ以上口をきけなかった。だが、言いたいことは痛いほど伝わった。士気がみるみる下がっていく。
「だ、大丈夫にきまってるでしょ! これまで私がご飯作ってたのよ!?」
「でも、姉ちゃん。クシナダ姉ちゃんたちにえらいもん飲ませてたよな」
「ああ、あれはまずかったですねえ」
必死で言い繕うアンドロメダに、悪ガキとクシナダが追い打ちをかけた。そこかしこから「やっぱり」「奥様も他は全て完璧だったのに」「遺伝してしまったのか」と残念そうな声が上がった。
「食べてから言いなさい! 絶対、おいしいって言わせてやるから!」
「がっはっは、ならば、是が非でも生きて戻らねば、ですな」
ヘルメスが、みんながそう言って笑う。戦いの前だというのに、死ぬかもしれないのに、生き生きとした表情で。怒っていたアンドロメダも、やがて笑顔になった。
少しの間全員で笑った後。さあて、とアンドロメダが声を発した。気持ちが切り替わり、全員の顔が真剣味を帯びた。
「私たちの街を、メデューサを、魔龍から解放する。お願い、みんな。力を貸して」
森の木々を震わせるほどの大音声が、彼女に応えた。
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