鬼と人と

第7話 鬼の巫女

 最近分かったことがある。自分の体についてだ。あのくそ忌々しい呪いを受けて、死ななくなってから一か月ほど過ぎようとしていた。

 村を出て、自分のことを世界の管理者とうそぶく神からもらった地図を片手に、道と呼ぶには少々難のある道を進み続けて、途中で無駄にデカい昆虫やら獣やらにエンカウントして戦わざるを得なくなった時に違和感を覚えた。

 過去にちょっとした理由で少々体を鍛えた経験があるから、まあそこそこの体力や力はあるかなとは思っていた。ただ、固そうな昆虫の甲殻をジャブ一発で凹ませたり、人よりでかい獣を骨ごと難なく両断できたりするのはさすがにおかしい。そこで、近くにあった大木を思いっきり殴ってみることにした。幸い、というのもおかしな話だが、呪いのせいで怪我はすぐに治ってしまう。痛いのは最初だけと、大きく振りかぶって木の幹ど真ん中に拳を叩き込んだ。

 返ってきたのは、あまりに軽すぎる感触。叩いた方の木はというと、殴った場所からぽっきりとへし折れてしまった。

「・・・腐ってたのかな」

「そんなわけないでしょうが」

 僕の考えは即座に否定された。声の方を向く。黒髪の美少女が呆れた顔でこっちを見ていた。僕の旅の同行者・クシナダだ。


 一か月前、僕を含む八人が、元いた世界からこちらの世界に飛ばされてきた。ある土地を支配していた蛇神に生贄として捧げられるためだ。自殺志願者だった僕はそのまま喰われて死ぬのもいいか、という境地だったが、どこをどう間違ったか自分を殺してくれるはずの蛇神を、クシナダたちと一緒に殺してしまった。僕にかかった呪いはその蛇神からのありがたくないプレゼントで、その効力は怪我をしても瞬く間に治してしまうという、自殺志願者にとっては迷惑この上ないものだ。ただ、それだけではなかったようで。

「みなさい。みっちり中身の詰まった元気な木よ。これは、樫? 家を建てるときにも使う非常に硬い木なんだけど、それをまあ、いとも簡単に・・・」

 コンコンと倒れた木を叩き、彼女がわざとらしくため息を吐く。

「大分人間離れしてきたわね。お互いに」

 お互いに、というのは、彼女もまた、呪いを受けた人間だからであり、自分の体の異変に気付いていたからだ。

 彼女の場合は、視力や嗅覚、聴力が発達し、隠れている獣の気配を察知する、毒のある植物を嗅いだだけで見極める、離れた場所の小川のせせらぎを聞きとるなど、まるで蛇神の能力をそのまま受け継いだかのようだった。蛇神は五感が非常に鋭く、自分の支配地域のことすべてをその能力で把握していた。

「私は感覚を、あなたは力をそのまま引き継いだみたいね」

「の、ようだね」

 お互い顔を見合わせて苦笑する。そんなことをしあえるくらいには仲良くなっていた。

 出会った当初は、仲は良くなかったはずだ。僕は生贄、彼女は加害者、しかも生贄の儀式は僕のせいで失敗し、そのせいで彼女の父親は蛇神に殺されている。仲良くなる要素はなかった。蛇神を倒す共同作業と一か月もの旅は、その辺のわだかまりやらなんやらをほどく程度の要素はあったらしい。

 なぜ、今、彼女と共に旅をしているのか。

 まず、死ねなくなった僕は途方に暮れた。不死の呪いなど本末転倒もいいとこだ。さて、どうしようかと悩んでいるところに神が言った。この世界には、僕の世界の神話と同じ数の分だけ以上に化け物がいる、と。

 死ぬまで退屈しのぎに戦っほしい。ってことらしい。言外にそういう意味をくみ取った。

 神の仕事は、世界の要望を受けて、その場所に適した人材を送り込むこと。僕をこの世界に放り込んだのも、生贄にする理由のほかに、この世界の人間を食い過ぎ、バランスを崩す可能性のあった蛇神を倒させるため。この世界の要望に応えたまでだったのだ。この世界には、他にもバランスを崩す化け物どもが神話の数だけいるらしい。

 結局僕は、神からのその話を受けた。

「そんなわけで、僕はここから出てくよ」

 村の連中にそう告げると、多くが引き留めようとする想定外の事象に遭遇した。

 ずいぶんと好かれたもんだ。当初、僕はこの村の人間に毛嫌いされていた。僕のせいで、生贄の儀式が失敗したからだ。別段僕は謝る気もなければ罪悪感もない。一応こちらは生贄にされかけた被害者側だ。

 僕の心情に変わりはないが、村人たちの心情には劇的な変化がもたらされたらしい。代わる代わる僕を引きとめに来た。ゆっくりと余生を過ごすのなら、別段残ってもよかったけれど、断った。これでもまだ十九、平均寿命の七十まで五十年もある。これからの五十年を、ただ死を待つためだけにこの平和な村で過ごせない。

 基本理念は変わらない。僕はこの世界に死にに来たのだ。化け物の中には僕を殺しうる攻撃方法を持つ奴もいるかもしれない。だから死ぬために、戦いに行く。神との約束もあるから、やれるだけやってみるけど。僕はこう見えて約束は守る方だ。

 完全なる自己満足の賜物なのだが、なぜか村人たちは感服しきっていた。どうやら、この村のように、どこかで化け物の脅威に怯えている人々を救いに行く、的なニュアンスで受け取ったらしい。

 面倒なので誤解は解かずにおいた。しつこく引き留められるよりその方がよっぽどましだ。

 僕に対するこの誤解は、思わぬ土産を渡されることにつながった。

「これを持っていくといい」

 出立準備をしていた僕のもとに、村のまとめ役になった老人が現れた。彼が持ってきたのは、柄の部分が握りやすいように加工された以外は、拵えもない無骨な、傷一つない真っ白な長剣だ。

「何これ」

「元はあの蛇神の牙よ。それをヤマザトが加工しておった。『オロチの死体からは剣が生まれないとね』とか、酔っていたのかよくわからんことを言いながらな」

 ヤマザト、山里幸彦は僕と同じく異世界に生贄として放り込まれた一人だ。優れた職人で、蛇神と一緒に戦った戦友、みたいなものだ。戦いを生き延びた彼は神に連れられて元の世界に戻っている。離婚した妻子と仲直りできたのか気になるところだ。

「厄除けにご神体として、記念碑と一緒に祭ろうかとも思ったが、お主が持って行くのが相応しいよ」

「いや、いらないんだけど」

「まあ、そう言わず。我らから渡せるものなどこれくらいなのだ」

 しばしにらみ合いが続いた。長旅になるのにそんな重たそうなものいらないのに、という僕に対し、持って行けの圧力をかけ続ける相談役。結局僕が折れることになった。持ってりゃ杖代わりになるか、と軽い気持ちで、ありがたくいただくことにする。

 差し出された剣の柄を持つ。瞬間、ゾクン、と脈動が剣から伝わってきた。そして、僕の握っている柄の箇所から血の様な赤が滲み出し、白を侵食し始めた。剣先に至るまで侵食され、真っ白だった剣は呪われた僕が持つに相応しい深紅の剣になった。

「こ、これは・・・一体・・・」

「蛇神の呪い、かな?」

 驚く相談役とは対照的に、僕は別段気にせず、適当にそこらの布で巻いて、ロープでリュックに括り付ける。

「そ、そんな雑に扱っては、祟りでもあるやも・・・」

「いまさら気にするほどのことでもないよ」

 リュックを背負い立ち上がる。

「んじゃ、世話になったね」

 後ろ手に手を振って歩き出す。十日程度世話になった大部屋を後にした。

 外はまだ暗い。もうないとは思うが、出ていこうとするのを妨害、良く言えば引き留めようとする人間もいないとは限らないからだ。

 ゆっくりと村の中を横断する。蛇神との戦いからまだ三日目、そこかしこに傷痕は残ったまんまだ。半壊した家屋、壁を突き破って飛び出たまんまの罠『パイルバンカー』、それを頭から突き刺した蛇の抜け殻。

 改めて、よく勝てたと思う。この蛇神は、こちらが罠を張っているのを知り、それを打ち破って人々に絶望を与えようと画策した。その結果がこの抜け殻だ。わざと罠にかかり、そして脱皮して罠を回避したのだ。傲慢で、嗜虐的で、賢かった。賢くて、その賢い自分が罠を回避するであろう、ということを僕たちが想像できるとは思わなかった。思考を、その一歩手前で止めてしまった。そこで詰めを誤り、討たれた。

 脱皮した本体ともいえる方は、死んだら全部砂になって消えた。代わりにこの皮のほうはあの時のまま残っている。

 濁った赤色の、人の頭よりでかい目玉がこちらを見ている。

「これ、どう処分する気なんだろう?」

 はっきり言って、邪魔だ。体長五十メートルを超す八つ首の蛇の抜け殻が、村のど真ん中にあるのだ。しかも腐臭を放ち始めている。金運上昇のラッキーアイテムどころか、このままだと衛生的によくないだろう。これを一気に片付けることは、この世界の住人には難しい。ちょっとずつ切り取って、山に散布するか燃やすしかない。

「これから出ていくあなたには関係のないことでしょう?」

 声をかけられた。声の方を振り向くとクシナダが立っていた。なぜか、完全装備、といった出で立ちだ。右肩には矢筒と山里印のコンジットボウ。左肩からは皮で出来た鞄を下げていた。毛布みたいな外套で体をくるみ、頭だけ出している。

「狩りにでも行くの?」

 正解ではないと思われるほうの推測を口にした。

「狩り、といえばそうね。獲物は猪でも鹿でもないけれど」

「あっそ」

 僕はその横を通り過ぎる。すると、彼女は僕の後ろについてくる。

「村、どうする気だよ。村長代理の責務は?」

 歩きながら、振り向くことなく尋ねる。

「村のことはサルヒコさまにお願いしてある。さっき会ってたでしょ? 彼が新しい村長よ」

「サルヒコ、ああ、相談役のじいさんか」

 そういう名前だったのかと今更気づく。

「あのダイコクが、よく許したな」

 許嫁であり、クシナダのことが好きで仕方ないダイコクをよくもまあ説得できたものだ。

「説得なんてしてないわよ?」

 平然と言われた。

「は?」

「このことを話したのはサルヒコさま含めた数人だけ。ダイコクには言ってない。絶対止められるから」

 このことを彼が知ったら怒り狂うだろうことは想像に難くない。が、結局のところ僕には関係ない。どうせここから出ていく身だ。

「別段僕は君がどう行動しようと知ったこっちゃないんだけど、理由だけ聞いていい? どうして出ていこうと思ったの?」

 僕はようやく、隣の美貌をまじまじと見つめた。

「理由、ねえ。いくつかある。一つは、世界の外側を見てみたくなったの」

 彼女が僕の方を向いた。

「村で生まれて、蛇神に生贄を捧げて、その繰り返しで、そしてこの村で死んでいくんだと思ってた。それしかないと、それしか知らなかったから。けれど、あなた達が来た。私の知らないことを知り、その知識を持って蛇神を討った。あなたたちは、私たちに与えた影響がどれほどの物かわかってない。私の未来を変えることができるくらい大きかったのよ」

 体の方もすっかり変わってしまったしね、と皮肉げに笑う。彼女の体もまた、僕と同じ不死の呪いを受けていた。本人は言わないが、おそらくそれも、村を捨てる理由だと思う。自分がこれまで村を苦しめていた蛇神と同じ体になったなど知られたら、村人たちはどう思うだろうか。もちろん、彼女もまた蛇神討伐の功労者。ぞんざいに扱うことなどないはずだ。けれど、心の内はどうだろうか。けして偏見の目で見ない、など、誰が言いきれるだろう。

「で、他には?」

 そのことには触れず、僕は話の続きを促す。

「そうねえ、後は、あの忌々しい蛇神の他にも、人を害する化け物がいるならやっつけてやりたいってのも一つね。私、意外に血の気の多い女だったようよ」

「え? てことは、ついてくる気?」

 化け物を退治するってことは、化け物マップを持つ僕の旅に同行するってことだ。

「何嫌そうな顔してんのよ。一人よりも二人のほうが旅は退屈せずに済むわよ。大体約束を忘れたの?」

 むっと膨れる。こんな表情も持っていたのか。蛇神がいたころには考えられないくらい、彼女は感情豊かになった。

「忘れたって、何をさ。蛇神は倒した。あんたとの約束は守ったぞ」

「私の、じゃなくて、あなたとの約束の方よ。言ったでしょ? 死にたがりのあなたに。すべてが終わったら、私が殺してやるって」

 蛇神との戦いを前に、彼女と交わした約束だ。お互い不死になったため、無効だと思っていた。

「何よ、本当に忘れてたの?」

 呆気にとられている僕を見て、すねたように唇を尖らせる。それに「いいや」と苦笑いで返す。

「じゃあ、その時は頼むよ。改めて、宜しく。クシナダ」

「こちらこそ。スサノタケル」

 フルネームで呼ばれて、思わずずっこけそうになった。

 僕の名前は、僕がいた世界に伝わる神話の英雄と似ている。漢字にすると須佐野尊だ。しかもその英雄も巨大な蛇を退治したことで有名だ。あまりにこの世界にマッチしすぎていて、一緒にこの世界に飛ばされた山里たちには大いにからかわれた。彼女はその辺のことを知らないから仕方ないが、どうにも落ち着かない。自意識過剰だろうか?

「・・・タケルでいいよ。長いだろ?」

 本当の理由は告げず、僕はそう言っておいた。



 そうやって二人連れ添って、まるで駆け落ちみたいに村を出た。地図のおかげで、次の目的に迷うことはなかったから、旅自体は順調だった。

 神からもらった地図は、紙製の癖に水濡れ、火に強く、多少雑に扱っても破ける気配がない。しかもカーナビみたいな動作をするから道に迷うことはなかった。地図中央に僕たちを現す三角マークがあり、勝手に行先、おそらく一番近くにいる化け物のいる方向へと道順が現れるのだ。ファンタジーのイメージを簡単に覆すなあと最初はどうかと思っていたが、別段地図好き、マッピング好きでもない僕には丁度いい。使える物は何でも使うべきだ。

 そして、三十回ほど昼夜が入れ代わり立ち代わりして、次の日の朝。

 最初に気付いたのはクシナダだ。彼女の感覚が、地面から伝わる振動を捉えた。

「何かくる」

 そう言って弓矢を背負って木に登る。僕も、リュックから剣を取り、肩に担ぐ。

「どう?」

 下から尋ねた。

「人の声もかすかに聞こえる。息が荒いわね、走ってるみたい。何かに追われてるのかな」

 追われる、か。人が追われるってことは、それなりの獣に出くわしたのだろう。

「こっちに来そう?」

「微妙ね。方向はこっちだけど、ちょっとずれてる。じっとしてれば遭遇することはないと思うわよ」

 目的を果たした彼女が木から飛び降りて目の前に着地した。

「で、どうする?」

 僕に尋ねてきた。

「どうするって?」

「助けに行くのかってことよ」

「どうして? 縁もゆかりもない人をいちいち助けるなんて、面倒だよ?」

「まあ、そりゃそうなんだけど」

「蛇神を倒したからって、あの村の人間に感謝されたからって、僕の性格が変わることはないよ。突然正義に目覚めて、強きを挫き、弱きを助けるなんてことはしない」

「まあ、そうよね。私も、やはりあの村の狂気が残ってる気がするもの。自分が危険な目に遭わないなら、誰が犠牲になろうといいじゃないか、って」

 僕たちは助けないことを示唆する言葉を言い合う。そのくせ、二人の手から武器が離れることはなかった。

「しまわないの?」

 彼女の左手を指差す。弓が握られたまんまだ。

「そっちこそ」

 彼女が僕の右手を指差す。布にくるまれた剣の腹を、僕の手は握ったまんまだ。

「これだけ言っておいてなんだけど、僕は面倒なのが嫌いな癖に、退屈なのも嫌いなんだ」

「うん、それで?」

「少し、退屈を紛らわせに行こうと思う。目的地までの方向と一緒だし」

「ああ、それなら仕方ないわね」


 僕でもわかるくらいまで気配は近づいてきた。草木を踏みつぶし引きちぎりながら、大きな何かが来る。

 クシナダは少し離れたところで矢をつがえて待機している。作戦としては、僕が一度ぶつかって、全貌が見えたらクシナダが弱点を射抜くという、極めてシンプルなものだ。不死ならではの作戦だ。

 目の前の茂みをかき分けて転がり込んできたのは、三十から四十くらいの男性だ。顔を恐怖に歪めている。見開かれた目が僕を見た。

「逃げろ!」

 そう言って僕の横を男性は駆け抜けていく。だが、僕が動こうとしないのを見て、足を止めた。体力のない時に止まったら、再び走るために余計力がいるのに。

「何してる! 早く逃げろ!」

 息を切らせながら男性が叫んだ。僕は無視し、男性が駆けてきた方向を注視する。

「ああ、ほら、追いつかれた!」

 そう言って男性は再び回れ右して駆けようとした。が、足腰が弱ったのか、一歩目で転倒してしまう。悪態を吐きながら立ち上がろうとしている男性をしり目に、僕は目の前に現れたものと対峙する。

 体長は僕よりでかい。縦も横も倍以上あるので見上げる形になる。人型で、筋骨隆々、二の腕部分なんて僕の胴回りより一回りはでかい。ボロボロの布で腰を覆い、ぶっとい腕にはそれに相応しいでかい棍棒。伸ばしたい放題のもじゃもじゃの髪、その奥からのぞくぎょろっとした大きな眼に荒い息を吐くでっかい口とそこから飛び出た牙。極めつけは頭頂部から生える一本の角だ。これらの情報をまとめ上げると、僕の持つ知識では一つしか思い至らない。

「鬼、だな」

 蛇神の次は鬼ときたか。何とも多種多様の魑魅魍魎が跋扈してらっしゃる。

「何だお前は!」

 鬼が僕に口をきいた。てっきり違う言語体系なのかと思っていたら、そうじゃないらしい。ただ、そのデカい口から吐き出されるでかい声は人間の域を飛び越えている。うるせえなあと思いながらも、言葉が通じるならとりあえず話してみる。僕が話しかけているからか、クシナダも様子見するようだ。

「何だ、と言われても。ただの人だ。旅行中の。で、そっちは?」

「騙そうったてそうはいかんぞ! そこにいる鼠の仲間であろう!」

 鬼が指差した方向には、怯えて縮こまっている男性がいた。手をこすりあわせて、何か祈っているようだ。

「勘違いだ。僕とその人は今初めて会った。鼠だとか何とか、何の話かさっぱり・・・」

「とぼけるな!」

 僕の言葉は鬼の一喝で消し飛んでしまった。聞く耳を持ってはくれそうにない。

「そうやって仲間の息が整うのを待っているのだろう! 小賢しい! 今すぐに叩き潰してくれる!」

 鬼が棍棒を振りかぶった。悲鳴が後ろから聞こえる。さて、ここで問題だ。この一撃で僕は死ねるだろうか?

 答えは否だ。多分、痛いだけ。棍棒の材質は結局のところ木材。今しがた樫の大木をぶん殴って痛みすら覚えず無事だった体だ。ま、一応試してみようかと身構える。

 振り下ろされた棍棒は人間の一人や二人を簡単にミンチにしそうな勢いがあった。僕がただの人間であるなら、それは速やかに実行されただろう。

 が、結果はそうならなかった。

「痛い・・・」

 僕の足は地面にちょっとしたクレーターを作り、僕の頭は棍棒に小さな凹みを作った。

「なっ、お、お前!」

 棍棒に視界を奪われ前が見えないが、鬼が驚愕している様子はわかった。

「ひ、ひいいいいいいぃぃぃぃ!」

 後方へ悲鳴が遠ざかっていく。多分あの男性だろう。恐怖が肉体を超越し、体を動かしたってとこか。

「とりあえずさ、これどけてもらっていい?」

 棍棒を指差す。伝わったらしく、ゆっくりと棍棒が持ち上げられる。木の破片がぱらぱらと落ちてきて鬱陶しい。手で頭や顔を払い、口に入った木くずや砂を唾と一緒に吐く。

「やっぱダメか」

「駄目か、ではない! お前は一体何なんだ! 化け物か!」

 化け物っぽいやつに化け物と言われてしまった。心外だ。

「まあ、落ち着けよ。世の中は広い。この程度で死なない人間くらいいるさ。それよりも、人が話している途中に棍棒でぶん殴るって、あんたこそ人としてどうなんだ?」

 鬼を人のカテゴリで扱っていいのかはわからないが、話が通じるんだからまあいいか。

「何のために言葉があり、意志疎通ができると思ってんだ? とりあえずちょっと座んなさい」

 まずは率先してどっかと地べたに座り込んだ。そして、バンバンと地面を手のひらで叩く。音に怯えたわけでもないだろうが、鬼はちょっと肩を狭めるようにして、僕の前に座った。

「僕はタケルというもんだ。あんた、名前は」

 まずは僕から名乗り、促す。

「あ、安達ケ原の守り人、タケマル」

 得体のしれないものと対峙しているような恐る恐るといった感じで、守り人タケマルは名乗った。タイミングよく、クシナダも弓を仕舞ってこちらに現れた。彼女の登場に、僕に気を取られていたタケマルはまたもびっくりした。

「なんでこんなことになってるの?」

 僕の隣に座って、耳打ちしてきた。

「僕らの向かう方向から来たんだ。何か情報でも持ってないかと思ってね。それに人を問答無用で叩き潰そうとしたんだ、それなりの事情を持ってるだろう?」

 なあ? と、僕は鬼に向かって笑いかけた。

「さあ、話してもらおうか。さっきのおっさんは何者で、タケマルはどうして追いかけていたのか」

「む、う」

 タケマルは唸った。なにやら言いにくいことでもあるらしい。それを見て、僕はあからさまに落胆し、ワザとらしいくらいの大きなため息を吐いた。それを見て、クシナダも僕がどういう風な行動をとるか察したらしい。

「あてが外れたようねぇ? だいたい、問答無用で人を殴るような奴が、素直に非を認めて何でもかんでも話すわけないじゃない」

「の、ようだね。残念だ。残念極まる。僕の人を見る目がなかったということか」

 そんなことをこそこそ、それでいて相手に聞こえるように言いながら、僕たちはチラ、チラとタケマルの方を覗き見る。彼はプルプルと肩を震わせている。

「ようく分かったよ。世の中には、見ず知らずの人間を殴っても謝りもせず、殴った理由も明かさずだんまりを決め込むような人がいるということだね」

「そうね、諦めなさい。この世に慈悲も情けもないのよ。あるのは己の都合のみ。他人がどうなろうと知ったことではないんだわ」

 そしてチラ。

「わかった!」

 耐え切れなくなったか、タケマルは自分の膝を叩いた。意外と人間臭い。

「何がわかったというのだろう? あ、もう僕らのことは気にせず、自分のことだけに専念してもらっていいよ。僕らは荷物を持って、今すぐここを立つので」

「そうそう。ここにいても何ら得る物が無いから、さっさと旅の続きと参りましょう。あぁあ、三十の夜を越えて、道なき道を歩き続けて、最初にお会いしたのが、たまたま、ごく稀に存在するような礼儀知らずとは、この世はままならぬものね」

「わかったって言っただろうが! 話す! 訳を話す!」

 僕らは渋々話し始めたタケマルをみやりながら、ほくそ笑む。



「あれが、俺たちの暮らす安達ケ原の村だ」

 タケマルに案内され、僕らは森を抜けた。視界の開けた、なだらかな斜面の先に、木の柵で囲まれた集落が見えた。柵の中の奥の方には数百人くらいが住む規模の家屋が見える。タケマルは村の中に立つ櫓に向かって手を振りながら斜面を下っていく。僕らも後に続いた。


「訳は、詳しくは教えられん」

 森の中で、タケマルはまずそう言った。どういうことだと僕とクシナダの視線が語る。焦ったようにタケマルが顔の前で手を振った。

「喋らないってわけじゃない。俺が喋れる部分が限られているってことだ」

「タケマルは他の仲間から、余計なことは喋るな、と口止めされてる?」

 クシナダが言うと「そうだ」と頷いた。そして自分が喋れる範囲のことを話してくれた。

「俺が追っていたあいつは、近隣にある敵対する国の一味だ。あの野郎、村に忍び込み、井戸に毒を流し込みやがった。おかげで何人もの仲間やその家族が倒れて寝込んでいる」

 タケマルの歯ぎしりと拳を握り込む音が聞こえた。よほど腹に据えかねているのだろう。

 タケマル達の村ともう一つの国とは、絶賛交戦中のようだ。そこへ、僕らが現れた。見たところ、タケマル達と敵対する人種は見た目からも全然違うようで、かつ僕は敵の人間と同じような姿かたちをしていたもんだから、仲間と思われて襲われた、そういう理由みたいだ。

「それでも、たとえば捕まえて捕虜として連行するとか、そういう発想は無かったの?」

 こっちは対話も試みようとしていたのだ。それを頭に血が上っていたからといって叩き殺そうとするのはいかがなものだろうか。

「捕まえれば、僕から情報を聞き出す選択肢もあり、その情報が今後の戦いを有利に進めるかもしれないのに」

「そ、それは、その、面目ない」

 しゅんとして、その大きな両肩を落とす。迫力のある体格をしているくせに、妙に素直な奴だ。もしかしたら、鬼の中でも若い部類に入るのではないだろうか。

「まあ、良いさ。じゃあ、案内してもらおうか」

 そう言って僕は立ち上がる。

「案内?」

 不思議そうに首を傾げるタケマルに「当たり前だろ」と告げる。

「あんたが喋れない部分を、他の誰かに聞くためだ」

「ちょ、ちょっと待て。言っただろう。今村は敵と戦っている最中だ。そんな中にお前らなんか連れて行けるか。まだ疑いは晴れたわけじゃないんだぞ」

「その疑いを晴らすためにも、疑われた理由を聞くためにも、ついでにここで何の罪もないのにタケマルに殴られて痛い思いをしたのでその賠償金を払ってもらうためにも、僕たちは行かなきゃならないんだ」

「なあ、お前、根に持ってんのか? 傷一つついてないくせに」

「怪我してないからといって、殴った事実がなくなると、本気で思っているのかい?」

 タケマルは大きなため息を吐いて、のっそりと立ち上がった。


 村に近づけば近づくほど、僕らは見上げる首の角度をあげなければならなかった。それほどまでに村を囲う柵は高く、柵を構成している木は僕が折った樫の木のもっと成長した巨木を何本も重ねて作られていた。ここまでがっちり固められたところから、あの男性は良くぞ逃げられたものだと思う。

「安達ケ原の守り人、タケマル! ただいま戻った! 開門願う!」

 腹の底に響くような大声を出して、タケマルが門の前で怒鳴った。門の上のほうで、何者かが顔を覗かせる。タケマルと似たような感じの、これも鬼だ。

「よくぞ無事戻った! しかし、タケマルよ! 隣にいる連中は何者だ! お主が追っていた男ではないな! 敵の仲間か!」

「わからぬ! 本人たちは旅の者と名乗っておる! 俺では判断つきかねる故、巫女様にご判断いただきたい! 本人たちも疑いを晴らすために巫女様に謁見したいと申しておる!」

「わかった! ・・・旅の者よ!」

 門番が僕らに呼び掛けた。

「現在我らは敵と戦の真っ最中だ! 中で荷物を検めさせてもらう! あと不自由をかけるが、村の中では監視を付けさせてもらう! この条件が飲めぬ場合は、早々にここから去ってもらう!」

 戦争中の村に入ろうというのだ、仕方ない措置だろう。いきなり拘束されなかっただけましだ。

「問題ない! そっちが良ければ入れてくれ!」

 その返事で満足したのか、門番は言葉ではなく行動で示した。さび付いたドアが奏でる開閉音にもう少しウーハーを効かせて重厚さを加えたような音を立てて、門の一部がゆっくりと持ち上げられていく。観音開きではなく、すだれみたいに上部に巻き上げるタイプだ。

 門の中は、僕の想像とちょっと違った。タケマルや門番を見て、全員が巨大な鬼タイプかと思っていた。だが村の中を行きかう人たちは、確かに大柄だが、それは僕より少し大きいくらいで、人の域を出ない。不思議に思って隣のタケマルを見上げ、いなくなっていることに気付く。

「あれ、タケマル?」

「何だ」

 声だけ返ってきた。僕の視線の少し下からだ。そこには、見知らぬ男性が僕と同じ速度で歩いている。体に巻いているのは、タケマルが腰に巻いていた布に似ていた。誰だこいつは。怪訝な顔で見ていると、男性もこちらを同じような顔で見て「だから、何だ?」と尋ねてきた。

「まさか、タケマルか?」

「そうだ」

 ひさしぶりに驚いた。さっきまでの筋肉隆々の鬼が縮んでしまっていたのだ。三メートル以上の身長が二メートル未満くらいまで低くなり、ムッキムキだった筋肉もしぼんでいる。それでもボディービルダーくらいはあったが。言われてみれば、ああ、と気づく程度に面影がある。

「あ、そうか、術を解いたからな」

「術?」

 クシナダが聞き返した。この世界の人間である彼女も知らない知識らしい。するとタケマルは得意げに胸を張った。

「俺たちは自分の体を強くする術が使える。さっきの姿を見ただろう? 力は倍以上、走る早さも格段に上昇するんだ。体の方もやわな剣や槍なら傷をつけることすらできないくらい丈夫で頑丈になる。俺たちはそうやって、圧倒的に人数の多い敵と戦えているんだ」

 俺一人で、あいつら十人と戦って蹴散らせるんだぜ。タケマルはそう自慢げに言って力こぶを作った。あの姿を見れば、十人どころか百人くらいでも勝てる気がする。力の強さもさることながら、あの姿に恐怖し、身動きが取れなくなるだろう。

「だから敵は毒を使ったのね? 正面からでは勝ち目がないから」

「そうだ。さすがの俺たちも、体の内側まで強くできなかったってことだ」

「その割には、村の雰囲気はそんなに暗くないのね。被害が出たなら、もっとピリピリして、それこそ私たちはすぐに取り押さえるくらいはしそうだけど」

「それは、ひとえに巫女様の力さ。あの方の一族は、俺たちよりも強い術が使える。未来のことを予知して天災を予期したり、手をかざすだけで死に至るほどの傷や病を治したりも出来る。あの方のおかげで、今回の毒の件も、死人が出ずに済んでいる」

 手をかざすだけで? とクシナダは驚いている。僕も驚いている。それは他人の体に干渉できるということではないのか。タケマル達は自分の体を強くできる。で、巫女とやらは他人の体も強くできる、ということは、相手の体を相手以上に理解できるということになる。僕の考えをタケマルが裏付ける。

「巫女様には隠し事が出来ない。あの方は見ただけで相手の心の内を読まれる。巫女様に謁見するからってことで通されたみたいなもんだ。あの方が大丈夫、敵じゃないと言ったら間違いないからな」

 それを聞いて、ぜひとも巫女とやらに逢いたくなった。もしかしたら、この体にかかった呪いを解析してもらえるかもしれない。

 僕らは大通りをまっすぐ進み、村の中央に位置する大きな屋敷の前に到着した。この屋敷だけ、更に周囲を柵と堀で囲まれていた。入口の前には術のかかっている門番が二人、槍で武装して立っている。

「ここだ。ちょっと待ってろ」

 タケマルが門番に近付く。今のタケマルだって二メートルくらいあるが、彼らと並ぶと大人と子どもだ。

「守り人のタケマルだ。巫女様に謁見願いたい」

「連絡は受けている。後ろの二人がそうか」

 二人の門番が僕らへ視線を向け、ちょいちょいと手招きした。

「申し訳ないが、荷物はこちらに置いて行ってもらう。あと身体を検めさせていただきたい。門番からも通告があったと思うが、今は戦の最中だ。お前らが敵であるとも限らん。巫女様に危害が及ぶ可能性を無くすためでもある。理解と協力を求める」

 当然の措置だと僕は頷いて、リュックを彼らに差し出す。隣ではクシナダが、肩から荷物を降ろしていた。差し出された門番の大きな手だと、僕のリュックなど巾着袋みたいに小さい。

「構わん。通せ」

 凛とした声が響き、鼓膜を通過する。

 屋敷の奥から、白地に赤い模様の着物を纏った女性が出てきた。額から二本の角を生やした、肉感的で大人の色香を満載した、姉御肌っぽい美女だ。彼女が現れた瞬間、門番とタケマルはその場に膝をついた。「よい、よい」と女性は声をかけ、彼らを立ち上がらせる。

「その二人はそのまま通せ。安心せい。この者らに敵意はあらぬよ。荷を検める必要もない」

「しかし、トウエン様」

 門番二人が、責務を果たそうとトウエンと呼ばれた女性に訴える。すると、女性はからかうように笑みを浮かべた。

「ほう。仕事熱心で感心じゃ。が、そこに居る一人は女じゃ。お主ら、まさか儂の前で、若い女をひん剥くつもりかえ? お主らの妻たちが聞いたら、さて、今晩の飯が無くなるだけで済むかのう?」

 う、と言葉に詰まる門番たち。こんないかつい体をしている癖に、よほど自分の奥さんが怖いらしい。かかあ天下はどこでも同じなのか。まあ、仲の良い証拠なのかもしれないが。仕事と妻の怖さの間で揺れる門番たちを見て、ぷっと女性が吹き出す。

「大丈夫じゃから、お主らは仕事に戻れ。それとも、儂の言葉が信じられぬか?」

「いえ! そんなことは! ・・・かしこまりました」

 門番たちが、僕の前に道を譲る。それを見届けた彼女は、再び玄関の奥へと消えていく。

「おい、早く行け。巫女様を待たせるな」

 タケマルが声をかける。

「巫女、じゃあ、あの人が?」

「そうだ。あの方こそ安達ケ原の巫女、トウエン様だ」


 玄関から廊下をまっすぐ行ったところに、板張りの間があった。武道の道場みたいだ。

「すまぬが、そこからは土足は止めておくれ。履物を脱いでくれい」

 奥から声をかけられる。言われた通り、僕はスニーカーを、クシナダは藁で編まれたがんじきを脱いで板間に上がる。正面にトウエンと呼ばれた女性が正座している。

「お主らも座れ。立ったままでは落ち着いて話も出来まい」

 言われるがまま、僕たちは荷物をおろし、彼女と面するようにして座る。

「この村の巫女、トウエンと申す。まずは、謝らせてもらおう。タケマルが迷惑をかけたようじゃな」

 おや、と思った。殴られたことを僕はトウエンに話してない。タケマル経由で話が言ったのかな? 疑問はあるが、まずは話を進める。

「気にしなくていいよ。別段怪我もしてないし」

「その割には、迷惑をかけられた分、ふんだくろうと考えておるではないか」

 コロコロと楽しげに巫女は笑う。クシナダが驚いて僕の方を見た。見られても困る。驚いているのは僕の方だ。巫女に対して迷惑料云々の話を言った覚えはない。

「そう警戒するな。タケマルから聞いていたであろう? 儂は心を読む。こうして面と向かって会えば、考えていることぐらいならわかる」

 タケマルの言葉を、もはや疑う余地はなさそうだった。彼女の前で隠し事も下手な考えも通用しそうにない。

 この村の住人は体を強くする術が使える。なら彼女は、体だけでなく脳にも強化の術が働いているのだ。それが、天災の予知や読心術につながっている。

 人の脳内は僕の世界でも解明されてないブラックボックスだ。ただ、いろんな可能性があったのでは、とはよく言われている。曰く、過去にはテレパシーが使えた。曰く、現在の数十倍の力を振るうことができた、などいろいろだ。神話でも、聖人は手をかざしただけで人々を癒したとある。眉唾物だと思っていたが、彼女たちを見ていると実際のことではないかと考えを改めさせられる。

 脳内には空を飛んだり魔法を使ったりするデータなどが大量に残っている。けれど、現代に生きている人は、それを実行するためのツールが無い。空を飛ぶための知識はあるのに翼が無い、そういうことじゃないだろうか。

 この異世界の人間は、僕らが時間とともに捨ててきた可能性をまだ持っているということか。

「そうか、お主、別の世界から来たか」

 またも、トウエンに心を読まれた。考えていることがこうも簡単に読まれてしまうと、正直いい気はしない。

「ああ、すまぬ。ワザとではないのだ。儂とて、好きで人の心を読んでおるわけではない。普通の声のように聞こえてしまうのじゃ。許してほしい」

「心を読むのは、術、という訳じゃないのか?」

「そうかもしれぬし、違うやもしれぬ。儂は自身にそういった術をかけた覚えはない。が無意識のうちにかけていることも否定できぬ。厄介な物よ。恐れられこそすれ、好かれる要素など皆無なのだからな」

 ふう、と、けだるげに息を吐いた。そうだろうな、僕のように、いい気はしない、と思われているのが分かるのだから、気も滅入るだろう。タケマル達の慇懃な態度も納得だ。心の内を知られる、というのは、無防備な弱い部分を曝しているに等しい。尊敬以上に、畏怖の念が勝つのだろう。

 なんとなく、この場の空気が重くなった。それを察したか、クシナダがそれを入れ換えるために話を振った。

「あー、改めて、名乗らせてください。私はクシナダとも申します。こっちの無愛想なのがタケルです」

 無愛想は余計だ。

 僕の無言の抗議などどこ吹く風で、クシナダはトウエンにこれまでのことを話す。僕がこの世界に死にに来たところから、蛇神を倒したこと、そのせいで死なない呪いを受けたこと、僕を殺せる敵を見つける旅に出て今日に至るまで。

「ならば、一つ儂の頼みを聞いてくれぬか」

 僕らの話を聞き、トウエンが神妙な顔で言う。少しだけ面倒そうな匂いを嗅ぎ取りつつ、僕はトウエンの言葉の続きを待つ。

「タケマルに聞いた通り、我らは隣の国、西涼と戦争中じゃ。なぜそうなったかを話そう」

 西涼と安達ケ原は、これまで互いの商人が行き来する程度の小さな交流だった。仲がいいとは言えないが、敵視するほどでもなかった。その関係が一変したのは、ひと月ほど前のことだそうだ。

 ある夜彼女は、村が、途方もなく巨大で恐ろしい化け物に蹂躙されていく様を、現実の如き生々しい夢で見た。人々はなすすべもなく泣き叫び、逃げ惑う。そんな人々に容赦なく化け物の牙や爪が食い込む。地獄の様な模様が繰り広げられ、村が蹂躙されていき、遂には自身の胸に巨大な牙が突き刺さったところで飛び起きた。

 酷い寝汗のせいで重くなった長襦袢を引きずりながら外に出ると、夜明け前の、薄明かりが広がりつつある空に、どす黒い雷雲が、西涼の方に流れて行ったという。

「風の向きに逆らい、西涼の真上まで届いたかと思うと、早く流れていたのが嘘のようにぴたりと止まり、その場に留まり続けたのじゃ」

 不思議に、それ以上に不吉に感じたトウエンはじっと目を凝らし、その正体を探ろうとした。意識して目を凝らすことで、千里眼みたいな真似もできるらしい。

「雲に体を覆われた、何か巨大なものが、西涼に降りていくのを見たわ。その翌々日じゃ。いつものように西涼へ商売に行った売り子が、到着するなり西涼の兵に襲われた」

 その売り子は、全身に傷を負いながらも這う這うの体で逃げ帰ってきて、西涼の様子を伝えた。

「仲がいいわけではなかったが、突然斬りかかられるほどの無礼を働いたことはない。だが、彼らは我らの同朋に向かってこう言ったそうだ。化け物は死ね、と」

 淡々と語られる。それで余計に、トウエンの内に渦巻く怒りが垣間見えるような気がした。

「化け物・・・?」

「おうよ」

 トウエンが自らの額から出ている角を撫でる。

「この角もそうだし、儂らは皆、術を使わずとも西涼の連中よりも体がでかい。人は自分と違うものを恐れるものじゃ。彼らが儂らを化け物と恐れたのもわからぬ話ではない。が、どうして急にそう言う事を言い出したのか、色々と腑に落ちぬのよ。また、腑に落ちぬことは戦となってからも見られた。儂らはそれまで、奴らの前で術を使ったことはない。なのに奴らは、儂らがそういう術を使うのを事前に知っていたかのように、臆することなく儂らと戦いおった」

「その、売り子さんが、逃げる時に使った、ということは?」

 クシナダが尋ねる。トウエンは首を横に負って「無理じゃ」と理由を話した。

「そやつは女じゃからの。儂らの用いる術は、男女で得意とするものが違う。男は己が体を強くすることに長け、女は己が体を癒すことに長けるのじゃ。絶対使えぬではないが、せいぜい少し力が強くなる、足が速くなる程度で、男が使うような、体が変化するほどのものではないよ。よって、そこから知られるということはない」

「裏切りとか情報の漏れとか、そういう線は?」

「それもない。儂がしらみつぶしに調べた結果じゃ、信頼してもらって構わぬ」

 心を読める人間が調べたのなら、問題ないだろう。

「そこで、その西涼に降りた巨大なものってのにかかってくるのか」

 ようやく、話が僕の目的とつながった。

「うむ。それくらいしか思いつかぬ、というのも正直なところなのだがな。あの巨大で強大な力を持つ、得体のしれぬものならば、儂らの力のことくらい簡単に知れるであろうし、西涼の人々の心を簡単に操れるのではないかと、そう考えておる」

「その、なんだ。あんたの巫女の力とかで、なんとか正体とか、そういうのわからないのか?」

「それが出来ればよかったのじゃがな」

 トウエンの目線が僕らから逸れ、壁の一点を見つめる。おそらくその先にあるのが西涼だ。

「あの日、最初の戦より、西涼には通常では目に見えぬ、穢れに満ちた濃い霧が充満しておっての。それが、儂の目を曇らせるのよ」

「穢れた、霧?」

 その通り、とトウエンは頷いた。

「儂らと奴らの戦いで、多くの血が流れた。そこから生れ出た穢れが、そのまま西涼に流れ、いや、呼び寄せられたというべきか」

 地面に染み込んだ血や、死体から生まれる霧? さっきからトウエンは一体何を言っているのだ?

「血による呪いをその身に受けておるくせに鈍いのう」

 出来の悪い生徒に教え諭すように、「良いか」と僕を指差した。

「血は流れる命そのもの。生の証。力の源。この全身を流れる血は、当然頭にも流れるわけじゃから、儂らが考えたこと、思ったことに強く影響される。悪しき考え、思いを受けると淀み濁る。憎しみや悔恨を抱えたものの血は、まるで毒じゃ。それが大地に降り注げば、当然大地は穢れ、草木が育たなくなる。儂ら巫女には、そういった穢れを払い、死者たちを安らかに眠れるように誘う役割もあるのじゃよ。戦の後、儂は当然、決戦場にそれらが残っておると思っておった。が」

 そこまで言われて、ようやく僕もピンときた。

「戦場跡には、穢れが無い。代わりに西涼に現れた」

「そうじゃ。儂の目を通さぬほどの霧をため込んでおる時点で、そこにいる何奴が尋常ならざる力の持ち主だとわかる」

「何のために霧をため込んでいるかってのも、不気味よね」

 クシナダが顎に手をやって呻く。なんにでも、どんなことにも理由はある。西涼の人の認識が突然変わったことも、戦争が起こったことも、霧が集められている理由も、おそらく全部繋がっているはずだ。

「のう、タケル、それに、クシナダよ。お主らが戦いに来たというならば、かの者の正体を暴き、もしそやつが此度の元凶であるなら、それを討ってくれぬか」

 居住まいを正して、トウエンが僕らに言った。

「皆の体は、もう限界じゃ。たとえ術を用い、戦士一人一人が一騎当千の兵と言えど、幾度も戦えば傷つき、やがては倒れる。父を、夫を、息子を亡くした女たちの悲しみは計り知れぬ。そればかりは儂にも癒せぬのじゃ。それは儂らに限ったことではなく、西涼に住まう者にも言える。そして、互いに怒りを抱き、憎しみを募らせる。憎しみは戦を誘い、また血が流れ、人が死に、憎しみが生まれる。終わりなき循環により、この地はいずれ何者も住まわぬ死の大地と化す。この地に住まう巫女として、村を預かる者として、それは我慢できんのじゃ。じゃが、口惜しや、儂にそのような力はない」

 バン、と両掌を床に叩きつけ、頭の角を床にこすり付けた。

「この通りじゃ。どうかこの願い、聞いてはもらえぬか」

 クシナダが僕を横目で見た。「どうすんのよ」と訴えている。ふむ、と僕は考え、当然の権利を尋ねた。

「代わりに、あんたは僕の願いを聞いてくれるのか?」

「願いだと」

 顔をあげ、僕の顔を見た。

「そうだよ。ギブ&テイクだ。僕がその西涼の何かを討って、あんたの願いを叶えたとしたら、あんたは代わりに僕の願いを叶えてくれるのか?」

 そう尋ねると、トウエンは俯いて「出来ぬ」と返した。彼女は、僕の願いをすでに察していた。

「儂は毒などの、体が受け付けぬ、【異物】と体が反応するものならばそれを取り除くことが出来る。が、お主らにかかっておる呪いは、すでにお主らの血肉と混じり合い、完全に同化しておる。切り離すには、死ぬしかない。が、儂にお主を殺せるような、そのような力はない」

「そうか」

 彼女の返答を聞くや、僕は膝を立て、よっこいしょと立ち上がった。

「なら、悪いけど、あんたの願いは聞けない」

 トウエンよりも、隣にいるクシナダが驚いてその勢いで立ち上がった。

「は、はぁ!? あなた何言ってんの!」

 無視してリュックを背負う。僕が本気で出て行こうとしているのを悟ったクシナダは、肩を掴んで振り向かせた。

「あなた、ここまで話を聞いて何とも思わないの! トウエン様やみんなのために、何かしようとか考えないわけ!」

「考えられるわけあるかよ。昨日今日どころか、さっきあったばっかの他人の事だぞ。しかもこっちはその戦のとばっちりで頭をくそでかい棍棒で殴られたんだ。どこをどう受けとって、僕が協力的になる要素があるんだよ」

「それはもう謝ってもらったし、第一あなたその程度で死なないじゃない! 痛くもかゆくもないじゃない!」

 痛みはあったぞ、一応。

「あのさ、さっきも言ったような気がするけど。僕が困ってる人を見たら助けに行き、悪を見れば成敗する、そういう正義の味方に見える?」

「で、でも! あの時は助けてくれたじゃない!」

 蛇神の時のことを言っているのなら、それはトンデモナイ勘違いだ。

「ありゃ偶然だ。偶々だ。のっぴきならない事情が色々とあっていかんともしがたい何かがあってあんたと約束して、そっから妙な話になって結局戦う羽目になって揚句僕を殺すはずの蛇を殺してしまって呪いを受けた。ようくわかった。人の厄介ごとに首を突っ込むとロクなことにならないってことに気付いたんだ。あんたのおかげでな」

 そんなお願いを聞いてはいけない。

「あんたこそ、どうなんだ。そこまで言うなら、あんたがこの村のために戦ってやればいい」

 突き放すようにそう言うと、彼女は驚き、そして泣きそうな顔をした後、般若の形相で怒った。

「もういい、もういいわよ! どこにでも好きに行けばいい! 私はここに残る!」

 どっかと座り込み、そっぽを向く。向いた後、ちら、とこっちを伺い、僕が見下ろしていることに気付いてすぐに無視するように僕から顔を背けた。

「ここに残って、トウエン様たちと一緒に戦うから! あなたはどこへでも行けばいいのよ!」

「じゃあ、そうさせてもらおうかな」

 え、という声が聞こえたような気がしたが無視して、僕はトウエンに一礼し、そのまま外へ出て行く。 



 ―幕間―

 じゃあね、と言い残して、タケルは本当に、振り返ることすらせずに行ってしまった。ぽつんと、彼が出て行った戸を見つめていたクシナダは、驚き、傷つき、泣きそうになり、それらを一周繰り返した百面相を繰り広げた後、烈火のごとく怒り狂った。言葉にならない、おそらくは考え付く限りの罵声をわめき散らし、荷物を投げつけ、地団太を踏んだ。見るに見かねたトウエンが「落ち着け」と後ろから優しく抱きしめ、ようやく動きを止めた。けれど内から溢れる激情はまだ収まりつかなかった。

「何なのもう、信じらんない、本当に信じらんない! タケルの馬鹿! 大馬鹿者!」

 村人たちのつらい現状を汲み取らない無神経さ、トウエンの真摯な願いを簡単に拒絶してのける冷酷さにも腹が立つが、何より自分に何の未練もなく簡単に去っていったことが一番腹立たしい。

 短くない時間、寝食を共にして、多少なりとも信頼関係が出来ていると思っていたのは自分だけだったというのがさらに怒りを倍増させる。

「何が私のおかげよ、厭味ったらしく言いやがって」

 なんだかんだ言いながら、村人からの非難から庇ってくれたし、蛇神に殺されそうになった時も助けてくれた。ひねくれているが、良い人だと思っていた。

 裏切られた気がして、怒りの後は悲しいやら悔しいやら訳が分からなくなっていた。知らず、彼女の瞳は涙があふれる。

「落ち着いたかの?」

 よしよしと頭を撫でながら、彼女の息が整ったのを見て、トウエンが声をかける。はい、と、か細い声で彼女は応じたので、トウエンは手を離す。

「トウエン様。私にこの村に残る許可をくださいませ」

 涙を拭いて言う。

「あいつの分まで、私が戦います。こちらも不死の身、敵にそうそうひけをとりません。それに弓に少々自信があります。必ず役に立ちます!」

「ありがとう。お主のその言葉、その心、大変嬉しく思う。こちらこそ、宜しく頼む」

「任せてください。タケルに代わり、私が西涼の怪物を討ち取ってみせますから!」

「はは、頼もしいかぎりじゃ。お主は奴に比べて本当にまっすぐじゃのう」

 奴、と比較されるのは間違いない、タケルのことだ。せっかく無理矢理頭の片隅に押しやった男の名を出されて、少しむっとした。

「そう怒ってやるな。あの者にもあの者なりの考えがあろう。儂らにそれを止めることなどできぬ」

「それでも、あんな態度は無いです」

 クシナダがむくれてそう言うと、トウエンは我慢しきれないといった風に小さく噴き出した。

「そうか、そうよな。額面通り受け取れば、あやつは血も涙もない冷血漢よな」

「違うとでも?」

 そう尋ねてから、クシナダは気づいた。目の前にいる人物は、人の心を読むのではなかったか。

「あの男の言葉に嘘はない。だが、全てでもないということじゃ。あの男は儂の願いを聞く気はない。けれど、それと西涼の件を無視するというのは同義ではない」

「それは」

 悩むクシナダに、トウエンは問う。

「タケルの行く先、どこかわかるか?」

 少し得意そうな顔を浮かべて、トウエンが微笑んだ。クシナダもすぐに見当がつく。

「西涼よ」

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