第6話 そのあとのことを、少しだけ
遠くから、笑い声が聞こえる。それも大勢の人の笑い声だ。何がこんなに楽しいのかってくらい大声で笑い転げているような感じだ。人がゆっくり眠ってるってのに、何ともはた迷惑な話だ。体は疲れているが、意識が完全に覚醒してしまった。
「ふむ」
記憶が曖昧になっている。さっきまであの蛇神と戦っていたと思った。右腕を真っ赤な口の中に突っ込んだところ辺りまでは覚えている。推測するのも馬鹿馬鹿しいが、それで死ななかったってことは、蛇神が死んだってことか。
瞼を開く。目の前に広がるのはうっそうと茂る木の枝葉じゃなくて、薄暗い天井だった。見渡せば僕たちが一週間過ごした大広間じゃないか。まあ、自分が布団に寝かされているな、とわかったときからこの状況は予想していた。大方、クシナダあたりが気を失った僕を運んでくれたんだろう。とどめは刺されなかったようだ。
体を起こす。筋肉痛の様な鈍い痛みが全身に広がるが、動けないほどじゃない。あれだけボコボコにされたのにも拘らず、だ。自分の頑丈さにほとほと呆れる。本人の意志とは無関係に、体は生き残ろうと必死らしい。そんなに頑張ったって得る物なんぞ無いんだけどな。
微かな軋み音を立てて、戸が開いた。
「起きたの?」
クシナダだった。その手には桶と手拭い、腕には竹筒をひもでひっかけてあった。看病をしてくれていたのだろうか。
「体、大丈夫?」
「残念ながら、ピンピンしてるよ」
そう言い返すと彼女は苦笑して「軽口が叩けるなら、もう大丈夫みたいね」と僕のそばに腰を下ろした。
「なんか、外が騒がしいみたいだけど」
気になっていたことを聞いてみた。「ああ、あれ?」とクシナダは手元の桶に手拭いを浸しながら、どうでもいいことのように言った。
「戦勝祝いよ。昼間っから今までずっと、皆、歌って踊って、浮かれてる」
はい、と彼女から差し出された手拭いを、礼を言って手に取る。それで顔をごしごしやる。冷たくて気持ちいい。顔にまとわりついていた泥のような疲れが拭われている感じだ。
「戦勝祝い、ね。てことは」
「ええ。蛇神は死んだわ。あなたのおかげで。みんな嬉しくて仕方ないの。ようやく、この村を縛る呪縛から解放されたのだから」
そう言って彼女は居住まいを正し、僕に向き合った。
「村を救ってくれて、本当にありがとう」
彼女は再び折り目正しく頭を下げた。「やめてくれ」と僕はため息をついた。
「感謝されるようなことをした覚えはないね。僕は、僕のやりたいようにやっただけだよ。それに、戦ったのは村にいる全員じゃないか。あんたを含めてね。感謝すべきは、褒めてやるべきは、自分たちだろうに」
「それでも、あなたたちがいなければ、今日はなかったわ。今日も明日も、十年後も百年後も、未来永劫呪われ続けていたことだろうから」
「ご満足いただけて何よりだよ。で、ついでに聞きたいんだけど」
「何?」
「僕を殺さなかったのか?」
「・・・どうして?」
少しだけ、沈黙が流れる。お互いの顔を見合うだけの時間だ。
「忘れちゃったのか? あんたは神を殺したら、次は僕にとどめを刺す約束だったはずだよ? 前にも言ったはずだけど、僕の願いは」
「死ぬことだ、と言いたいんでしょ?」
言葉をかぶせるように彼女は言った。なんだ、わかってるんじゃないか。
「まことに申し訳ないんだけど、あなたの願いを聞き入れるわけにはいかなくなったわ」
「どういうこと? いまさら、僕の一人や二人を殺すことをためらうこともないだろう?」
「そういうことじゃないの」
そういうことじゃないのよ、とクシナダは少しだけつらそうな顔で僕から顔を逸らし、もう一度向き合った時には、真剣な表情になっていた。
「あの時、あなたが蛇神を倒した時のこと、覚えてる?」
「倒したことすら記憶にないね。ああ、あの馬鹿でかい口の中に刺さってた矢を、脳天に押し込んだところまでは覚えてるかな。そのあとはさっぱり。気づいたらここで寝てたよ」
「そう・・・。なら、あの後起こったことは、あなたは知らないのね」
意味深な言葉に、僕は布団を引きはがして身を乗り出す。
「? あの後、僕が気を失っていた間に何があったの?」
問い詰める僕に、クシナダは、少しの間口ごもった。まるで自分でも信じられないことを、どうにか無理やり理解して表そうとしているかのようだ。事実、彼女が言ったことは、僕にはしばし理解不能だった。
「あなたは、二度と死ねなくなったの。蛇神の呪いのせいで」
「何言ってんだよ。死ねないって、あの神様じゃあるまいし」
「その蛇神の呪いだからよ。タケル。あなた今、体は大丈夫って自分で言ったわよね。それをおかしいとおもわなかったの? あれだけの激戦を繰り広げて、どうして五体満足でいられるのか不思議に思わなかった? 私が発見したとき、あなたはボロボロだったのよ? 全身傷だらけで、特にその右腕」
クシナダが指差す。僕は、反射的に右腕を左手で押さえた。
「助け出した時、その腕が二か所は間違いなく折れていた。指は二本千切れかけていた」
右手を握りしめる。指も、腕も、鈍い痛みはあるが普通に動く。そんな大怪我をしていたとは思えない。この世界の医療技術がどんなものか知らないが、僕たちのいた世界よりも発展しているとは思えない。ファンタジーの世界にあるような、どんな傷でも治してしまう治療薬でもない限りは、僕の腕は完治不能の大けがだったろう。
「蛇神が、死ぬ前に私に言ったわ。私たちに呪いをかけたって。それが、あの蛇神と同じ、どんな傷でも治癒してしまう呪い」
・・・・あり得ない。そんなこと、あってはならない。死ぬはずだった僕が、死ねなくなったなどと。
「信じられないって顔してるわね。なら、証拠を見せてあげる」
おもむろに、クシナダが懐から小刀を取り出し、自分の腕を切り付けた。ボタボタと床を赤く濡らす。さっきから自分の理解の範囲外で物事が起こりすぎてついていけていない。切るなら僕じゃないのか。
「なっ・・・」
んで、と言おうとして、彼女のさっきの言葉が蘇る。彼女は、私たち、と言った。僕だけじゃなく。つまりは、つまりはそういうことか。僕を助けた際に、同じく血を浴びて、呪いを受けたのか。
「とくと御覧なさい。これが証拠よ」
出血はすでになかった。彼女の腕の傷はビデオの逆再生のようにふさがっていく。
「あなたのせいでこっちもいい迷惑よ。私まで死ななくなった」
うんざりと、どこかコミカルな調子で彼女はため息をついた。
僕は、天を仰いだ。
クシナダに連れられて外に出た。いつまでもショックを受けて呆けていても仕方ない。それに、希望はまだある。僕たちをこの世界に放り込んだ神だ。蛇神を倒せば、もう一度姿を現すと言っていた。それがいつかはわからないが、意外と義理堅そうだから、眠っていた僕だけ無視して他の三人に会って消えた、なんてことはないだろう。おそらく、四人揃ったところで姿を現すんじゃないだろうか。なら、全員がいる所に行けばいい。
宴もお開き間際、と言ったところだった。広場の中心にある焚火はまだ勢いよく燃え盛ってはいたが、肝心の、それを囲んでいたであろう村人たちの数は少なかった。すでに辺りは真っ暗だから、女、子どもは各々の家に戻り寝たのだろう。男衆はそこからも騒いでいたのだろうが、今日この日までの疲労に酒の力が加わり、半数以上が酔いつぶれてその場で眠っていた。起きていたのはダイコクをはじめとした村人数名と、桐谷、山里、斑鳩の三名だ。
「よう、ヒーロー。お目覚めかよ」
斑鳩がこっちに向かって竹筒を掲げた。珍しい。こんな上機嫌なのも珍しければ、僕に声をかけてくるのも珍しい。
「酔ってるの?」
「ばぁか。酒は二十歳からだよ。つか、あんな不味いモノ旨いってガバガバ吞む山里とかわけわかんねえ」
吞んでるじゃないか。
「ちょうど良い所に来た。君の話をしていたところだよ」
後ろにダイコクたちをぞろぞろと連れて、山里が近づいてきた。顔が少し赤らんでいるのは、斑鳩の口に合わない酒を大いに酌み交わしていたからだろう。
「幸せそうだね」
思ったことをそのまま口にした。すると、きょとんとした顔の後、山里は大笑した。心の底から嬉しそうに笑い転げた。
「そうか、そうだね。私は幸せだ。いつ以来だろうか。思い出したのだよ。自分が根っからの職人だということを。満足のいく仕事をして、その結果が大成功であるなら、私が喜ばない理は無いのだよ」
ワーカーホリックと言う奴か? 案外、そのせいで奥さんとお子さんに逃げられたんじゃないのか? 邪推が頭の中に浮かぶが、わざわざ山里のいい気分をぶち壊すこともない。代わりに尋ねる。
「ちょうどいいって、どういうこと? 僕に何か用?」
おおそうだ、と山里が手を打つ。
「彼らがね、石碑を立てたいんだそうだよ」
「石碑?」
というと、あれか。誰それここに眠る、とかそういうのか。
「記念碑だそうだよ。君や、我々の名前、今回の出来事の記録を残したいとおっしゃっていてね」
「お主らは、近いうちに元の世界に戻るのだろう?」
山里の言葉を引き継ぐように、村人の一人が言った。作戦会議でクシナダと話していた、村の御意見番みたいな老人だったと思う。
「お主らには、どれほど感謝しても感謝したりぬ。どれほど謝っても謝りたりぬ。我らができることは、ここにいる間に宴を開き、精一杯もてなすことと、お主らの功績と武勇を子子孫孫、連綿と語り継ぐことくらいだ。お主らが我らに与えてくれた恩恵に対してあまりにも小さいが、これくらいしかできんのだ」
「やめてくれ。クシナダにも言ったけど、僕はそんな御大層なことをしたつもりはない。ただ自分がやりたいようにやっただけなんだよ。そんな感謝されると、僕の方が困るんだけど」
「しかしだな、それでは我らの気が済まん。恩人に何も返さぬというのは」
「それなら自分たちの名前と、これまで犠牲になった人の名前を残してやれよ。僕はいい。飯が食えればそれでいいよ。それだけ甘えさせてもらえれば充分だし」
山里たちの前を通り過ぎ、焚火の周りに残された料理を手に取る。美味そうな飯を見た途端、腹が鳴った。現金な腹だ。
「自分の名前を残さなくていい理由は、それだけじゃないだろ?」
僕の隣に斑鳩が腰を下ろす。妙に突っかかってくるな。やっぱり酔ってるんじゃないのか?
「どうしてか気になってたんだよ。自己紹介したとき、あんたが苗字名乗らなかったの」
一瞬気を取られて、食べる手を止めてしまった。気のない風を装ってすぐに再開したが、遅いだろうな。やっぱり、と斑鳩のつぶやきが聞こえる。
「むしろ、どうして隠してたんですか? とってもいいお名前ですし、この世界、この時この場所この状況にこれほどマッチする名前もないでしょうに」
桐谷までそんなことを言う。なんで二人とも知ってる。
「あ、いやあ、そのね」
僕が不機嫌になっていくのを察したか、山里が後頭部をかきながらあのノートを取り出した。
「前にこのノートを見せてもらった時なんだけど、最初のページ、ほら、このノートってカバーがついてるじゃない? そこに挟まってたんだよ。幼いころの君と、波照間博士と、おそらくご両親の」
ノートがめくられる。最初の方のページを僕は開いたことがない。だから見逃したのだろうか。そこには一枚の写真があった。僕の記憶よりも幾分か若い両親と、小学生くらいの姉さんと、母親に抱かれている赤ん坊は、おそらく僕だろう。真ん中に移った姉さんが、長半紙にでかでかと僕の名前を書いて、勝訴! みたいに自信満々な表情で広げている。
生まれて初めて、姉さんに悪態を吐きたくなった。
「タケルの名前が、どうかしたの?」
それまで黙っていたクシナダが後ろから覗き込むようにして僕の写真を見ている。「タケルの絵? ああ、こいつの名前ってこんなのなんだ」などと見当違いな感想を述べている。
「そういえば、あなたの名前はクシナダ、なんだものねぇ」
「? まあ、私の名前はクシナダだけど、それが?」
山里の感慨がさっぱり理解できない様子で、クシナダは首を傾げた。
「この世界にタケルさんが来たのも、蛇神を倒したのも、当然の結果だったんですよ。運命だったんです」
いくばくか興奮したように桐谷が言う。そういう風に言われるから黙ってたんだよ。どうして蛇神の行動パターンを読み解くのに僕の心情を理解しないんだ。
「あのムカつく神様も、こうなることが織り込み済みでこの世界に放り込んだんだろうさ。そう考えると全部あいつの手のひらの上ってことか」
「そうでもないぞ。私はただ運んだだけ。目の前の運命、選択肢を掴み取ったのはやはり、君たちの努力のたまものだ。そういう意味では、君たちが生き残ったのは当然の結果と言えるかもしれないがね」
全員が、突如割って入ってきた声の方へと振り向く。
「やあ、また会えて嬉しいよ」
軽く手を挙げた神が斑鳩のすぐ隣に座りこんでいた。
「約束を果たしに来たぞ。元の世界に戻る準備はできたかな?」
「いつもいつも唐突に表れやがって・・・」
神から体を遠ざけながら、斑鳩が愚痴る。クシナダたちなんかは突然現れた神に驚いて声も出ない様子だ。
「さあ、改めて問おう。君たちは元の世界に帰りたいか?」
桐谷、山里、斑鳩、僕の順に顔を眺める。
「考える、多少の時間は与えよう。私が君たちの前に姿を現すのはこの一度きりだと思ってもらって構わない。最後だ。望めば、君たちが一度は逃げ出した理不尽だらけの世界に戻そう。拒否もまた良し。この世界で過ごせばいい。この村に降りかかる災厄は君たちが晴らしたのだから、そうそう困難は降りかかるまいよ。その点だけで見れば、この村は実に過ごしやすいと言える」
よくよく考えろ、と神は言った。
「その前に、聞きたいことがあるんだけど」
挙手する。
「何だ?」
わずかに覗く口元が三日月のように歪む。何を聞かれるかわかっているかのようだ。
「聞きたいこと、というより、確認したいこと、なんだけど」
「うむ」
大仰に頷く。ああ、これわかってるな。僕の聞きたいことが。
「このメンバーを、この世界に放り込んだのは偶然?」
え、と他三人から声が上がる。神は何も答えず、ただ微笑んでいるだけだ。僕の言葉を待っているかのようだ。答えあわせの時間、ということかな。
「この一週間で、いろいろ考えたよ。時間もあったしね。それで、僕なりの結論としては、僕らだけは、作為的にこの世界に集められたんじゃないかな?」
「偶然じゃない、と?」
頷く。
「僕らはおそらく、ここにいた蛇神を倒すために呼び寄せられたんじゃないかって、思ってるんだけど」
神の笑みが、一層濃くなった。
「ずっと気になってたんだけど、どうして波照間天音に少なからず影響を受けている人間を選んだの?」
この時点で作為的な匂いがプンプンする。
「偶然と言い張れるレベルだ。あの世界で彼女や彼女の論文を知っている人間は大勢いるぞ」
そういう応え方をしている時点で作為的だと言っているようなものだ。反論にならない反論を無視して、僕は次の質問に移る。
「じゃあ、次。あんたは、いくつもある世界の要望を聞き入れて、その世界で不要になったものを違う世界に放り込む、って言ってたよな」
ああ、と神が頷くのを見てから、話を続ける。
「それって、たとえばこの世界で必要だという要望も受け入れるってことじゃないの?」
神の隣にいる斑鳩が、あ、と口を開いた。彼も勘付いたらしい。
「この一週間、僕がこの三人の働きっぷりを見てきて思ったのは、非常に優秀だってこと。山里さんは素人目の僕から見ても凄い職人だったよ。今回の罠も道具も、目測で全部完璧に作ってたんだ。この技術があの世界で不要になるなんてどう考えたっておかしい。これであぶれるなら、僕らが住んでた国は天才職人ばっかりってことになる。斑鳩君にしたってそうだ。これでも高校は卒業した身だけど、そんな僕がさっぱり理解できない公式とか知ってた。多分、結構な進学校に通ってるんだと思う。それに、一流企業の跡取り息子が不要だなんてのは、やっぱり考えられない。そして桐谷さんは、今回の戦いでキーになる蛇神の行動を完璧に予測してた。性格から行動パターンを読み切るなんて並大抵の推察力じゃないと僕は思うけどね。このままその能力を伸ばしたら、犯罪防止とか、もしくは精神科とかカウンセラーとかの分野で目覚ましい功績をあげるんじゃないかな。みんな、世界から切り捨てられるような人材とは思えないんだ」
「では、君はどうなのかな。そこで照れたり謙遜したり斜に構えて素直に褒め言葉を受け取らなかったりしている三人はそのために呼ばれたのだとしよう。では君は、何のために呼ばれたんだと思うね?」
「それは、こいつだと思う」
僕は、姉さんの黒いノートを掲げる。日の目を見ることなく朽ちていくだけだった、姉さんの思いとアイディアが詰まったノートだ。
「姉さん一人では潰されてしまったけれど、国でも十指に入る大企業のバックアップと、この理論を実現する腕を持つ技術者、あとは人やスケジュールをコントロールする能力に長けた可愛らしい秘書でもいれば、ここにある夢は生まれる。現実になる。あんたは、この世界と、あの世界の、両方の要望を叶えようとしていたんじゃない?」
この世界の蛇神を倒すために、技術と知識を持った人間を呼ぶ。
あの世界を変化させるために必要な人材を接触させる。
「なかなか面白い。けれど穴ばかりの推測だな。もし君たちが敗れていたらどうする」
「死んでもまあ別によし。生きていればなおのことよし、その程度の考えだったんだろ? あんたは古本屋、仲介みたいなもんだ。蛇神だって世界の一部だって言いのけたくらいだからな。無理に世界の要望を叶える必要もないんだ。あんたの仕事は駒を配置するまで。結果はどうなろうと知ったこっちゃないんだろう」
なぜならこいつは世界の管理者だからだ。その世界で起こるすべてのことを肯定するだけで、無理やり捻じ曲げることはしないはずだ。僕を最初に殺さなかったのが良い例だ。世界を相手にした古本屋がどういうシステムか知らないが、ただ必要なものを必要な場所に必要なだけ運び、行く末を見守るのみなんだ。
「八十点、くらいかな」
僕の話を聞き終えた神は言った。
「後二十点は、君だ」
僕を指差してきた。
「君のこれからの選択と行動次第で点数が変動する」
「なんだよ、それ」
「話は終わりだ。さあ、返答はいかに?」
柏手を打って、神が僕らに再び問うた。
僕以外の三人は元の世界に帰ることを選択した。そして僕は、この世界に残ることを選んだ。どうせ未練はないし、この不死の体ではいろいろと問題がある。
「これ、本当にもらっていいのかい?」
別れる前、僕は山里にノートを託した。
「さっきの神とのやり取りを聞いてだろ? これは、あんたらが持っておくべきものなんだ。姉さんも、きっとその方が喜ぶだろう。それで、できれば実現してほしいんだ。面倒なことを押し付けてるとは思うけど」
「そんなことはない。全然ないよ。私でいいのかと思うくらいだ。ねえ?」
隣にいた斑鳩に水を向ける。仕方ねえな、と相変わらず生意気な口を叩いて
「叶えてやるよ。あんたと、あんたの姉ちゃんの願いをさ」
力強く答える彼は、もう大丈夫だ。怪物に殺されかけ、それでも戦って生き延びたのだ、あっちの世界で恐ろしいものなど存在しないだろう。
「でも、あなたは残るんですよね」
桐谷が尋ねてきた。
「良いんですか? 今度こそ、あなたが望んだ世界になると思いますよ」
いたずらっぽく、彼女が言った。ずいぶんと感情豊かになったもんだ。本質は、きっとこっちだ。
「うん。別にいいんだ。後は若い人たちに任せるよ。僕はここで隠居生活でもしてる」
「私より若いくせに」
山里が苦笑する。
「別れを惜しむのはわかるが、そろそろ良いかな。何度も言うように、神様稼業はなかなか忙しいのだ」
神から催促が入った。いよいよお別れだ。
「君のお姉さんの功績と技術は、私が一生かけてでも実現させてみせる。安心してくれ」
「でっかい記念碑を、うちの会社の敷地内に立ててやるよ」
「それじゃあ、お元気で。あっちではどうなるかわかりませんが、せっかく拾った命、生きて、何とかしてみます」
三者三様の別れの言葉を言い終えて、三人はこの世界から消えた。ぽつねんと、神だけがまだ残っている。
「まだ私に用があるのだろう?」
わざわざ僕のために残ってくれていたようだ。
「忙しい所申し訳ないんだけど、どうにも自力での目標達成は困難になっちゃってね」
「殺してほしい、なんてお願いは却下だ」
先回りされて口を閉じる。
「君にかかった呪いのことは知っているよ。死ぬことが目的だった君に、死ねない呪いがかかるとは皮肉な話だ」
「笑い事じゃない。最初の話と着地点が全然違うんだけど」
「死が望みなら、君はあの蛇神と戦う際に手を抜けばよかった。そこで死ねばよかった。チャンスはいくらでもあったはず。それを拒絶したのはやはり君だ。神のせいにされても困る」
「嘘付け。あんただろう。荷物引き取りの業者に紛れ込んで、僕に銀のカフス取り付けたの」
すべてが偶然じゃないと考え出した時から、それまでの出来事を洗いなおすと、最初の時点、僕が持ち物を整理したあたりからおかしいことがあった。
「多少、都合がよくなるように干渉したことは認めよう」
白状した。この調子じゃ、他三人にも干渉しているはずだ。
「で? すべて計画通りになったあんたは、これ以上僕に何をさせたいんだよ」
おそらく、後二十点というのがここにかかってくるんだろうけど。
「そうだな。正確には、この世界の要望だが」
その前に、と神は前置きを入れた。
「どうして、死なないことが呪いなんだと思う? 君の様な自殺志願者でなければ、あらゆる世界のあらゆる国のあらゆる王が一度は願うものなのに」
「そんなこと知らないよ」
と言いつつも、気にはなっていた。古今東西の呪いと言えば、総じて苦しんだり死んだりするものだ。苦しみを癒して死を取り除くなんておかしい。
「死なないことで地獄を味わったからさ。自分と同じ目に遭え、そういうことだろう」
「自分と同じって、おいおい、まさか」
「そのまさかだ。あの蛇も元は人間だった。君が想像もつかないような苦痛を受けて、それでも死ねず、苦しみ、もがき、あらゆるものを呪い、妬み、憎しみぬいて、ついには姿すら変貌させた。人だった時の記憶があるのかどうかは知らないが、ただひたすら苦しんだ記憶だけがその身に残っていたのだろうね」
「僕にもそうなれと?」
「同じ末路を辿るか、また別の未来を選択するかは任せるよ。ただ今回と同じように少しだけヒントを与えよう。この村は、君たちの活躍で平和になった。ただこの世界には、この村と同じように窮地に追いやられている場所がいくつかある。そうだな、君たちの世界にある神話や伝説と同じくらいの数だ」
知ってるだけでも両手足の指の数じゃ足りない数なんだけど。
「同じ数だけ化け物がいて、そいつらと戦えってことかよ」
死なない敵は、それだけで脅威だ。蛇神の猛威がそれを物語っている。この世界の要望は、世界各地で暴れまわっている、蛇神の様な生態系を乱す連中を排除できる奴をよこせってことだったのだろう。
「話が速くて助かる。君にとっても、悪い話じゃないはずだ」
しれっと言ってくれる。まあいいさ。死ぬまでの退屈しのぎには丁度いい。化け物の中には、僕の呪いごと僕を殺すような奴だっているだろう。それまでは約束通り戦ってやるさ。立つ鳥は後を濁さない。きれいさっぱり掃除してやるよ。
ただ、最後まで気になっていたことを、というか、恥ずかしながら今の今まで気づかなかったことを、この機に尋ねてみることにした。多分、僕も【彼女】と会うのはこれが最後になるだろうから。
「あのさ。最後に一つだけ」
「何だ?」
「素顔、見せてくれない?」
初めて神が黙った。少し間をあけて、微笑む。
「ようやく気づいたか」
そして、神はゆっくりと、目深にかぶっていたフードを取る。
どうして気づかなかったかな。僕も。思わず苦笑が漏れる。
「本来であれば、彼女は私に取り込まれて眠りにつくはずだった」
曰く、今回みたいに世界に変革をもたらすのは、何も外的要因を送り込むだけじゃないらしい。管理者自身がその世界の生物に少しだけ自分の因子、世界を変革する力を分け与えることがある。その因子を持って生まれた生物がブレイクスルーを起こし、その後寿命を迎えると、その生物が蓄積した記憶がデータとして魂と一緒に管理者のもとに帰ってくる。
「事業活動でPDCAサイクルというのがあるだろう? プランを立て、実行し、チェックしてデータを集めて、改善して、また計画する。世界はその繰り返しで変革し続けている。彼女もまた、私の影響を受けて生まれた世界変革者の一人だった」
君の国の歴史に出てきた織田信長や坂本竜馬も同じだ、と神は言った。
「通常であれば、取り込まれたと同時に、完全に自我とか記憶を失うはずなんだが、彼女の場合、あまりに未練が強すぎてね。それだけ、残してきた誰かのことが気がかりだったのだろう。こうして、私の姿と行動に影響を与えるまでとなった」
だから、僕たちに干渉してきたのだ。ようやく謎が解けた。まったく、頭が下がる思いだ。死んでなお、世界を変えようとしていたのだから。
「これで、彼女もゆっくり眠れるだろう。引き継ぎは完了したようだからな」
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元の世界に戻った斑鳩スクナは、その後、高校、大学、と進み、一社員として親の経営するイカルガ科学に入社する。親の七光りとはじめは陰口をたたかれもしたが、すぐにそんな声も彼の活躍、生み出した成果によって鳴りを潜めざるを得なくなった。親から社長職を譲られてからも躍進はとどまることを知らず、会社をますます発展させた。
そんな彼が行ったことの一つに、後進の育成・支援がある。波照間天音のように世に出ていない優れた人材を発掘するのが目的ではあったが、思わぬ成功を生んだ。イカルガの援助を受けて成長した将来有望な技術者たちは、恩返しとばかりにイカルガに戻り、会社と社会に貢献したのだ。「環境は用意してやる。持ってくるのは勤勉さ、やわらかい発想、健全な心身と鋼の意志で十分だ」と広く熱意のある若者を募り、優秀な技術者に育て上げて世に送り出し続けた。他にも慈善事業、環境保護活動など、社会に対する貢献は計り知れず、すべてを投げ出して一度は逃げ出した少年は、偉業を後世にまで語られるほどの優れた経営者となった。
山里幸彦は、斑鳩スクナの口添えでイカルガ科学の研究班に再就職を果たした。彼の所属する研究班は数々のヒット商品を生み出す。
中でも世紀の発明と後に称えられる永久発電機関は、極めて低いリスクとコストでありながら高いパフォーマンスを発揮し、これまでの発電機器の常識を一新した。彼が最も尊敬する研究者から名前を貰い、名づけられた
桐谷月世は、結論から言ってしまえば罪に問われることはなかった。彼女の父親が殺害されたと思われる時間、彼女は家から数百キロ離れた場所で、斑鳩・山里と一緒に警察に保護されていたからだ。絶対のアリバイを持つ彼女を誰も疑うことはなかった。天涯孤独となった彼女は山里に養子として引き取られる。蛇神との戦いで見せた鋭い洞察力は彼女に行動学や心理学の道を選ばせ、さらにその能力に磨きをかけていく。そんな彼女が積み重ねてきた理論や研究は犯罪を未然に防ぎ、また彼女のこれまでの経験から語られる言葉は、以前の彼女と同じ境遇の人々の支えや癒しになった。私生活では斑鳩スクナと結婚し、女の子二人、男の子一人の三人の子宝に恵まれる。これまでの分を取り返すかのように、彼女の人生は幸せに包まれたものになった。生まれた男の子にはタケル、と名付けたようだ。
そんな三人が揃って顔を綻ばせるニュースが新聞、テレビを飾った。
島根県のある地域で、古代の人々の生活を知る貴重な遺跡が発見されたのだが、そこで発掘された石碑と壁画が注目を浴びたのだ。壁画には古代人たちが、巨大な蛇の化け物と戦って、ついには勝利を収めた場面が描かれていた。石碑は、おそらくその戦いで中心的な働きをした人物の名前が刻まれていると考えられるが、その名前が歴史学者、考古学者および国文学者たちを悩ませ、あるいは大いに楽しませている。
そこに刻まれた名は、《須佐野尊》。
読み方は幾通りかあろうが、誰しもがこの名前をスサノミコトと読んだ。場所や壁画の内容など条件が揃っていて、この人物を神話に登場する英雄スサノオノミコトに結びつけないはずがなかった。
また面白いことにそれは、日本だけに留まらず、世界各地で同じように須佐野尊と刻まれた石碑や、須佐野尊なる人物が活躍している壁画、古文書が何点も発見されていった。
想像力豊かな学者が、突飛な推論を発表した。スサノオノミコトは実在し、しかも世界各地に伝わる神話や伝説に登場する英雄たち、たとえばヘラクレス、ジークフリード、黄帝、クーフーリン、聖ゲオルギウスなど、すべての英雄の起源、アーキタイプになったのではないかというのだ。
そんなことはありえない、そもそも一人の人物が世界各地を回るには広すぎる、時間軸だっておかしい。いやいやスサノミコトは世襲制だ、クシナダヒメも共に戦って活躍したという記録だってある、彼らの子どももスサノオと名乗って活躍したのだ。馬鹿馬鹿しい、そんなものは昔の人が創り上げたただの伝説だ、などなど賛否両論の話題は尽きることがない。
ただ、真実を知る三人は笑う。結局、姉と同じように、彼も世界を変えていたのだ。飛び立った鳥は、世界に軌跡を残していた。
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