第18話 魔龍の住処

 奥に進むにつれて、湿気が増えてべたべたと不快感が増している。海のせいもあるだろうけど、それだけでこんなに空気がまとわりつくもんだろうか? 

「大丈夫か?」

 アンドロメダに声をかける。さっきの門をくぐってから、どうも調子が良くなさそうだ。顔色も良くない。大丈夫、とは返事が返ってくるが、肩で息をしながらだから疑わしい。

「ていうか、あなた達のほうこそ、平気なの?」

 顎を伝う汗を拭いながら、問い返してきた。

「平気、と言われれば、平気だけど」

 そっちは? とクシナダの方を見る。彼女もまとわりつく服が気持ち悪いのか、胸元をつまみながらパタパタしていた。

「ちょっとべたつくのが気持ち悪いくらい、かな」

 ふむ。二人とも大丈夫だ。むしろなぜこんなにアンドロメダが弱っているのかわからない。

「魔龍の瘴気のせいよ・・・」

 納得いかなそうに、彼女は首を振った。

「この奥から流れてくる湿り気を帯びた風には、魔龍の瘴気が含まれてる。普通なら、この空気を浴びれば皮膚がただれ、吸い込めば臓腑が焼かれる」

「けどそれは普通なら、だろう? あんたがくれたあのクソ不味い塗り薬と飲み薬のおかげで、僕らはこうして平気でいられると思ってたんだけど」

「それにしたって限度があるわよ。長年アテナの術を研究し、来るべきこの日のために魔龍対策をしていた私ですらこのありさまなのに、どうしてあなた達は平気なの?」

「どうして、と言われても・・・」

 心当たりはある。おそらく蛇神の呪いだ。どんな傷でも治してしまうあの呪いが、アンドロメダの薬の効果と相まって、瘴気を完封しているのだ。まあ、呪いのことを説明しだすと話が長くなるので、毒に耐性がある、とだけ伝えた。

「何か、ずるい」

 ねたまれても、クシナダも僕も苦笑するしかない。僕だって好きでこうなったわけじゃない。むしろ不本意な結果なのだ。今更言っても詮無きことだけど。

「まあ、毒でやられる確率は減ったのだから」

 僕の代わりにクシナダが言う。目的を果たせれば何だっていいではないか。

「それはそうだけど」

 まだ納得いってない様子のアンドロメダだったが、不意に表情が変わった。

「どうした?」

「瘴気の量が、あの場所を境に一段と濃くなっている。近いわ。そろそろね」

 アンドロメダが指差す方向を見るが、これまで来た道と何が違うのかよくわからない。多分、魔女にしか見えない何かがあるのだろう。魔力的なものが。

 ただ、僕たちにも、彼女の言っていたことはすぐに理解できた。そのまま五歩ほど歩くと、明らかにまとわりつく空気の質が違ったのだ。さっきまでのが霧雨程度だったとしたら、今は蜘蛛の巣がまとわりついているくらいの、触れるんじゃないかってレベルの粘りだ。

 途中で小休憩を挟みながら、十分ほど前進を続けただろうか。真っ暗だった道の先に、青い光点が見えた。警戒しながらそっちの方へと近づく。明らかに人為的な手が入って作られた円状のホールだということに、途中まで近づいてようやく判明した。さっきまでの天然の鍾乳洞にあったような凸凹が少なく、綺麗にくりぬかれているのだ。光点の方も、ようやく正体が分かった。

「すごい」

 クシナダは今回ずっと驚いてばかりで、驚き過ぎな気もするが、致し方ないと思う。まさに、圧巻の一言に尽きる。その光景が広がっていた。

 光点の正体は外からの光だ。なぜこんな地下深くに外の光が入っているのかと言えば、天井が海なのだ。水族館みたいに天井に透明のアクリルやらガラスが入っているわけでもないのに、海水が天井付近で留まっている。

 いつの間にか雲が途切れ、煌々と空に月が出ていた。その月明かりが、透明度の高い海を通って青く照らし出しているのだ。

「すごい」

 今度はアンドロメダが呟いた。

「この場所全体が、巨大な結界の役割をしている。これだけの瘴気が外に漏れださなかったのもここの結界のおかげね。海水が瘴気をろ過する役目を果たしていたんだわ」

 こちらは魔術的な関係で驚いていたらしい。

「はっ! 感動している場合じゃないわ。魔龍が近くにいるかもしれないのに!」

 今更そんなことを言われても。もしいたとしたら、とっくに気づかれている。襲い掛かってこないのは、こちらの隙をうかがっているためか。気合を入れ直し、固まって辺りを探索する。

「・・・・何か、おかしくない?」

 周囲を警戒していたクシナダが僕に聞いてきた。

「何が?」

「魔龍って、どのくらいの大きさなの?」

 クシナダの疑問の意図するところが分からない。

「確か、アテナの文献では、高さは小山に匹敵する、とあるけど」

「ですよね。ようは、ものすごく大きいんですよね?」

 うぅん、と顎に手を当てて考え込む。一体何が言いたいんだ?

「ここに、そんな巨大な生き物はいないと思う」

 彼女が言う。

「いない?」

「うん。私の感覚が鋭いのは知ってるでしょ? 加えて、最近できるようになった風を操ってみたの。この空間内に広げて、流れの変化で何があるかを調べてみた」

 反響型のレーダーみたいなものか? いつの間にそんなことが出来るようになったんだ。

「生き物なら、脈があるはずでしょ? 呼吸もするでしょ? どんなにじっとしていても、僅かには動くはず。なのに、反応が全く無いの」

「そんな、そんなはずないでしょう。まさか、封印されてる場所が間違っているとでもいうの?」

 ムキになったように、アンドロメダが地図をこちらに付きつける。

「それに、こんなに瘴気の濃い所、他にあるはずない」

 ここ意外に考えられないのに、居ない。

「移動した、という考えは?」

 居ないのであれば、移動したか死んで塵になったか、どちらかだ。気にしなきゃいけないのは地図の真偽よりも、これだけ濃い瘴気を放つ魔龍がどうなったかを探ることだ。

「それこそありえないわ。アテナの封印を破って外に出ているなんて」

 アンドロメダが即答する。破られるはずのない封印、なのに封印されたはずの魔龍がいない。

 がち、と思考の欠片が一つはまった。さっき門の前で覚えた違和感だ。

「・・・もう少し、広範囲を探索してみないか?」

 僕の提案に二人が振り向く。

「探索って、まだココに魔龍がいるってこと?」

 自分の感覚を疑われていると思っているのか、すこし拗ねたようにクシナダが言った。

「それも含めて、もう少し調査した方が良い。クシナダじゃないけど、何かおかしい。何か見落としてるんだと思う」

「調査するって、何をどう調べるというの?」

 アンドロメダの言い分ももっともだ。けれど僕だって、その答えを持っているわけじゃない。

「違和感」

「違和感?」

「さっきから、ずっと何かがおかしいんだ。引っかかってる。それが何かは、正直分からない。だから調べる。魔龍という前提を取っ払って、おかしいものを見つける。例えば、ここにあるはずのないもの、とか」

「あるはずのないもの? あるはずのもの、じゃなくて?」

 クシナダが首を捻った。頷き、説明する。

「あるはずのもの、つまり魔龍はいない。けど、自分から出て行けるはずがない。なぜならアテナの封印だから。そうだよね、アンドロメダ」

「ええ。もし仮に、魔龍の力が封印を上回っていて破ったとしたら、こんなに綺麗にこの洞窟が残っているはずがない。もっと崩れて、跡形もないはずだし、何よりこの上にある街がただですむはずがない」

「魔龍はいない、けど封印を破ったわけじゃない。死んだわけじゃないのは、この瘴気が物語っている。なら他の理由だ。魔龍は封印を破らずにここから出たんだ」

「そんなこと、あるはずない! だって見たでしょう。私たちが通った門は、きっちり閉まっていたわ。外からは決して開かない」

 がち、と、また欠片がはまった。もう少しで輪郭が見えそうな気がする。この調子で話を続ければ。

「そう、そこなんだ。僕がおかしいと思ったのは。何であんなに簡単に門が開いたんだ?」

「え、ちょっと、どういうこと?」

「鍾乳洞なんだよ、ここは。言ったろ? 長い年月をかけて、地中に含まれている成分が水に溶けだして、また空気に触れて性質が変化して固まる。ここはそういう場所なんだよ。で、僕たちの通ってきた道は結構湿気ていた。水が流れてるんだ。だからあんなにボコボコしてた。同じように、成分が固まって」

「だから、それが何だって言うのよ。道の形が変わるのと、門が普通に開いたのと、何が関係するって言うの?」

 アンドロメダの指摘。それが、最後のワンピースだ。

「そうか、そうよね」

 声を上げたのはクシナダだ。

「タケル、つまり、そう言う事? 何年もほったらかしなのに、門が開くとき何も邪魔しなかったってことね?」

 その通りなので、頷く。

「クシナダ? それはどういう・・・」

「考えても見てください。家の戸だって放っておくと埃とかのせいで、滑りが悪くなって開きにくくなるじゃないですか。昨日だって、アンドロメダさん、自分ちの戸の立て付けが悪いからって蹴ってたじゃないですか」

 ここにきて、アンドロメダもようやく合点が言ったように何度も頷いた。

「まさか、誰かが一度、あの門を開いたというの?」

 それだ。それなら話は繋がる。封印は破られたんじゃない。解かれたんだ。解かれたのなら、魔龍は普通に出て行くだけだ。ここにいないのはそのせいだ。瘴気が濃いのは、最近まで居たというだけのこと。

 問題は、その消えた魔龍のことだ。これだけの瘴気が残っているくらいなのだから、街に出ていればすぐにわかるだろう。なのにその気配すらない。その意味するところ、一番重要なところが分からない。

「だから、探す。何かしら残っていると思うんだ。文献に残っているほど巨大な生物が、跡形もなく消えるわけがない」

 ただ、この場で襲われるという危険性は低くなった。僕たちは三方に分かれて探索を続ける。幸い天井から降る青い光があるので、さっきまでの真っ暗闇よりかはまだ視界が効く。

 広大なホールを探索してかなりの時間が経った。

「タケル、アンドロメダさん。ちょっと」

 クシナダが声を上げた。彼女がいるのは、入り口から見て最奥部分の壁際だ。

「これ、なんだろう?」

 彼女の足元にはアンドロメダが門を開いたときに描いたような方陣と、そして、何らかの骨が大量に散らばっていた。一本一本がかなりデカい。半ばで折れていたり、細かく砕けて粉になっていたりしているのがほとんどだが、それでもこれが、人より巨大な生物の骨だということが分かる。

「な、に・・・・これ・・・・」

 方陣を検めていたアンドロメダが慄く。

「そんな、馬鹿な・・・・これは・・・・魂魄剥離!?」

 膝をつき、ガラガラと骨を払った。方陣がさらに露わになる。それを見てアンドロメダの確信が深まったようだ。

「ありえない、魔龍にそこまでの知恵があるなんて!」

 ふらり、とアンドロメダがよろめく。すかさずクシナダが彼女の体を支える。

「いったいどうしたというんですか? こんぱくはくり、とは?」

「アテナが残した術の中でも最高難度を誇る魔術よ。その者の魂を肉体から一時的に剥がす術。もともとは、麻酔が使えず、また治療の痛みに患者が耐え切れないとき、魂ごと意識を別のものに移しておいて、治療を終えてから戻す術よ」

 なるほど、痛みのショック死を無くすための方法か。けどこの場合、魔龍の使用用途として考えられるのは

「もしかして、自分の体を捨てた?」

 多分、そうだろう。クシナダも、僕と同じ推論に達したようだ。ここにある大量の骨は魔龍の物だと考えるのが普通だ。魔龍は、長い年月封印されていることによって肉体が滅びかかっていた。そこで・・・・そこで? どうする? さっきの話だと、別の入れ物に魂を入れなければ意味がない。なら魔龍は一体何に魂を移した? そもそもこんな魔術を魔龍が使用できるのか? 魔術を使用できるのは


 ―アテナの血を色濃く受け継ぎ、生まれつき魔術の才に長けていた―


「・・・・・・はまった」

 全てのピースがはまった。そう考えると、これまで『彼女』と交わした会話までもが繋がってくる。

「タケル?」

「全部はまったぞ。僕たちは完全に騙された」

「え、突然何? どういうこと」

「急いで戻らないといけない。でないと、取り返しがつかなくなる」

 踵を返した僕の前に、アンドロメダが立ちふさがった。

「きちんと説明して! 一体何に気付いたの?!」

 震えながら僕を睨みつけてくる。その震えは、その怒りは、動揺は、どこから来ているのか。

「そっちこそ、すでに、気付いてるんじゃないのか?」

 問い返す。ビクリと体を震わせて、アンドロメダは俯いた。

「た、タケル? アンドロメダさん?」

 いまいちついてこれていないクシナダが、僕たちの間に割って入る。

「どういうことなの? 私たちは誰に騙されたって?」

「それは・・・」

「言うな!」

 アンドロメダが怒鳴る。そんなもの、答えを言っているようなものだ。

「じゃあ、聞くけど。魔女以外に、いったい誰が門を開けることが出来る? 誰が魂魄剥離とかいう魔術を使える?」

「・・・・・・・・」

 アンドロメダからは、何も帰ってこない。

「タケル、それって」

「今思えば気になる点はいくつかあった。どうして彼女は、街の中心部に洞窟の入り口があると知っていた? まだそれは文献で知れるとして、どうして兵士が交代で番をしていると知っていた?」

 一度以上、訪れたことがあるからではないのか。

「いや、でも、彼女の足は、動かないはずじゃ」

「魂を引きはがせるほどの魔女が、僕らの目を眩ませる程度の魔術を使えないとは思えない」

「じゃ、じゃあ、まさか」

「そう、僕の想像通りなら、僕らを騙したのはメデューサだ」

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