第11話 誰が創りし理想郷
「言い残すことはあるか」
幾度も戦いの起こった二つの国の間に広がる平原、その中央に、二つの国の人間たちが集結していた。中央部はぽっかり空いており、そこにいるのは安達ケ原の代表である巫女、トウエンと、西涼の将軍、ライコウだ。
トウエンは、その手に一振りの剣を持ち、対するライコウは無手のまま、その場に両膝立ちになっている。
後で話を聞いた。
安達ケ原に協力を求める際、ライコウは引き換えに自分の首を差し出す契約をしたらしい。まあ、牢での会話でも自分の首を差し出して和解するとかなんとか言ってたしな。
彼女らを取り巻く人垣からは、嗚咽がそこかしこから漏れている。西涼の民たちだろう。特に彼の部下である兵たちは握った拳に血をにじませながらじっとこらえていた。ライコウが一言でも助けを求めたなら、彼らは目の前で交通整備よろしく処刑場をぐるりと取り囲んで中に入れないようにしている鬼たちに飛び掛かり、彼を救おうとするだろう。けれどそのライコウ本人に言い含められているのだ。己の矜持を賭けた約束事に手出しは無用、と。
「一つだけ」
真正面のトウエンの顔を見ながらライコウは言った。
「西涼と、安達ケ原との和平を。どちらの国の者も、もう二度と争わずに済むように」
うむ、とトウエンが力強く頷く。
「安達ケ原の巫女、トウエンの名において約束しよう」
その言葉で満足したのか、ライコウはふう、と安堵の息をついた。
「それが成るのであれば、己に未練はない」
穏やかな表情で、ライコウは目を瞑った。
「約定通り、己の首を渡そう。トウエン殿、やってくれ」
そう言って頭を垂れる。ライコウ様、ライコウ様と群衆が叫び、身を乗り出す。
「わかった」
トウエンが剣を担ぎ、彼の隣に移動した。いよいよだ。
目を覆う者、一時たりと見逃すまいとする者、そんな彼らの前で、剣は高々と掲げられ
「さらばじゃ、誉れ高き将軍よ。お主の名は、子子孫孫、語り継ごう。その身を賭して二つの国を守った英雄として」
天を向いた切っ先が光を反射した。
「・・・などと、言うと思ったか?」
トウエンが最大級の悪い笑みを浮かべた。え? と顔を上げるライコウ。トウエンは掲げていた剣を手放した。音を立ててライコウのそばに落ちる。
「歯を食いしばれェ!」
想定外のことに頭がまっしろになったらしいライコウは、その言葉に従い、ギュッと口を閉じる。その横っ面に、腰の入ったトウエンの拳がめり込んだ。
「どっせい!」
そのまま斜め上に振りぬく。ライコウの体が錐もみ回転しながら宙を舞った。放物線を描き、ボデン、ボデンと地面へランディング。地面に突っ伏すライコウに対して、言い放つ。
「・・・これが、儂らがお主に下す沙汰じゃ」
ぐるりとまわりを見回し、誰も彼もに聞き届かせるように。
「お主の首で死んだ者が生き返るならばそうしよう。家屋が直るならそうしよう。傷ついた大地が蘇るのならばそうしよう。しかし、そんなことはない。お主の死など、何の価値もない。お主の誤った決意など、腹の足しにもならぬのじゃ」
いまだ転がるライコウに近づき、その首根っこをひっつかんでぐいと起こす。互いの顔を突き合わせた。
「お主への沙汰は、死ぬまで二つの国の復興のために尽くす事じゃ。さすれば、そのうち寿命という刃がお主の首をかき切ろう。その日まで、休むことなく働き続けることじゃ」
そして、とトウエンは続ける。
「それは、儂らも同じ。儂らも大勢の西涼の民を殺し、傷つけた。同罪じゃ。だからこそ、儂らは贖わねばならぬ。死ぬのは簡単じゃ。けれど、何も生まぬ。何も治せぬ。これより生まれてくる子らのために、今ここで禍根を断ち、良き国を作らねばならぬ。でなければ死んでいった者たちに申し訳が立たぬであろう」
ぱ、とライコウから手を離し、トウエンは踵を返す。茫然とその後ろ姿を見ていたライコウが、慌ててその背に声をかける。
「許して、頂けるのか・・・?」
その声に、振り返り、告げる。
「お主次第よ」
さあ、引き上げじゃ。周囲の鬼たちに声をかけて、トウエンは撤収を開始した。統率された動きで、鬼たちは自分たちの村へと帰っていく。まだまだ復興作業は始まったばかりだ。
彼女たちの選択は妥当だ。
もし仮に、ここでライコウを殺すことになれば、両国の和平など不可能だっただろう。西涼の全員に慕われているライコウは、次代の王であり、西涼を導く存在だからだ。また、安達ケ原の鬼たちに対して外見の違いなどの偏見を持たない数少ない人材でもある。その彼を殺すことに害は在っても利は無い。いらぬ反感を買い、修復されつつあった心の溝が再び深まることだろう。
反対に生かせば、安達ケ原に理解のある人間が西涼のトップに立つ。これは今後の交渉ごとにおいて大きなアドバンテージとなる。少なくとも偏見で物は見るまい。
もしかしたら、自分にライコウが惚れている、という点も計算に入れているのかもしれない。恋は盲目、とはよく聞く話だ。自分の思うがままに操るなどと考えているのかもしれないな。
「己は、己は・・・・生かされた、のか」
じっと、自らの両手を見つめる。
「ライコウ様!」
そんな彼のもとに、ハゲ、もとい、キントたちがわらわらと駆け寄る。
「キント、己は、生きていてよいのか? 死んだ者たちは、己を許さないのではないか?」
言いつのろうとするライコウの両肩に手を置き「良いのです」と涙ながらに言った。
「生きていてよいのです。生きなければならぬのです。トウエン殿も仰っていたでしょう。貴方には責務があります。それを成さずして死ねば、それこそ先に黄泉路へ旅立った者たちが怒りましょう。彼らが残した家族を、彼らの代わりにこれから守らねばならぬのです。託されたのです。だから彼らは貴方のために命を賭けたのです。貴方なら大丈夫だと」
周りにいた連中が深く頷き同意を示す。そんな彼らの顔を見回して、ライコウは「そうか」と顔を拭いながら立ち上がった。幾分すっきりした表情で、問う。
「キント、皆。ついてきてくれるか」
「我らこそ、貴方についていく許しを」
ざ、とキントたちは一斉に跪く。
「ようし」
皆の意気をくみ取ったライコウは、大きく息を吸い込んだ。
「では、部隊を大きく二つに分ける! 一つはこのまま西涼へ戻り、壊れた家屋の修理! 皆の寝床を一刻も早く修復せよ! 眠らねば疲れが取れんからな! もう一つはさらに二つに分け、田畑を耕す部隊と猟を行う部隊の二部隊を編成せよ! 安達ケ原の民たちと協力し、苗や種を分け合い、獲物を分け合い、協力して作業に当たれ! 話は己がトウエン殿たちに通しておく! 民たちにも助力願う! 協力できるものは兵たちに付き、その指示のもと作業に当たってくれ! 以上、質問は!」
一人が手を上げた。
「家屋の修復ですが、城壁はどうなさいますか?」
その問いに、ライコウはチラと西涼の方へ眼を向ける。半壊した城壁がそこに在った。
「城壁は不要だ。全て取り壊し、使える材料は他の家屋の修復に回せ。もうここに、敵はおらぬ」
「ははっ!」
「他に質問はあるか? ・・・・・・無いようだな。では各々、今日から倒すためではなく、生みだし、守るための戦いを始める。・・・良い国を創ろう。頼むぞ」
威勢のいい返事が地面を揺るがせた。これほど戦いがいのある戦いもないだろう。
ライコウの指示に、皆が一斉に動き出す。
「さて、私たちはどうする?」
皆がそれぞれの場所に戻り、平原には僕とクシナダしかいなくなった。遠くから競い合うように掛け声や槌を振るう音が届く。
「ここにはもう敵がいない。次に行くだけだよ」
そのために、すでに荷物は整えておいたのだから。リュックを背負い直し、地図を広げる。うん、反応なし。三十キロ圏内には蛇神・ケンキエン級はいない。
「あなた、本当に未練とか名残惜しさとか、感傷に浸らない人間よね」
腹の足しにもならない感情は、元の世界に置いてきた。
「餞別代りに水と食料も貰った。挨拶は昨日のうちに済ませた。長居は無用だ。それに、あっちも忙しいだろう。いつまでも僕らに構っている暇はないんじゃない?」
「そりゃそうなんだけど」
そこで、あ、と思い出す。挨拶の時、トウエンがクシナダに何かを言っていた。ずいぶんと深刻そうな、その割には最後にトウエンはにやりと笑い、僕の方を見ていた。なら、僕のことも何か言っていたのだろう。それが少し気になる。
「トウエンと、別れ際に何を話していたの?」
ん? と彼女は小首を傾げ、何か思い当たったのか「ああ」と虚空を見上げた。
「大したことじゃないわ。二、三、力の使い方の助言をもらったの」
力の使い方、というと、あれか。あの時放った矢の力か。
「そう。どうやらあれ以降、普通の矢にも力が籠められるようになったみたいだから」
それは初耳だった。てっきり、蛇神の牙製の物を使わないと出来ないもんだと。
「蛇神の牙は呼び水みたいなものだそうよ。結局のところきっかけにすぎないって。もともと私たちの体は蛇神に近いものだから、そういう力が備わっていても不思議じゃない。一度出来るとわかってしまえば、後は息をするように出来るって」
自転車に乗るのと同じようなものだろうか。乗らない人間にとってはペダルをこぐのは未知の力の使い方だが、一度乗れてしまえば、後は何も考えずにこぐことが出来る。トウエンも、物心ついた時から心を読む力が使えた。確かに似通ったところがあるかもしれない。先天的と後天的の違いはあるにせよ、体に備わった機能を使うのだ。
なら、あれもそうだろうか。ケンキエンを喰った剣の機能は、剣に備わっていたのではなく僕が何らかのきっかけで使った機能だろうか。自然と剣を持つ手に力が入る。脈動は無い。敵がいないからか、『僕が』敵がいないと認識しているからか。
「まあ、いいか」
別に何か困るわけでもない。腕が長くなって届かないところにも届くようになっただけだ。そう考えれば、興味も失せる。本来の目的のために、僕は再び地図に目を移す。
「次はどこに行くの?」
クシナダが反対側から覗き込む。
「地図が示すのは北、だね。さて、次は何とかち合うのやら」
行くか、と歩き出した彼の背を、クシナダは眺めながら思う。
彼は気づいているのだろうか。口を三日月のようにひん曲げて自分が笑っていることに。ケンキエンとの戦いでもそうだ。強大な敵に挑むとき、彼は獰猛な笑みを浮かべていた。トウエンが言っていた通り、彼には死ぬ以外の目的が生れつつあるのだ。
トウエンとの話は、自分が持つ力のことだけではない。彼から目を離すな。トウエンはそう忠告した。
「お主らは、これからもケンキエンの様な敵を探し、戦うのか?」
「おそらく、そうなりますね」
それが、タケルとタケルをこの世界に連れてきた神との契約だからだ。意外に律儀な彼は、きっと約束を守るだろう。そう答えると、トウエンは「そうか」と頷き
「ならば、タケルから目を離すな」
と言った。
「どういう、ことでしょうか?」
「あ奴は今、不安定なのじゃ」
不安定? あの男が? 好き勝手に行動するタケルとその言葉が結びつかない。心情を悟ったか、トウエンは苦笑した。
「そうは全く見えんがな。けれど現に、あの男の心情は変わりつつある。死ぬことから、戦う事へ。より強者と戦いたいという欲求が、死にたいという元の願いを超えつつあるのじゃ。それ自体は悪いことではない。まったくない。死などという何も生み出さぬ願いよりも、余程良い。儂らはそのおかげで今生きておるようなものなのじゃから」
感謝は尽きぬ。けれど。とトウエンは続けた。
「戦を望み戦を欲し、ついにはタケル自身が災厄となることもありうる」
「まさか・・・そんなこと」
「ありえぬと思うか? ケンキエンは、己が欲望を満たすために儂らを利用した。そのケンキエンを屠るだけの才と力のあるあ奴が、そうならないという保証はあるか? 戦を欲するがあまり、戦を引き起こそうと考えたりせぬと?」
笑い飛ばそうとして、失敗した。自らが望むように振る舞うとは、タケル自身が常々言っていることだ。
「もちろん、そうならない可能性の方が高い。あ奴は女、子ども、自分より弱いものに理不尽を強いたり、踏みにじったりできぬ男じゃ。儂としても、あ奴にはそういった矜持を持ち続けていて欲しいが、未来のことなど確約はできぬ。移ろわぬものなどこの世に存在しない。
だから、頼む。あ奴が誤った道へ行こうとしたとき、お主が正しき道へと導くのじゃ」
「私が、ですか?」
思ってもみない頼みごとに、クシナダは当惑する。
「そんなの、無理ですよ。タケルが私の言う事なんて聞くはずありません。今までも、これからも」
この村に最初に来た時の記憶が蘇る。彼は自分の言う事など全く耳を貸さず気にもせず、西涼の方へ行ってしまった。彼にとって、自分はその程度でしかないのだ。
「徳のあるトウエン様の言葉ならばともかく、彼が私の言う事を聞くとは思えませんし、私が彼の生き方をどうこうできるはずがありません」
「それは違う」
トウエンが、クシナダの両肩に手を置く。
「他の誰にも、この役目は無理じゃ。天涯孤独の身であるあの男が、この世で唯一話を聞くとすれば、同じ境遇であるお主だけなのじゃ」
「いや、でも・・・」
これだけ言ってもまだ自信なさそうに渋る彼女に、トウエンはにやりと笑い
「大丈夫じゃ。お主、自分の容姿がどういう風に見えているかわからぬか? 人であった時のケンキエンにも勝るとも劣らぬほどの美人さんじゃぞ。いざというときはその武器を使え。女の武器じゃ。あ奴を骨抜きにして、尻に敷いてしまえ」
目の前で大きな武器二つを揺らしながらトウエンは言った。彼女を見て、彼女に対するライコウの様子を見て、なるほど、とクシナダは納得した。
「私に出来るかどうかわかりませんが。とりあえずは、共に行こうと思います」
「それでよい」
クシナダの両肩から手を離す。
「一人ではない、と。お主があ奴に教えてやるのじゃ。お主が傍にいれば、あ奴は道を外すことはないじゃろう」
「それは、どうしてです?」
簡単なことじゃ、とトウエンは可愛らしく片目を瞑って見せる。
「男は女に見られているとわかれば、格好をつけるものじゃからな。恥ずかしい真似はすまいよ」
互いの顔を見合わせて、格好を付けたがるタケルを想像して、二人して笑った。せいぜい、格好をつけてもらおう。その姿が、誰かの希望となるように。
トウエンの言葉を胸に、クシナダは彼の後を追う。
後の時代。
安達ケ原と西涼は正式に和平を結び、やがてトウエンとライコウが結婚することで一つの国となった。
国の名は『倭(ヤマト)』。
先読みの能力を持つ巫女を女王として戴き、優れた将兵たちに守られた倭は、しかしながらその武力だけではなく、まずは和をもって諍いの絶えなかった近隣諸国を説き伏せ、次々と併合していった。トウエンから七代後の女王ヒミコの時代、遂には並ぶもの無き巨大で豊かな国家となった。
そこには理想郷の一つの形があった。姿形は違えど、同じ心を持つ多種多様の種族が暮らし、女王の先読みの力で作物の不作を知らず、誰もが笑って豊かに生きられる国だ。
また外敵に対しては、恐ろしく強い軍が民を守った。倭の兵は普通の兵に比べ体が大きく、力も強い。それだけでも脅威であるのに策略にも富み、倭を話で丸め込もうとする臆病者と侮り戦争を仕掛けた国は、酷く痛い目を見てから倭の傘下に加わったという。
余談だが、戦争や災害が起こった際、それらに対して素晴らしい功績を上げた者には国から褒賞と称号が与えられる。かつて国家の未曾有の危機を救った男の名にあやかり、倭を救った英雄、という意味を込めて。
ヤマトタケル、と。
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