第13話 天女と探偵の解けない謎
ある朝。体に当たる風が妙に強いなと思って目覚めると、隣で寝ているクシナダが、横になった体勢のまま五十センチほど浮かんでいた。目の錯覚かと思って近づいて確認したが、間違いない。彼女と大地の間には空間が生れていた。種も仕掛けもない空中浮遊だ。
「ん?」
気配で目覚めた彼女と目が合った。ちょうど、僕が彼女の顔の真正面にいた時だ。ぱちぱち、とお互いまばたきすること数回。
拳が飛んできた。
女の細腕と侮るなかれ。蛇神の力を得た彼女の腕力は既に人の域を逸脱している。冗談抜きで、僕を殺せるのはこの女しかいないと思わせた鋭く重い一撃だった。
風景が車窓から見てるわけでもあるまいに高速で横に流れていく。気分はライナーで飛んでくホームランボールだ。そのまま場外へ。
「何をする」
「何をするじゃないわよ!」
脳震盪でも起こしたかふらつく頭を支え、体をひきずりながら戻った僕に、クシナダは顔を真っ赤にして怒鳴った。ただ、まだ浮かんだままで、そしてそのことに気付いていないようだった。完全なる無意識の御業だ。
「何よ何なのあなたは一体全体唐突に突然に! 今まで全くそんな気なかったじゃない! あの夜の続きを今しようってのかこのやろう馬鹿野郎私にだって心の準備というものがあってね・・・」
うんぬんかんぬん、彼女の言い分は続く。うん、わかった。落ち着け。どうやら、寝込みを襲おうとしたと思われているらしい。
「まて、違う」
「私だってね時と場合と気持ちを考えてもらえればそれ相応の対応というかね・・・違う?」
「落ち着いて、聞いてくれ。今、あんたは、地に足がついてない」
「馬鹿にしないでついてるわよ何言ってるのこんなに平静でいるのに! 私のどこをどう見たら動揺してるように見えるっていうの!」
・・・どこからどう見てもそう見えるんだけど。物理的にも。
どうもさっきから会話が噛みあってない気がする。言い方を間違えたか?
「よし、ちょっと質問だ。今、立てるか?」
「立つ? 何よ突然。それくらい当たりま」
スカッと彼女の足が空を切る。
「え?」
間抜けな声を発して、彼女は落ちた。同時に翼も消え風も止んだ。
クシナダが衝撃から立ち直るのにいくばくかの時間を要した後、僕たちは再度話し合った。
「なるほどね、寝てる間に浮いてたと」
「そうだよ」
腫上った、とはいっても治りつつある頬をさする。
「どうしてだろ?」
地に足をつけた状態で彼女は尋ねてきた。こっちが聞きたい。
「そんなこと言われてもねえ。昨日まで何ともなかったし」
「じゃあ、昨日何か変わったことなかった?」
変わったこと、と首をひねり、うんうんうなること数秒後。
「あ」
何かに思い至ったか、クシナダが声を上げた。
「そういえば、それに触ったとき、かな?」
クシナダが僕の剣を指差す。これ? と持ち上げると、そう、と頷いた。
「昨日、鹿捌くのにちょっと借りたでしょう?」
「ああ、そういやそうだね」
「その時、前と同じようにそいつが震えたわ」
それくらいかなあ、とクシナダは言った。ふうん、と改めて手の中の剣を眺める。もともとは蛇神の牙から打ち出されたものだが、いまいちよくわからない。前回もクシナダが触れたら剣から矢に変化したし、穢れの塊だった敵に突き刺したら、その穢れを喰っちまうし。
「あ」
今度は僕が声を上げる番だった。頭の中で記憶と仮説のピースが上手い具合にがちっとはまって、大きな一枚絵の下書きが出来上がった。
「どうしたの?」
「ケンキエンだ」
穢れの塊のケンキエンは、犬と猿と雉のパーツを持った鵺だった。
「ケンキエンって、あれでしょ。この前戦った怪物でしょ? 雷落としたり分裂したり、死体を甦らせたりした」
「そう、そのケンキエンだ。あいつの力だ」
「ん? どういうこと?」
「いいかい」
仮説を口にして、再度自分自身に聞かせてみる。
「まずは、この前の戦いのときのことを思いだそう。クシナダ、確か前にこの剣に触れてから、矢に力を込められるようになったって言ったよね?」
「言ったわね。うん。トウエン様はもともと持っていた力が、剣に触れたことで使えるようになったのでは、と仰っていたけど」
僕の推測は、少しだけ違う。持っていたんじゃなくて、剣に触れたことで身に着けたんじゃないだろうか。
それを証明するためには、僕もケンキエンが振るっていた力を使う必要がある。
ふと頭に思い浮かんだのは、散々ぱら喰らったあの電撃だ。全身の毛を震わせることで帯電し、最終的には雷と同程度の電圧をぶっ放したあれだ。さて、どうやって同じようにするべきか。僕は全身を包むほどの毛皮を持ってないし。代わりになりそうなものと言ったら、神経を伝わる電気信号だろうか。目や鼻、手などで感じたことは、全て電気信号に変えられて脳に伝わる。電気はもともと体に備わっているのだから、利用できないだろうか。
目を瞑る。イメージする。体にある神経を伝って、電気が流れ循環するイメージだ。それを、徐々に一か所に集めている、という絵を思い描く。
「タケル、タケルっ」
人が集中しているときに、横合いからクシナダの呼ぶ声がした。そちらを見ると、彼女は僕を見ていない。見ているのは、持っていた剣の方だ。
「お」
ふむ、何だかんだで上手くいったようだ。バチバチと音を爆ぜさせながら、剣の表面で青白い電流が舞っている。
「何で? どうしてそんなものが使えるの?」
「これはまだ仮説なんだけど」
とは言うものの、多分大体あってる。さっきの話の続きになるんだけど、と前置きして
「ケンキエンを倒した時の事、覚えてる? あいつが最後どうなったか、だけど」
「もちろん。その剣が、ケンキエンの穢れを全て吸い込んだことで、姿を保てなくなってしまったんでしょう?」
「そう。こいつが、ケンキエンを『喰った』んだ」
てめえこそ僕の餌になりやがれ。
僕はそう言って奴に剣を突き刺した。呼応するように、剣はケンキエンを構成していた穢れを全て吸い込み喰い尽くした。
「取り込んだのはわかるけど。それがどうして使えることにつながるの?」
そこだ。人差し指を彼女の額に向け、それが今回の焦点なのだとアピールする。
「僕らは、こいつで取り込んだ敵の力を、自分の物に出来る、みたい」
あいつの力とか、そういうものをデータみたいに取り込んで、手に取った僕たちに反映させたのだ。外部データを取り込んだUSBをPCにインストールした、そんな感じだろうか。
手から力を抜くと、帯びていた電流が消えた。
「だから、僕はこの雷を、あんたは風、というか大気を操れるようになったんじゃないかな」
信じられない、という顔で彼女は僕を見ていた。
「論より証拠、じゃないけど。そっちもやってみてよ」
「やってみて、なんて言われても。人は飛べないものよ?」
さっきまで浮かんでいたやつが何をいまさら。イメージだ、想像力だと彼女に言い聞かせる。
「想像してご覧。さっき僕がやってたみたいに目を瞑って。自分の背中に羽根が生えて、空に浮かぶことを頭の中で思い浮かべてみて」
気持ちだけ催眠術師になりきって、彼女の耳に囁く。半信半疑の表情で、彼女は目を瞑った。すうっと息を深く吸い込んで、吐く。何度か繰り返し、集中する。
風が、緩やかに流れ出した。彼女の呼吸に合わせて、吸えば流れ込み、吐けば流れ出るを繰り返す。それが三度ほど繰り返されたところで、彼女は地面をトンと軽く蹴った。
高さは大体三十センチかそこらだろうか。ジャンプのつま先到達点から地面に降りることなく浮かんでいる。
「のお、おおっ」
まるで自分の意志で引き起こしていることでは無いかのように驚く彼女は、バランスを取るように両手を広げた。その両手で上昇気流でも受けているのか徐々に高度があがり、彼女のつま先は遂に僕の身長を越える。彼女の後ろの景色が、少し歪んで見えた。歪みをなぞっていくと、形が浮き上がる。
「翼、か?」
光をわずかに屈折させているのは透明の翼だ。集まってくる風を受けているようにも、それ自身がスラスターみたいに風を吹き出しているようにも見える。はたまたその両方か。よくわからないが、とにかく浮いている。さっきは姿形を確認できなかったけど、今度は見えた。もしかしたら、僕が言ったことを真に受けて、翼を本人がイメージしているからそういうものになっているのかもしれない。
「すごいな」
神秘的な光景に、思わず見惚れる。
彼女は、僕がこれまで出会った女性ではまず間違いなく最高の美女だ。濡れ羽色の長い髪も、涼やかな顔立ちも、引き締まったしなやかな体も、全てが計算されたような黄金比で作られている。それに今は、初めて会った時とは比べ物にならないほど生気に満ちて輝いている。
元の世界で道を歩けば男も女も誰も彼もが振り返りスカウトされる様な彼女が、透明な翼で空を飛んでいるのだ。翼はシャンデリアのようにきらきらと光を乱反射させて、その中を舞う姿は羽衣伝説の天女を思わせた。
「ちょっと! 感心してる場合じゃないわよ!」
飛んでる本人はかなりまずい状況のようだが。いつの間にか高さはそこらの木を越えている。
「どうやって降りるの!? これ、どんどん上がってるんだけど!」
「何とかならない? 自分でやってることなんだよ?」
「ならないから言ってんでしょうが!」
結構パニックのようだ。確かに、地面に足がついてないと不安にはなる。徐々に離れれば焦りも恐怖も生まれる。ジェットコースターでも足場があるのと無いのとでは恐怖感が違うって言うし。名作映画でも言っていた。人は、土から離れては生きられないのだ。
「とりあえず、落ち着け。翼のイメージで飛んでるんだから・・・」
「翼がないって考えればいいってこと?!」
「いやそこまで極端じゃなくて・・・っておい!」
焦り過ぎだ馬鹿。彼女の背中から唐突に翼は消えた。イカロスでももう少し粘んだろってくらいの速さで翼を消した彼女は、当然世界の法則たる重力に引きずられ、落ちてきた。僕の真上に。
「ひゃああああああああっ」
可愛らしい悲鳴を上げながら降下してくる彼女を見て、何か前にもこんなことがあったなあ、などと感慨にふけりながら備える。
ベイカー街の探偵もやっていた、頭の中で完全に完璧に行動と結果を予測し想像し実現させる手法だ。自分に不可能なことは、人間は想像できない。想像出来るなら、それが実現出来るということだ。
考えろ、想像しろ、彼女は頭から落ちている。好都合なことに両手を差し出して。ならば僕は、彼女の両肩を掴む。そのまま落下してくる力に対して、自分の力を斜めから加える。上からの攻撃を横合いから弾いて受け流すのと同じだ。上から斜め、そして横に力を逸らして、ぐるぐる回しながら力が尽きるのを待つ。
よし、これで行こう。
結果は、まあ、二人とも死にはしないし大した怪我もしなかった。
途中からは想定通りだった。力を逸らしてぐるぐるぐるぐる回って、止まった。
ただ、ちょっと最初のタイミングが遅すぎた。肩を掴もうと思ったのだが、すっと手をすり抜けてしまったのだ。仕方ないから第二案。自分の腕は相手の脇の下を通しているので、そのまま肘をぐっと曲げて抱きかかえるようにして固定。そこから腰を捻り、柔道の投げ技のように、相手の体を巻き込みながら回転する。縦から、斜め、そして横へ移行、ジャイアントスイングの足じゃないバージョンだ。計画通り、上手く地面に激突させずに済む。
回転が止まり、ふらついて転倒しそうになるのを何とか踏ん張った。やれやれ、そう一息つこうとした時だ。
彼女と目が合った。それも、息がかかる様な至近距離で。視界の八割が彼女の顔だ。大きな瞳がより一層見開かれ、僕を覗き込んでいた。
客観的に見れば、今僕たちは抱き合っている。まあそりゃそうだ。回転してるときは互いの顎が相手の肩に乗っかっていた。がっぷり四つで組んでいたのだから仕方ない。
ドクン、ドクンと胸のあたりが踊る、跳ねる。
僕、じゃない。彼女だ。彼女の心音だ。いや、僕か?
よくわからない。これほどよくわからないことだらけの中、もう出尽くしたと思ったら最後に一番訳のわからない『わからない』が来た。
「え、ええと」
戸惑いながら彼女が口を開いた。
「その、ありがとう」
「どういたしまして」
「っと、その、離し、て?」
顔を下に背けながら、彼女は僕の胸に手のひらをそっと当てて抗う様に押していた。さっきのパンチとは比べ物にならないくらいの弱々しい力だから気づかなかった。ああ、そうだね、と固定していた両手を開放する。
解放した後も、彼女は僕に手のひらをあてて手首から肘までの距離を保ったまま、僕から離れるでもなく固まっていた。僕の方も、恥ずかしがって飛び退るのもおかしいし、かといって再度抱きしめると言うのも違うかと思っていたので、その微妙な距離をたもったまま動けずにいた。
ガサリ、と茂みで物音がしたのが幸か不幸か合図になった。お互い反射的に離れて、彼女は弓を、僕は剣をひっつかんで構える。
のそり、と現れたのは体長二メートルくらいの少し大きめの猪だ。少し、というのはこの世界基準なので、元の世界だと山の主レベルだ。少し興奮しているようで鼻息が荒い。
「ご飯に、しましょうか」
さっきまでの事を振り払う、もしくはごまかすように、赤い顔した彼女はちょっとだけ声を大にして提案してきた。否定する要素が皆無だったので、頷く。
血抜きして捌く頃には、元の距離に戻っていた。少しもったいないと思ってしまったのは墓場までの秘密だ。
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