第20話 覚醒

 途中何度か激突しそうになったりしながら、クシナダとアンドロメダは地上へと飛び出した。

「あー! 死ぬかと思った!」

 心の底から出てきたアンドロメダの安堵の言葉が、彼女が受けた恐怖を物語っている。

「出口に兵士がいない。全員駆り出されたのかしら」

 どころか、街からも人の気配が感じられない。中心部であるはずなのに喧騒が聞こえてこない。

「街中の人間が、王のセレモニーに引っ張られていったようね」

 事態は最悪の方向へと向かっていた。

「メデューサを探しましょう」

 今度はアンドロメダ自ら、最も疑わしき、愛すべき妹の名を口にした。まだ戸惑いは見えるものの、成すべきことを成すしかないと覚悟を決めたようだ。

「そうですね。それではっきりします」

 すっと、再びクシナダはアンドロメダの背後に回り込んだ。

「く、クシナダ・・・? まさか」

 人は空飛ぶ鳥を羨ましがるが、実際飛んでみると実は恐ろしいことを知る。地に足がつかないというのは、人間にとって不安でしかないのだ。

「空からの方が速いので。我慢してください」

「いや、ちょっと心の準備をおおおおおおっ!」

 そんな暇もないとばかりに、クシナダは真上に飛んだ。

「探しながら、家の方に向かいますよ。ほら、しっかり探してください」

「無理、絶対無理! 無理だってえええぇぇぇぇっ!」

 強烈なGを体全身に浴びながら、二人は北へ向かう。上空から見ても、やはり人がいるようには見えない。

 街を通り過ぎて、砂浜に出る。

「あれは」

 何かに気付いたクシナダが、高度を落とす。砂浜は、まるで行軍でもあったかのように大量の足跡が残っていた。怯えていたアンドロメダも、この異変に、流石に目の色を変えた。足跡が向かう先は、彼女らの家だ。

「急ぎます」

 飛ぶスピードを上げるクシナダ。今度ばかりはアンドロメダも悲鳴を上げない。それ以上の問題が頭の中を駆け巡っているからだ。


 家に到着した彼女らを待ち構えていたのは、無残に焼け落ちた家屋だった。あまりのショックに、彼女たちはしばし茫然と立ちすくんだ。

「うそ、でしょ、メデューサ・・・」

 昨日まで、姉妹で仲良く暮らしていた家。皆で食事を囲んだ、幸せがあった場所と同じ場所だと認識できない。

「メデューサ!」

 叫びながら、瓦礫を掻き分け、踏み入る。クシナダも後に続いた。彼女らが最も早く見つけたい、この場にいてはいけない人物を探す。

 狭い家だったから、探すのにも時間はかからなかった。

「いません」

 クシナダの端的な一言が答えだ。最悪のケースでは、ここにメデューサの死体があることだった。まずはそれが避けられた。

「落ち着いて考えましょう」

 クシナダは慣れないセリフを使う。こういうのは、いつも落ち着いている彼の役目だった。だが彼は、自分たちを逃がすために囮になった。あの骨の龍に負けることはないだろうが、時間がかかるのも事実。今この場にいる自分たちで対処しなければならない。時間は待ってくれないのだから。

「ここにいない理由として、二つ考えられます。一つ、あの子と一緒に逃げた。二つ、連れ去られた、です」

 逃げた、というのが最善だ。無事であることが間違いない。ただ後者である連れ去られた、の場合、まだ危機は去っていない。

「私は、後を追います。あなたはここで待っていてください」

 そう言い置いて踵を返すクシナダの肩をアンドロメダが掴んだ。

「私も、行く。待ってるだけなんて耐えられない」

「行き違いになるかもしれません。だから」

 その次の言葉を、アンドロメダは首を振ることで遮った。言っているクシナダ本人でさえもわかっているのだ。一番可能性が高いのは、連れ去られていることだと。それでもクシナダが彼女を置いて行こうとしたのは、先ほど口にしなかった第三の考えのためだ。

「確かめなければならないの。誰よりも、この私が。私は、あの子の姉だから。あの子もきっと、私のことを待ってる」

「・・・うん。そうですよ。絶対そうです」

 一縷の望みをかけて、彼女らは再び空へと舞いあがる。

「向かうはここより北。最後の封印へ!」

「最速で行きます。舌噛まないでくださいよ!」


 小高い丘に、大勢の兵士と、街の住人が集まっていた。その中央には、冬でもないのに葉が落ち切った大木が一本だけ立っていた。その傍には豪奢な鎧と、その上から真っ赤なマントを羽織った壮年の男がいた。セリフォスを治める王、アクリシオスだ。隣の大木にも勝るとも劣らない巨躯に、宝飾のついた巨大な斧を携えている。その斧の刃のそばに、小さな子どもが二人、拘束されて転がされていた。メデューサと、悪ガキだ。

 昨晩、遺跡の番をしていた兵士を撒いてから、ずっとメデューサの世話をしていた。姉がいない分、何かと不便だろうと子どもなりに気遣っていたのだ。

 そこへ軍隊が家に押し入り、一緒にいた彼もメデューサと共に捕まったのだ。

「皆の者よ!」

 立派に蓄えた口髭にまで泡が飛ぶほどの大声で、アクリシオスが叫ぶ。

「貴様らは幸運だ! 今日という、新たな歴史の始まりを、その目で見届けられるのだからな!」

 朗々と王の声は響いた。

「貴様らも、昔話で聞いたことがあろう。この街にはかつて、邪悪な魔龍が巣食っていた。それを古の魔女、アテナが封じたという、あの話だ」

 この街の者なら知らぬ者はいない昔話だ。親から子へ、子から孫へと言い伝えられてきた寝物語。

「だがそれは、全て嘘だ」

 どよどよ、とざわめきが広がる。

「それは、自らをその魔女の末裔と語る一族がついた嘘に他ならない。自分たちは偉大な魔女の末裔ということを笠に着て、王家を脅し、裏から操らんとした、おぞましく、唾棄すべき一族の策略だったのだ。その者どもの企みも、我が眼光を欺くことはできず、数年前に裁きを下した」

 そこで言葉を切り、アクリシオスは大木へ近寄った。

「それでもまだ、この街にはあの詐欺師どもの言葉に騙されている連中が多い。何と嘆かわしいことだ。愛すべき我が民の心に巣食う奴らの嘘こそ、本物の魔龍よ。今日、我が手によって魔龍も悪しき因習も全て断ち切る!」

 見よ! アクリシオスが大木を指差す。

「この木も、奴らがついた嘘の一つ。魔龍を封印しているカギだという。ハッ! 馬鹿馬鹿しい。このような葉もつけぬ、よぼよぼの老木が、どうやって魔龍を封印するというのだ。こんなもの、トカゲですら封じられまい!」

 兵士たちがどっと笑う。

「そして、見よ! ここには、あの詐欺師の末裔がいる! 小賢しくも逃げ延び、鼠のようにこそこそと暮らしていた! 笑わせるではないか。かつては王宮内で、王すら頭を垂れ、道を譲った一族のなれの果てが、これだ」

 ぐい、とアクリシオスの大きくごつい手が、メデューサの髪を乱暴に掴み上げる。体を強引に反らされて、苦悶の表情を浮かべた。

「や、やめろ!」

 隣で転がっていた悪ガキが勇敢にも叫ぶ。だが、それは勇気ではなく、無謀であった。眉根を寄せたアクリシオスが彼の腹を蹴り飛ばした。吐しゃ物をまき散らしながら転がり、その先でも兵士たちに小突かれ、傷だらけになっていく。小突いている兵士の中には、昨夜遺跡の番をしていた兵士の顔もあった。ざまあみろ、と言わんばかりに小さな体を踏みつけた。

「親を見捨ててまでわが身が惜しい、卑しき者よ。貴様に騙された、あの小僧を見ろ。貴様さえいなければ、痛い目を見ずに済んだのだ。穏やかに、わが王国で過ごせたのだ。貴様は、関わる者すべてを不幸にする。生きていてはいけないのだ」

 ゴミでも捨てるかのように、アクリシオスはメデューサを放り投げた。受け身も取れずその場に転がる。

「これより、忌まわしき木を倒す。そして、ここにいる魔女と、それに関わった者の首を刎ねる。こうして、セリフォスは長きにわたる呪いから解放されるのだ!」

 兵士たちの雄叫びが大地を揺るがす。それに満足したようにアクリシオスは一つ頷き、両手で斧を構えた。

「ふん!」

 風切音を立てて、斧が幹に激突する。がり、と一割ほどが削れる。アクリシオスは、何度も何度も、同じ個所に斧を振るった。そのたびに悲鳴のように大木は軋み、枝葉は震えた。そして、遂に、限界が訪れる。メキメキと斧の入っていない反対側から、皮や中の繊維が千切れていく。

「失せろ! 古き因習よ! 我が治世にこんなものは不要だ!」

 ダメ押しとばかりに、アクリシオスが蹴り飛ばす。木はその傾きを大きくして、ズズン、と倒れた。

 同時、全員を強烈な耳鳴りが襲う。耳鳴りは一瞬の為、誰もが不快な顔はしたものの、すぐに忘れ去った。

「次は、貴様の番だ」

 斧を担ぎ直し、アクリシオスがメデューサに近付く。

「情けだ。最後に言い残すことはあるか?」

 倒れたメデューサの首に刃を突きつけながら言う。

「・・・何も・・・」

 痛みをこらえながら、言葉を絞り出す。

「ほう、言い訳も泣き言も無しか。最後まで私に刃向った親よりは、潔いな」

「馬鹿につける薬は無いと、アテナも言っていましたから・・・」

「貴様、私を、何を言っても無駄な愚か者だと言いたいのか?」

「それ以外、何と讃えればよろしいのでしょう。あなたが愛すると言った民たちは、あなたのせいで苦しんでいるというのに」

「何を愚かなことを。私あっての国、国あっての民。王家に民が奉仕するのは当然のこと。やつらが苦しむのは奴らのせい。王家のせいにするなどもっての外だ」

「本気でそう思っているのだから、つける薬もないというのですよ」

「私を・・・コケにするか! 親と子、揃いも揃って!」

 怒りにまかせて斧を振り上げる。小さな悲鳴がそこかしこで上がった。それを聞いて、アクリシオスは顔を邪悪に歪ませた。

「そうだ。小娘。貴様がそこまで言うのなら、ここにいる民たちに問えばいい。私と貴様ら一族、どちらが民から支持されていたのか」

 メデューサの首根っこを掴み上げ、集まった民たちの前に突き出す。

「さあ、民たちよ。貴様らに問おう。私が間違っている、と思うものはこの場より立ち去れ。薄汚いこの小娘が間違っている、と思うものは、この場に残るがいい」

 さあ、と促され、民たちは互いの顔を見合わせる。そして、周囲を見渡す。完全武装した兵士たちが、彼らを取り囲み、帰路を塞いでいた。

「どうした? 正直に、心のままに答えて良いのだぞ? 小娘が言うには、貴様らは私のせいで苦しんでいるという。本当にそう思うのならば、このまま帰るがいい。私が許そう」

 誰も動けなかった。アクリシオスの恐ろしさは全員身に染みてわかっていたからだ。

「・・・誰もいないようだな。可哀相になあ。貴様の味方は誰もおらんようだ」

 高らかに笑う。

「大体、封印の木を切り倒したというのに、魔龍の影も形もないではないか。このことが、全て貴様らの嘘であったという何よりの証拠。貴様らは偉大なる我が祖先と民たちを欺いていた。今、その判決は下される」

 民たちに向き直り、アクリシオスは言う。

「剣を取れ」

「え・・・・」

 戸惑う民たちに、再度「剣を取れ」と言う。

「貴様らが選んだのだ。私の方が正しいと。ならば、嘘をついているあの小娘は罰せられなければならない。貴様らがやるのだ。貴様らを欺いていたあの小娘を、貴様らの手で処刑するのだ。そう、あの娘こそ、魔龍に違いない。それを討つ機会をやろうというのだぞ?」

 天秤にかける。自らの命か、他人の命か。己に尋ねる。良心か、保身か。

「そ、そんなこと、出来るわけが」

「出来るわけがない、などと言わないでくれよ。それは、私に対する不信と取る。貴様らは先ほど選択したではないか。それを違えるというのか?」

 民たちを囲っていた兵士の環が、彼らの一歩分狭まる。肩を寄せ合いながら、民たちは互いの顔を見比べる。全員が酷い顔をしていた。選択肢は一つしかない。けれどそれを選ぶことを、まだ躊躇っている。

「こうしよう」

 アクリシオスは知っていた。このような場合どうすれば良いか。

「先陣を切り、最初にこの娘の胸に刃を突き立てた者には、金貨百枚をくれてやろう」

 誰かが動けばいいのだ。民は、人は愚かだ。誰かが動かなければ、自分から行動することはできない。だからこそ、自分のような優れた王が彼らを率いなければならないのだ、と。

 やがて、一人の男が前に進み出た。その震える手には剣を携えている。アクリシオスはほくそ笑む。

「見どころがある。貴様が最初だ」

 男は、震えながらアクリシオスに言う。

「本当に、金貨を」

「ああ、やるとも、もちろん」

 それだけを確認した男は、重たい足を強引に引きずるようにして進み、メデューサの前に立った。

 剣を逆手で掴み、振りかぶる。そこで止まった。

「どうした。何を止まっている。さあ、やれ」

 男は動けないでいた。メデューサの、その包帯を巻かれたその顔が自分の方を見ていたからだ。これから、こんな子どもを殺すのだ。だんだんと目が血走り、呼吸は荒く、肩で息をし始めた。

「やれ」

 アクリシオスからの催促は続く。

「やれ」

「早くやれ」

 周りの兵士たちも囃し出した。やれ、殺せ、早く殺せ、その剣を突き立てろ。熱狂が、場を支配し始めた。

「う、うわあああああああああああああ!」

 絶叫し、男は両手で剣の柄を握りしめた。渾身の力を込めて、振り降ろす。


 ガキンッ


 高速で飛んできた何かが、男の剣の腹を叩き、手から弾き飛ばした。勢いはなお死なず、地に突き立つ。それは、矢だ。

「メデューサぁ!」

 声は、はるか遠くの空から。

「何だ、あれは!」

 さすがのアクリシオスも驚いた。人が空を飛び、こちらに向かってくるのだ。その人物は二の矢をつがえ、こちらを狙っていた。空を飛ぶこともさることながら、あの距離と、あの速さで移動しながら、剣に命中させたのだ。恐るべき技量と言わざるを得ない。

「あの女は・・・!」

 兵の一人、数人規模の隊を指揮するリーダーが気づく。先日、いとも簡単に自分をあしらった、あの憎き女だった。

「アンドロメダさんは、このままメデューサちゃんのもとへ」

 憎まれている女、クシナダは、自分の腰にしっかりと掴まっているアンドロメダに声をかける。

「私は、奴らを引き付け、蹴散らします」

「わかった。お願い」

 高速で接近し、そのまま兵たちのど真ん中へ突っ込む。右足と左足で別々の兵士を踏みつけるようにして着地。その二人はもんどりうって吹き飛んだ。何人かがそれに巻き込まれる。

「女ぁ!」

 リーダーがあの時の恨みとばかりに剣を振り上げ、部下たちと共に八方から飛び掛かる。対するクシナダは

「しゃがんでいてください」

 アンドロメダを体から離して、迫りくる敵を見据える。今度は、リーダーたちは彼女を殺す気で武器を振るう。だが、気迫だけで倒せるような相手ではなかった。結局のところ、彼らはこれまで自分よりも弱い者をいたぶったことしかなく、本当の戦いを知らない素人だ。だから、一度は戦い、敗れているはずの相手との実力差も測れない。相手を、ただの女としか見ていない。少し腕が立とうが、大勢でかかれば押し潰せるはずだ、と。

 数人どころか、数十人を一薙ぎで押し潰してきた化け物たちと戦ってきた女に向かって、それはあまりに無謀だった。

 クシナダは慌てることなく冷静に、対処する順番をつけた。

 まず、一番早く近づいてきた兵の剣を潜り込んで避け、鳩尾に掌底を叩き込む。新品同様に綺麗だった鎧に、ボコリと彼女の手形がくっきりと残った。強打を受けた兵はそのまま体をくの字にして吹っ飛ぶ。驚いたその両脇の兵が、吹っ飛んでいく仲間に気を取られた。

 見逃さず、クシナダは次の標的として彼らを刈り取りにいく。近づき様、兵二人が再度クシナダの方を見た瞬間。綺麗な円を描いて回転してきた彼女の踵が彼らの顎を捉える。真横から顎を撃ち抜かれた兵はコキリと首を軸に顔が九十度回転し、そのまま静かに崩れ落ちた。

 その時には、すでにクシナダは次へ移っている。右から踏み込んできた一人の、その踏み込んだ足の膝を踏み込む。踏ん張っていた兵の足は通常曲がらない方向へいとも簡単に曲がった。痛みに悶える暇すら与えず、クシナダはそいつの腕を取り、力任せにぶん回した。後から追いすがってきた兵士三人をまとめてなぎ倒す。

 十秒にも満たない時間で、クシナダを取り囲んでいた兵士たちはいなくなった。

「き、貴様は」

 残ったのはリーダーただ一人。

「すみません。手加減をしてあげるという約束でしたが」

 ちら、と目をやる。そこには、傷ついたメデューサを抱きかかえるアンドロメダの姿があった。クシナダに全員が気を取られている間に、何とか辿りつけたようだ。

「あなた方のような輩相手に、約束を守る義理はありませんね」

「ほざくな!」

 ここで彼の最善の策は、そこから逃げることだった。最低でも動かなければ、クシナダも相手にはしなかっただろう。だが、彼のとった行動は最悪と呼べるもの、彼女に向かって行ってしまったのだ。すでに怒り心頭の彼女に。

 情けも容赦もない一撃が、リーダーの顔面を捉えた。リーダーは何度も後頭部を地面に打ち付ける不恰好なバク転をしながら彼女の前から消えた。クシナダはそこから、他の兵とアンドロメダたちの間に割って入るように移動した。あれだけ粋がっていた他の兵たちも、目の前で一方的で圧倒的な暴力を目の前にし、二の足を踏む。

「姉さん、どうして?」

 生み出されたこう着状態の中、姉妹は抱き合って会話をする。

「どうしてって、妹の危機に、姉の私が現れないわけないでしょう!」

 傷ついた妹の拘束を外し、傷を手持ちの塗り薬と医療魔術で癒しながらアンドロメダは言う。彼女の心の中は心配と怒りと、そして安堵が渦巻いていた。心配は妹の怪我について。怒りは妹をこんな目に遭わせた連中に対して。そして安堵は、妹が無事だったことと、魔龍に操られているわけではなさそうだということ。そのほっとした、気の緩みからか、それともそう信じたいだけなのかはわからない。だから彼女は気づかない。先ほどの会話は、全くかみ合っていなかったことに。

 メデューサが言う『どうして』とは、けして『無茶をしてまでどうして自分を助けに来たのか』ということではない。

「もう、いいのです」

 ぐい、と自由になった手で、ゆっくりと姉を押し離す。

「? メデューサ。何言ってるの。傷はまだ・・・」

「もういいのです姉さん。そんな無駄なことをしなくても」

 そして、不自由なはずの足で立ち上がる。姉の顔が驚愕に染まる。

「め、メデューサ、なぜ、なぜ立ち上がれるの?!」

「立ち上がれますよ。始めから。ただあなたの前ではこの足は使えない、そういうフリをしていただけです」

 石の様だった足は、見る見るうちに生気を取り戻し、脈打ち始める。どころか、体中についていた傷すらも修復し始めている。

 風向きがおかしい、とクシナダもさすがにわかった。兵たちをけん制しながら、メデューサにも注意を払う。いつでも打ちぬけるように、矢は既に弓弦にかかっている。

「はあ、せっかく、これまで世話をかけた礼に、あなただけは生かしておいてやろうと地下に二重の罠まで張ったのに、かかったのはあのどことも知れぬ風来坊ただ一人とはね」

「それは、タケルのこと?」

 クシナダの問いに「ええ、そうです」とメデューサが答える。

「今は二つ目の罠にかかっていますよ。なかなかやるようですが、どれほど強くてもあの封印の壁は破れません。数日もすれば飢えて死ぬでしょう。そうなる前に迎えに行くことをお勧めします」

 行ったところで何が出来るとは思いませんがね。と邪悪な笑みを浮かべた。

「まあ、良いでしょう。可愛い妹の手にかかるのなら、姉として本望でしょう? 最後に食い殺してあげます」

 そう言い、今度は何が起こっているか理解していないアクリシオスの方へ歩いて行く。アンドロメダは、追いすがることもできなかった。最悪の結末が近づいていることを悟ってしまった。

「アクリシオス王。あなたは一つだけ正しいことを言った」

 メデューサが、自分の顔を覆う包帯に手をかけた。ゆっくりほどけて、露わになっていく彼女の相貌。アクリシオスの顔が、徐々に恐怖で歪んでいく。

「あ、ああ、うわああああっ!」

 恐慌状態となり、アクリシオスは持っていた斧を全力で振り降ろした。だが、その刃は彼女の首に届く前に止められる。彼女の髪が蛇のように波打ち、その一束が柄に巻き付いて動きを封じていた。髪はそのまま柄を伝うようにして伸び、アクリシオスの首を締め上げる。

「どうしてそんなに怯えるのです? あなたが望んだのですよ。忌まわしき魔龍を討ち、民たちに新しき歴史の始まりを見せると。だから、さあ」

 彼女の額にある魔眼が、怯えるアクリシオスの顔を映し出す。

「討てるものなら、討つがいい」

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