第14話 魔女を継ぐ者

 何日か意識して練習してみたら、思ったよりも簡単にコントロールできるようになった。自転車に乗るのと同じだ。一度頭と体で理屈と感覚を理解してしまえば、呼吸するように出来た。今ではこれ、この通り。水中に電撃を流して魚を気絶状態にさせることも、任意の高さでホバリングすることも上下左右三百六十度浮いたまま動き回ることも可能になっていた。

「で、次の目的地ってどこなの?」

 魚の丸焼きに小さな口で豪快にかぶりつきながらクシナダが言った。

「ちょっと待って」

 指に付いた魚の脂を舐めとって、僕はリュックから地図を取り出す。開くと、GPS機能付きのマップみたいに今いる場所が三角の光点で表示された。そこから矢印が北へ伸びている。僕は地図に人差し指と親指を置く。そして、すっと親指と人差し指の距離を開けるように動かした。画面上の地図表記が一気に縮小され、千分の一くらいの縮図が五千分の一くらいになった。

「便利よね、コレ」

 反対方向から覗き込んだ彼女が言う。神からもらった地図は、紙製の癖に水濡れ、火に強く、多少雑に扱っても破れる気配がなくカーナビ機能付き、それだけに留まらず、画面操作で拡大と縮小が出来ることに最近気づいた。

 この機能のおかげで、僕はこの世界の大陸全土を確認できた。そして、ちょっと驚いた。

 僕たちがいるこの世界には、大陸が一つしかなかった。小学生の時に習った、パンゲア大陸を思い出す。地殻変動でバラバラになる前の、巨大な一つの大陸だ。失われた大陸もこの時代ならあったのかなとロマンを感じた。

「矢印は、北を指してるね。で、地図を見ると、もう少し行った先に、街がある」

 縮小された地図でもわかるくらい、少し大きな街が広がっていた。海に面した街だ。このまま海岸線沿いに行けばいい。

 ただ、矢印が示す方角が気になった。微妙に街から逸れているのだ。さらに地図を縮小してもその先に地面があるわけじゃない。どういう事だろうか?

「とりあえず、この先の街に向かおう。あとは、成り行き任せだ」

 そう言って地図を畳む。そんな僕を思案顔したクシナダが見て、言った。

「あのさ」

「ん?」

「タケルって、適当よね?」

 ・・・否定はできない。

「この前の勝手に西涼に行ったこともそうだけど、敵の近くに行ったら何とかなる、敵に会える、すぐ戦える、みたいな短絡的な考えしてない?」

 ・・・全く否定できない。

 言い返すことができずに言い澱む僕を見て、クスッと彼女は笑った。

「少し安心したわ。あなたにも、そういう人間らしい雑さがあって」

 人間らしい、か。今までどういう風に思われてきたんだ。

 後始末をした後、僕たちはまた矢印の示す方向へ歩き出した。海岸線は途中で途切れ、緩やかな上りになった。海面からの距離がどんどん遠ざかる。潮風のせいか足首くらいまでの短い草が所々生えているだけの、地面むき出しのごつごつした道を進んでいると、道が途切れた。崖か、と思ったけど、そうじゃない。

「うわぁ」

 クシナダが本日二回目の歓声を上げた。

 崖の下には街が広がっていた。今僕たちが立っているところが最上段で、そこから段々畑のように、地形を利用した家屋が下の港まで続いている。海外の格式あるコンサートホールみたいだ。港が舞台で、そこを中心にして観客席みたいに半円状に住居が広がっている。

 規模としては、今まで立ち寄った中で一番大きな街だ。数千人単位の人がいるだろう。ならばやることは一つ、情報収集だ。

 街の外周を歩きながら、下に向かう階段を探す。

 階段はすぐに見つかった。上から下まで一直線で、港まで繋がっていた。大通りのような階段が他にも何本かあり、その階段から規則的に横道が伸びて、家々の前まで繋がっている。真上から見たら巨大なあみだくじに見えることだろう。

 一番手前にあった階段から降りることにする。さて、当たりであると良いけれど。

 下に降りるにつれて、徐々にすれ違う人が増え始めた。喧騒も大きくなっている。多分、港の周囲が、降ろした荷をそのまま売り買いする商店になっているのだろう。

 ちら、ちらとさっきからすれ違うたびに見られている。港町の癖に旅人が珍しいのか?

「止まれ!」

 商店街に入る直前で取り囲まれた。屈強な連中が革鎧を纏い、槍と盾で武装している。西涼の時とは違い、妙な怯えは見えない。むしろ傲岸な態度で見下ろしている。現段階では何らかの脅威にさらされているわけではなさそうだ。あれだけ騒がしかったのに、喧騒が遠くなった。周りが僕たちと彼らとのやり取りを、というよりも、彼らを警戒して息をひそめているようだ。

「何者だ。何用があってこのセリフォスに来た」

 リーダー格っぽい奴が偉そうに前に出てきた。セリフォス、か。どこかで聞いたことのある名前だ。

「ただの旅人だ。ここに立ち寄ったのは、食料と水を買う為と、旅に必要な情報を集めるため」

「情報、だと? どんな?」

 ぐいぐい突っ込んでくるな。面倒くさい連中だなと思いながらも、一応説明する。

「化け物の情報だよ」

「化け、物?」

「そうだ。人を獲って食うくらい、でかい化け物だ。大蛇とか、龍、ドラゴンとか。そういうの、いない?」

 それを聞いた連中は、一瞬呆気にとられたあと、大爆笑した。

「馬鹿か貴様。そんなものいるわけないであろうが」

「おとぎ話でもあるまいに、今時子どもでも言わんぞ」

「いやいや、昨晩娼館でとんでもない獣に出会ったぞ。我が腰に備わった大剣を振り回し、腹の上で踊る獣と朝まで戦ったわ」

「何が大剣だ、折れたレイピアのくせに!」

 がははと誰もが笑う。ふうふうと息を整えながらリーダー格は言った。

「そんなものはおらぬよ。アクリシオス王の統治のもと、セリフォスは繁栄を築いている」

 近隣の国とも問題はないし、この百年は平和そのものだ。リーダーはそう言った。

 確かに、彼らは屈強で、日ごろから鍛えているのはわかるが、手に持った剣も槍も、身に着けた鎧も汚れ一つなくぴかぴかだ。これは鎧ではなくファッションだ、と言われても信じられる。

「好きに見て回ると良い。旅人よ。お前らの欲する情報は得られないだろうが。狼藉を働かぬ限り我らは歓迎しよう。だが、その前に」

 手を差し出される。何だ? 握手でもしたいのか? その割には、手の甲が下を向いていて、手のひらが上を向いている妙な形だ。ファイト一発で手を取る必要もなければ、こっちに来いとジェスチャーをする上司でもない。なら

「通行料と滞在料」

 まあ、そう言う事になるか。確かに国という形を取っているなら、税関はあるだろう。

「金貨百枚か、それに釣り合う金目の物、珍しい物を出せ。お前らは、金貨なんぞ持ってるようには見えないな」

 無遠慮に人のことを見てくる連中のことを放っておいて、僕は周りに視線を巡らせ、一番近くにいた商人と思しき男に声をかけた。男はビクリと体を震わせ、何度か左右に視線を送った後、自分が話しかけられているのだと理解し、体をのけぞらせて引きつった。関わってくるな、という合図だと思うが、それなら僕に絡まれる前に逃げればよかったのだ。恐ろしくても、人の不幸は見ておく、というのは、どこの世界にでもよくある人の習性なのだろうか。他人の不幸を見て、自分は不幸じゃないということを確認したいからか、それを見るのが楽しいからなのかは知らないが。僕が彼に言えることがあるとすれば、誰にでも不幸というのは降りかかってくるものだ、的なことだ。言わないけど。

「ねえ。金貨百枚って高いの? 安いの?」

「そ、それは・・・」

 男は僕を見て、その先にいるリーダーを見て、困って、うつむいた。うん。高いようだ。安いと言い切るには良心の呵責が芽生える程度には。にやにやと笑っている連中の顔を見て、結構吹っかけてきているってことは分かったけど。商人たちが彼らを恐れる理由が分かった。今までもこうして通行料やら滞在料やらとってたのだろう。

「まさか、払いもしないでここに来たのか? 違うよな?」

 商人の男が耐え切れなくなって逃げて行き、代わりにリーダーが近づいてきて馴れ馴れしく僕の肩に太い腕を回した。

「俺たちも心苦しいんだ。だが、これが仕事なんだ。お前らは俺たちに金を払い、俺たちがそれを街で使い、街が潤う。街が潤えば繁栄し、俺たちが潤う。街が繁栄すればお前らみたいな旅人がたくさん現れて、俺たちに金を支払う。そうやって成り立っているんだ。仕方ないよな? 仕事なのだから」

 仕事だから、で子育てを奥様任せにするお父さんたちは、まだまだ『仕事だから』のアマチュアだ。プロが使うとこういう理論になるのか。面白いね。

「でも俺たちも、お前が言う様な化け物じゃない。悪魔じゃない。だから、金目のものでも構わん。お前が持っているそのデカい剣でも良いし、そうそう・・・うん、お前」

 僕から、クシナダへ。

「お前、良いな。胸はちと小さいが、なかなかの別嬪じゃねえか。よこせ」

「なっ」

 後ろでクシナダが声を上げた。

「お前の女を一晩よこせば、チャラにしてやると言っているんだ。どうだ? ただ、一晩で気が変わって、お前より俺たちを選んじまうかもしれないけどな」

 げらげらと下卑た笑いに包まれる。うん、彼らが戦いをしたことがないと言うのは、間違いなさそうだ。あんなお怒りのクシナダに気づいていないのだから。

「どうだ、安い物だろ?」

 安いと思うよ。あんた方の命は。一応、忠告はしてやろう。

「本気か?」

「本気? ああ。もちろん本気だとも。不服か?」

 自分の要求が通ることを疑ってやまない、そういったタイプの笑顔だ。いっそ滑稽なので僕が代わりに笑ってやりたいくらいだ。

「僕としては、やめた方が良い、と言っておく。あんた方じゃ、彼女の相手にならない。一晩どころか、あの太陽がちょっと傾くまでもたないよ」

 ヒュー、と口笛が飛んだ。

「そりゃすげえ。ますます楽しみだなぁ!」

 出来の悪いすれ違いコントを見ているようだ。我慢しきれなくなった彼女が、すすっと僕たちの前に歩いてきた。

「お、もう我慢できないってあがっががああああああああっ!」

 僕から彼女へ手を伸ばしたリーダーは、その腕を捻じりあげられて悶絶した。クシナダは、ゴミを捨てるようにぞんざいに腕を振るい、リーダーを投げ飛ばす。だから言ったのに。

「その程度で私の相手? 笑わせないで」

 彼女は地に付したリーダーを見下して、冷笑。

「どうしてもというのなら、手加減して差し上げましょうか?」

 本人はそう言うが、大分手加減はされているはずだ。彼女が本気なら、焼き鳥の手羽先を綺麗に喰う時みたいに、肘の関節部分で引き裂かれている。

「こ、の野郎っ・・・おい!」

 痛む腕をさすりながら、リーダーが立ち上がり、他の連中に声をかける。その合図に連中は持っていた剣や槍を僕たちに向けた。

 第二プランで行くか。こいつらが知らなくても、こいつらが使えているアクリシオス王とやらが知っているかもしれない。仮にも王家と名乗っているんだ。資料くらい残っていてもおかしくないだろうし。ちょっと『お願い』して、会えるように取り計らってもらおう。

 怒りに満ちた彼らが周囲を取り囲む。

「ぶっ殺してやる」

 と息巻いているけれど、何と言うか、怖くない。本当に殺す気があるのかどうかも不明だ。西涼の連中と相対したとき、あいつらは怯えてたけど、確かに僕を殺すつもりだった。何が違うのだろう? 構えだろうか? それとも実戦経験の差だろうか?

 一触即発の前は、だれもかれもが動きを止めて絵画のようになる。音も絶え、時間も止まったような錯覚を起こす。それが破られた時が、開戦の合図だ。

 ころころと、だれも動かない空間に、土色の球が転がってきた。

「何だ?」

 リーダーも気づいたらしいそれは、動きを止めたかと思うとペットボトルロケットが水を噴出したみたいな音を鳴らしながら、水の代わりに盛大に真っ白な煙を吐き出した。

「何だぁ!?」

 さっきとは違うニュアンスでリーダーが叫ぶ。彼らにとっても予想外のことらしい。煙は多少もがいたところで散ることもなく、その場に留まり続けて辺りを覆った。

 ぐ、と誰かに腕を掴まれる。リーダーじゃない。もっと細く小さな手だ。

「こっちに」

 落ち着いた女性の声だった。逆らうことなく引かれるに身を任せ、ついていく。

「え?」

 今度はクシナダの声だ。女性は、クシナダにも同じように言った。そしてまた動き始める。背後で男たちの怒号が飛び交うが、すぐに喧騒に吞まれ、掻き消えていく。

 数十メートルほど走っただろうか。煙の圏外に出た。

「行きましょう。煙はそのうち消える。その前にここから離れないと」

 助けられた、ということなのだろうか。背を向けていた誰かが振り返る。

 僕らを導いたのは、背の高い女性だった。先ほどの小奇麗な兵隊とは対照的に、何度も洗ってよろよろの服を纏い、手足もそこら中が泥やすすで汚れている。けれど、ウェーブのかかった髪を後頭部あたりでまとめた、かなりの美女だ。彫りの深い細長い顔立ち、ほっそりとした体に長い手足はスーパーモデルを彷彿させる。着飾ればどこのランウェイでも華やかに歩けることだろう。

「どうして?」

 当然の疑問をクシナダが口にした。

「さっき言ってたことは、本当?」

 それが助けた理由だと言いたげに、彼女は反対に問いかけてきた。

「言ってたこと、って?」

「化け物の情報を集めてる、とかなんとか、あいつらと言っていたじゃないの」

 あいつら、という言葉に若干以上の不快感、嫌悪感を滲ませる。さっきの静まり返ったことといい、市民とは仲がよろしくない間柄っぽいな。

「ええ、そうよ。本当の事」

「それで、化け物のことを知ってどうするの?」

「戦うんだ」

 そう言った僕を、彼女はじいっと見つめた。答えの真偽を見定めるようにして。

 女性はあごに手を当てて少し考え込んでから「一緒に来て」と言った。

「貴方たちが知りたいことを、私は提供できる。その代り、私の頼みを聞いてくれないかしら」

 だから助けた、と。

「助けてくれたことは礼を言うけど、唐突だね。自己紹介すらしてないのに」

 それだけ火急の要件ってことなのだろう。表面上は取り繕ってはいるけれど、焦りが見て取れる。僕の言葉に「ごめんなさい」と軽く頭を下げて改めて名乗った。

「私は、アンドロメダ。この地と海を守護せし魔女アテナの意志と技を継ぐ者」

 地図の間違いでも、僕らの間違いでもない。そのことを確信できた。

 ここに、敵はいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る