第9話 彼の居ぬ間に

 夜も大分更けた頃、外がにわかに騒がしくなった。さっき雨が止んで、ようやく静かになったと思ったのに、とクシナダは布団から起き上がる。隣で眠っていたはずのトウエンはいない。布団がめくれあがり、主が外へ出ていることを示唆していた。騒ぎを聞きつけ、先に向かったのだろうか。気になったので、同じように外へ向かう。

 外に出ると、門前の方でいくつもの松明が灯っている。家の中では何かわからなかったが、風に乗って運ばれてきたのは、人の怒声のようだ。

「起きたか」

 先に外に出ていたトウエンが振り返る。

「何かあったんですか? まさか、敵が攻めて来たとか」

「そういう類ではなさそうじゃ、が」

 ふうむ、と顎に手を当てて考え込む。

「どうかしましたか?」

「いや、この声、どこかで聞いたことがあるのじゃが、誰だったかのう?」

「村の誰かの声、では無いのですか?」

 村以外の者、という意味を込めて尋ねる。さっきからクシナダの耳に届くのは「おとなしくしろ」だの「トウエン様呼んで来い」だの「殺せ」など等だ。部外者なのは間違いない。

「うむ。しかし、何度か聞いたことがあるのじゃ。誰じゃったか?」

 まあ、行ってみればわかるか、と、トウエンは歩き出した。クシナダもその後に続く。

 門前に近付くにつれ灯りと喧騒は大きくなっていく。村中の男衆が集まっているようだ。彼らは全員、同じ方向を向いている。術を使っている者もいるのか、所々で凸凹した影が出来ていた。

「トウエン様」

 一番手前にいた男がこちらに気付いた。すっとトウエンに前を譲る。他の連中も彼女に気付き、騒ぐのをやめ、道を譲っていった。割れた人垣の先にはぽっかりと空間が開いている。そこに、一人の男が縄で縛られて転がっていた。幾らか暴力も振るわれたらしく、口の端と鼻からは血が流れ、乾いた跡があった。気を失っているのか、仰向けのまま、口をぽかんと開けて目を瞑っていた。

「トウエン様、丁度呼びに行こうと思っておったところです」

 年かさの男が進み出た。術を解いておらず、トウエンの二倍は大きい。それが、彼女の前で大きい体をかがめて傅く。クシナダも昼に一度会っている。守り人たちを束ねているクラマと言う男だ。

「クラマか。一体何があった」

「は。実は・・・」

「この声、もしや、朱姫か!?」

 クラマの巨体の後ろから弾んだ声がした。全員がその方向を向くと、仰向けで倒れていた男が体を起こし、目を爛々と輝かせて、トウエンを見つめていた。

「おお、遠くからでもその美しさはわかっておったが、近くであればもう輝かんばかり、この暗闇の中で輝くきら星の如き美麗さよ。いや、貴女の前では星も月も恥じて雲に身を隠すだろう」

 男の口からすらすらとトウエンを褒め称える言葉が零れ落ちた。

「・・・クラマ、こやつまさか、西涼の?」

「はい、西涼の将、儂らを散々苦しめたライコウです」

 トウエンが憐れみとも呆れとも困惑とも取れない微妙な顔をした。そして、まるで餌を前にした犬のように、もし尻尾があれば千切れんばかりに振っているであろうライコウに目を向けた。わずかに、トウエンの頬がひくついた。

「大丈夫ですか?」

 クシナダが近づいて声をかける。

「ん、うむ。大丈夫じゃ。で、その、間違いないのか?」

 改めて、クラマに問う。これがあの、我々を苦しめ、縦横無尽に戦場を駆けまわった、安達ケ原の戦士たちをして強敵と言わしめた男なのか、という意味だ。

「間違いありません。儂も一度奴と剣を交えたことがあります。後はタケマルやゼンが奴率いる部隊とぶつかっております。その二人も間違いないと言っておりました。ただ、儂が会ったライコウは、このような腑抜けた男ではなく、敵ながらあっぱれと呼べる、将としても、武人としても恐ろしい男でしたが」

「ふむ、そうか」

「何か、奴からよからぬ声をお聞きなされたか」

「よからぬ、と言えばよからぬが、この村に対してのことではない。安心せい。この者は我らを害する気はさらさらない」

「では、何ゆえこの敵地に?」

「さて、それは本人の口から聞くとしよう」

 すっとライコウの前に進み出る。

「西涼のライコウ将軍じゃな? 一体何が目的で」

「おお! 我が名を知っていただ行けているとは恐悦至極感謝感激雨霰! 今日この日が己のこれまでの人生の中で最高最大の幸福の記念日であろう!」

 言葉を途中で遮られたトウエンは、今なお訳の分からんことをわめくライコウをしばし冷たく見下ろして、次にクラマに目くばせし、

「黙らせろ」

 と命を下した。はい、と二つ返事でクラマは答え、ライコウの両足をまとめて片手で掴み、さかさまに吊り上げた。

「ちょ、おい! 今が好機、せっかく麗しの姫と話せておるというの」

 わめくライコウに構わず、クラマはそのままぶんぶんと腕を振り回した。妙に間延びした野太い悲鳴が、結構長い間木霊した。

 げえげえとその場で胃の中の物を戻し、静かになったライコウに、トウエンはもう一度同じ質問をした。さすがに冗談を言っている場合ではないと思った彼は、真面目な顔をして、ここに来た次第を話す。

「明後日、西涼が攻めてくる」

 ざわ、と周囲がざわついた。

「ほう、いつかは来るとは思っておったが。して、お主は何故、我らにそれを教えてくれるのじゃ?」

「己は、この戦を止めたいのだ」

「面白いことを言いよる。もともとはお主たちが始めた戦ぞ」

「そうだ。だから止めるのだ。この戦は間違っている。間違いは正す。それが己の責務だ」

 そう言って、ライコウは周囲の男達を見回した。

「己は、お主らの仲間を討った。許してもらえるとは思っとらん。この中にも、己を殺したいほど憎い者がいよう。だが頼む。この戦だけは、己に協力してくれ。この戦が終わった後であれば、侘びとしてこの首、お主らに差し出そう」

 だから、頼む。ライコウはそう言ってトウエンに頭を下げた。その姿に誰もが驚いたが、それでも信用できないと言う者が半数以上と言ったところだ。ライコウのこの行動こそが罠ではないかという意見もあった。

 ふむ、とトウエンはあごをさする。

「クラマ。ライコウ将軍の縄を解いてやれ」

「・・・よろしいのですか?」

 トウエンは首肯する。

「再度こやつの心を探ったが、やはりこやつに我らと敵対するつもりはない。そして、この戦を止めたいというのも本音のようじゃ。明後日攻めてくるというのもな。一人でも仲間が欲しいこの時に、向こうの情勢と手の内を知っている者が協力を求めておる。しかも目的は同じ。渡りに船じゃ」

 巫女の言葉に誤りはないことを、クラマは良く知っている。一つ頷くと、それ以上異議を唱えることもためらうこともなく、ライコウの後ろに回り、縄を切った。

「朱姫、感謝します」

 縛られていた手首をさすりながら、ライコウは感謝した。

「まだまだお主からは話を聞かねばならんからの。あのままでは話し辛かろう。・・・しかし、何じゃその、朱姫というのは。勝手な名前を付けるな。儂の名はトウエン。安達ケ原の巫女じゃ」

「トウエン・・・なんともまあ美しき名よ。名は体を表すのか、それとも体にふさわしき名が宿ったか」

 腕を天に掲げながら勝手に感動するライコウをよそに、というより半ば無視して、トウエンは村の者たちに指示を出す。夜間の見張りだけ残し、他は解散させ休ませる。自身はクラマと共にライコウを連れ、家に戻る。策を練らねばならない。

「クシナダ、お主も今日は休め」

 傍にいた客人に声をかけた。夜も深いことも相まって、クシナダはお言葉に甘えようとしていた。だが、それを許さないものがいた。ライコウだ。

「クシナダ・・・? お主、クシナダと言うのか?」

 我に返ったライコウが、クシナダに詰め寄る。

「ええ、そうですけど」

 体を引き、少し警戒しながら肯定する。

「ではクシナダ、タケルという男に心当たりはないか?」

「どうして彼を知っているの?」

「知っているも何も、己を西涼から逃がしてくれたのは奴だ。安達ケ原に行き、クシナダという女を訪ねろと言っていた」

「タケルが?」

 そういえば、タケルが向かったのは西涼だ。そこでライコウに会ったとしても不思議ではない、が、なぜ彼はここにいない?

「タケルはどうしたの? あなたを逃がしたって言ってたけど」

 尋ねると、ライコウは顔をしかめて、伏せた。

「・・・奴は、己を逃がすために、死んだ」

 頭が、その言葉の意味を理解するのにずいぶんとかかった。あの男にこれほど似合わない言葉は無い。

「死んだ、って・・・」

「逃げる途中、雷に打たれて。もしかしたら、あれすらもケンキエンの術かもしれぬ」

 ライコウの話では、まるで狙っているかのように自分たちの真上に雷雲が湧きあがったという。

「有りえぬ話ではないな、お主の言うケンキエンとやらが儂の見た巨大なものの正体であるなら」

 西涼に分厚く真っ黒な雷雲を思いだし、トウエンはブルリと体を震わせた。そして、心を痛めているであろうクシナダに二人が顔を向ける。さぞ心を痛め、悲しんでいるかと思いきや、何やら思案顔で物思いにふけっている。

「クシナダ?」

 トウエンの呼びかけに、ハッと我に返った。

「今は、あいつのことはおいておきましょう。ライコウ、将軍? それで、タケルはどうして私を尋ねろなんて言ったのでしょう?」

 さほど気落ちしているようには見えない彼女の淡々とした質問に、むしろライコウが戸惑った。

「あ、いや、確か『蛇神の時に使った罠を覚えているか』と。何のことかさっぱりわからんが」

 それを聞いて、クシナダは再び考え込む。もちろん、蛇神の時に用いた罠のことは覚えている。ヤマザトにもイカルガにも興味本位で尋ねたことがあったからだ。原理は簡単で、彼らの作ったパイルバンカーのように精密なものは作れないが、似たようなものは時間と労力と材料さえあれば作れると思う。しかし、それが必要ということは、相手は人ではないことになる。タケルは、これから相手をする敵が蛇神級の厄介な相手だと伝えたかったに違いない。

「そこまで」

 トウエンが柏手を打った。

「お主らが持っておるものを一度、全てださねばならんようじゃな。クシナダ、済まぬがお主も我らの話し合いに参加しておくれ」

「もちろんです」

 彼女の返事に、トウエンは深く頷く。踵を返し、自宅へ向かう。早急に手を打たねばならない。そうしなければ、あの夢が現実のものとなってしまう。決意を固めたトウエンの後ろを、クシナダ、ライコウ、クラマが続く。


「我が国を今牛耳っておるのは、ケンキエンという女だ」

 広間で最初に口を開いたのはライコウだった。

「ひと月ほど前、あの女は王の寝所に現れた。全てはそこからおかしくなった。兵たちの意識がゆがめられ、安達ケ原の者たちと争うように仕向けられた。かくいう己も操られていた」

「操る?」

 クシナダの疑問に「そうだ」と首肯した。

「タケルも言っていた。ケンキエンの言葉は何一つ間違っていない、そういう風にされていると。己は運よく術が解けた。だが、他の者たちは依然術にかかったままだ」

「お主は、その者たちの術を解いてやりたいと思っておるのだな」とクラマは頭を搔く。いまだに目の前のライコウに対して複雑な感情はあるが、同情の余地はあるとクラマは思っていた。仲間を失った怒りをぶつけるべきは他にいる、と。ならば今は、余計なわだかまりは捨て、ライコウに協力すべきだ。血の気の多い村の若い者たちは急には納得できないだろうが、それを取り持つのが自分の役目だ。そう自分の方針を固めた。

 クラマのそういう思いが伝わったか、ライコウも持てる情報全てを伝えるために、彼の質問にきちんと答える。

「ああ。術さえ解ければ、あいつらが貴女方と争う理由は消えるはずだからな」

「しかし、どうやって解けばよいのだ?」

 クラマは当然の疑問を口にした。

「ライコウ将軍と同じ方法を取ればいいのではないでしょうか? 運よく、とおっしゃっていますが、他にも何か要因はあるやもしれませんし」

「あ、クシナダ、それは」

 クシナダのもっともな意見に、顔を曇らせたのはライコウではなくトウエンだった。彼女はライコウの術が解けた原因を知っていた。聞こえたのはまさかの、自分に対する『恋慕』だ。彼女にとって、人から向けられるのは大体が畏敬の念だった。ライコウのように口からも心からも同じ自分を慕う声が聞こえて、生まれて初めて彼女は人間関係で戸惑っていた。巫女として生まれ、ずっと崇められてきた彼女にとってそれは初めての感覚であり、仕方がないと言えた。しかしそれを表に出すのは憚られる。良くわからないが、どうも恥ずかしかったからだ。だから止めようとした。

「聞きたいか? ん? そんなに聞きたいのか?」

 しかしライコウというと、嬉々とした表情でクシナダに向かって前のめりになった。話したくて仕方がないらしい。

「よし、そこまで言うのであれば聞かせてしんぜよう。そう、それはな、一つの運命的な邂逅が己をすく・・・」

「ライコウ将軍」

 吹雪よりも厳しく冷たい声が、ライコウを凍てつかせた。

「今は、そんな話で時を無駄にしたくはないのじゃがな」

 長年トウエンに仕えてきたクラマですら、彼女のこんな恐ろしい、心臓を鷲掴みにするような声を聞いたことはなかった。三人は恐る恐る彼女を見る。にこにこと、不自然な微笑みを湛えるトウエンがいた。だが、その顔が、目が言っていた。余計なことは喋るなと。

「・・・話を戻す。タケルは、ケンキエンが我々の戦によって流れる血を食い物にしているとも言っていた」

「戦場に穢れが無いのは、そのケンキエンとやらが喰っていたためなのじゃな」とトウエンが相槌を打つ。

「はい。この点から見ても、我々が争ってはならないことは明白です」

「しかし、西涼の兵は操られているのだろう? さっきも言ったがどうやって術を解く?」

 再度問うクラマに、ライコウは答える。

「タケルが言っていた。ケンキエンが我々を争わせるのは、結局のところ食い物を料理しているようなものだと。だから、その食い物が食えないようにすればいい」

「いや、だから、それをどうするか、かかっている術が問題であろう。何か策があるのか?」

「今は無い」

 はあ? とクラマが呆れる。

「だから、これから作るのだ」

 ぐるりと、ライコウがクシナダに顔を向けた。

「己は、そこでお主の出番だと思っている」

「なるほど。蛇神の時のことを覚えているか、ね」

 タケルが言いたかったのは、ケンキエンという正体不明の化け物と戦うための罠と同時に、西涼の兵を可能な限り殺さずに捕らえる罠を用意しろ、という事なのだと解釈した。

「タケルは、他には何か言っておりませんでしたか?」

「己に、安達ケ原の戦力を確認しろと。何が出来て何が出来ないかを見極めろと」

 なるほど、とクシナダはまた頷いた。

「我らが血を流さない、死者を出さない戦い方をしていれば、ケンキエンは焦れて、自ら打って出てくるとタケルは言っていた。本性を現せば、術をかける必要はなくなるし、その本性を見て兵たちの術も解けるのでは、とも」

「そして、我らと西涼の兵が力を合わせてケンキエンと戦う、そういう絵か」

 クラマの結論に、ライコウが首肯する。

「では第一に、西涼の兵を死なせずに捕らえることからじゃの。ライコウ将軍。彼らは我らを見て、どう動くか」

 罠を張るにしても、敵がかからなければ罠に価値は無い。そういう意味では、相手の用兵術は重要だ。

「己ならば、やはり正面からはぶつからんでしょう。クラマ殿もだが、やはり貴方たちの怪力は脅威。まともに受ければ敗北は必至。なので、馬と弓を用いる。クラマ殿には愉快な話ではないかもしれんが」

 ちらとクラマの方を見る。頷くことで、クラマはライコウに話を続けるよう促した。こちらにも相手に劣るところがいくつもあることは承知している。それを克服するための話し合いだと理解していた。

「確かに、安達ケ原の者たちは強い。ケンキエンから術のことを聞かされたとて、その力が減じることなどない。一薙ぎで何人もの兵を蹴散らし、盾で防ごうとその上から粉砕してくる力はやはり脅威だ。だが、それだけだ。その力が及ばぬ場所では何一つ恐れることが無い」

 クラマは、これまでの戦いを振り返る。一戦目は、自分たちの勝利で終わった。ライコウが今しがた言ったように、攻めてきた西涼の兵たちを真正面から迎え撃ち、返り討ちにした。しかし二戦目からは辛い戦いが続いた。自分たちが絶対の自信を持つ力が発揮されない場面が数多く存在したためだ。力を振るおうとしてもその先に敵は無いか、または受け流される。かと思えば、敵の攻撃はやすやすとこちらに届く。トウエンが指揮に立ち、敵の心を読むことで次の手を探り、後手後手に回りながらも対処していたから、まだ大きな被害は出なかった。彼女の力無くば、すでに全滅していてもおかしくない。力はこちらが上でも、数では圧倒的に不利なのだ。

「己ならば、まず囮をあなた方の真正面に配備する。あなた方がそれに向かって攻めてくれば、弓で突進力をそぎつつ防御しながら後退、その間に騎馬で背面を取らせる。もしそれが囮とばれても構わぬな。他を警戒し薄く広がったあなた方の陣をそのまま囮部隊が攻め入り食い破る。散り散りになれば、後は各個に撃破していけばよい。その頃には騎馬隊も弓隊も現れ、ここを完全に包囲するであろう」

 ううむ、とクラマが唸った。完全に自分たちの弱さを見抜かれていた。勝てぬはずだと目の前の男の評価を改める。

「では、我らが彼らに対抗するには、どうすればよい?」

「己なら、籠城する。あなた方の力は攻撃ではなく防御に活かす。この村の出入口は一つ。どれほどの人間がいようと、扉に張り付ける人数は限られる。そして、同じ人数ならあなた方が力で負けることはない。門は死守できる」

「しかし、いつまでも門にこだわらないと思うが。西涼とは違い、囲う柵は木だ。火でも使われたらあぶりだされてしまう。今度は、一か所から這い出る我々が狙われるぞ」

「問題はそこなのだよなぁ」

 痛い所を突かれた、という風に、ライコウは押し黙ってしまった。もしや万策尽きたのかとクラマが声をかけようとして、先んじたのはトウエンだ。

「将軍。構わぬ。お主の考えていることを話せ」

「え?」

 クラマは、自分の主が言っていることが、一瞬理解できなかった。策は尽きたのではなかったのか。

「今は、ケンキエンとやらを止めるのが肝要。他のことは、皆が生きておれば何とかできる。どんな策でもよい。全て話してくれ」

「トウエン殿・・・」

 瞑目し、大きく息を吸って、吐き出す。その一連の動作を何度か繰り返して、ライコウの腹は決まった。

「己の策は、まず女、子ども、戦えない者たちを全員逃がす。そして、敵をこの安達ケ原の柵の中におびき寄せ、家屋を利用し軍を分断、各個撃破する」

「我らに、村を捨てよと、そう申すか」

「そうだ。少数で多勢に勝つにはこれしか思いつかなんだ。一対百では勝てぬが、一対一が百度であれば負けぬ。しかも捕らえればすぐさま家の中に放り込んで閉じ込められるのだ」

 理にかなっている。だが、納得はできない。トウエンもクラマも渋い顔をしている。今まで長く住んでいた故郷を捨てるというのは、そこに注ぎ込んだすべてを失うということだ。

「ライコウ将軍」

 重々しく、トウエンが口を開いた。

「その策で無くば、我らは勝てぬのだな」

「己の考えうる限りでは、そうです」

 それを聞いたトウエンは、クラマに向き直る。

「明日、儂から皆に話す」

「トウエン様!」

「家は壊れたら直せる。田畑は耕しなおせるのだ。人が生きている限り」

 しかし、死ねば終わってしまうのだ。血を吐くような思いでトウエンは決断した。誰よりも村のこと、民のことを案じていた彼女がここまで言うのだ、クラマも腹をくくった。

「ライコウ将軍、クシナダ。皆を、安達ケ原の民も、西涼の民も、皆を救ってくれ。そのためであれば助力は惜しまぬ。この家も明け渡そう。家具も全て好きに使ってくれ。他にも入用なものがあれば全て用意する。皆は儂が説得する」

 心の読めない二人にも、彼女の強い思いは伝わってきた。

「全身全霊、命を賭けてこのライコウ、必ずや貴女の願いを叶えて見せよう」

 愛する者からここまで頼られ、燃えない男がいようか。胸を叩き、力強く応えた。

「私も、微力ながらお手伝いします」

「二人とも・・・有難う。感謝する」

 そうと決まれば、とクシナダは再び思考を巡らせる。この村の全てを罠として使えるなら、対蛇神で用いた罠が使える。落とし穴やパイルバンカーはもちろん、彼らの腕力を用いればもっと効果的な物も可能だ。

「あ」

 ふと思いだしたのは、この村を囲う柵だ。あれはもちろん外からの侵入を防ぐためのものだ。もしあれが、自分たちに迫ってきたらどうだろう?

「どうした?」

「いえ、もしかしたら、なのですが」

 思いついたことを彼らに話す。三人は、一度話した時はその意味が理解できず首を傾げ、二度目でようやく合点がいった。

「確かに、それが出来ればかなり大勢の兵を捕らえることが出来る。しかし、可能か?」

 ライコウが、この作戦の肝となる安達ケ原の兵、その代表であるクラマを見上げた。

「不可能ではない。我らがあの柵をこしらえたのだからな」

 自信ありげにクラマが言った。

「でも、作ったりする時間は大丈夫ですか? 攻めてくるのは明後日、いえ、もう明日の朝ですが」

「材料については問題ない。この家を解体するがよい」

 トウエンが両手を広げた。

「言ったであろう。この家も好きに使えと。儂のためにと皆が良い木で建ててくれたのだ。皆のためになるなら、この家も本望であろう」

 「な?」と片目を瞑っておどけて言う彼女。心撃ち抜かれた男が一人、幸せそうな顔で気絶した。そのまま大いびきをかいてその場で眠ってしまった。余程疲れていたのだろう。眠りこけた彼にトウエンが毛布をかぶせて、三人は明日に備えて眠ることにした。


 早朝、日が昇って間もないころに、トウエンは村人たちを呼び集めた。隣にライコウを立たせて、これからのことを伝える。彼女がまず伝えたのは、この村を捨てると言う事。一番大切なことからきちんと説明しなければ、納得も、今回の作戦も協力してもらえないと彼女は考えていた。人の心を読めるからこそ、人の心を無視することはできない。戸惑う彼らに、彼女は頭を下げ、真摯に頼み込んだ。

「頼むだなんて、水臭いこと言わないでください」

 戸惑いこそあったものの、誰も彼女を責めたり、村を捨てることに不満を抱く者はいなかった。最初に口を開いたタケマルのこの一言が、村人たち全員の心情を現していた。

「俺たちは、これまでずっとトウエン様に守られてきた。その恩を忘れてるやつなぞこの村には居やしません。言ってくださいよ。何をしたらいいか。恩を返すためなら、俺たちに出来ることなら何でもやりますよ」

 そうですよ、やりますよ、集まった人々は口々にそう言った。

「皆、有難う」

 こっそりと、溢れていた涙をぬぐう。再び顔を上げたトウエンはいつも通り、決然たる口調で村人たちに指示を飛ばす。

「女、子どもはすぐに家に帰り、荷造りを。持って行くのは必要な物だけにして、荷物は出来る限り少なくするのじゃ。クラマ、男たちに指示を」

「かしこまりました」

 恭しく頭を垂れ、前に進みでる。

「これから人手を分ける。半分は、これからトウエン様の家を解体する。足りなければ他の者の家もだ。それで必要な木材を得る。もう半分は、その木材を用いて罠の準備だ。ヤシャ、お前は手先の器用な奴を見繕って、罠を創る連中をまとめろ」

 はい、と背がひょろっと高い男が返事をした。

「ライコウ将軍、クシナダ殿。お二人はこのヤシャと共に罠作りをお願いしたい」

 初めてその場がざわついた。

「クラマの大将、どういうことです!」

「そいつは敵の将だった男ですよ! そんな奴と協力しろってんですか」

 喧々囂々、反対の嵐が巻き起こった。

「静まれ、皆の者!」

 トウエンの一喝に、野次は止んだ。しかし、まだぐちぐちと不満を述べる者たちは過半数を占める。

「昨日、ライコウ将軍が言っていたであろう。彼は過ちを正すために我らに協力すると。そして、儂はそれを受け入れた。今、彼以上に西涼の事情に詳しい者がいるか? 昨晩の我らの話し合いでも、彼はいくつもの案を出してくれたのだ。自分の仲間と敵対してでも、この戦を終わらせようとしているのだ。その心意気を信じられぬのか?」

「し、しかしトウエン様。それこそが西涼の奴らの罠かもしれないんですよ? 奴らは俺たちの術を知っていた。なら、トウエン様の心を読む力も知っているかもしれない。そいつの様な嘘のつけない奴を追い出し、わざとここに向かわせて、こっちを騙すつもりかもしれないんですよ?」

「もちろん、その可能性もある。しかし、それとライコウ将軍と共に戦うということは別の話ではないのか?」

 トウエンの説得にも、彼らはまだ「しかし」「それでも」と否定的な言葉を発する。まずいな、とトウエンは内心頭を抱えた。不安を持ったままでは戦いに集中できない。連携も取れない。一番大事な場面で、そこからほころびが生じることは想像に難くない。

「トウエン殿」

 当の本人が、トウエンをじっと見つめていた。

「ここは、己に任せてくれぬか」

 応える前に、ライコウは一歩、いまだざわめくその場に踏み出した。全員が、仲間を傷つけ、殺した男を睨みつけた。殺意、敵意、憎しみのこもった視線を受けながら、ライコウは真直ぐに立っていた。

「己のことが憎かろう。仲間を殺し、家族を脅かした、このライコウが」

「ああ、憎い。殺したいほどだ」

「奇遇だな。己もだ」

 あっさりと、ライコウは相手の神経を逆撫でるようなことを言った。ぞわ、とその場に満ちる負の感情が形を成したかのように、空気を重くし、息苦しくさせる。あるものは術を使い体を強化し、あるものはその手に剣を、棍棒を、槍を握りしめた。そんな中で、ライコウは話し続ける。

「己も、仲間を殺された。いつも助けて世話してくれた先達、己の後を追いかけて兵になった若者、皆、この戦で死んだ。己もお主らが憎かった。だがそれ以上に、死んだ者の家族がお主らと、ふがいない己を恨んでいた。どうしてあの人が、あの子が死ななければならなかったのかと、生き残った己に言うのだ。それからずっと考えていた。誰も死なせずに済む方法を。いくつもの策を考えた。兵の動かし方を寝る間を惜しんで考えた。それでも誰かが傷つき、倒れる。あれもダメ、これもダメ、ずっと、ずっと考えていた。そして、ようやく至ったのだ。戦をせぬことが、最も戦で死人を出さずに済む方法だと」

 ライコウの言っていることは無茶苦茶だった。だが、誰もが憎き相手を前に、その言葉を聞き逃すまいとしていた。戦で死人を出さないこと、それは、彼らの敬うトウエンが常日頃考えてきたことだからだ。

「もちろん、この戦を始めてしまった我ら西涼は、その責任を取らねばならん。だから、昨晩言った。この戦が終われば、安達ケ原、西涼、双方の兵を一番殺した、最も罪深き己の首を差し出そう。己と、この戦の黒幕であるケンキエンの死をもって、この戦を終わらせたいのだ。他の誰も死なせぬために、己はこれから戦うのだ」

 ライコウは周りにいる一人一人の顔を見回す。

「それでも討ちたいのならば、この首取りに来い」

 誰もが吞まれた。ライコウという男の覚悟を感じ取ってしまった。同じ男として、武人として、同じように守るべきものを持つものとして、その熱意を頭ではなく魂で理解してしまった。

 心を読めるトウエンだからこそはっきりと見えた。ライコウの内で燃える炎が、言葉を伝って他の者たちに伝染していくのを。憎しみと復讐の暗闇の中に、確かに違う何かが生まれた瞬間を目の当たりにした。これが、西涼の兵を率いていた男の器か、と。昨日の愚かな姿は儂を油断させるための演技ではないかと思わせるほどだった。

 一人、また一人と武器を降ろしていくのが見えた。

「納得したわけではないぞ」

 一番前にいたタケマルが言った。

「貴様の兵が、この村に毒を撒いたこと、それでまだ苦しんでいる者がいること、ゆめゆめ忘れるな」

「わかっている」

 そのやり取りを見終えて、トウエンは一つ手を打った。人の意識が切り替わるときにも似た音が人々の耳朶を打つ。

「では、時が惜しい。皆、作業に移っておくれ」

 応、と威勢のいい返事一つ残して、各々が作業のために散った。彼女もまた、己が責務を果たすために動きだす。

 クシナダはそれらを見ていた。いつかの、蛇神に挑んだ自分たちのことを思いだしていた。あの時も、反発する村人と異世界からの彼らとが協力し、知恵を出し合い、策を練り、力を合わせて敵を迎え撃った。ほとんどがあの時と類似して、大きな点で違っていた。この場に、あの時一番の功労者が、死にたがりの男がいないのだ。

  

 快晴の空の下を万の兵が進む。術によって正気を失ったライコウの代わりに、軍を率いているのはキントだ。彼の内に渦巻くのは怒りだ。幾人もの仲間を殺し、あまつさえライコウを陥れた化け物どもを、この世から抹殺する。彼にとって、ライコウは幼い時から手のかかる弟であり、尊敬すべき上司であり、これ以上ない位頼もしい戦友であった。それは、他の兵たちにとっても同じだろう。彼がいるだけで士気が上がる。周りに力を与えるような、絶対的な存在であった。そのライコウに術をかけ、王を殺害させ、ケンキエン王妃にまで危害を加えようとした。許されざる所業だ。

「今日こそは」

 ぎっと目の前を睨みつける。憎き化け物どもが住む村が、面前に見えていた。あの村を焼き払い、全員を殺し蹂躙し尽くすまで、この憎しみは消えないだろう。

 王よ、ライコウよ、あの世で見ていてくれ。我らが勝利する様を。

 実際ライコウが死んだところを見たわけではないのだが、術で操られ正気を失っているのなら死んだも同じ。それに、キントは彼が逃げた方向に何度もすさまじい雷が落ちるのを見た。おそらくケンキエン王妃のお力だ。裁きを受けたに違いない、とキントは思い込んでいた。

 頬当てを装着し、いよいよ合戦の時が近づく。相手も、こちらの動きは察しているだろう。キントたちは、わらわらと害虫が逃げ出すように、あの巨大な門から出てくる場面を想像していた。そうすれば、正面にいる自分たちが一当てし、その隙に奴らを包囲するために両翼が動く。今までは相手の注意を分散し、力をじりじりと削ぐために動いていたが、今回は違う。包囲し、殲滅するための陣だ。

 だが、キントたちの思惑は外れた。いつもならすでに打ち合っていてもおかしくない距離になっても、出てくるどころか、いまだ一人の敵も姿を見せないのだ。何かの罠かと慎重に歩を進める。緊張感をみなぎらせながら、足元を確かめ、周囲に目を配り、一歩ずつ進む。しかし、その苦労と努力をあざ笑うかのように、何の障害もなく彼らは門前まで到達できてしまった。しかも、あろうことか門は開かれていた。恐る恐る覗く。予期していたような苛烈な攻撃はまるでなく、中はしんと静まり返っていた。

「キント様、こいつは一体」

 隣にいた兵が、不安げに尋ねてきた。そんなことは、キントの方が聞きたいくらいだった。

「じっとしていても始まらん。部隊を編成し直す。十人一組の部隊を二つ作って左右から調べていくぞ」

 キントの指示に従い、最初の二組が恐る恐る、未知の領域に足を踏み入れた。彼らが調べ終わるまで、キントたちは周囲を警戒しながら探索を行う。村の周りも、十人一組にした二つの部隊を左右同時に進行させた。

 異変が起きた、正確には起こっているのではないかと兵たちが思い出した。出発してから誰一人戻ってこないからだ。残った兵たちに動揺が広がっていく。まさか、もう、そう言う声があちこちから届く。悲鳴もなく、只消えるということがこれほどまで残されたものに影響を与えるとは思わなかった。これまでの奴らの戦い方とはまるで違う。

「キント様。ここに化け物どもが潜んでいるのは明白。こうなれば、この村を焼き払い、あぶりだしてやりましょう!」

 血気盛んな若い兵が言う。確かに明暗に思えた。

「出来ん」

 だが、キントはその提案を拒否した。

「まだ、中に入った者たちが生きているかもしれん。うかつに火責めなどできるわけがない」

「ならどうなされるおつもりですか」

 若者の非難めいた問いに、キントはどうしようもなく、嵌められた、ということをおくびに出さないまま答えようとして

「あああああぁぁぁ」

「ひやああああぁぁ」

「うわああああぁぁ」

 村の奥の方で悲鳴が上がった。まずい、とキントが声を上げる前に、彼が最も恐れたことが起こった。

「キント様、悲鳴です!」

 言うや否や、居ても立っても居られないという風に、仲間を助けるべく前線の兵たちが血気に逸って門へなだれ込んだ。そうすると、後続も命令が出たのかと後に続く。止める間もなく、また抗うこともできず、キントは人の波に押されるように門へと押し流された。その門は、キントがくぐろうとしたその一瞬、大きな化け物の口に吞まれていくような錯覚が見えた。

 なだれ込んだ戦闘は門を渡り、その勢いのまま村の中央まで進軍した。中央を中心に十文字型に大きな道があり、家屋は碁盤目状に並んでいるようだ。

「悲鳴があったのは、もう少し奥の方だろうか」

 あたりを警戒しながら、先頭が前と左右の三方向に分かれる。人海戦術で一気に村の中を捜索しきってしまおうという腹だ。水がアリの巣に流れ込むかのように、兵たちは流れ、家屋に浸入する。壁を破壊してまで家探しを行ったが何も見つからない。まるで廃墟に紛れ込んだような気がして、それも兵たちを不安がらせた。誰もいないのに、なぜ先遣隊は戻らなかったのか。悲鳴だけが聞こえてきたのか。わからないことが、余計に不安を煽る。

 そんな時だ。

「いたぞぉっ!」

 奥の方にある、一番立派な家から、猿轡を噛まされ、縛り上げられた先遣隊が発見された。村の周囲を回っていたはずの連中も、同じ場所に縛られて転がされていた。

 先遣隊発見の報告を受け、キントが駆け寄る。縄をほどくように指示し、彼らの前に立った。先遣隊をまとめていた兵長に声をかける。

「どうした、何があっ」

「お逃げください!」

 猿轡を外され、開口一番、兵長はそう言った。

「罠です、この村は、丸ごとが罠なのです!」

 言葉の意味を理解する前に、外からまたも悲鳴が響く。キントは部下を連れて外に飛び出した。

 目に入ってきた景色は、最悪の事態を想定していたキントの想像以下だった。

 誰かが怪我しているわけでもない。戦っているわけでもない。敵が見える所にいるわけでもない。

 近くの、ずっと外にいた一人に話を聞くが、その者も良くわかっていない。ただ遠くから悲鳴がしただけだと言うばかり。周りの兵たちに尋ねても同じ結果だった。

「一体、何が起こっている?」

 目に見えた被害が出ていないにもかかわらず、キントの胸中は不安でいっぱいだった。その間も、また遠くで兵たちの悲鳴が耳に届き、残った無事なはずの兵たちを不安と恐怖で疲弊していく。

 異変に気付いたのは、いったい誰だったか。

「ん?」

 一人が、外に立つ柵に目をやる。自分の何倍もある大木を組んだ柵が、一瞬動いたような気がしたのだ。じいっと見る。しかし、柵は動かない。

「気のせいか」

 当たり前だ。柵が、木が動くなんて聞いたことない。敵地の緊迫した空気が幻覚を見せるのだろう。怯えているからそんなものを見るのだ。気をしっかり持て。気合を入れ、柵から背を向ける。

 ズズッ

「!?」

 またも振り返る。変化はない。あるはずがない。誰もいないのだから。

「え?」

 心なしか、柵の高さが変わっているような気がする。しかし、さっきまではこの距離からなら、手前にある家の屋根よりも低かった気がするのだが。首を傾げながら見続ける。

「おい、どうした?」

 ずっと柵を見続けている同僚を不思議に思った一人が声をかけた。

「いや、気のせいかもしれんのだが、あの柵の高さが変わったような気がするのだ」

「柵が?」

 馬鹿な、と同僚の話を笑い飛ばそうとして、その目の端が捉えた。同僚が指差す方向と別の場所の柵が動いたのだ。

「・・・動いた」

 同僚もその方向に目を向ける。わずかにだが確かに動いている。そのあたりから悲鳴が上がった。この因果が意味するところはつまり、理屈は良くわからないが、柵が動いているあたりでは、悲鳴を上げる何らかの事象が発生しているということだ。

 お互いに顔を見合わせる。とにかく良くないことが起こっているのは明白だ。残念なことに、事態は彼らに考える暇を与えなかった。風が巻き起こり、彼らの頬をくすぐる。今日は無風だ。しかもここは件の柵に覆われていて風が遮られるのに、だ。妙な圧力を感じ、その方向にゆっくりと振り向く。さっきまで遠くに合ったはずの柵が自分たちに数歩の距離まで近づいていたのだ。しかも、じりじりとその距離は縮まっている。混乱し、茫然とその光景を見ることしかできないでいる彼らの前に、とうとう柵が辿り着いた。

 良く見れば、柵は前後で多少ずれていて、自分たちの見ている真正面の柵よりも、左右にある柵の方が自分たちの方に出っ張っている。柵に段差が出来ているような状態だ。

 隙間の薄暗がりから、にょっきりとでかい手が伸びてきて、目の前の兵の頭を鷲掴みにした。そして、野菜でも引っこ抜くかのようにそのまま掴みあげ、隙間に連れ込んだ。もう片方も襟首を後ろから掴みあげられ、隙間に連れ込まれた。

「いらっしゃい」

 野太い声と太い縄が彼らを歓迎した。ぐるぐる巻きにされ、その場に転がされる。猿轡をかまされる前に、彼らは本当の柵がはるか後方に存在するのを見た。そこからこの偽物の柵までに、何人もの兵が自分たちと同じように捕まり、転がされているのを。

 ここにきて彼らはようやく悟った。この村の柵は二重になっていて、ぐるりと村を囲んでいる。兵を捕らえては柵と柵の隙間に隠していたのだ。兵が少なくなれば内柵の包囲を徐々に狭めて、今のように隙を見せた兵を捕らえる。あの時クシナダが考えた策だ。

「そろそろ気づかれたかな」

 うめき声を上げる兵たちの頭上で、安達ケ原の男達は次の手を打つことを検討する。

「確かに、これだけやってれば、気づかれていてもおかしくはないが」

「あの男の考えでは、半分の距離を超えたら後は全員同時に包囲を狭めることになっているが」

「まだそこまでは行けてないな。それに、右側は遅れ気味だ」

「代わりに左側が早いぞ」

「奥側はどうだ」

「あっちは敵兵も多く、上手く進めてないようだな」

「もともとあそこの主な仕事は敵兵を片付けることじゃない。おそらく敵の将がいるあの場所で、敵の動きや命令を読んで、俺たち周囲の連中に知らせることが目的だ」

「いざという時の合図もな」

「ふん。いけ好かないが、こうも上手くいくのなら、認めざるを得ないな」

「違いない。・・・とりあえず、今の様子を伝えるか」

 片面が綺麗に磨かれた銅鏡を取り出し、太陽の光を反射させた。その光の角度を調整し、正面と右側の柵の境目、角っ側にいる連絡係に向けて反射させる。連絡係もこちらの合図に気付いて、反射を返す。それを確認し、今度は反射している光の前に手を出したり外したりして点滅させる。それを同じ要領で三回繰り返す。昨日決めた合図だ。点滅の回数が三回なら前進成功、二回なら一旦中止、一回なら失敗という風にいくつか種類を決めておく。こうやって、安達ケ原の男達は遠くの仲間たちと連携を取り合っていた。

 しばらくして、連絡係からの合図があった。長い一回と、短く三回の点滅。

「おう、頃合いだそうだ」

「とうとう来たか。いよいよだな」

「腕が鳴るな。あいつらの度肝を抜いてやろうか」

「くっくっく、楽しみだな。今まで散々ぱらやられてきたのだ。今度は俺らの番だ」

 術のかかった巨人たちが昏い笑みを浮かべる。その様子を見て、その場に縛られて転がされていた西涼の兵たちが震えあがった。彼らの頭にはその知識は無い。だが、本能からくる恐怖が、目の前の化け物どもの総称を新しく創り上げた。

 人の及ばぬ怪力を持ち、人を陥れる知恵を持つ、額に角を持つ化け物。

「お、に・・・」


 異変が起きた。ばらけていた兵たちを中央に集め、敵襲に備えることを優先していた頃だ。

 一番端にいる兵がそれを目撃した。

「・・・浮いた?」

 その言葉の通り、彼らの目の前で、柵が宙に浮いたのだ。それだけではない。おどろおどろしいうめき声を上げながら、柵自体が兵たちを圧殺しようと迫ってきた。この地で果てた死者たちの呪詛のような声と物理的な壁、視覚と聴覚の二つが襲い掛かってくる。

 西涼軍は混乱した。少しでも逃げようとする端にいた兵と、中で何が起こっているか良くわかっていない兵とが衝突した。そこを退け、何があった、説明している暇はない、ふざけるな、その応酬がそこかしこで広がった。

「ふはははは、痛快だ」

「何もしなくともあいつら勝手に自滅していくぞ」

「どうしたどうした、俺たちにはビビらんくせに、只の木の棒ごときに腰抜かしてやがらぁ」

 反対に、柵を持って押し込んでいる安達ケ原の男達は笑いながら西涼兵を追いやった。その大きな笑い声すらも西涼兵を混乱させるのに一躍買い、軍の中心部では情報も人も錯綜しててんやわんやの大騒ぎ、混沌の坩堝と化していた。ついには元トウエンの家の周囲に追いつめられ、四方を柵で囲まれてしまった。日ざしを遮る高い柵に出口は無く、無理やり突き破ろうにも今度は多すぎる兵が邪魔になる。例え破れたとしても、外は敵が待ち構えていること間違いなし。火を用いることも検討されたが、そんなことをすれば全員が蒸し焼きになってしまう。完全に手詰まりだった。

「予定通りだな」

 その様子を見ていたライコウは腕を組み、うんうんと頷いていた。

「自分たちで案を出しておいてなんだが、本当に死人を出さずに西涼兵を封じてしまったなぁ」

 これまで自分が鍛えてきた連中が、こうも簡単に捕らえられたことに少しばかり悲しくなりながら。仕方のないことかと思う。それほどまでに、安達ケ原の連中の力はすさまじかった。自分が西涼にいたころ、彼らが軍略を持ち、組織として効果的な行動をされていたらと思うと背筋が凍る。確かに西涼は数では勝る。だが今回のように、それをいとも簡単に跳ね返すほど、一人一人が強すぎるのだ。

「さて、と」

 頭を切り替え、ライコウは視線を巡らせる。その先には西涼がある。

「おっ」

 思わず声が漏れた。西涼の真上に、分厚い雲が立ち込め始めたのだ。それは見る見るうちに広がり、遂にはライコウたちの真上も覆い、日の光を遮ってしまった。安達ケ原の連中も西涼の連中も揃って空を見上げる。雲の中を時折雷が走る。

「おいでなすったか」

 舌で唇をなめる。タケルの言った通り、我慢できなくなったのだ。すぐさま門の外へ飛び出す。同じように、斥候兼連絡係の任を負った仲間たちが後に続いた。

 一際大きな雷が西涼と安達ケ原の真ん中あたりに落ちる。苛烈な閃光が収まった後、雷の落下地点に人がいた。その場にそぐわぬ華美な着物に身を包んだ女だった。女はその場で両手を広げ、クルリクルリと舞い始めた。空が舞いに応じたように、ざあっと激しい雨が降り注ぎ、地面を濡らす。最初、ライコウたちはその行為の真意を測りかねた。雨を降らせたところで、こちらには傷を負わせることは出来ない。

 ライコウは自分の足元を見た。ぬかるみ、踏ん張りが利きづらい。足を上げるだけでも泥がまとわりつき、余計な力を奪う。いかに安達ケ原の連中の脚力があるとはいえ、機動力は半減するだろう。これが狙いだろうか。

「おい、ライコウ! 俯いてないであれを見ろ!」

 斥候の一人があわてて指し示す方向を見る。始めは何かわからなかった。どうも、地面がもぞもぞと動いているように見える。遂には見逃せぬほどの動きを見せ、地面を突き破った。

 誰もが目を見開き声も出せない中、次々と地面が突き破られる。

 それは白骨化した腕だ。半ばで千切れかけた足だ。皮が剥がれた人の頭だ。

「嘘だろ」

 誰かがぼやいた。後ろでえずいている者もいる。それほどまでに衝撃的な光景だった。地中から現れたのは、これまでの戦で死んだ者たちだったのだ。

「ウラ王・・・なのか・・・」

 ライコウの視線の先、憎きケンキエンの隣には、王の衣装をまとった骸骨がいた。それが本当に王の亡骸なのか、それともライコウを動揺させるために衣装を着せたのかはわからない。

「あれは、隣に住んでいたキリマの親父じゃねえのか」

「ガンジュの若造もいやがる。あのひょろ長い面、間違えようもねえ」

「皆、死んじまった奴らじゃねえか」

 斥候たちも、自分の知り合いを見つけてしまう。

「あの女、死者を甦らせたってのか!」

 真意はそれだった。雨を降らせたのは彼らが出てきやすいように土を柔らかくするためだったのだ。

「ライコウ将軍」

 雷雨の中を、その声は不思議なほど遠くまで響いた。まるで音と音の間をすり抜けたかのようだった。囚われた西涼兵の耳にも、その声は届いた。彼らが敬愛してやまない王妃の声だった。

「ケンキエン王妃の声だ」

「おお、ケンキエン様が助けに来て下さった」

「もう安心だ」

 何も知らない彼らは無邪気に喜んだ。無根拠にもこれが救いの声だと信じ切ってしまった。柵に囲まれ、彼女の周りの光景を見ていない彼らはある意味幸せだった。

「策を弄し、西涼兵を無血でとらえるとは、見事な手腕でございました」

 コロコロと、可愛らしく笑う。死者に守られて笑うその姿は不気味であり妖艶、まさに死者の国の女王だった。

「しかし」

 途端に豹変する。笑みは深まり、深まりすぎて憤怒の形相を呈した。

「それでは困るのです。貴方たちと西涼兵がぶつかり合い、血で血を洗い、憎しみをぶつけ合い、恨みを募らせ、死を恐れながら死ぬような、そんな戦いをしてもらわなければ困るのですよ。まったく、キント殿がその程度のことすらできない無能とは思いませなんだ。仕方がないので、私めが少し手伝ってやりましょう」

 ケンキエンが右手をライコウたち安達ケ原の方へ向ける。腐りかけた目が、頭蓋骨の落ち窪んだ眼窩の闇が、その方向を一斉に見た。

「懐かしいでしょう? あなた方の元仲間たちですよ。憎しみを抱え、恨みを募らせながら死んでいった者たちの屍です。そこに、私の力を与えてあげると」

 左手を天に掲げる。掲げられた手のひらから、黒い霧が散布される。黒い霧は死者たちにまとわりついた。付着した箇所から、死者たちに変化が訪れる。ボコボコと気色の悪い音を立てていたかと思うと、損傷の激しい肉体から脱皮するように、新しい肉体が死者から生まれた。

 足を失っていた死者の下半身からは、犬が生まれた。犬の背から、死者の上半身が生えているような格好だ。

 腕を失っていた死者の背中からは、猿が生まれた。二人羽織をしているような状態で、残った腕がそれぞれ武器を持つ。

 頭を失っていた死者の首からは、鳥が生まれた。翼をはためかせ、弓を担ぎ、大空へと舞い上がった。

「このように、新しい兵となります。どうですか? 美しいでしょう」

 ケンキエンが目を細める。犬が今か今かと唸り声をあげ、猿が猛りを押さえられないと甲高く吠え、鳥が相手の神経を逆撫でるように騒がしく囀る。

「さあ、お行きなさい。私のために、最高の御馳走を作っておくれ」

 ケンキエンが腕を振り降ろす。地響きを立てながら、死者の軍勢が殺到する。

 恐怖からか、反射的にライコウたちは門を閉じた。その前に余っていた木材を積む。

「全員を、正面に寄越してくれ。あと、西涼の兵を開放するようにクラマ殿に報告を頼みたい」

 我に返ったライコウが指示を出した。

「か、解放だと。本気か?」

「本気も本気、大真面目だ。それとも、あれを己たちだけで対応できると思っているのか?」

 深く息を吸い、呼吸を整えながらライコウは抜刀する。

「必ず西涼兵の力が必要だ。人が揃うまでの間は、己たちが時を稼ごう」

「しかし、本来であればあの光景を真っ先に連中に見せて、その後で我らに味方するよう引き込むのではなかったか? これでは順番が違う」

「策に絶対はないものさ。大きな流れを策として、予定外のことは臨機応変に対処するのだ。ケンキエンのあの声は、柵の中にも届いておるはず。ならば、自分たちも己らと一緒に押しつぶされようとしている、と思っているはずだ。やってやれないものではないはずだ」

 それでも、説得には時間がかかるだろうなとライコウは見ていた。敵のど真ん中で、どうして敵の言う事を信じる? 罠だと誰もが思うだろう。このケンキエンの声すら罠だと思い込む奴がいるかもしれない。

 ―失敗すれば全滅するだけ―

 タケルに言われたことを思いだす。そうだ。一つでも出来なければ全員があのような姿にされ、死ぬことすら許されずにあの女の手駒に成り下がるのだ。

「説得までの時間は己が稼ぐ。だから」

「いや、説得には、お前が行け」

 ライコウの体を押しのけて、斥候たちが門前を固める。

「お、おい」

 戸惑うライコウに、斥候たちは告げる。

「お前じゃあれは倒せん」

 ずばりと言われた。ライコウ自身が感じていたことだ。自分ではこの斥候一人に及ばない。その彼らが恐れる死者の軍団に、自分がどれほどの事が出来ようか。

「お前一人ならば、俺たちは恐れなかった。俺たちがお前の何を恐れたかを思い出せ。お前の真価を発揮する場はここではないのだ」

 後ろを示される。その先にはかつての仲間がいるはずだ。

「お前が呼んで来い。それまでは俺たちが防いでみせよう」

 躊躇うそぶりをみせたのも一瞬、彼らに背を向けて走り出した。

「すぐに戻る! それまで見事持たせてみせい!」

「任せておけ」

 勇ましい返事を背に受ける。彼らはきっと応えるだろう。ならば、自分も彼らに報いなければならない。


 突然、自分たちを囲う柵の一部が開いた。何だ、また罠か、と全員が身構える。その開いた隙間から人が転がり込んできた。

「ライコウ、将軍?」

 一番手前にいた兵が、人物の名前を言い当てた。ライコウその人は息を切らしながら、自分たちを見回した。はっと、兵たちは武器を構える。事情は良く知らないが、ライコウ将軍は敵の術にかかって、正気を失ったのではなかったか。

「キントはどこだ」

 目の前の刃に一切目を向けず、ライコウは言った。

「キントはどこだ、と聞いておる!」

 腹にずしんと来る声を浴びて、兵たちは怯んだ。だがすぐに体制を立て直した。

「ここには居ません、いや知っていたとしても、教える筋合いはない!」

「貴方は術にかかり、俺たちを裏切った。貴方はもはや敵なのだ!」

「己は、裏切ってなどいない」

 熱くなる兵たちに対して、ライコウは静かに言った。

「嘘を吐くな。貴方が王を殺害したとケンキエン王妃が言っていた」

「そうだな」

「なら、やはり貴方は王を殺害した、裏切り者ではないか」

「どうして、ケンキエンの言っていることが真実だと言える? あの女の方こそ嘘を吐いているのに」

「馬鹿な。そんなことはありえない」

「ありえない? 何故だ」

「あのお方は嘘などつかぬからだ。決まっておろう」

 自信満々に兵士は言い返す。そうか、とライコウは淡々とした態度で

「では、今、そのケンキエン王妃様が言ったことも嘘ではないというのだな? 己たちを戦わせることが自分の目的だと言い、キントを無能とののしり、そして自らの手で、お前ら事踏みつぶそうとしているのも」

「それは、嘘だ。嘘に決まっている。王妃様がそんなことをするはずがない」

 ライコウが鼻で笑う。

「おい、おかしいではないか。さっきからお前らは、王妃は嘘を吐かないと言った。しかし今は嘘だという。言っていることが無茶苦茶だ。結局お前らは、自分にとって都合のいいものだけを信じようとしているのだ」

 虚を突かれたような顔の兵たちを一瞥して、ライコウは続ける。

「ようやく分かった。己は勘違いをしていた。ケンキエンがお前らに術をかけていて、正気が今もなお奪われているのではない。自分たちが間違っているということを信じたくないから、術にかかり続けている。たしかに最初はケンキエンの術だったかもしれない。しかし、お前らは頭のどこかで、これは間違っていると気づいた。けれど、それは認められなかった。そんなことをすれば、自分たちは何の罪もない、安達ケ原の売り子を襲ったことを認めなければならないからだ。だから、術に身を任せた。自分たちに都合のいい夢を見るためにな」

 両手を広げて、全てを受け入れる聖人のように、ライコウは諭した。

「いい加減、目を覚ませ。己たちは間違っていた。その現実を受け入れろ。でなければ一生覚めない夢の中で、心のどこかで後悔しながら生きていくことになる」

「貴方の言う事が正しいかどうかも、またわからないでしょう?」

 人ごみをかき分けて、キントが現れた。

「キントか」

「さっきのケンキエン王妃の声だって本物かどうかわからない。貴方や、化け物どもが用意した罠かもしれません」

「相変わらず、頭の固い奴だなあ」

 苦笑しつつ、ここが一番の踏ん張りどころだとライコウは気を引き締めた。この頭の固い、しかし多くの兵に慕われている男をこちらに付かせれば、流れはこちらに来ること間違いなしだからだ。それに、見たところ、こいつの腹は半分以上は決まっているように見える。

「では、お前は何を信じる? 己の言葉は信に足らずと言った。そしていまや、お前らが絶対の信を置いていた王妃の言葉は、お前らに仇なすものとなった」

「ええ、貴方も、王妃も、安達ケ原の者たちのことも、我らはもう何一つ信じられません。だから、自分の目で見極めます」

 そういうと、キントは兵たちに向き直った。

「お前たちはここで待っていろ。儂が一人で出て、外の様子を確かめてくる」

「な、何を言っておられるんですか! 危険です!」

「そうです。それなら俺が見てきます!」

 先走ろうとした兵を「いかん!」と一喝する。

「お前たちには、もし儂が戻らなかった時に備えて欲しい」

 そう言って兵たちを押しとどめた。

「ケンキエンの言っていることに一つだけ、確かな間違いがあったな」

 近寄ってきたキントに、ライコウは言う。

「キントという男は、けっして無能ではなかったということ。それは、今の時点では真実だ」

「今の時点は、か。それは、今後の判断でいかようにでも変わるということですかな?」

「そうだ。残りの髪の毛が無くなるくらい悩んでかかれよ」

 久しぶりのやり取りに、今の事態も忘れてキントは薄く笑った。


「畜生が!」

 櫓の上でタケマルは、悪態を吐きながら次々と登ってくる猿を棍棒を叩き続けていた。叩き落としても落としても、次々に奴らは上ってきてキリが無い。隣でも仲間が同じように槌を振るっているが、疲労が蓄積している。それに、問題はここだけではない。空からは鳥モドキがへたくそな矢を放ってくる。幸い狙いはでたらめも良い所だが、上から何かが落ちてくるというのはそれだけで注意を逸らされる。門前では犬どもが体当たりを敢行し、門を力尽くで破ろうとしている。この四本腕の猿は、その犬どもを足場にして柵をよじ登ってこようとする。何体かはこちらの隙間を潜って下に降りたやつもいたが、それはクラマたちによって叩き潰された。今はまだ、突破を許した数が少なかったから良いものの、これ以上増えると内と外から破られることになる。下に群がる化け物どもの数も増え続け、力負けするのは時間の問題だった。

「せめて上の馬鹿鳥どもを何とかできりゃあ、な!」

 ぶんと棍棒を振り回し、同時に上ってきた猿三体、放物線を描いて飛んで行った。途中で飛んでいた鳥を数体巻き込んで落下していく。

「ちょ、おいアレ!」

 隣にいた仲間が叫ぶ。何事かとタケマルは彼を見、彼が指差す方向を見た。

「・・・クソが」

 歯を食いしばりながら吐き捨てる。絶望的な気分だった。彼らの目の前には鳥の軍団がいた。その鳥は二体一組で、その腕に犬や猿を掴んでいた。脳みそ腐っているくせに効果的な戦術を用い始めたのだ。あれだけの数を中に落とされたら形勢は一変してしまう。

「クラマ隊長に伝えろ! 敵が空から来るってな!」

「それには及ばん」

 下から返事があった。怪訝な顔で覗き込むと、ライコウがいた。

「てめえ、ライコウ! 西涼兵どもを説得に行ったんじゃなかったのか! こんなところで何油売ってやがる!」

 タケマルが怒鳴りつけたが、ライコウは涼しい顔で

「お主、馬鹿ではないのか? 己がここにいるということは、つまり、そう言う事なのさ」

 ライコウが言った直後、タケマルの頭上を何発もの岩石が飛んで行った。勢いよく飛んで行った岩石は上空を飛んでいた鳥たちに直撃し、地面へ撃ち落としていく。

「タケマル殿。すまんがここからでは戦果が良く見えん。どうなった?」

「え、あ、ああ、結構落ちた」

 呆気にとられた様子でタケマルは答えた。

「ふむふむ、なるほど、クシナダ殿が考えたこれは、なかなか良いな。ちと重たいし狙いに難ありだが、固まっていればどこぞに当たるか」

 村の奥の方から、ガラガラ、ゴロゴロと音を立てて、今しがたの戦果を叩きだした機器が五台現れた。三角に組まれた足が二本、台車のように平行に並んでいる。三角の頂点には一本の木が通されていて、そこにもう一本、縦に柱を組み込んでいた。ちょうど真ん中で十字に組んでいるような形だ。柱の下側には大きな岩石が結び付けられ、上部には綱とザルが付けられている。これこそがクシナダが以前の罠を改良して考えた石を投げる兵器だった。

「ようし、お前ら、次の発射の準備だ!」

 応! と返事をしたのは西涼兵だ。彼らは柱の片方に結び付けられた綱を引き、支柱の端を手繰り寄せる。柱の端にある大きなザルに岩石を積み込み、準備完了だ。

「もういっちょ行くぞ。上にいる連中はしゃがんでろ!」

 慌てて櫓の上にいたタケマル達はその場に伏せる。

「放てェ!」

 ライコウの合図とともに西涼兵たちは柱の綱を手放す。柱の下についていた岩石が錘となりなって下へ落ち、反対側の柱上部を振り上げる。振り上げられた力はそのままザルの中の岩石に移り、そのまま上空へと放たれる。岩石は今また飛び上がろうとしていた鳥たちの翼をもぎながら、その下の軍勢を打ち砕いていく。それを見ていた櫓の上のタケマル達が歓声を上げた。これなら何とかなる。その士気は下で門を防いでいる者たちにも伝わった。

「クラマ殿。遅くなって申し訳ない」

「いや、丁度良い所だ。助かった」

「して、戦況はいかがか」

「ライコウ将軍の助力で、一時的に士気は回復したが、このままではまずいな。あちらは倒しても倒しても復活するようだ。逆に、こちらは疲れがたまってきている」

 先ほどから自分たちが倒した化け物たちのことを思いだす。彼らは倒した後、地面に黒いシミと煙になった。煙はそこで掻き消えたが、シミは地面に吸い込まれていった。しばらくたつと、ケンキエンの周りから、先ほど倒したはずの個体とそっくりの個体が生まれ、ま他襲い掛かってくるのだ。さっきから倒しても倒しても数が減らないのは、ケンキエンが術を用いて、死んだものをまた復活させているからだ。

「このまま長引けば、こちらの敗北は必至、だな」

 うむ、とクラマは頷いた。

「かのケンキエンを討たねば、我らに勝ち目はない。しかし、貴方がたが来て、味方の士気が上がった今こそが好機」

「打って出て、ケンキエンの首級を上げるのだな」

「そうだ。それに、トウエン様たちも準備が出来ている頃合いだろう」

 あとは、いつこちらが動くか。

 彼らが決断を下す前に、敵であるケンキエンが動いた。今なお落とせない安達ケ原に業を煮やしたのだ。原理はわからないものの、西涼兵は安達ケ原の連中と和解したとみていた。上手く村を落とせないことに憤慨しつつ、それでもケンキエンから余裕は消えない。これも一興、と手を変える。

「いけませんね、西涼の者どもよ。私を裏切るのかえ? ならば、その選択の代償を支払ってもらいましょう」

 ケンキエンが腕を掲げた先には西涼があった。兵のほとんどがこの安達ケ原にいる今、西涼に兵はほとんど残っていない。ケンキエンは見せしめに、彼らが残してきた家族を全て殺すつもりだ。家族の死体を今度はあの閉じこもっている中に放り込む。さて、どのような反応が返ってくるだろうか。親の生首を見た子の嘆きはさぞ心地よく耳に残るだろう、体の一部が無い妻の死体を見た夫の憎しみは心を満たし、子どものバラバラの死骸を見た親は後悔と絶望の中正気を失うだろう。想像しただけでよだれが出てきそうだ。

「さあさ、この地で果てし者どもよ。貴様らが憎むべき生者たちは、あちらにもおるぞ」

 愛おしげに声をかけられた彼女の周りの犬、猿、鳥たちはその場で反転。西涼の方へと駆けて行く。このすぐ後に、平原に絶叫と断末魔が響き渡る、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられるはずだった。

 最も早く西涼に辿り着いたのは鳥の一体だった。それに気づいた見張りの一人が、大慌てで警鐘を鳴らす。カンカンカンと鳴り響く警鐘は、遠く安達ケ原に立てこもっている兵たちにも届いているが、どうすることもできない。目の前にはまだ多くの敵があり、たとえそれらを排したとしても、この距離からは追いつけない。

 上空を旋回していた鳥は、丁度いい獲物を見つけた。泣き叫ぶ幼い子どもと、それを連れて逃げる母の姿だった。狙いを定め、鳥は落ちるように獲物に向かう。そのまま母の胸をくちばしで、子を鉤爪で引き裂こうとした。狙われていることを知った親子は急ぎ建物の中に隠れようとするが、間に合わない。駆け込む前に、その命が抉り取られるだろう。


 シュパッ


 最後まで、鳥は何が起こったかわからないまま地に落ちて、消えてなくなった。亡骸のあった場所から、カランと一本の矢じりが落ちる。

 鳥に構わず、犬たちが門へと殺到した。中にいた兵たちは懸命に開かないように内から押さえるものの、物量が違い過ぎた。キリキリと軋みながら鉄の門が歪み、その隙間から鋭い牙が見える。半狂乱になりながら、兵たちは門を押した。門が開かれた瞬間、あの牙が自分の首に突き立つところが容易に想像できたのだ。しかし無情にも、門は徐々に押され始め、犬の首がその隙間にねじ込まれた。もう駄目だ、門前にいた誰もがそう思った。

 大地を振るわせる雄叫びが轟いたのは、そんな時だ。音に反応したか犬たちが門から注意と力を逸らした。その隙に、兵たちは門を押し返す。

「な、何だ?」

「何が起こった?」

 状況が見えない門前の兵たちは、ひとまず命の危機が去ったことにホッとしつつも、何が起こっているのか不安で仕方なかった。彼らの目は、自分たちの上、見張り台にいる兵に向けられた。下からなにが起こっているのか呼びかけるも、見張りの兵たちは茫然と一点を見つめたまま答えようとしない。

 それも仕方のないことだろう。彼らの目には信じられない光景が広がっていたからだ。

 先ほどまで西涼に攻め込もうとしていた軍の横腹に新手が突撃したのだ。強力な一撃で門前に殺到していた犬と猿が蹴散らされていく。空にいた鳥たちも首や頭を矢によって貫かれ、次々と落とされていった。

 襲い掛かったのは彼らにとって敵であるはずの、安達ケ原の別働隊だった。

 ライコウは、安達ケ原の門を破るのが難しいとケンキエンが見たなら、必ずがら空きになった西涼を襲うと読んでいた。自分たちの士気を落とし、かつ、自らの欲求を満たす最良の手だからだ。

 だから部隊を二つに分けた。安達ケ原を守る部隊と、西涼を守る部隊に。これ以上、ケンキエンに好きにはさせない、その強い思いが込められていた。

 西涼を守る部隊を率いるのは、これまで幾度となく安達ケ原を守ってきた巫女、トウエンだ。

「なんとまあ、想像以上じゃ。見事な腕よのう」

 隣で矢をつがえては放つクシナダを手放しで称賛した。クシナダが放つ矢は一発必中、確実に鳥たちの急所を貫き、その数を減らしていった。

 クシナダはトウエンに向かって多少弓が得意だと言っていた。トウエンも、まあそこそこ、猟に出る男たちと同じ程度だろうと思っていた。が、とんだ計算違いだった。これを多少というなら、ここにいる全員はへたくそ以下だ。同じ距離の止まっている的でさえああも簡単に当てることなどできはしないだろう。それを、上空にいて動き回る鳥に向かって放ち、射落とす。神業と称しても差し支えなかった。

 当の本人はというと、別段それを誇るでもなく、単調な同じ作業を繰り返すだけといった風だ。

「トウエン様。西涼の門前は片付きました」

 先行して敵の軍勢を蹴散らしていたヤシャが彼女のもとに戻ってきた。見れば敵はその数を半分以下にまで減らし、散り散りになっていた。分断されたところを見逃さず、囲んで叩き潰していく。いかに異形の化け物とはいえ、術で強化された男たちの攻撃を四方八方から受けて無事ではいられず、次々と消滅していった。

 淡々と敵を屠っていくクシナダやヤシャたちにその場を任せ、トウエンは門前へと足を運んだ。

「お、お前らは何なんだ!」

 全てのいきさつを見ていた見張りの一人が悲痛な声で叫んだ。いつぞやの、安達ケ原に毒を撒いたナベツナだった。

「お前らは、安達ケ原の化け物どもだろう! どうして俺たちを助けた! 化け物同士で仲間割れでもしているのか!?」

「お主の問いに応えよう。一つ、あれは儂らの仲間ではない。敵じゃ。二つ、助けたのはお主らが追いやったライコウ将軍に頼まれたからじゃ。かの男は自分の首と引き換えに、儂らに協力を求めた。西涼と儂らの安達ケ原を害する化け物を討ってほしいとな」

「ら、ライコウ将軍がか?!」

「馬鹿な! あの方は正気を失い、敵に寝返ったと聞いたぞ!」

「いや、ケンキエン様のお力で天に召されたと聞いたが」

「誰から聞いた? 俺はそんなこと知らぬぞ!」

 見張りたちが言い争いを始めたのを見て、トウエンはうんざりしながら手で目を覆った。

「聞いた聞いたと、お主ら、全て他人からの話ではないか。誰かの言葉に頼り切るは、誰かのせいにしたい自らの弱さと心得よ。その結果があれぞ。前を見よ。目の前の光景をとくと見よ」

 彼女が指差す先にあるもの。死者が蘇り、化け物へと変ずる場所の、その中央。彼らの王妃がそこにいた。

「あれが現実よ。さあ、真実を知ったお主らはどうするのじゃ?」

「ど、どうするって、言われても」

「取るべきは限られておろう。あれとはお主ら以上に共存できる気がせぬ。儂らを飯としか思っとらんのじゃからな。それはお主らにとっても同じこと。ゆえに、儂らは生きるためにあれと戦う。それに、ほれ、見ろ」

 遠くから、わっと雄叫びが轟いた。見れば、安達ケ原の門が開いている。敵に突破されたのではない。中から開かれ、血気盛んな兵たちが敵を蹴散らしながら飛び出してきたのだ。

 ナベツナたちは信じられないものをまたも見ることになった。あれほど敵対していた自分たち西涼の兵と安達ケ原の化け物たちが、共に肩を並べて進んでいるのだ。安達ケ原の連中はその巨体と怪力を活かし盾で敵の突進を防ぎ、西涼の兵たちは隙だらけになった敵を横や後ろから突いている。かと思えば逆に西涼兵が囮になり、敵の注意を逸らしたところに強力な一撃がお見舞いされる。今しがた組んだ急増軍とは思えない連携を見せていた。

「あちらは上手く説得できたようじゃな」

「説得・・・。では、キント様たちはお前らと一緒に戦うことを選んだってのなのか。じゃあ、王妃が敵だったってのか。俺たちはずっと、騙されてたってことなのか」

 そうじゃ、とトウエンは首肯した。ライコウが、正確にはタケルがライコウに言っていた通り、本性を見たことにより、その衝撃で術が解けやすくなっているというのは確かなようだ。ただその衝撃によって今度は放心状態になろうとしている。相手が弱っているところをつけこむようでいささか心苦しいが、手段を選んではいられない。

「儂らはこれから、彼らに合流し、ケンキエンを討つ。その間に頼みたいことがある」

「頼みってなんだよ」

「うむ、他でもない、彼女らのことを頼みたい」

 ナベツナが視線を向けると、トウエンたちが来た方向から、こっそりとこちらに近付いてくる集団がいた。

「女、子ども、爺と婆、戦えぬ者たちじゃ。戦が終わるまで、彼女らを中に入れてやってくれ」

「へ? おい!」

「頼んだぞ。中に入れたら、戦が終わるまでしっかりと閉じておくがよい」

 トウエンは踵を返し、仲間たちのところに戻る。

「さあ、皆の者、決戦じゃ。あれを討ち、飯を食って、ゆっくり寝よう。明日の昼までな」

 笑い交じりに、皆が応えた。今日のために、皆昨日から一睡もしていない。トウエンに至っては悪夢を見るようになってからは深く眠れていない。

 決戦場へ向かうトウエンたちと、門前に集まっている彼女たちを交互に見た。門前の彼女らは震えていた。それも当然。自分たちの家は戦場となり、自分たちの家族が今命がけで戦っているのだ。不安にならないことなどあり得ない。

「門、開けようか」

 言い出したのはナベツナだった。それに、見張りの仲間が反論する。

「おい、良いのか? 俺たちは既に騙されているんだぞ。これ以上騙されたくない。それに、あいつらが俺たちを騙してないって保証は全然ねえんだぞ。門を開けた瞬間、襲い掛かってくるかもしれねえんだ。あの姿だって、演技かもしれねえんだ」

「けどよう、けどよう」

 ナベツナは仲間と、下にいる彼女たちを見比べる。そして、決戦場を見る。あそこに向かったトウエンたちは、傷だらけだった。

「俺にはよ、もう何が何だかわからねえんだよ。けどよう。今下にいる奴らはよ、怯えてんじゃねえかよう。俺たちと同じで、この先どうなるかわかんねえままでよ。演技には、見えねえよ」

 ナベツナはそう言い残して、駆けだした。仲間が止めるのも聞かず、内側から押さえていた障害物を取り除いていく。

「よせナベツナ! 勝手なことすんな!」

「うるせえうるせえ! 俺はもう、後悔したくないんだ! やりたくないことやらされてよう!」

 彼の脳裏には、安達ケ原に毒を撒いた記憶が蘇っていた。あの時は王妃に頼まれ、喜び勇んで安達ケ原に忍び込んだものの、そこで生活をする連中を見て、本当に正しいのか迷ったのだ。そこで生活を営む連中は、自分たちと何一つ変わらない。ただの人だった。迷うナベツナの頭に、ケンキエン王妃の声が響いたのはその時だ。毒を入れろと、敵を倒せと、英雄になれると。その言葉に従ってしまった。水を飲み、苦しむ彼らを見て、恐ろしくなった。

「ずっと俺の中で俺が言い続けるんだよ。止めときゃよかった、止めときゃよかったってな。苦しいんだよ。もう、そんな思いは御免だ。俺は、俺のために、俺の信じることをする。あの女も言ってただろう。門前で俺たちに説教していった女だよ。誰かの言葉に頼り切って、自分で選択してないからこんな目に遭うって。そうだよ。俺は全部人任せだったんだよ。だから後悔がでかいんだ。だからせめてこの選択は、誰でもない俺の選択だ」

「後悔するかもしれないだぞ。その選択が!」

「それも俺のもんだ! その時は何とかする!」

 だから、お前らは逃げる準備をしてろ。そう言って、ナベツナは障害物をどけ続けた。呆然と立ち尽くす彼らのそばを、一人の子どもが横切っていった。

「お、おい!」

 子どもは、ナベツナの隣まで行くと、そこにあった物をうんうんと唸りながら持ち上げようとしている。

「こら、あぶねえぞ!」

 気づいたナベツナが怒鳴ると、子どもは彼の顔を見返し「僕も手伝う」と言った。その子どもの後ろから、支える手が伸びた。子どもの母親だった。彼女らは、先ほど襲われそうなところをクシナダの矢で助けられた二人だった。

「あんたら、どうして」

「私にも、外の声は聞こえておりました。私たちを助けてくだすった人の家族が、そこに居られるのでしょう? 命を助けられたのですから、今度は私たちが誰かの命を助ける番だと思うのです。兵隊さんが仰ったように、後悔したくないのです」

 その彼女らを見てか、今まで家屋内に隠れていた人たちわらわらと門前に集まり出した。次々と撤去され、後には歪んだ門があった。

「よし」

 ごくりとナベツナは生唾を吞み込んだ。そして、門に手をかける。しかし先ほどの攻防で歪んだ門はいくら力を込めても開こうとしない。

「固えぇ」

 いくら踏ん張っても門は軋み音を立てるだけで開かない。そろそろ頭の血管が切れそうだと思い始めた時、ナベツナの隣に手が添えられた。ナベツナを止めようとしていた仲間たちだ。驚いた顔で自分たちを見回すナベツナに、他の兵たちは笑い、ナベツナも彼らの心情を理解した。

「せえの、でいくぞ」

「おうよ」

「せえの!」

 門は、ゆっくりと開いた。


「あれが、ケンキエン。敵の首魁か」

 トウエンの眼には、真っ黒な穢れが滞っているのが見えた。その中心に、人型をしたおぞましいものが鎮座している。

 したたり落ちてきた汗を拭う。彼女のこれまでの人生で、あれほどの穢れを見たのが初めてなら、あのような恐ろしいものを見たのも初めてだった。巫女として、あれほど世の理に反しているモノがいること、それが今、自分たちを脅かそうとしていることに恐怖した。その瞬間、恐ろしいものが自分を見た。ぞわりと総毛立つ。まるで深淵を覗き込んでいるような心境だ。頭を振り、声を張る。恐怖を振り払うために。

「皆、踏ん張れ! あれさえ討てば、この戦は終わりぞ! 見よ! あちらからはクラマとライコウ将軍が攻め立てておる! 儂らも負けるな! 右前から犬どもが来るぞ! 盾を持つ者で固めよ。その後ろから槍を構えよ! 防いだところを串刺しにせよ! クシナダ、後方より回り込んできた鳥が狙っておる! 数人射手を連れ、あれを射落としてくれい!」

 彼女の指示通り、右方からは犬が、後方からは鳥が現れる。彼女の眼は中央部の穢れが濃い場所を除いて戦場の全てを見渡せていた。まるで空から俯瞰するがごとく、戦況を把握できていた。

 彼女の的確な指示、そして反対側からは安達ケ原・西涼の混成軍の快進撃を見て、皆が思った。この戦、勝てる、と。そしてその通り、彼らは目の前の敵を復活されるよりも早く駆逐していき、中央へと軍を進めていく。

 トウエンがライコウ軍の後衛に追いついた頃、前線にいる彼らの刃は中央部へと到達していた。

「終わりだ、覚悟しろ」

 勝てると思ったのは、ライコウも同じだった。先日の時とは反対に、今度は自分がケンキエンを包囲していたからだ。だから失念していた。いや、きっと覚えてはいた。

 ケンキエンは、軍二つ分の力を持つ、というタケルの言葉を。

 だが、どうしても今の光景とその言葉の意味が繋がらなかった。無理もない。目の前にいるのは、女の姿をしたケンキエンなのだから。これがトウエンであれば、彼女は問答をする暇さえ惜しんで、ケンキエンを討ち取りにかかっただろう。彼女の目には、それは人の形で映っていない。

「貴様のたくらみもこれで潰える。贖え。あの世で貴様の謀略によって死んでいった者たちに詫びるがいい」

 周囲には術で強化された男達と、完全武装の西涼兵たちがいる。負ける道理などなかった。

 目の前のいるのが人であるならば。

「ふ、ふふ、ふは、ははははは」

 聞くものを不快にさせる哄笑。全てを嘲るように、ケンキエンは腹を抱えて笑った。そのことに憤慨するよりも、不気味さが勝り、ライコウたちは身構えた。

「どうして私が、たかが人間共のために贖わなければなりませんの? あなたたちは、日々食べる米や野菜、家畜に対して懺悔しますの?」

 ふう、と笑い終えたケンキエンは一つ大きく息を吐いた。

「これが笑わずにいられましょうか? たかが餌の分際で、この私に向かって覚悟しろ? 終わり? く、くくく、くはははははは!」

 頭が地面に付くほど背中をのけぞらせて笑うケンキエンの周りに、穢れが集まっていく。それはトウエンだけでなく、誰の目にも見えるほどの濃くなっていく。腐臭が立ち込め、わずかに残っていた雑草すら枯れ果て、大地が渇きひび割れる。

「下がれ!」

 後方から、トウエンが叫んだ。

『下がったところで、逃げたところで、貴様らは一匹足りとて逃がしはせんがなぁ!』

 真っ黒な穢れの中から、長大な何かが突風を伴って薙ぎ払われた。盾の上から骨を砕き、無防備な兵たちを切り裂き、弾き飛ばし、すりつぶしたそれは、毛むくじゃらの腕と鋭く長い爪だ。

 穢れが形を成した。猿の頭、犬の体、鳥の翼と尾を持つ、巨大な獣が、悠然とライコウたちの前に現れた。術で強化された男たちですら、その獣の鼻先にまで頭が届かない。全身となれば、彼らを五人足してもまだ足りない。

 茫然と見上げた先に、嗜虐的な笑みを浮かべたケンキエンがいた。三日月形に開いた口からは牙がずらりと並び、涎を滴らせていた。

「陣形を立て直せ! けが人を守りながら後退する!」

 誰もが呆然とその異形を見上げる中、崩れた陣形を立て直そうとしたライコウは並みの胆力ではない。

『させぬよ』

 ケンキエンは陣中央をただ走って突っ切った。ただそれだけで兵たちは弾き飛ばされた。盾を持っていれば盾ごと骨を砕かれ、鋭い爪は鎧ごと切り裂き、膨大な質量は簡単に人をすりつぶした。

『どうした、どうした? 我を討つのではなかったか? その程度では興ざめぞ』

 力の差を見せつけたケンキエンが、通り過ぎた場所を振り返る。その直線状には血だまりと屍しかなかった。

『いかんな、もっと我を楽しませよ。これでは興ざめではないか。おお、そうだ』

 ケンキエンが、不意に視線を巡らせる。その先にあるのは、西涼だ。

『良いことを思いついたぞ。あそこには今、貴様らの家族がおるな』

 誰もが抱いた、最悪の予感。

『一足先に、あちらから滅ぼしてくれよう。我を倒しに来た貴様らが現れず、我が現れる。それを、貴様らの家族はどう捉えるであろう?』

「や、めろ」

 誰かがケンキエンに向けていった。それを聞いたケンキエンは、それまで以上の凄惨な笑みを浮かべた。

『そう、その顔。その絶望よ。我が欲していたのは。己が無力さを噛み締め、楽しみにすると良い。血だまりに沈む、家族との対面をな』

 翼をはためかせ、ケンキエンが飛んだ。

「させるか!」

 いち早く反応したのはクシナダだ。矢をつがえ、素早く射放つ。翼に届くかと思われた矢は、届くかと思われた瞬間、上から降ってきた犬の体によって防がれた。それだけではない。ケンキエンの体がボコボコと内側から盛り上がる。盛り上がった部分は体から切り離され、犬、猿、鳥と、先ほどまで戦っていた獣に変貌した。獣たちは地に降り立ち、西涼への道を阻んでいる。

『そ奴らは我が眷属。我ある限り、いくらでも生まれる。ほれ、早く倒してここまで来ねば、間に合わぬぞ。我が貴様らの家族を喰うてしまうぞ? 我より先に辿り着いたものの家族は見逃してやろう』

 楽しげに言いながらケンキエンは飛び去っていく。

「追うぞ! まだ間に合う! 城に辿り着き、籠城するのだ! 速さを優先する。この際陣はばらけても構わぬ。足の速い者、騎馬、何でもいい、一刻も早く西涼へたどり着け!」

 ライコウが声を上げる。傷ついた体にムチ打ちながら、男たちは足腰に力を入れる。一考に消えない不安を振り払うように、ただひたすら守るべき者たちのもとへと急ぐ。

『くくく、良いぞ。そら、追ってこい』

 そんな彼らを見てほくそ笑む。先に辿り着いた者とその家族を見逃す気などさらさらない。命が助かったと安堵した瞬間に喰うつもりだ。まずは子どもから喰うつもりだ。子を失った親の悲しみと嗚咽、慟哭が、ケンキエンにはお気に入りだった。そうこうしているうちに、真下に西涼が見えてきた。こちらを見て、慌てふためいているのが見える。

『おや、おやおやおや』

 西涼の民ばかりではない。安達ケ原の民もいた。

『これはこれは、大漁ではないか』

 舌なめずりをしながらケンキエンは降下する。こうまで獲物が多いと迷ってしまうな。喜び勇んで、ケンキエンは強固なはずの外壁をたやすく崩壊させた。

 西涼は阿鼻叫喚を極めた。敵を防ぐはずの防壁が破られ、そこから現れたのは家より大きな巨体。それが、自分たちを美味しそうに眺めているのだ。ケンキエンが吠える。歓喜の雄叫びだ。大切に大切に育てた食材たちが、最高の調理がなされた状態で目の前にいるのだから。

『お?』

 どれから喰おうか迷っていた時だ。目の前で童が転んだ。腰を抜かしたか、こちらを怯えた目で見たまま動こうとしない。その前に、もう一人の童が立ちふさがった。その童は額に角を持っている。いつのまにやら西涼と安達ケ原は仲良くなっていたようだ。木の棒を勇ましく構え、逃げろ、逃げろと後ろの童に声をかけている。自分も膝が笑っているのにだ。

 ケンキエンの笑みが深まった。最初の獲物はこれだ。まずは安達ケ原の子どもを、そして、怯えに怯えきった西涼の子どもを喰おう。

『その棒きれで、我とやり合うか? 勇ましき英雄よ』

「う、五月蠅い! く、来るな。来るな!」

 ぶんぶんと棒を振り回す。

『その勇気に免じて、貴様から喰ろうてやろう』

 四肢に力を込めて、ケンキエンは跳躍した。

 さあ、どんな味がするのか。口に広がる様々な味を想像しながら、ケンキエンは童に飛び掛かった。恐怖のあまり、童は固く目を瞑る。

 じっと目を瞑ってから、どれくらいの時が過ぎただろうか。いくら待っても、予想していた痛みも苦しみもやってこない。

 恐る恐る、目を開く。強く目を閉じていたためか、妙に明るく感じた。目を細めて、周りを見渡す。

 目の前に、誰かの背中があった。



 ケンキエンが西涼に辿り着いてしまった瞬間、誰もが絶望した。崩された防壁のように、皆が膝からくずおれた。間に合わなかった、後悔が兵たちの心を埋め尽くした。

「まだよ!」

 声を張り上げたのはクシナダだった。

「まだよ。まだなの! まだ壁が破られただけじゃない! まだ生き残ってる人はいる! もしかしたら逃げおおせてるかもしれないの! ここで私たちが諦めたら、助かる人も助からないの!」

 あの時だって。彼女は歯を食いしばって走った。

 あの時だってどうにかなった。誰もが、自分ですら絶望していた時、あの人たちが現れた。呪われた村の風習を否定し、不可能だと思われた蛇神打倒を成し遂げた。

「無理だ。もう間に合わぬ。俺たちが辿り着くころには、もう」

 しかし、兵たちの顔は昏い。諦めた顔をしている者のほうが多い位だ。ライコウやトウエンすら、仲間たちに声をかけるものの、歩を進める足取りは重い。

「駄目! 諦めないで!」

「もう、無理なんだよ! あれが通り過ぎただけで仲間たちは跳ね飛ばされた。それだけの力の差があったんだ。奇跡でも起きない限り、絶対無理だ!」

「奇跡が欲しければ立ちなさい! 立って動け! 己の望む結末の方向へ! 奇跡が黙って起こるとでも思っているの?!」

 ほら、もう少し、とクシナダが西涼を指差した瞬間だ。


 ドゴォッ


 目に見えそうなすさまじい音が鳴り響き、ケンキエンの体が頭から跳ね上がった。まるで、顎を下から殴り飛ばされたかのようだった。

 くるくると、彼女の少し手前まで何かが飛んできた。巨大な牙だ。さっき見た、ケンキエンの牙だった。

「・・・え?」

 誰もが唖然と見守る中、ケンキエンの巨体は崩れた防壁をさらに破壊しながら転がった。もうもうと粉塵が立ち上るなか、ケンキエンと崩れた防壁の隙間に人影があった。その人物の姿を認めた瞬間、クシナダは今まで嘆いていた、今は唖然としている連中に向かってニィッと不敵な笑みを浮かべた。

「起こっちゃったじゃない、私たちがもたもたしてるから。奇跡のほうから来てくれたみたいよ?」


 唖然としてその光景を見ていたのは、なにも外にいた兵たちばかりではない。西涼で今にも襲われそうだった人々もまた見ていた。その背中を。

「ふうん、鬼退治に犬猿雉のキメラ、いや、鵺か。なかなか面白い取り合わせだ。桃から生まれた男がいないのは残念だけど」

『馬鹿な! 貴様、死んだはずではなかったのか!』

 瓦礫を押しのけながら、ケンキエンが体を起こす。怒りの度合いを示すように、体の表面にバリバリと電流が走る。

「悪いね。あの程度で死ねれば僕も楽だったんだけどねえ? 残念ながら、この通りさ」

 大仰に両手を広げて見せる。ケンキエンの怒気などどこ吹く風だ。

『・・・後悔させてやる』

「あ?」

『我の邪魔をしたこと、ここに戻って来たことを後悔させてやる。簡単には殺さぬ。四肢を一本一本食いちぎり、死なせてくれと泣いて頼むまで苦しめてやる。我こそは神。頂きに立つ者。この地で穢れを喰らい、力を貯えた我に刃向うことがどういうことか、思い知らせてやる!』

 ケンキエンの言葉に、やれやれと頭を振った。

「どいつもこいつも、言う事は大体同じか。もうマンネリ化してんだよそんなセリフはさあ。つまんねえ。僕が聞きたいのはさ、そんなお約束じゃないの。どうするのってこと。戦うの? 逃げるの? 喰うの? 喰わないの? さっさと決めちゃえよ。でないと」

 ぷるぷると先ほどケンキエンを殴った右手を軽く振って、リュックと共に背負っていた赤い剣を掴む。そのまま引き抜き、切っ先を向けた。

「僕がお前を喰っちまうぞ」

 凄絶な笑みを浮かべて、須佐野尊は宣戦布告した。

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