第8話 若武者と悪女

 地図を頼りに進むこと、大体二時間くらい。面前に城壁がそびえたっていた。多分、ここが西涼だろう。他に村も街も見かけなかったし。

 安達ケ原の囲いほどではないものの、石造りの外壁が高くそびえ立ち、頑丈そうな鉄の門は固く閉じられている。来るものすべてを拒絶しているかのようだ。それを上から下までじっくり眺めて、気づく。

「どうやって入ればいいんだろう・・・?」

 城壁は、見るからに新品といった具合だ。売り子の女性が普段通り、というのもおかしいが入れたということは、戦の前まではこれはなかったんだろう。一か月前に戦い始めた、ってことは、そこから突貫で作り込んだってことか。ピラミッドを作った連中も驚きの速さだな。

 どうするか、と城壁を見上げている僕の足元に、ざくっと矢が突き刺さった。角度から飛んできた方を見上げると、城壁の上から数人が僕に狙いを定めている。

 悩んでいたのが馬鹿らしいくらい、簡単に門が開いた。そこからわらわらと十人くらいの鎧に身を包んだ兵が出てきて、僕を取り囲まれた。

「何奴だ」

 隊長っぽいのが、腰の剣を引きぬいて、突きつけてきた。他の連中も武器に手を当てていつでも戦えるように備えている。

「あの化け物どもの仲間か?」

「僕に化け物の仲間はいないよ」

 苦笑をもって返す。僕自身が化け物の様なものだ。それを考えれば、僕から見て化け物などという存在はこの世からいなくなる。

「では、何だ。我が西涼に何用だ」

「別に、何も? 僕はただの旅人だ。ここに来たのも、ただの偶然」

「嘘を申すな!」

 唾を飛ばしながら隊長は叫んだ。どうでも良いけど顔に飛ばさないでほしい。服の袖で拭う僕に、更に剣先を近づける。もう半歩も動けば頸動脈がスパッと行くだろう。それでも死なないのは実証済みだ。痛いだけなら意味がない。

「貴様、あの化け物が住む方から来たであろう! あ奴らの住処から来た貴様が、ただの人であるわけない」

 お、鋭い。感心しながら、僕は尋ねる。

「なら、僕は何だ?」

「知れたこと。安達ケ原の化け物の仲間よ。人に化けて忍び込み、内から食い破ろうという算段であろう!」

「は、馬鹿じゃねえの?」

 鼻で笑い飛ばす。僕を囲む連中から怒気と殺意が溢れ出すが気にしない。

「そっちの言い分が正しいなら、あんたらは内側から荒らそうとしている化け物の目の前で門を大開放してんだぞ?」

「そ、それは」

 自分たちが出てきた門と僕を見比べ、戸惑う連中。なるほど、確かにこういう連中なら簡単に言いくるめられそうだ。

「あっ!」

 そんな中、僕を囲んでいた兵士の一人が声を上げた。そっちの方をみると、さて、どこかで見た顔だ。

「お前、あの時の!」

 あの時、ああ、もしかしてこいつ、タケマルに追い回されていた、毒をばらまいた男か。

「どうしたナベツナ。こいつを知っているのか?」

 隊長が問うと、ナベツナはぶんぶんと首を上下にシェイクした。

「隊長、こいつです! 化け物にぶん殴られてもピンピンしてた奴です!」

「お前の言ってた奴か!」

 戸惑ってきょろきょろと挙動不審になっていたのが一変、全員が僕を凝視した。同時、全員が抜刀する。

「やはり化け物の類ではないか。よくもたばかってくれたな!」

 たばかるどころか、まともに話もできてないんだけど、そんなことはお構いなしのようだ。一触即発、何時でも切りかかってこれる、というより、誰もが合図を待っているかのようだ。

「かかれ・・」

「止めよ!」

 隊長の合図を横合いから飛んできた大声がかき消す。全員が、声の方を振り返った。

「ライコウ様・・・」

 誰かが言った。人垣に阻まれて僕からは良く見えない。その内、人垣がすっと二つに割れ、出来上がった道を誰かが歩いてきた。

 まだ若い、二十五歳前後ぐらいの男だった。鍛え上げられた肉体と、幾度も戦場を駆け、磨かれた経験が風格となって漂っている。美丈夫、という言葉が浮かんだ。正にその通りの若武者だ。こいつらのように鎧で武装してはおらず、着物みたいな軽装だが、腰の太刀の飾りや、声一つで静止させたところを見れば、こいつらより上の役職なんだろう。

 若武者、ライコウはずかずかと僕の方に歩み寄ってきた。周りの連中がざわつく。

「ライコウ様、それ以上近付かれては危のうございます。こやつは化け物の一撃を受けても平然としているような、奴らの上を行く化け物にございます。何をしでかすかわかりませぬぞ」

「化け物、ねえ?」

 ライコウが僕を品定めするように上から下までじっと眺めた。

「己には、ただの子どもにしか見えんぞ?」

「それは我らの目をごまかすためでございます。ライコウ様も直に戦われて、奴らの恐ろしさを知っていられましょう? 怪しげな術を使い、たちまち巨人となって、我らの何倍もの力を発揮するのです。ケンキエン様の御力無くば、我らは抗うことすらできなかったでしょう」

 ケンキエン様、こいつらにトウエンたちの情報をもたらした奴のことだろうか。その名を聞いた途端、ライコウの表情が一瞬険しいものになった。すぐに元に戻ったから連中は気づいていないが、どういうことだろう。

「さあ、ライコウ様。ご理解いただけたなら、下がってください。御身に何かあったら、私はウラ様になんとお詫びすればよいか」

 嘆く隊長を見て、ライコウはきょとんとした後、爆発したように盛大に笑った。

「キント、お主、起こってもないことを今から心配しているのか? そんな心配性だから若い時から禿げるのだぞ?」

「お言葉を返すようですが、それはライコウ様が幼き日より無茶ばかりされていたせいでもあるのですぞ!」

「はっはっ、わかっておるではないか。なら、己がこれから無茶をしても、きっとお主が上手く取り計らってくれるだろう」

 いたずらっ子のような、無邪気な笑みでそう言われた隊長キントはまだ渋ってはいたが、ライコウ様が仰るなら、と下がった。周囲の兵にも剣を収めるように指示する。それを見届けてから、ライコウが話しかけてきた。

「お主、名は?」

「タケル」

「おう、タケル。己はライコウという。宜しくな」

「はあ、よろしく」

 差し出された手を握る。ごつくてでかい手だった。返ってきた握力の強さにも驚きだ。改めてライコウの顔を見返す。僕に観察されていることを知ったか、ニカッと歯をむき出しにして笑った。

 ああ、こいつは馬鹿なのだ。第一印象はこれに決定した。キント隊長も禿げるはずだ。こんなやつの御守など。

 だが、決して愚かではないこともわかった。僕を見る目には、馬鹿だと断じた後に変な話だが知性が宿っている。他の連中の目からは怯えとか敵意しかないのに、こいつは他人を知ろうという好奇心と、僕が何者か、敵か味方か見極めようとする冷静さ、判断力と、何よりそれを可能とする心の余裕があるのだ。

「キントたちが迷惑をかけたな。怪我は無いか?」

 何か、トウエンのところでも似たようなことがあったな。そんなことを考えつつ「別になんとも」と返すと、ライコウがまた大声で笑った。

「大勢の兵に取り囲まれ、剣を突きつけられて『別に』ときたか! お主、ちっこい癖に豪胆なやつだな!」

 バシバシとでかい手で僕の肩を叩く。

「腕前もなかなかのものと見た。あと、ナベツナが言っていたことは本当か? あいつらの一撃を喰らってピンピンしていたというのか?」

「ピンピンはしてない。一応、痛みはある。あんたがさっきから人の肩を叩いているのも、結構な痛みなんだが」

「がっはっはっ! 本当か! なんと丈夫な奴だ! 鉄でも入っているのか?」

 人の苦情を完全にスルーしやがった。

 さておき、ここで僕に疑問が生じる。見ての通り、こいつらのトップであるライコウは馬鹿だ。おそらく戦い方も、戦略は使うだろうが毒とか、そういう姑息そうなのは嫌いだろう。

 だが、タケマルに追われていたあのナベツネは、このライコウが命令しなさそうな毒を村の井戸に流した。

「なあ。僕からも一ついいか?」

「ん、何だ?」

「確かに僕は、あんたらが戦っている村に寄った」

 ざわっ、と怯えが空気を震わせた。周囲の兵が一瞬で臨戦態勢を取る。ライコウはそれを手で制し「それで?」と話の続きを促してくる。

「その村に行く前に、そこにいる男、ナベツネに会った。あいつは村のタケマルってやつに追われてたんだが、そいつは、ナベツネが村の井戸に毒を撒いたから追っていた、と言っていた」

 ライコウの目が鋭いものに変わった。僕はその抜身の刃の様な目を見返し尋ねた。

「あんたの命令か?」

 肩を叩いていた手が止まり、そのまま置いた。えらい握力で掴まれる。

「お主、言っていいことと悪いことがあるぞ。そんな命令、己が出すわけなかろう。誇り高き西涼の兵を侮辱するな、そんな下らんことをするわけがないだろうが」

「勘違いするな。僕は真偽のほどを聞いているだけだ。後、この手を離してもらおうか」

 僕から手を離したライコウは、振り返る。その先にナベツネがいた。彼は震えあがり、呼吸さえできないほど固まっていた。

「ナベツネ。どうなんだ」

「ひ、ラ、イコウ様、儂は」

「タケルが言うように、かの村に行き、毒を撒いたのか」

 ずんずんとナベツネの方へ歩いて行く。

「ライコウ様。どうかお気を静められて」

 横合いからキントがとりなすが、ライコウは無視してナベツネの前に立った。

「どうなんだ!」

 一喝に、兵たちが縮み上がった。一拍おいて、ナベツナはその場で跪き、土下座した。

「申し訳ございません! そいつの言うとおり、儂はあの村の井戸水の中に毒を・・・」

 ナベツネが言い終わる前に、ライコウはしゃがみ込んでナベツナを引きずり無理やり立ち上がらせた。そのまま襟首を掴みあげて前後左右にシェイクする。

「どういうことだ! ナベツナ、己はそんな命令下した覚えはないぞ!」

「ひいい! も、申し訳」

「謝るのはもう聞いた! 何故、勝手にそんなことをしたのかを問うておる!」

 がっくんがっくん揺さぶられているのに答えられるわけないだろうな、と他人事のように見ていたら

「ライコウ様、もうその辺で許して差し上げては?」

 心を撫でくすぐる様な、女の声がその場を静めた。怯えていた兵たちも、荒れていたライコウも手を止めて、自分たちが出てきた門の方を見る。

「ケンキエン様」

 誰かが女の名を呼んだ。人垣が割れ、一人の女が現れる。

 そこにいたのは魔女だ。男を誘い、弄び、堕落させ、死に至らしめ、それでも男の誰もが涎を垂らして、全てを捨ててでも欲するであろう、傾国の美女だ。顔の美しさも、均整のとれた体も、所作も、声も、全てが男を魅了するために作られたと言っても過言ではない。

 ゆっくりと魔女、ケンキエンが近づいてくる。彼女が前を通るたび、怯えていた兵たちがトロンとした表情になって、その残り香を嗅ごうと鼻の穴を膨らませ、顔を近づける。

「何かご用でしょうか、ケンキエン王妃」

 堅い声で、ライコウが自分の前に来たケンキエンに言う。するとケンキエンはコロコロと口元に手を当てて笑った。

「まあ、そんな堅苦しい呼び方をしなくても、母上と呼んでくれてもいいのですよ?」

 見たところ二十代くらいのケンキエンが、ライコウの実の母ってことはないだろう。後妻ってとこか。そして、そのライコウが王妃と呼んだのなら、こいつは王子ということになる。

「困りますな。王妃と言えど軍事のことに口を出されては。今は兵に詰問中です。用があるのなら後にしていただきたい」

 ケンキエンの言葉を無視して、ライコウはわざと固い口調を使う。どうやら、こいつは魅了されてないようだ。

「あと、己は今職務中です。規律を正すためにも役職である将軍、と、呼んでもらいましょう」

「ならばライコウ将軍、重ね重ね、申し訳ございません。此度の件、私が余計な口出しをしたせいにございます」

「と、申されると?」

 ようやくライコウはナベツナから手を離し、ケンキエンに向き合った。

「私がそのものに命じたのです。あのおぞましい化け物どもの住処に毒を撒けど」

 ライコウが顔をしかめる。

「何故?」

「少しでもライコウ将軍のお力になれればと思いまして、勝手ながら」

「どうして己に声をかけなかったのです? それこそ越権ではないですか」

「性根のまっすぐな将軍に、毒を撒くなどできぬでしょう?」

「当たり前です。そんなことで勝っても何一つ誇れはしない!」

「しかし、兵の家族は喜びます。無事に家族が帰ってきたと。戦に駆り出されることもなく、家にいてくれると」

 ぐぬ、とライコウが詰まる。

「私は、この戦を早く終わらせ、皆が平和に暮らせる国にしたいのです。王妃として当然の願いです」

 策は、上手くいきませんでしたが、とケンキエンは呟いた。あの女、トウエンが毒を浄化したのを知っている。僕は確信をもってケンキエンに声をかけた。

「なあ、あんた」

 全員の視線が一気に集まる。ケンキエンは、初めて気付いたような風で僕を見た。

「貴様、無礼であるぞ! 西涼国の王妃に向かってなんという口のきき方か!」

 キントが叫ぶと同時に、兵たちが僕を押さえつけようと動く。それをライコウが押しとどめた。気になることがあるなら言え、そういう事らしい。気兼ねなく話させてもらおう。

「あんたが、あいつらのことを化け物と呼びだしたのか?」

 ふむ、と細いあごに手を当てて、ケンキエンは不思議そうに首を傾げた。

「化け物を化け物と呼び、何が悪いのですか? 村に寄ったあなたは見たのでは? あの者たちは額に醜悪な角を持ち、妖しげな術を使う。しかもそれを我が愛しい西涼の民たちに隠していたのです。隠していたのは、当然やましいことがあるからです。物売りとして国に出入りしていたようですが、それはこの国を調べ、内側から食い散らかすつもりに他なりません」

「じゃあ、あんたは、どうやってその隠していた術を知った?」

 周りの人間がきょとんとした顔をした。言っている意味が分からないらしい。ただ一人、ライコウだけが顔を驚きの表情に変えた。彼自身も何故それに今まで気づかなかったのか、という感じだ。

「何をおかしなことを言うのだ」

 ケンキエンではなく、周りの兵たちが馬鹿にしたように笑った。

「ケンキエン様が知っていることの何がおかしいのだ?」

 これには僕も耳を疑った。まったく、何の疑念も持たずにそう言えるのは、どう考えたっておかしい。

「まったくだ。ケンキエン様の言う事に間違いはないのだ。現に、あの化け物どもは術を使い、儂らの仲間を何人も殺した。ケンキエン様が知恵をもたらさなければ、儂も死んでいたかもしれないのだ」

「そうだ。そんなケンキエン様を疑うなど、正気を疑う」

「いやいや、やはりこやつは化け物どもの仲間なのだ」

「おう、そうに違いない」

 じり、っと包囲が狭められる。ライコウがいなければ、今頃武装した兵たちと交戦する羽目になっただろう。

「おやめなさい」

 彼らの気を静めたのは、意外にもケンキエン本人だった。

「彼はおそらく、村に寄ったせいで化け物どもの怪しい術により正気を失わされているのです。私たちが、助けてあげなければなりません」

 上から目線で言ってくれる。

「しかしケンキエン様、助けると言ってもどうすれば」

「簡単なことです。正気に戻るまで、化け物どもの力及ばぬ城の地下で休んでいただきましょう。そこで過ごせば回復するはずです」

 それが良い、と二つ返事で兵たちは頷いた。ライコウを完全に無視した形だ。なるほど、こいつがトウエンの言っていた強大な力を持つ何か、か。


「当然、地下って言ったらこんなのだわな」

 冷たい石の上に座り込む。目の前には格子状の柵。僕は兵に連行され、この地下牢に放り込まれた。リュックは没収され、蛇神の剣は、妙にそれに執着したケンキエンが持っていった。

「すまんな。こんなことになって」

 柵の向こう側にいるのはライコウだ。

「気にするなよ。どうせ、僕もここに用があったんだ。中に入れて丁度いい」

「用? ここに一体どんな用があるのだ?」

「まあ、色々と」

 少し言葉を濁した。まず間違いなく、ケンキエンが僕の標的だ。彼女を倒すとなると、義理とはいえ息子のライコウは障害になりそうだからだ。

「まさかお主の目的は」

 驚愕の表情で僕を見るライコウ。気取られたかな、と思いきや

「麗しの朱姫から、己への伝言を頼まれたかっ!」

 予想だにしないことで食いついた。文字通り格子にかじりつかんばかりに詰め寄ってきた。

「そうなのだろう!」

「そうなのだろうもどうなのだろうも、何だそりゃ。麗しの、朱姫?」

「そう、朱姫だ。御名を知らぬからな。勝手にそう呼ばせてもらっておる。白と赤の着物を着た、額に二本の角を持つ、見目麗しき女性のことだ」

 その服装と外見の特徴からして、おそらくトウエンのことだろう。

「心当たりはある。けど、その人からはあんたに対しては別段何も頼まれちゃいない」

「む、・・・そうか」

 しょぼしょぼと勢いを無くし、ライコウは引き下がった。

「何であんたが、敵国の人間のことを知ってんだよ」

「戦場で何度もお見受けしたのだ。あの凛とした佇まい、自ら戦場に立ち、あの猛者どもを指揮し、鼓舞する勇ましさ、たまらん! お会いしてから、何度夢に出たかわからんのだ! そんな時、あの方のいた村からお主が来た。もしやあの方も己のことを! と思うのは仕方ないだろうが」

 いい年こいたおっさんのピュアな恋心を、こんな牢獄で聞くとは思いもよらなかった。人生は本当に何でもアリだな。

「このままじゃ結婚どころか、逢って話すことすら無理だろうけどな」

「それを言うな。心が折れる」

「・・・まあ、方法はないことはないけど」

「何だと!」

 しょんぼりしていたライコウが再び立ち上がる。現金な奴だな。

「簡単だ。あんたが戦争に勝てばいい」

「・・・何だと?」

 違うニュアンスの『何だと』が返ってきた。

「戦争に勝利し、村を支配して、全て奪えばいい。もともと戦争をしてるんだ。目的を果たせて、彼女も手に入る。万々歳な作戦だろう?」

「ふざけるな!」

 格子の一本がへし折れた。細かい木の破片がこっちに飛んでくる。

「己に、これ以上殺せというのか。彼女のいる村の人間を」

 腕を格子のあった場所から引き抜きながら、後悔をにじませてライコウは言った。

「人間? あれ? あんたらからしたらあいつらは化け物じゃないのか」

「違う。角があろうと術を使えようと、彼女らは己と同じ人だ」

「でも、あんたらは化け物と言って、問答無用で切りつけたと聞いたぜ?」

「それは」

「あんたらが、あの村の連中のことを化け物と言って切り付けた。だから、この戦争は始まった。そう聞いてるけど、何か違いはあるか?」

「・・・違わない。何一つ。己たちが彼女の村の一人を襲った。そのことは申し開きもできん。だが、己が気づいた時には、もう」

「ふん、国内全域が、あのケンキエンの術中にでもはまってたとか言うんじゃないだろうな?」

「そう、それよ!」

 ライコウが僕を指差す。

「お主、まさか奴の術が効かぬのか? だから正気でいられるのか?」

「術。・・・やっぱりそうなのか。兵士たちのあの違和感は、そうなんだな?」

「おう。あいつが現れたのは戦の始まる前だ。突然己の親父、現西涼国の主の枕元にあの女が現れたのだ。見張りも何もかも無視して現れたその不気味な女を捕らえ、処罰するどころか、親父は妻にすると宣言しおった。それだけでも己にとっては驚きなのに、ばかりかあの女は国の政にも口をいきなり出しやがった。最初に行ったのが、安達ケ原の化け物を殺せ、だ」

「そして、誰も反対しなかった、そんなとこ?」

 彼女が現れてすぐに、西涼内全体に術がかかっていたことになる。広範囲の人間の意識を書き換えるほどの術を使うとは。トウエンの目もごまかすというし、なかなか強力な術者のようだ。

「おうそうだ。良くわかったな」

 わからいでか。この流れで。僕が呆れる一方で、ライコウはようやく理解者を見つけたという風に顔を綻ばせた。

「いつの間にか、あの女の言う事を誰も疑わなくなっていた。これを術と言わずなんという? 己ですら、あの朱姫に会うまでは奴らは敵だと思って疑わなかった」

 トウエンに逢ってその呪縛が解けたなんて、実にロマンティックな話だ。ただ、この場合はどうなんだろう。ライコウのように一目惚れなどちょっとした刺激で術が解けるのか、ライコウが特別性なのか。

「じゃあ、あんたは今、その術が解けているってこと?」

「確証はないが、少なくとも、もう敵対したくはないと思っておる。化け物などと、全然おもっとらん」

 むしろ、彼女こそ己の前に舞い降りた天女よ、などと寝言を抜かすライコウは無視して思考を巡らせる。こいつを味方に引き込めるかどうかだ。

「将軍、このようなところで、何を成されているのです?」

 その声に、にやけていたライコウの顔が一気に引き締まる。居住まいを正し、声の方を向いた。

「王妃様こそ、このような辛気臭い場所に何用か」

「なに、私はあの者にかかっていた呪いが解けたかどうか確認しに来たのですよ」

「確認、か。で、どうであろうか? 己が話したところ、正気なような気がするが」

 ライコウが脇に退き、僕の前を譲る。そこへケンキエンが現れた。

「旅人よ。お加減はいかがか?」

「尻が冷たくて痛くて、座り心地が良くないこと以外は問題ない。お心遣い痛み入るよ」

「そうですか。では後で誰かに毛布でも持ってこさせましょう。・・・ライコウ将軍」

 視線を横に移して言う。

「申し訳ないのですが、この方と二人にさせてもらえますか?」

「それは承服しかねる届出ですな。二人っきりにして、王妃に万が一のことがあれば王に申し訳が立たぬ」

「大丈夫です。こんなに頑丈な牢で隔てられているのですから。それにほら、おつきの者もそばに控えております故」

 彼女が指し示す方から、二人の兵が現れた。一人が言う。

「将軍、キント様が探されておいででした」

「キントが?」

「はい。次の戦のため、軍議を開くとのことです。王妃様の身は我らが命に代えても守りますので、ご心配には及びません」

 ライコウは僕とケンキエンとを何度も見比べながら逡巡し「すぐ戻ってくる」と言い残して離れていった。場には、僕とケンキエン【だけ】が残される。

「そこの二人は、大丈夫なの?」

 確認のために聞いておく。ケンキエンは一瞬何のことを問われているのかわからなかったようだが、すぐに気づいて「ああ、これ?」と自分の傍らに立つ二人を見た。

「ええ、大丈夫ですよ。私の言う事をよく聞きますので」

 微妙にかみ合わない返答だった。その間も、二人の兵士はぼうっとして、視線を虚空に漂わせている。

 彼らの生死は今のところ気にしても仕方ない。それよりも、せっかく目の前に来たのだ。まあいいや、と起き上がり、彼女と対峙する。

「何か用があるんだろう?」

 ケンキエンが一歩前進する。格子を挟んで、一メートルほどの距離だ。

《お前は、何者だ》

 微笑みを崩さないまま、しゃがれた声でケンキエンは言った。さっきのか弱い王妃は消え、そこにいたのは人の姿をした怪物だ。

《お前の持っていたあの剣、西方に住まう強大な神の力が封じられている。どこで手に入れた》

「旅先で貰ったんだ」

 嘘ではない。ただ材料を獲ったのが僕なだけだ。

 ケンキエンは小さな頭を格子の隙間から首を突っ込んで、匂いを嗅ぐ。

《お前からも少し、同じ匂いがする》

 そう言って首を引っ込める。

「僕からも聞いていい?」

 ケンキエンは答えず、すっとその細い手を格子の中に入れた。小さな手が突如、毛むくじゃらの巨腕に変化した。ぐわっと大きく開いた手が僕を人形のように掴む。そのままギリギリと万力で絞められ、口から強制的に空気を吐かされる。

《雑魚が。我と対等な口をきくな》

 顔色一つ変えず、ケンキエンは圧力をかけ続ける。

《お前がどこの誰であれ、力を貯えた我の敵ではない。小賢しい小娘も、生意気なライコウも、この国も、あともう少し絞ったら、用済みだ》

「力を、貯える・・・?」

《まだ口が利けるか。丈夫な奴よ》

 体にかかる圧力が上がる。

「あんた、穢れとやらを、喰っているのか・・・?」

《なかなか鋭いな。我が術にかからぬことといい、普通であれば握り潰されるほどの力に耐え抜く丈夫さといい、お前こそただの人ではあるまい》

「最近、人間やめたもんで・・・、良ければ、化け物の生き方指南してくれよ、先輩」

《減らず口を。このまま》

 縊り殺してやる、ケンキエンの雰囲気はそう語っていたが、反して、その腕からは力が抜けた。解放された肺が、不足していた空気を一気に取り込んでむせる。

 離された理由が、息を切らしながら、でかい足音を立てて現れる。

「まだ、こんなところに居られたのか?」

「・・・ええ。将軍こそずいぶんとお早いお戻りですが、キント隊長との軍議はもう終わられたのですか?」

「終わりましたよ。軍議とも呼べるような代物じゃなかったもので、すぐにね。で、そちらの方はいかがかな。そいつにかかった怪しげな術とやらは、解けましたかな?」

 むせる僕を見て、眉をひそめる。

「解呪を施したところです。が、まだまだ良くはなりませんが」

 先手を打つようにケンキエンが言う。ライコウが僕に目で訴えかけてきたので、頷くことで問題ないことを伝える。

「それは、お手を煩わせた。王妃のご協力、痛み入る。己はまだこいつの尋問があるが、王妃はいかがされる?」

「私は、失礼させていただきましょう。将軍のお仕事を邪魔するわけにもいきませんので」

 もっと粘るのかと思いきや、ずいぶんとあっさり引き下がる。二人の兵士を伴って階段を上がっていった。

「大丈夫か? 何があった」

 足音が遠のいてから幾分たったところでライコウが尋ねてきた。

「なに、ちょっと先輩に絡まれただけだ。そっちは? なんだか都合の悪いことでもあったかい?」

 そう訊くと、渋い顔の眉間にますます皺がより、深い溝を作った。

「ああ。先ほどキント、お主も知っているあの禿げ頭たちと軍議があった」

 あれは軍議とは呼べないがな、とライコウは吐き捨てた。

「軍議というからには、戦争、戦いに関してだろう?」

「そうだ。次の戦についてだ。まあ、己が着いた時には全て決まり終えていて、口を挟む隙もなかったんだがな」

 王の命、と言われちゃな。苦々しくライコウが言う。僕としては、その王は無事なのか気になるところだ。さっきの二人の兵士のようになっていないだろうか。だとすればと推察するに、こいつと安達ケ原の彼女らにとっては良くないことだろう。

「今日と明日で兵の編成を行う。翌々日の朝に出立だ」

「ずいぶんと急だな。戦って、もっと準備に時間をかけるもんだと思ってたよ」

 昔読んだ本に書いてあった。戦争は準備が全て。決戦はそれまで用意したモノを出し切るだけだと。なら、準備こそにもっとも時間をかけるのではないか。

「ふん、あのケンキエンの差し金よ。あの女、とうとう己の領域にまで口を挟んできやがった」

 なるほどね。さっき言っていた《用済み》の意味と合致する。次の戦で入手できる穢れで充分ってことなのだろう。

「で、あんたはどうすんだ」

 腕を組んで唸るライコウに尋ねた。

「どうする、とは?」

「もちろん、これからのことだよ。戦をもうしたくないってのは聞いた。安達ケ原の巫女に惚れたというのも聞いた。けど、国は戦の道をまっしぐらだ。将軍のあんたでさえ覆せない決定事項だ。なら、どうする? このまま国の命に従ってあいつらと戦うのか?」

「だから、それはもう出来んのだ。もうあの方が悲しむようなことはしたくない!」

「じゃあ、あっちにつく? 惚れた女のもとで、自分たちの仲間だった者たちと戦う?」

「それも・・・出来ん。あいつらは家族同然だ。そいつらを、どうして斬れよう」

「・・・なら、この戦、止める方法でもあるってか?」

 質問の度に口調が投げやりになっていくのは止められなかった。わかりきった答えが返ってくる質問をすることほど質問のし甲斐のないものもない。

「ない」

 ずいぶんとためた後、ようようのことで、つまらないたった一言を吐き出した。

「つまんね」

「な、何だと!」

 声に出てたようだ。いや、これは仕方ないと思う。だってつまらないのだから。

「あれもできない、これもできない、ならあんたどうする気だ? 僕と一緒にここで寝てる気か?」

「ふざけるな! 黙って見ていることなど、見ている、ことなど・・・」

 言っていて、自分で何が出来るか考えた結果、何もできないことに行きついて言葉尻がどんどんすぼんでいく。

「あんた、馬鹿だろ」

「喧しい! ほおっておけ! そんなことは、生まれた時から周囲も己も百も承知だ!」

「いや、だからさ。馬鹿が馬鹿みたいにうんうん呻って難しいこと考えたって何もできやしないと思うんだよ」

「だからと言って! 手を拱いてみていろと言うのか!」

 ここまで言ってもわからないのか。

「そうじゃなくて。馬鹿なんだから、もっとシンプル、簡単・単純に考えりゃいいんだよ」

「・・・というと?」

「たとえば、どっからおかしくなったかを掘り下げていくんだよ。いつから戦を始めたか、いつからみんながおかしくなったのか」

「それは・・・」

 ようやく気づいたようだ。

「いやしかし! そんなことは」

「出来んってか? たかが王妃を討つだけだぞ?」

「だからだ! 王の妻だぞあの女は曲がりなりにも! それは」

「国に弓引く行為か? それがどうした。あんただって、あの女が危険だと思ってるはずだ。そう思うなら討てばいい。秤にかければいい。あんたの大事な、失いたくないものと、王の妻の命を。ほっときゃこれから何人も死ぬ。下手すりゃあんたの思い人も死ぬし、あんたの家族同然の仲間たちも死ぬ。僕にはどうでも良いことだけどね」

「・・・お主、他人事だと思って好き放題言ってくれるな」

「他人事だからね。僕は、好きなように言いたいことを言うだけさ。ああ、もう一つ好きに言わせてもらうなら、あんたが忠誠を誓う王とやら。本当に生きてんの?」

「・・・な、んだと」

 余程意外なことだったのか? 僕としては、それがいの一番に疑われることだと思っていたよ。

「王が死んでいる、だと? 馬鹿も休み休み言え。先ほど王命で戦の準備を始めたところだぞ?」

「ああ、生きているってのは、何も心臓が動いて呼吸してるってだけじゃないぜ。自らの意志で動いてるかってことも重要だ」

「傀儡と成り果てている、お主はそう言いたいわけだな」

 頷く。さっきの二人の兵士が良い例だ。

「確かに、最近は王の御姿をあまり見ぬ。それまで皆と取っていた食事も、ここのところ自室で済まされることが多かった」

「は、あの女も実の息子にじっくり見られるとばれるとでも思ったかね。存外慎重なところがあるらしい」

 さっき僕を殺さずに解放したことを取ってもそうだ。あの力ならライコウを捻り潰すことくらい訳ない。けど、穢れの方を優先した。万全に備え、獲れるものは全部搾取するタイプか。強欲だな。

 幾分思考を巡らせていた後、ライコウは顔を上げた。迷いが晴れたか、目標が決まったか、幾分マシな顔をしている。

「王に謁見を求める」

「そうかい。で? そのあとは?」

 まどろっこしいと思うのは僕だけだろうか。

「見極める。王がご存命かそうでないか。もはやあの女の傀儡となっているのであれば、身命を賭して、王を止める。たとえ」

 大きく息を吸い、吐き出した。

「たとえ我が手で討つことになろうとも。これ以上血を流させないために」

 では、さらばだ。そう言いおいて、去ろうとする。ライコウがひるがえした着物の袖を、僕はしっかとつかんだ。そのせいで格好よく去ろうとしたライコウがつんのめり、転倒した。

「何をする!」

「いやいや、何を悲壮感漂わせて、今生の別れみたいに去ろうとしてんだよ」

「知れたこと。王を討ったならば、己もただでは済まぬ。もはやここに戻ってくることもないだろう」

「それじゃ困るんだよ」

「安心せい。原因と分かったならば、王と一緒に、あの女もまとめて斬る。他の者には二人とも病で倒れたと言い、死体は処分する。そして、あの朱姫にこの首を差出し、西涼と和平を結んでもらう」

 それで万々歳だ、とドヤ顔で言われても。トウエンはあんたの首なんて欲しがらないだろうし。

「そうじゃなくて、僕がこの国のことやら安達ケ原のことやら他人事で気を揉むはずないだろう。いつだって僕の心配事は僕のためだけに使われるんだよ」

「お主、あれだな。結構人として駄目な奴だな」

 何とでも言え。

「あんたが死んじまったら、誰が僕をここから出すんだ」

 たとえ術が解けたとしても、すぐにここから出されるとは考えにくい。戦の傷痕は物理面でも精神面でも残る。トウエンたちと停戦したとしても、すぐに和解とは相成らんはずだ。人の感情がそんなに簡単に折り合いがつくなら苦労はしない。誰もがこいつみたいに単純ではないのだ。長い手続きを経て、ようやく国交が結ばれる。その間、あっちのスパイみたいに扱われた僕がすんなり釈放などされるわけがない。

 僕の指摘に、ライコウは【あ】の口のまま固まっている。こいつ、忘れてたな。

「行く前に、とりあえずカギを開けといてくれ。後、僕の荷物も返してもらう。ついでに食料も貰おうか。腹が減った」

「要求が多いなお主!?」

 文句を言いつつ、カギを開けてくれた。屈みながら、小さな枠を潜る。

「さて、僕の荷物は?」

 首や肩をほぐす。コキコキと骨が鳴った。

「階段を上がった先、牢番が預かっている。ただ、お主の剣。あれはあの女が持って行った」

 ケンキエンは、あれが蛇神のものだとわかっている。穢れなんてよくわからないものを食い物にしているんだ、あれに込められた憎しみとかも食えるのかもしれない。別段必要とはしなかったものの、何だかんだで刃物は使う機会が多いし、何より自分が持っていたものが失われるのはちと惜しい。どうにかして取り返そうかと考える。

「己が先に行って、牢番を外させる。少し時間を空けてから来い」

 頷きで答えると、ライコウはさっさと階段を上がっていった。上階に耳を澄ませていると、少しの間話し声がして、そして途切れた。足音を忍ばせながら階段を上る。

「ほれ」

 ゆっくりと陰から顔を出した僕に、ライコウが差し出してきた。ずいぶんと長い付き合いになったリュックだ。

「どうも」

 礼を言って受け取る。

「では、行くぞ」

 唐突に言われ、僕は首を傾げる。

「行くって、どこに?」

「決まっておろう。王の間だ」

「何で?」

「何でって、己についてくるのではないのか? だから牢から出たがったのではないのか?」

「どうして?」

 さっきから、こいつが何を言っているのか、何が言いたいのかわからない。ライコウはライコウで、僕が何故と問うこと自体が理解できないようだ。

「・・・お主、己と共に王を止めに行くのではないのか?」

 ようやく合点が言った。言葉の少ない人間に良くあることだ。自分の言いたいことの十全を相手が理解していると思い込んでいる。キント等、こいつの扱いに慣れているならともかく、僕に同じ理解をしろというのは無理な注文だ。それに、王を止める、という行為そのものが、すでに不可能だと思う。僕は、無駄なことはあんまりしたくない。

「申し訳ないがお断りだ。僕には僕の都合がある」

「あっさりと断るなぁおい!」

「というか、僕が一緒に行った時点で、あんたは疑われるだろう。牢にいた人間を出したんだから」

「お主、自分が出せと言ったのではないか!」

「そこまで考えて出してくれたもんだと思ってたよ。もしかして、止める止めると息巻いてるけど、さっき言ってたこと以外、何も考えてないんじゃないだろうな? たとえば、すでに守備が固められているとか、あっちが何もせずにいるなんて甘い考え持ってんじゃないだろうな?」

 返ってきたのは痛いほどの沈黙。

「・・・剣を取り返しに行くから、そこまでなら付き合ってやる・・・・」

 僕にこんなことを言わしめるライコウは、多分只者じゃない。色んな意味で。


 城内の探索は、拍子抜けするほど簡単だった。行く先々に人がいなかったのだ。

 階段を上がるとき、曲がり角を曲がるとき、部屋に侵入するとき、全てにおいてライコウが先行し、僕が後に入る。それも、音や振動を目一杯に気にしながら。クシナダほどではないが、僕も多少神経が鋭くなっている。半径五メートルくらいの範囲なら隠れていようが生物の気配を察知できる。ライコウも異常なほど高い集中力で警戒を怠らない。さすが一軍を率いる将というところか。

 そんな僕らの努力する姿が間抜けと言わんばかりに、王のいる最上階まで誰とも合わずに辿り着いた。ここまでくれば、もう作為的としか思えない。

「行くぞ」

 それでも前に進むだけだ。ライコウが閉ざされていた戸に手をかける。スッと、大したがたつきもなく戸が開く。

 小さな柵だけの窓から入る夕日の光に照らされて、部屋は燃えるような色をしていた。落日が作る景色は、なんとなく終焉を感じさせる。事実、この国は、このままいけば確実に滅亡する。

 トウエンの屋敷よりも広い板張りの間の奥が一段高くなっている。そこに何かの獣の毛皮が敷かれていて、その上に大きな背もたれと肘置きのついた、ちょっと豪華めな座椅子がおかれていた。

 壮年の男が、ただ一人、そこに座っていた。

「親父」

 隣のライコウが本人に聞こえないようぼそりと呟く。

「何用か」

 しゃがれた低い声で問われる。

「どういうことだ! 生きているではないか!」

 小声で僕に訴えられても。僕はどうなっているかわからないと可能性の話をしただけだ。生きている可能性だって十分にあり得た。

「我が息子とはいえ、ぶしつけにもほどがある。それなりの覚悟あってのことだろうな」

 はい、とライコウは進み出て、三メートルほどの距離を置いたところで跪く。

「ウラ王。今日は王の真意を伺いたく、参上仕りました」

「真意・・・とな?」

 片眉を吊り上げながら髭をいじる王。

「王が、どれほど国のことを思い、これまで過ごされていたか、己はそばで見てきました。此度のケンキエン王妃の事、安達ケ原との戦の事、王にはお考えあってのことでしょう。しかし、何も語らぬままでは、いずれ不審と反感を買うかもしれません」

「お前のようにか? ライコウ」

「ええ、そうです。己には、王の考えがさっぱりわかりません」

 躊躇もなくライコウはすっぱり言いきった。馬鹿正直にもほどがある。真正面から国のトップを非難してどうする。

 ふうむ、とウラ王は撫でさすった。ゆっくりとたちあがり、僕らに背を向けた。

「ケンキエンがこの西涼に来る前から、儂はかの国とそこに住まう者どもに対して疑問を抱いていた。我らとは違う姿、我らが持たぬ力。姿が違えば当然考えも違う。違うものを警戒するのは当然だ」

「違うから何だというのです。この世のどこに、全く同じものがございましょう。我ら親子ですら違う考えを持ち、違う姿をしているのです。しかし、我らは争うことなく、この西涼という国で共に暮らしております。それは、我らが隣人の人となりを知っているからでありましょう。知らぬから恐れるのだと己は思うのです」

「貴様は、安達ケ原の化け物どものことも知れと言うのか。知れば、争う必要などないと」

「その通りです。少し離れたところに、少し変わった者が住んでいるというだけのことです」

「そんな悠長なことをしていては、滅ぼされるかもしれんのだぞ。現に奴らは我らの同朋たちを何人も殺しておる」

「順番が違います。最初に我らが彼らの仲間を斬ったのです。国を攻めたのです。だから戦争になった。我々が彼らを恐れたが故です」

「ライコウ、貴様。王たる儂の決定を、王妃たるケンキエンの言葉を、疑うと申すかっ。誤りであったと申すかっ!」

「恐れながら。敵に回したこと、誤りであったと言わざるを得ません。王は此度の戦で我らが出した被害を知っておられるはずですな。あの国の兵を一人の相手をするために、こちらの兵は十人以上犠牲になります。倒そうとすればその倍の兵が入ります」

「だから何だというのだ。戦で被害が出るのは当たり前だ。わずかな犠牲で、未来の西涼の民が救えるのだ。尊い犠牲だ。散って逝った彼らは西涼の礎となり、国家を支えるであろう。貴様は、彼らの尊い犠牲を無駄だと言うのか?」

「無駄にしません。絶対に無駄にしない。だから今、こうして動いているのです」

 跪いていたライコウが、すっくと立ち上がった。まっすぐに王の背中を見据える。そして、あろうことか腰に帯びていた剣を抜き放った。

「・・・儂を斬るか」

 肩越しに、王がライコウを睨む。

「親であり、王である儂を斬るのか。儂を殺し、その首をもって安達ケ原に和平を申し込むつもりか」

「そうですね。あなたが本当に王であり、己の父であるなら、また別の方法を考えるのでしょうが、ね!」

 語尾と同時、ライコウは踏み込んだ。距離を飛び越え、上段の構えから一気に振り降ろす。刃は王の背に吸い込まれ、通過して床に刺さった。

「ぬっ?」

 ライコウが戸惑いの声を上げ、一足飛びに後退した。

「手ごたえが、無い」

 緊張感を漂わせてライコウが言う。目の前には、確かに切られたはずの王がそのまま状態で立っていた。

「・・・く、くくく」

 王が笑う。

「いつから気づいていた」

「王は口が裂けても、被害が出るのは当たり前などと、民の命を軽視する発言はしない。だいたい、王はこの戦が始まるまでは虫を殺すのもためらう様な臆病で、そして優しい方だった。民のことを第一に考え、諍いごとも武力ではなく言葉をもって解決するような男だった。己からすればたまに歯がゆくなるような考えをする、しかし良き王であり父であった。その父が宣戦布告も無しに安達ケ原に攻め込むことを命じるのもおかしければ、今の話のように最初から疑ってかかっていたというのもおかしな話だ。そう、王こそが最初に言ったのだ。違うからこそ知るのだ、知らぬから知るのだ、と。そう言って安達ケ原の者たちの商売を許可したのをお忘れか? であるならば、やはりお前は王ではない!」

 切っ先を王に向ける。

「くく、くはは。そうか、それはそれは、私としたことが」

 王だった者がこちらを振り向く。がらんどうの口から発せられる声は、僕の聞き間違いでなければ、地下牢で聞いたあの声だ。

 突如、王の体が突如朽ち始めた。そこだけ時間の流れが何倍も速いかのように、王の体は乾燥し、皺くちゃになった皮膚が剥がれ、中からのぞいた肉がボロボロと骨から落ちていく。見事な骨格標本が出来上がった。まるで誤った聖杯を選んだ悪党の末路だ。その骨も、重さに耐え切れなくなったか崩れ落ち、ガラスよりも脆く砕け散った。最後に残ったのは一握の砂だ。

「見事見事。お見事でございます。ライコウ将軍」

 部屋の隅、陰になっている部分から、ケンキエンが湧き出て来た。

「よくぞ見破られましたな」

「王妃、いつからです?」

 噛み殺さんと言わんばかりの形相でライコウがケンキエンににじり寄る。いつでも斬れるように間合いを測る。しかしケンキエンは露ほども恐れることなく、むしろ楽しげにライコウと語らう。

「いつから、とは、どのことを聞いておられるのですか? 私めがいつからここにいたのか、ということですか? 王がいつから死んでいたのか、ということですか? それとも、いつから私がすべてを操っていたのか、ということですか?」

「操っていた・・・だと? やはり、貴様は!」

 怒りと共に腕を一閃させる。渾身の斬撃は、ケンキエンの細首を斬り落とすかに見えた。だが、それは叶わない。刃が届く前に、ケンキエンから伸びたその毛むくじゃらの剛腕が、ライコウの腕を押さえつけていたのだ。

「ぐ、くぬぅううううっ!」

 顔を真っ赤にしながら振りほどこうとするがびくともしない。どころかケンキエンは余裕の笑みでライコウに語りかける。

「王妃に向かって突然何をなさるのですか。これは、一から躾けなければなりませんかね」

 ぶん、とライコウを放り投げる。その方向にいたのは僕だ。飛んできたライコウの腕を掴み、ぐるぐると回すことで威力を押さえ、適当なところで離す。床を滑りながら、壁際でライコウはようやく止まった。

「お、お主、受け止めるにしても、もう少し優しく出来んか?」

 目を回したライコウが四つん這いになりながら訴えてきた。贅沢をいう。あのまま飛んで行ったら壁を突き破って落ちてたところだ。こいつは無視して、僕はケンキエンと相対する。

「そなたも私に何か聞きたいのか?」

「聞きたいことは、今のところ二つだ。まず、僕の剣はどこにある?」

「剣? ああ、あの赤き呪剣のことか。それ、ここにある」

 ケンキエンが懐を探る。そこからどういう原理かわからないが、僕の剣が出てきた。あの懐は四次元にでも繋がっているのだろうか。

「悪いけど、返してもらう。それは僕の物だ」

「よかろう」

 意外にあっさりとケンキエンは言った。もっとごねられるかと思ったから、拍子抜けだ。

「その剣は確かに強大な蛇神の匂いがする。しかし、残っている力は弱い。腹の足しにもならぬ」

 無造作に放り投げられた。床を滑り足元に届く。何の力もない、取るに足らない物と判断したようだ。拾い上げ、肩に担ぐ。

「さて、と。これで僕の荷物は返してもらった。この国での用事は後一つだけ」

 知らず、笑みが浮かぶ。ようやく何の妨害も無しに目的が達成できそうだ。

「西涼国のケンキエン王妃。どうか、僕と殺し合いをしてくださいな」

 ライコウが目をこれでもかと言うくらいかっ開いて僕を凝視している。

「タケル、お主初めからそれが目的であったか・・・」

「うん。あんたの父親と母親と戦うのが目的だから、明かしていいか微妙だったんだけど。ここまで来たら隠し事する必要もないし」

「なら最初からついてきてくれるつもりだったんではないか」

「ついていくつもりはなかったよ。こんなに順調に会えるとは思ってなかったからね。けどまあ、好都合だ」

 両手で柄を握りしめる。ドクン、と、また剣が脈打つ。ケンキエンが目を見張り、不快な笑みを引っ込めた。

「貴様、どういうことだ。まさか・・・」

 言葉の途中で、僕は床を蹴った。自分の想像以上の速さで相手の懐に潜り込むことが出来た。何だこの脚力。蛇神の呪いの影響か? 疑問は頭だけにして、剣は迷いなく切り上げた。

 くるくると回転しながら、ケンキエンの、中途半端に先ほどの剛腕へと変化した左腕が背後に落ちた。寸前で躱されたか、首を狙ったんだけど。

『ぐ、ギィッ!』

 切り口を手で押さえながらケンキエンが壁際まで後退する。傷口からは血ではなく黒い、腐臭を放つ煙のようなものが漏れていた。あれが穢れだろうか。落ちた腕も、同じ黒い煙となって切り口から消えていく。

「臭ぇ。換気が必要だな」

『き、貴様っ、貴様ァ!』

「うるさいな。さっきまでの余裕はどうした。牢での余裕はどこいった? 僕のような雑魚など歯牙にもかけないのだろう?」

 剣先をケンキエンに向ける。美しい顔を怒りで歪め、裂けんばかりに目と口を開いた。いや、口の端は耳元近くまで横に裂け、小さな顔からは不釣り合いな牙が覗いている。どうやって口閉じてたんだろう?

『きィッさまァアア!』

 腕の切り口から、新たな腕が生えた。それはまた別の、上質の革製品みたいに艶々した黒い腕だ。それでも大きさは先ほど見せた腕と同じくらいだったが。

 力任せに殴りつけてきたのを、剣の腹で受ける。勢いのまま押し込まれ、壁際まで追いやられる。壁に足裏を当てて踏ん張り、ようやく止まった。力が拮抗する。ピシッと壁に亀裂が入る。

「っせい!」

 横合いから、ライコウがケンキエンに斬りかかった。三半規管の狂いからは回復したようだ。気配を察していたか、その一撃は難なく避けられる。ライコウはそのままケンキエンと相対し、僕は彼の隣に立った。

「王妃、答えろ! なぜ我らに術をかけた! どうして安達ケ原の者たちと争うように仕向けた!」

 切っ先を向け、油断なく構えながらライコウが吠える。

『く、くくく、今更そんなことを問うのか、ライコウ。愚か。本当に貴様は、愚かな人の中でも飛び切り愚かよな。だからこそ、操りやすかったが』

 ライコウの馬鹿な質問を受けて少し心の余裕が戻ったか、ケンキエンは饒舌に語り出す。すでに裂けた顔の皮膚も腕も元通りになっている。どうしてわざわざ戻すのだ? もうばれているというのに。

「貴様は、何者だ」

『我は、神。貴様ら人や、あらゆる生物の上に立つ絶対の支配者、いと高き神よ』

 僕の経験上、自分から神を名乗る連中にロクな奴はいない。うんざりしながらも、まだ長くなりそうな話を聞いてやる。

『退屈していた我の前に、二つの国があった。この西涼と、かの安達ケ原よ。ちょうど腹も減っていた。だから、飯を食おうとした。我の飯は人から出る穢れ。憎しみや怒り、後悔、恐怖、嘆きを含んだ人の血肉。ただ襲い、喰らうだけでは恐怖しか味わえぬ。もっと色んな味を楽しみたい。そう考えた我は、この二つの餌どもを争わせることにした。そうすれば相手に対する憎しみや怒り、身内を失った嘆きや後悔などが味わえる』

 蛇神もそうだったが、こいつの様な、知恵を持つ生態系の頂点にいる連中は、総じて食べるということに楽しみを求めたがる。まあ、本やゲームをこんな連中が楽しんでたらそれはそれで驚くが。

 生物は生きるために餌を取る。そこに楽しみなどない。ただ欲望を満たすためだけの行動だ。獲物を狩って、食べて生きるためだけに知恵も技術も体力も、すべてを注ぎ込む。後は繁殖するか寝るかのどれかを行いながら、死ぬまで生きる。最初に食事、次いで睡眠と繁殖。それだけを考えればよかった。

 食事が終わり、眠くもなく、繁殖時期でもない。ならばその空いた時間をどうするか。ただの獣であれば次の狩りまで体力を温存するためにじっとしているだろう。しかし、ある一定以上の知恵を持つ生物は、それだけでは物足りなくなる。今まで満たせていた欲望が満たせなくなるのだ。その分を補うために、思考する。知識を得る。試す。慣れてきたら次の方法を。一度でも知恵の恩恵を授かってしまえば、後は際限なく。

 アダムとイブは知恵のリンゴを食べたから楽園を追放されたんじゃない。知恵を得て、楽園が楽園で無くなってしまったのだ。今までの楽園が風化して見えるようになってしまった。後は自分が満足するための楽園を求めて、欲望のままに突き進む。

『目論みは成功した。安達ケ原は恐ろしい化け物が住む、西涼を襲うために計画を立てている、などと人々に疑惑の種をまいただけで、愚かな人は怯え、それから逃げるために安達ケ原の者どもを襲った。愉快でたまらなかったぞ。全て我の思うがままだ』

「貴様、そんなことのために、我らや、彼女らをっ。人を何だと思っている!」

 人など、とケンキエンは鼻で笑った。

『どうして我が、地を這う虫けらどものことを考えてやらねばならんのだ。貴様らはほどほどに増え、適度に足掻き、我を楽しませてから、我の腹を満たせ。存在価値などその程度だ』

 ギリ、とライコウが奥歯を噛み締めた。口の端から血が伝う。

「貴っ様ァアアアッ!」

 踏込み、迅雷の如き突きを放つ。それを飛び越え、ケンキエンは僕らの後ろ、部屋の入口付近に降り立った。

『さあて、もうひと手間かけようか』

 そう言って、ケンキエンはすっと姿勢を正した。口をゆっくりと大きく開いたかと思うと

「きゃあああああああっ!」

 王妃の声で、甲高い悲鳴を上げた。たちまち、複数の重たい足音が鳴り響き、複数の兵士が武装して現れる。ここに来るまで一兵たりとて出会わなかったのに、いつの間にやら暑苦しい程集まりやがった。

「王妃様!」

 槍を腰だめに構えながら現れたのはあのハゲのキント隊長だ。僕たちの立ち位置を見て、すかさずケンキエンを背後に庇い、槍の穂先を僕たちに向けた。

「おお、キント隊長」

「王妃様、ご無事ですか?」

 すがりつくケンキエンに若干鼻の下を伸ばしながら、それでも部下たちの手前、隊長の職務をこなす。ただ、最初にライコウではなくケンキエンに声をかけるあたり、こいつらは完全に術中にはまっているとみていい。

「何があったのですか。これは、一体どういうことです? ライコウ将軍」

「キント、これは」

「ライコウ将軍も、呪われてしまったのです」

 言葉を選んで喋るのが苦手そうなライコウの弁明よりも先に、ケンキエンが一息に、簡潔に、わかりやすくこの場の状況を説明した。この場合の説明は正しい正しくないではない。周りの兵を味方に引き込めるか引き込めないかだ。そして、その点においてケンキエンは僕らよりも上手だ。第三者から見た状況の全てが僕らに不利となる。なるほど、わざわざ敗れた皮膚を治したのはこのためか。

「尋問するうちにその者から呪いを貰い、正気を失ってしまったのです。そして、化け物の意のままに操られ、とうとう王を・・・」

 さめざめと嘆く。ケンキエンの話を聞いた兵たちが色めきたった。だが、それも一瞬。彼らの意志は統一された。一片の疑いも持たずにケンキエンの言葉をうのみにし、僕らを敵として認識したようだ。槍や剣が敵意と共に一斉に向けられる。

「違う! 聞け! お前らは騙されている!」

 声高にライコウが叫ぶも、時すでに遅し。誰一人として彼の言葉に耳をかたむけないだろう。

「将軍、まさか、あなたが術にかかるなんて」

 残念そうにキントが言い、しかし取り乱すことなく、しっかりと槍を突きつけてくる。

「キント! 己の話を聞け!」

「聞けませぬ。呪いにかかり、操られているあなたの言葉など、聞けるはずがありませぬ」

「己もタケルも呪われてなどおらぬ。お主の後ろに居る者こそ、この西涼にはびこる呪いそのものなのだぞ!」

「畏れ多くも王妃様に向かってなんと言う事を! 本当に正気を失われましたか!」

「失っておるのはお主らだ! 安達ケ原の者たちを襲うように仕向けたのも、王を殺したのも、全てその女の仕業だ!」

「まだおっしゃられますか! あなたこそあの化け物どもに操られているのが分からんのか!」

 キントの一喝に、ライコウがたじろいだ。恐れたのだ。迫力に、ではなく、信頼できる部下に信用されていないという事実に。

「もう、喋らないでいただきたい。誰よりも誇り高い西涼の武人であったあなたの、そんな無様な姿は見るに堪えぬ」

「キント!」

「黙れ! ・・・皆の者! 賊をひっ捕らえい! 相手は操られているとはいえこの国一の武人と、化け物の一撃でも死ななかった化け物ぞ。用心してかかれ!」

 応! と掛け声勇ましく、兵たちが一歩踏み出した。槍衾が一層狭められ、一突きすれば僕たちは串刺しだ。

 だが、僕は前に出た。ライコウを押しのけ、彼らの前に立つ。左右から二人、僕に向かって剣を振り降ろしてきた。左から来た一撃を、相手の腕を掴むことで防ぎ、もう一方は剣で弾いた。弾かれた相手の剣は僕の真上に突き刺さる。無手となった敵の鳩尾を蹴り飛ばし後続を怯ませる。相手の腕を掴んでいた左手に力を籠める。元の世界での握力は五十程度だったが、今は掴んでいた相手の骨から嫌な音がする程度には強くなっているらしい。剣をその場で取り落した相手を、来た方向に投げ飛ばす。避けきれず、二、三人が巻き込まれて転倒した。落ちていた剣をそのまま拾い、二刀流でけん制。人垣の後ろでほくそ笑むケンキエン、その手前のキント、そして周囲の兵を見回す。

「そう言えば、あんたらは最初に、この国に売り子に来ていた安達ケ原の女性を問答無用で切り付けたそうだね」

「それが、どうした」

 それの何が悪い、化け物は化け物だろうが、とワイワイガヤガヤ口々に囀る。

「なに、たかが女性一人を化け物と恐れ、寄ってたかって襲い掛かる様な臆病な兵隊が粋がったところで、怖くもなんともないと思って」

 キントたちは絶句した。一時おいて、全員が面白いように顔を真っ赤にして、一丁前に怒り出した。

「き、貴様、侮辱するか!」

「ああ、気に障ったんなら謝るよ、僕は言いたいことは好きに言う性分なので。悪いね。あんたらは何一つ良心の呵責もなく弱い女性を嬲り、家族に向かって化け物を殺した英雄だと、そういって自慢してたんだものな」

 呪剣を強く握りしめると、ドクンとまた脈打った。多分、一振りすれば辺りの兵の首は飛ぶだろう。さっきのケンキエンの腕より固いってことはないだろうから。

「同じようにやってみろよ、英雄共。化け物はここにいるぞ」

「こ、このっ・・・・!」

 呻くものの、誰一人かかってこようとしない。一歩踏み出せば一歩退くありさまだ。僕程度に怯えて、よくもまあ安達ケ原の連中相手に戦ってたな。

「ま、待てタケル! お主、まさかキントたちを殺す気か!」

「殺す気は特にないけど、降りかかる火の粉は払うよ。それで相手が死のうが僕の知ったことじゃない」

 後ろから肩を掴まれる。

「待て待て、待ってくれ。説得すれば」

「すれば、なんだよ。聞くと思うか? 手遅れだよ。時間切れだ。後はどっちかがくたばるまで戦うだけだ」

「それでも!」

 ぐいと肩を引かれる。こんな問答をしている暇などないってのに。肩越しにライコウの顔を見た。なんて顔をしてやがる。親とはぐれた子どもみたいに顔を曇らせて。面倒だが邪魔されるのも厄介だ。仕方ない。プラン変更。それに、このまま目の前の連中を排除したとしても、本命に逃げられる可能性が高い。引くに引けない状況を創った方が速いかもしれない。

 僕は構えを解き、肩から剣を下げる。囲んでいた兵たちは、こちらに刃先は向けたものの、一瞬弛緩する。

「わかった。剣を捨てる。降参だ。これじゃあ逃げられないからな」

 そう言って相手の剣を右側に、自分の呪剣を左側に強めに突き刺す。床下まで突き抜けたような手ごたえがあった。そんなに分厚いもんじゃないだろう、という目論みは大当たりだ。

「た、タケル?」

「ライコウ。ほら、あんたも」

 戸惑うライコウの剣を奪い取り、同じように僕らの背後に勢いよく突き刺す。僕の行動を理解できない連中は、唖然としたままその場を見守っている。なるほど、勉強になるな。たとえ敵対していたとしても、理解できない行動というのはつかの間ではあるが相手の思考と行動を奪うのだ。これで、右、左、後ろに三本の剣が刺さっていることになる。最後はと、上を見上げる。狙いは天井に刺さったままのもう一振り。

「しまった。そいつを止めろ!」

 キントが床に走った亀裂に気づいた。声を受けた数人が僕らの包囲網を狭める、が、遅い。

 真上にジャンプし、柄を握り引き抜く。落下の力も使ってその剣を前に突き刺す。これで、一メートル四方の狭い場所に剣が四本。

 ミシリ、と軋み、亀裂が剣から剣へとつながる。そこへ、ダメ押しの四股踏み。面白い位簡単に床が抜けた。

「お、おおっおおお?!」

 間抜けな声を上げてライコウが一緒に落ちる。埃をまき散らしながら階下へ着地。一緒に落下してきた呪剣を右手で、左手でライコウの腕を掴む。階下は上よりも大勢の予備兵力が存在していたが、虚を突かれ反応できない。その隙間を縫って僕らは走る。助走をつけ、木の戸に向かって蹴りを放つ。はめ込まれていた戸が、真ん中でぱっくり割れて飛んで行った。止まらず、そのまま宙に身を躍らせる。

「はああああああああ?!」

 素っ頓狂な叫び声をあげるライコウと共に自由落下。下の階層の屋根の上に飛び乗る。

「た、タケル、動く前にせめて一言・・・」

 息を切らせるライコウを無視して、あたりを見回す。来た時にはわからなかったが、治水工事でもしたのか街の付近にまで水が引かれている。脳内に地図を広げる。安達ケ原はここから北東。流れる先は北か。ちと方向が違うが、追っ手を巻くにはちょうどいい。

「行こう」

「そんな意図のわからない端的な一言が欲しいわけではなくてだな!」

 訴えは無視し、屋根から屋根へと飛び移る。盛大なため息を吐き出してライコウが後からついてくる。

「あの川に飛び込むぞ。流れに乗ってそのまま安達ケ原に行く」

「行ってどうする」

 屋根から飛び降り、人気のない街を走る。

「決まってんだろう。戦いの準備だ。王を討って止める方法が無くなった今、被害を最小限に抑えるために全面戦争をする必要がある」

「お主、それは矛盾してないか? 戦をすればどうしたって被害は出るのだぞ」

「ここの装備と安達ケ原の連中の術、双方を上手く用いて、戦い方を選べば被害は抑えられるはずだ。でないと次が持たねえだろうからな」

「次?」

 怪訝な顔で聞き返してきた。何故気づいてない。今しがた第三勢力に合ったばかりだろうが。

「ケンキエンだ」

 仕方なく、答えを教える。

「奴がか? 確かに尋常ならざる相手だが、一軍として数えるほどの物か?」

 ああ、わかってないな。あの姿のイメージしかわかないのなら、無理もない。

「一軍じゃない」

「だろう?」

 納得しかけたライコウの面前に指を二本立てて「二軍分だ」と言っておいた。

「に、二軍分だと? 冗談だろう?」

 僕はそうは思わなかった。おそらく、あの蛇神級の敵だ。腕を落とせたのは相手が油断していたからだ。

「あいつはここで力を溜めていたと言っていた。力が不足している時でさえあんたら全員の意識を操ることができたんだ。一軍以下だなんて思えない」

 穢れ云々の話は省く。なんとなくで理解している物を話して、質問されたら返せない。

 屋根が途切れ、人気の無い大通りに飛び降りる。そのまま一直線で門目指して走る。

「ライコウ、あれに上るには?」

「上る? 開けるじゃなくてか?」

「簡単に開けられるのか? 開けてる間に追いつかれるなんて勘弁だぞ。それならいっそ、飛び越えた方が速い」

「飛び越えるって・・・、いや、もう何も文句は言うまい」

 首を二、三度ふり、迷いを断つ。

「門の右は物見台になっていて、そこに扉がある。そこから上に上がれる。ただ、扉にはカギが内側から・・・」

 ライコウの話が終わる前に扉の前に辿り着く。見たところ木製だ。ということは、今の僕の障害にはならない。すでに何度か実証済みだ。走ってきてそのままとび蹴りを叩き込む。文字通り一蹴した。

「僕が言うのもなんだが、この程度の強度じゃ、また破られるぞ」

「・・・全てが終わったら、鉄の扉に付け替えることにしよう」

 物見台内部に侵入。階段を駆け上がり

「な、何だ貴様ブゥッ」

 見張りを昏倒させながら屋上に出る。下をのぞく。高さはまあ、六、七メートルほどか。ふむ。

「タケル、どうする。縄も何もないぞ。さすがにこれでは下に降りれん」

「問題ない。騙されたと思って、ここに登れ」

 城壁の端をポンと叩く。怪訝な顔をしながらも、素直に端に立つ。僕も後に続き、二人揃って城壁の上に並んでいる図だ。

「おい、これからどうしようっていうんだ」

「簡単だ」

 彼の腕を掴んだ。

「肩を脱臼しないように気を付ければいい」

「は?」

 そのまま僕は城壁の外の方へ体を倒す。掴んだ腕の先で、ライコウが口を開けたままついてきた。余計な抵抗が無くて実に楽だ。城壁の真ん中あたりに剣を突き刺す。ぐぐっと右腕にかかる負荷。反対に落下の勢いは削がれる。ここならもう下まで二メートル無い。唖然としたままのライコウに「離すぞ」と伝え、手を離す。ワタワタしながら下で受け身を取った。それを見届けてから、剣を引き抜く。ライコウの隣に着地、足から痺れが上がってくる。

「騙したな・・・」

 恨みがましく、ライコウが睨んできた。

「騙されているとわかっているなら、そんなに衝撃もないと思って」

 軽く肩を竦める。無事に出れたんだから良いじゃないか。

 片足ずつ軽く振ってしびれを払う。何を言っても無駄と悟ったか、ライコウも同じようにして、足の状態を確認していた。

「で、タケルよ。お主は何を考えている」

 再び走り出した僕と並走しながらライコウが尋ねてきた。

「さっきも言ったろ。戦う準備だ。ケンキエンの本体を引きずり出すために協力してもらう」

「本体? 引きずり出す? すまん、馬鹿な己にもわかるように、順序立てて言うてくれんか?」

 面倒くさいな。けど、こいつには理解してもらわなければ。後で西涼の連中をまとめてもらわなければならない。

「僕が考えているのはこうだ。あんたにはまず、安達ケ原の連中を率いて、西涼の連中を封じる」

「待て、最初から無茶だぞ。己が昨日まで敵だった連中を率いる等不可能だ」

「その辺は心配するな。僕が何とかするし、あんた憧れの巫女が許可するはずだ」

「巫女、朱姫がか?」

「そうだよ、だからまずは僕の話を聞け。全部聞いてから質問しろ」

 神妙な顔で頷くのを見て、話を続ける。

「あんたは西涼の兵の戦い方を知っている。どう攻めて、どう守るのか。だから、隙もつければ、しのぎ方もわかるはずだ」

「おう。それは任せろ」

 満足いく返答でよかった。それが前提条件だからだ。

「次に安達ケ原の奴らの力を見極めろ。何が出来て、何が出来ないか。そして、血を流さない戦いをしてくれ」

 まあ、これも酷い無茶な要求なんだけど。

「ケンキエンが血を喰うからか」

「そう。だからそれを止めると、きっといらだって出てくる。腹が減っているのに、食い物を目の前にしてお預けを喰らうのは、誰だって腹が立つだろう? だから、自分から動くはずだ。本性を現せば、流石に西涼の連中も気づく」

「そんなすぐに本性を現すか? ケンキエンは西涼を味方につけておきたいんじゃないのか?」

「あれは人を味方とは思ってないし、必要ともしてない。そうした方が色んな楽しみ方が出来るからそうしてただけで、やろうと思えば自身の力で全部まかなえる。だから、わざわざそこまでして自分の味方にしておく理由がない」

「己たちが脅威などと思ってない、か」

 脅威どころか、小っちゃい虫程度だろうな。周りを飛ばれたら鬱陶しい、そのくらいの認識なのだ。むしろ勝手に怖がったり、絶望したりしてお得だ、くらいの考えだろう。

「だから、あんたは崩れかけた西涼の兵を立て直し、安達ケ原の兵に加えて編成し、出てきたケンキエンを迎え撃て」

「編成なんて時間がかかることを、敵の目の前で出来ると思うのか?」

「出来なきゃ全員死ぬだけだ」

 簡単な理屈だ。僕が今列挙していることの一つでも失敗すれば、最悪そうなる。

「ま、そのための時間稼ぎ用の作戦を、これから練りに行くんだけどな」

 一応、策の一つ二つは持っている。レンタルビデオ屋に勤めていた特権で、時間つぶしに色んな映画を借りて来ては見ていた。その中には当然、昔の戦争物だってある。そのいくつかをライコウに伝えておく。馬鹿と自分では言うが、戦略、軍略に関しては驚くほどの見込みが早い。僕のつたない説明でも、大体吞み込んで、自分のものにしていった。だてに将軍してなかった、ということか。

 ようやく川べりに辿り着いた。来た道を振り返る。馬の嘶きが聞こえた。追っ手は近い。

「急ごう。雲行きも怪しくなってきた」

 ライコウが天を指差した。見上げれば、今にも降り出しそうな雲模様だ。さっきまであれほど晴れていたのに、すでにぽつぽつと当たり始めている。

 適当な、いかだ代わりになりそうな倒木を二人がかりで担ぎ、川の中へ歩を進める。冷たい水が靴やジーンズに染み込み肌を刺してくる。震えながら、担いできた木を浮かべて、その上に荷物を乗せ、しがみつく。このまま流れに乗って離れる寸法だ。しかもあちらからはただの流木だとごまかせる。

 川幅は広いが流れは緩やかで、溺れる心配はなさそうだ。心配があるとすれば、ライコウの体調と体力だが。

「心配いらん。病にかかったことなど一度も無い」

 ・・・だろうな。かかっても気づかずに走り回ってそうだもんな。無用の心配は捨てて、川の真ん中まで進む。深さは胸のあたりにまで達していた。顔を水面近くまで近づける。頭と腕だけが出ている状態だ。

「上手くいっているようだな」

 ライコウが小声で囁く。僕たちの目の前には、何人かの騎兵が川岸を捜索しているが、目当ての僕たちを発見できずにいる。この流木にも特に注意を払ってないようだ。

 水面を叩く雨は次第に激しくなり、徐々に川の水量が増え、流れも強く速くなりだした。騎兵たちは探索をやめ、引き返していく。増量した川に飛び込む馬鹿者などいないと判断したのだろう。

 撒いた、と思って油断した。そんな時だ。カッと目の前で強烈なフラッシュが焚かれたかと思うと、耳を劈く轟音が鳴り響いた。

「雷か?」

 ライコウが耳をいじりながら言う。雨が降っているのだから、雷が降っても別におかしくはない。

 再び稲光が走り、音が腹に響いた。さっきよりも近い。光ってからのタイムラグが少ない。雷雲が近づいてきているようだ。

 ―どす黒い雷雲が、西涼へと流れていった―

 トウエンの言葉がよぎった。確か彼女はこう言っていた。つまりだ、相手は雲と、それに関係した天候を操ることが出来るのだ。

 再び、雷鳴が轟く。さっきよりも近い。もう少し近づくと感電する。

「た、タケル、これはまずくないか?」

「ああ、まずいね。だいぶまずい」

 しかも、すでに抗えないほど川の流れは強まっていた。次の落雷までに対岸まで行くのはかなり無理がある。またもプランを変更せざるを得なくなった。

「ライコウ。良く訊け」

 そう言って、僕は彼の二の腕を掴んだ。もう片方が剣を握る。

「今から、あんたを対岸まで投げる」

「投げ、るだと? 馬鹿な、自分より重たい己をあんなところまで投げると言うのか? 馬鹿を言う暇があったら、二人で協力して端まで行くのだ」

「悪いが議論してる暇もあんたの案に乗ってる暇もない。だから勝手の喋らせてもらう。対岸に到達したら、走って逃げろ。高い木からは出来るだけ離れて、次が来そうだと思ったら身をかがめて耳をふさげ。そして必ず安達ケ原に行け。そこにいる、クシナダという女に伝えてくれ。『蛇神の時に使った罠を覚えているか』と」

「蛇、神? 罠? タケル、お主は一体何を」

「必ず伝えろ。でないとお前の仲間も、安達ケ原の連中も全滅する。僕の知ったことではないけどね」

 そして、腕を思いきり振り上げた。ライコウの体が水中から気を付けの状態で飛び出した。足の裏が僕の頭の上に来たところで、握っていた剣の腹を当てる。

「足に力を込めろ!」

 聞こえたかどうかわからない。雨音がひどかったからな。聞こえていると踏まえて、僕は剣を振った。ライコウは狙い通り、ライナーの放物線を描きながら対岸に辿り着き、そのまま何度かバウンドしてようやく止まった。ゆっくりと彼が起き上がったのを流されながら確認できた。生きて動いているのだから、何とかするだろう。そのすぐ後に全身が沸騰するような感覚が襲い掛かってきて、目の前が真っ暗になった。

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