第3話 誤算
「よう」
僕は気さくに声をかけた。ようやくだ。ようやく、僕の願いが叶う。そんな僕を見て、オロチは器用に首をひねった。
『何だ、貴様は』
「あんたにとっちゃただの餌だ」
『恐ろしくないのか、この我が。憎まぬのか、貴様をここに追いやった者たちが。呪わぬのか、己が身上を』
先ほどまでの四人とは明らかに対応が違う。さっさと楽になれるものとばかり思っていたから、少しイライラしてきた。
「がたがたうっせえな。さっさと喰って帰れよ。臭いんだよてめえは」
ひぃっ、と後ろで悲鳴が上がった。神に向かってなんて暴言を、と隠れている村人たちが慄いているが、僕にもう恐れるものはない。
オロチの首が大きく後ろに下がった。引き絞られた弓矢のようにだ。そして、放たれた頭が巨大な矢じりとなって僕がいた台を根こそぎ吹き飛ばした。宙に放り出された僕はちょっとした滞空時間の後地面に叩きつけられた。これで即死すればよかったものの、全身に走る痛みが皮肉なことに僕の生存を伝えてくれる。
『長よ! 出て来い!』
僕を睥睨しながらオロチが叫んだ。周囲の空気を震わせる大音量に、アシナは躓きながら飛び出してきた。
「い、いかがなさいましたか?」
土下座しながら弱々しくアシナは伺った。
『これは何だ』
長い舌を出し、僕に向けた。せき込みながら僕は見返す。
「なに、と申されましても、貴方様のお望み通りの、贄でございます」
『贄、これが贄とな?』
「は、はい」
『では問おう。貴様は腐ったものを喰うのか?』
「は?」
突然何を言い出したのかと首をかしげるアシナ。察しの悪さにオロチが苛立ったように声を荒げる。
『貴様はこれまで腐ったものを平気で喰っていたのか、と訊いておる』
「いえ、いえ、そんなことはありませぬ。そんなことをすれば腹を下してしまいます」
『そうだ。腐ったものを喰えば腹を下すは道理。では貴様は、神である我にそんなものを喰わそうとしたのか?』
「め、めっそうもない。もしや、この者に何か問題がありましたでしょうか」
『問題も問題。これは生きてはおらぬ。死人よ。腐っておるのだ。喰う価値すらない塵だ。貴様はそんなものを我に差し出したのだ』
怒気の籠ったオロチの声に竦み上がるアシナは、地面に頭を擦りつけ「なにとぞ、ご容赦を」と繰り返していた。
「どんなことでも致しますゆえ、どうか怒りをお鎮めください」
『ほう、何でもするとな? その言葉に偽りはないか? 我の怒りを鎮めるために、貴様は何でもするのか?』
「もちろんでございます!」
オロチの怒りが収まったと嬉々として顔を上げたアシナの表情が固まった。目の前にオロチの大顎が迫っていたからだ。
「ひ」
それがアシナの最後の言葉となった。
『おお、愚かな人にしては珍しく、約定を守ったな。確かに貴様は我の怒りを納めたぞ』
オロチが再び声を上げて笑った。
「父上!」
近くの家屋の戸が壊れんばかりの勢いで開いた。中から飛び出してきたのはクシナダだ。手に木の棒を持ち、オロチに飛びかかろうとしている。その彼女の細い体を、ダイコクたちが後ろから羽交い締めにして止めていた。
「よせクシナダ!」
「離せ! 奴は、奴は父を!」
「神を怒らせる気か! 貴女は村を滅ぼすつもりか!」
そうたしなめられ、歯ぎしりをかみながらもクシナダは止まった。振りあげた手を震わせながら下ろす。どうしようもない衝動を無理やり殺し、それでも抑えきれない感情を込めてオロチをにらみつける。殺意すらこもった目線をオロチは心地いいシャワーのように受け止めた。
『父、とな。今我が喰らった村の長の娘か。ならば次の長は貴様だな』
長い首をくねらせて、オロチはクシナダの前に顔を近づけた。ダイコクたちが腰を抜かし怯えて逃げる中、クシナダは逃げ出すこともなく気丈にも仁王立ちでオロチと対峙した。
『では次の長よ。貴様に命ずる。我の怒りは貴様の父の命で収まった。だが、腐ったものを出された不快さは消えぬ。七日後、新たに贄を捧げよ』
「何、ですって…!」
クシナダが絶句した。
『当然であろう。口直しが必要だ。むしろ七日も与えてやった我の慈悲深さに感謝するがいい。断ればどうなるかわかっておろうな。ここで貴様ら全員を喰い殺してやっても良いのだ。だがそれでは、翌年からここで我に贄を捧げる者が居なくなってしまうでな』
人がまるで畜産だ。この蛇は頭が良い。
「それでは、それでは我らは飼い殺しじゃないの!」
激高したクシナダがオロチに殴りかかる。が、オロチはそれをひょいとかわし、強烈なカウンター薙ぎ払いを彼女に叩きつけた。僕の時より手加減されているようだが、それでも彼女の小さな体が地面と平行に飛び、後ろで怯えていたダイコクたちを巻き込んでなぎ倒していく。ボウリングみたいだ。クシナダはそれ以降立ちあがってくる様子がない。死んだのだろうか。起き上ったダイコクが慌てて介抱している。
『愚かな。知らなんだか? 貴様らは我が飼うているようなものなのだよ。では、七日後、楽しみにしておるぞ』
オロチの首が一斉にまわれ右して、森の奥へと帰っていった。
オロチが帰った後の村は絶望に満ちていた。誰もが頭を抱え、身を寄せ合って泣いている。倒れたままだった僕はゆっくりと体を起こす。関節がひどく軋み痛みを訴えてくるが、動けないほどではなかった。敏感になっている村人たちの感覚が僕の動きを察知した。ほぼ全員の視線が僕に集まる。
「お、お前のせいだ」
誰かが僕に向かって言った。呆然としていた瞳が色を取り戻した。
「そうだ。あいつのせいだ」
「アシナ様が喰われたのもあいつのせいだ」
「こんなことになったのは全てあいつのせいだ」
「いつも通り、何事もなく終わるはずだったじゃないか」
「あいつが贄にならなかったからだ!」
よくもまあそんな好き勝手なことを言えるな、と感心する。それではまるで、僕が死ななかった、喰われなかったのがいけないことのようではないか。まあ、僕としても不本意な結果である。ここまで死ねないとなると、何者かの陰謀を感じる。あの神を名乗る女が、僕の運命をいたずらに操ってるんじゃないかと邪推してしまう。
「どう責任とってくれるんだ。ええっ!」
ダイコクと一緒に僕を運んでいた男が、僕の前に立った。その手には農作業に使う鍬が握られていた。その後ろから、血気盛んそうな若い衆が、手にそこらの棒や鋤を持って現れ、僕を取り囲んだ。
「お前のせいで、儀式はめちゃめちゃだ。アシナ様も喰われてしまった」
「そりゃお気の毒に」
ゆっくりと立ち上がり、足についた砂埃を縛られたままの手で払う。
「僕としても甚だ遺憾だ。が、あのデカイ蛇のお気に召さなかったんだからしょうがない。僕のせいではないだろうに」
「てめえ!」
「何て言い草だ! 黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって!」
「どうせ生贄にもなりゃしねえ役立たずだ。袋叩きにして殺してしまえ!」
「おお!」
全員の目が血走っていた。オロチの恐怖を一時でも忘れたいがために、目の前の僕を標的にして暴れようということだろう。どこの世界でも一緒だ。過度のストレスのはけ口はいつだって自分たちより弱い立場へと向けられる。僕はそれを甘んじて受け入れようと覚悟し目をつむった。脳天が鍬で砕かれるのを待っていた。
「止めて!」
制止の叫びが響いた。うっすら目を開くと、声のした方にはダイコクの肩で支えられたクシナダがいた。腹を押さえ、片足を引きずりながらこちらに近づいてくる。
「なぜ止めるクシナダ!」
「彼を殺してどうなるの? 今は無意味なことに時間を費やしている暇はないわ。これからどうするか考えないと」
ダイコクの肩から体を離し、クシナダは自力で立った。家屋から、残った村人たちが現れる。蚊帳の外である僕を中心にして集まらなくてもいいと思うのだが、どうも言いだせる雰囲気じゃないので大人しく黙っていることにする。
「儀式が上手くいかなかったこともそうだけど、七日後にまた神が現れるというのもこれまで無かったことよ。また人が送られてくるとは限らない。今までが上手くいきすぎたのよ」
「しかし、ならどうする。クシナダ、貴女はまさか、我々からも贄を出そうと言うのではないだろうな!」
人が喰われるのは良くて、自分たちに矛先が向くのは嫌なのか。何て自分勝手な野郎どもだ。その問いにクシナダは首を振り
「そんなことしない。したくない。そして贄も出したくない。もう限界よ。今ので分かった。身内を失って初めて分かった。こんな儀式間違ってる。だから村長代理として提案します。この村を棄て、新天地を目指そう?」
どよめきが広がる中、クシナダがたたみかけるように続ける。
「これからも儀式が上手くいかないことが起こるかもしれない。そもそもこれらすべては神の気まぐれなのよ。いつ全員差し出せと言われるか・・・。だから、また被害者が出る前に新天地へ移りましょう。季節も丁度いいわ。今から移動して、家を建てれば冬に間に合わせることができるでしょう」
「し、しかし、今年植えた作物はどうするんだ。捨てて行けというのか」
まるで我が子を捨てろと言われたような絶望に歪んだ顔で一人が訊いた。事実、精魂込めて作った作物や畑は我が子同然なのだろう。クシナダは悲しげな表情で目を伏せた。
「そうね、そうするしか、ないのよね」
クシナダの苦悩や不安は、それを見てとった村の衆にも伝染していく。彼らは口々に不安材料を吐きだした。
「なら、食料はどうするんだ。今の蓄えだけで大丈夫なのか?」
「それに、子どもはどうすんだ。うちは今年生まれたばかりなんだ。とてもじゃないが移動についていけない」
「それならうちには足の悪いばあさんがいる」
「うちはガキが五人だ。今年の収穫が見込めねえなら、どうやって飯を食わして行きゃいいんだ」
全員がやいのやいのと年下のクシナダに不平をぶつける。いくらしっかりしていそうな彼女であろうと、年のころはまだ十六、七の子どもだ。そんな責任背負えるわけがない。しかも今父親を亡くしたばかりなのだ。そんな子どもに頼り切りで自分は何も考えようとせず、困れば全て人のせいにしようとする大人に嫌気がさした。姉さん。どこの世界でも大人は同じだよ。
「みっともないね・・・大の大人が女の子に寄ってたかって」
正直な感想が口から飛び出た。全員の視線が僕に吸い寄せられ、今度は僕が彼らの不安のはけ口となった。
「何だと貴様!」
「貴様なんぞに俺たちの何がわかる!」
「知るかそんなこと」
お決まりの被害者面発言を僕は切って捨てた。知るわけない。会って一日そこらの人間のことなど分かるわけがない。
「ただ一つわかってるのは、あんたらが最低だということだ」
村の衆全員が猫だましを喰らったように声もあげられずに呆けた。
「だってそうだろう? 善後策を出した女の子にそれは無理、あれは無理と不平不満ばかりぶつける。今、父親を亡くして悲しいはずの女の子にだ。どうかしてるぜあんたら」
僕は嗤った。気まずそうな顔で皆がクシナダの顔を見る。我に返った一人がクシナダを意識しながら言い訳をする。
「し、仕方無いではないか! 我らとて生きねばならんのだ! 村の身内と他人の貴様ら、どちらを取るかと聞かれれば迷うことなく身内を取る! 貴様とて同じ立場に立てば同じ選択をするはずだ。確かにクシナダにきつく当たってしまったが、それも家族を守るためだ。必死なんだ! 生きるために! 貴様に我らの行為を非難されるいわれはない!」
非難されるいわれはないときたか。今まさに生贄に捧げようとした人間に対して。こいつらの精神構造はどうなってるんだ。呆れることすら馬鹿馬鹿しくて楽しくなってきた。
「そうだな。僕だってあんたらのことなどどうでもいい」
だいたい、僕は死にに来たんだと何度説明すればいいのだろうか。まあ彼らには話していないのだけど。
「なら余計な口を挟むな!」
「大体、アシナ様が死んだのは貴様のせいではないか!」
「何なんだこいつ。やっぱりここで…」
「止めなさい!」
クシナダが再度怒鳴った。再び僕を襲おうとした村の衆は忌々しげに睨みながらも引き下がる。僕と彼らの間をクシナダが割って入った。彼らを目で制した後、僕に向き直る。
「あなたも、余計な言動は慎んで」
「悪いね。言いたいことは溜め込まずに言うたちなんだ」
いつ死んでも後悔しないようにね、と心の中で付け足す。クシナダは僕の真意を測るように僕の顔を見て、フイと顔を逸らした。柏手を二回打ち、みんなの注目を集める。
「とりあえず食事を取りましょう。腹が減っていては何もできないわ。考えも悪い方へばっかり向かう。まず腹を満たして、それからどうするか皆で案を出し合いましょう。まだ七日ある」
その提案に不承不承、といった感じで皆が頷き、散開していく。
「なあクシナダ、こいつと、あいつらどうする?」
各々家に戻る中、ダイコクが僕を指差し、次に後ろをクイと親指で指した。あいつら? 後ろを振り向く。そこにはいまだ生贄の台に括りつけられたままの三人がいた。少年少女と、あのおっさんだ。オロチは僕以降の人間を喰わずに帰ったようだ。なぜだ。あの蛇は、まずいものを出されて食事の途中で席を立つような、美食家気取りには見えなかったが。すこし引っかかりを覚えつつも、今はそれ以上深く考えるのをやめた。
「そうね、大広間に連れて行って。あと彼らにも食事を用意してあげて」
「冗談だろ? これから食料は重要になってくるんだろ? どうしてこいつらにまで」
「移動することになったら、彼らにも荷物を運んでもらうわ。人手は多い方がいい」
「でも、素直に言うことを聞くかな」
「その心配は不要よ。そうしなきゃ彼らだって死ぬのだから。とにかく、彼らの縄を解いて、案内してあげて。逃げようとするなら止めなくてもいいわ。放っておきなさい。どうせどこかで野垂れ死ぬだけよ。そこまで面倒見切れないわ」
指示されたダイコクが数人を伴って台の方へ駆けていく。後には僕とクシナダが残った。
「あなたは、残ってくれる?」
「僕?」
意外な言葉に目を丸くした。
「良いのか? 僕はアシナが死んだ原因だぞ。てっきり憎まれているものと思ってた」
そう尋ねると「憎いわ」と返答があった。
「あなたが悪いわけじゃない。本当に悪いのは私たちと神よ。あなたを憎むのは筋違いも甚だしいのはわかってる。わかってるのよ。でもこの感情はどうしようもない。吐きそうなほどの激情が私の中で渦巻いているのは確か。そして、はけ口にあなたはちょうどいいの」
胸を押さえて彼女は言った。
「それでも、あなたに残ってもらいたい理由がある。あなたが喰われなかったのには、何か意味があるのだと私は思ってるから」
「意味? 気まぐれな蛇の飯の好き嫌いに意味なんてあるのか?」
「あるわ。それさえ分かれば、私たちは生贄を出さなくても喰われずにすむかもしれない。父の死も無駄には出来ない。してはならないのよ」
気丈な女だ。今さっき身内を亡くしたのに、冷静に事態を処理しようとしている。それとも、何かしていないと悲しすぎて壊れてしまうのがわかっているからだろうか。忙殺されるほど仕事があるというのも、それはそれで幸せなのかもしれない。
「だから、あなたにはどうしても生きていてもらうわ。死ぬことなんて許さない。最低でもそれがわかるまでは。それさえわかれば、願いどおり、私があなたを殺してあげるわ」
彼女は村人たちの元へ戻ろうと踵を返す。一歩、二歩と言ったところでその歩を止めた。
「ああ、そうだ。言い忘れてたけど」
半身だけこちらを振り返った。
「ありがとう。気遣ってくれて」
「何のことだ」
「皆に言ってくれたじゃない、一番つらいのは私なのにって。皮肉なものね。父を亡くした私のことを気にしてくれたのが、あなただけだったなんて」
ああ、と思いだす。彼らに食ってかかった時のことを言ってるのか。
「気にすることじゃない。言ったはずだ。僕は言いたいことを言うだけだと。あんたに気を使ったわけじゃない」
「それでもよ。臆病で、意地汚くて、それを隠そうとみんなに威張り散らして、とても良い父とは言えなかったし、皆にとっても良い長じゃなかった。でもたった一人の父だった。正直なところ、泣きたいのはこっちだって言ってやりたかった」
「叫べばよかったじゃないか。こういう時にしっかりしない男に価値などない。あんたが頼ればみんな助けてくれたんじゃないか?」
そういうとクシナダは微笑んだ。初めて笑顔を見た気がする。年相応のあどけない笑顔だ。
「今度からそうするわ」
視線を前に戻し、今度こそ彼女は村人たちの元へ戻っていった。
「おい」
ドスのきいた声が背後から聞こえた。振り返ると、不機嫌そうな顔でダイコクが立っていた。その後ろには怯えた少女とうつむいたままの少年と、彼女らを気遣うおっさんがいた。さすがのおっさんも、目の前で泣く女、子どもは放っておけなかったようだ。大人の良識が残っていたのだなと感心した。無事だったのはこの三人か。死にたいはずの人間が生き残るなんて笑える。意外と、世の中そういうものなのかもしれない。
「さっさと来い。お前もこっちだ」
ダイコクが先を歩きだす。
「クシナダが止めなきゃ、俺がこいつをぶち殺してやるのに」
ぶつぶつと物騒なことを言いながらきちんと案内してくれる辺り、意外に良いやつなのかもしれない。そんなことを考えながら、再び僕らは呼び出された広間に案内された。昨日とは打って変わって外枠は外されていた。
「ここで待ってろ」
と言ってダイコクは僕たちを部屋に押し込み、去っていった。今度は戸が閉められることはなかった。出て行きたければ好きにしろということらしい。
さて、これからどうするかな。クシナダの義理もある。僕はとりあえずこの事態に付き合ってみるつもりだ。彼女は僕の何かがオロチに嫌悪感を抱かせたのだと推測していた。それを自分なりに考えてみる。あれをどうにかするのが、苦痛のない、後処理も万全な死への一番の近道だ。
まずは自分の体を見回してみる。ただの黒いシャツにジーンズ、スニーカーだ。
「そういや、デニムの藍色は蛇が嫌うんだったか?」
昔そんな話を聞いた覚えがある。ガラガラヘビに噛まれないために、蛇が嫌う染料でデニムを染めたところ、たまたま藍色になったとか何とか。喰われたメンバーは素っ裸か、この世界の民族衣装みたいな簡素な着物に着替えさせられていた。何か関係あるかもしれない。
「あの、大丈夫だったかい?」
おっさんが俺に声をかけてきた。
「大きな蛇にやられていたけれど」
「ああ。問題ない。残念なことにな」
おどけてそう言う。おっさんは苦笑した。僕もおっさんと同じく自殺志願者だ。無事を喜び合うってのもおかしな話だ。
僕は視線を蹲る二人に向けた。少年は鼻をすすってはいるものの泣きやんでいて落ち着いており、女はその子どもをあやすだけの気力は回復していた。
「落ち着いたか?」
声をかけるとまず女の方が振り向いた。
「はい」
こくりと頷く。力のない返事だったが、話せる状態なのは僥倖だ。
「あんた、名前は?」
当たり障りのないところから尋ねる。
「桐谷、月世です」
オドオドしながら答えた。振り向いた彼女を見て、僕は彼女の印象を改めざるを得なかった。あの薄暗い部屋では良くわからなかったが、日の光のあたる明るい場所で見ると、癖のある髪の隙間からのぞく顔はえらく整っている。垂れ気味の目は愛嬌があり、少し厚めのふっくらした唇は見るからに柔らかそうだ。チノパンに無地のTシャツという大人しい服装は起伏に富んだ我が侭なボディラインを浮かび上がらせ、スタイルの良さを強調している。なぜ昨日、彼女に地味などという評価をつけたのかさっぱり理解できない。
年は、高校生か大学生くらいだろうか。一番ファッションにこだわる時期だろうに、どうしてだろう? 彼女もどうせ死ぬから、ということで適当な服装になったのだろうか。いや、だからこそ一張羅を着るんじゃいないだろうか。唯一の洒落っ気は耳のピアスくらいだ。銀細工だろうか、えらく凝ったつくりだ。
ふと、ずっと気になっていたことを思い出す。僕は死ぬために来たが、他の人たちはどうなんだろうか。
「一つきいてもいい?」
「な、何でしょう?」
「あんたをここに連れてきたのは、神を名乗る奴? パーカーにジーンズの、多分女」
「えっと、はい。そうです。顔までは分からなかったけど」
「どうしてこっちに来ようと思ったの?」
そう尋ねると、質問の意図がわからないのか、桐谷は首を捻った。
「どういう、意味でしょう。皆さん同じ理由でここに来たのではないんですか?」
僕は自分がどういう経緯で神に連れてきてもらったかを伝えた。
「そんな、あなたは、死ぬためにここに来たんですか?」
事情を聴き終えた桐谷が呻くように言った。
「そうだ。だから、蛇に食われそうになっても諦めはついた。でも、その話を聞く限りあんたやそいつ、喰われた四人はそうでもなさそうだ。死ぬために来た人間があんな飲み食いして騒ぐわけがない。悲観さも全くなかったからな」
ならば一体何なのか。
「あんた、この部屋で別れた後はその少年と婦人と未亡人と一緒にいたのか?」
「あ、はい。皆さん男性陣がいた部屋の隣、だと思います。騒ぎ声が聞こえてたので。そこで食事を頂きました」
「他の人の様子はどうだった?」
「この子は少し食事をした後、眠くなったのかその場で寝てしまいました。寝室に連れていく、と言ってお食事を運んでいた女性が二人がかりで抱きかかえて運んで行くのを見た後は分かりません。あのおばさんは、料理の味付けが悪いとかいろいろ文句をここの女性たちにぶつけてました。あの奥さんは、その、すごく素敵な男性に誘われて、嬉しそうに連れられてそのままどこかに・・・」
桐谷が口をつぐんだ。だが言いたいことはわかる。なるほど、女性陣の方でも同じようなことがあったようだ。
「私も眠くなってきたので部屋を出て、あてがわれた寝室に向かいました。だからその後についてはわかりません」
「話とかはした? 誰でもいい。死んだ連中なら誰でも」
「いえ、全然。色々あって疲れてましたから、誰かと話す気力もありませんでした」
異世界に飛ばされたというのは結構な出来事だ。疲れもする。となると、死んでしまった人間の事情は永遠に分からないまま、ということになった。
「あ」
ふとおっさんが何かを思い出したかのように呟く。僕たちの視線がおっさんに向いた。
「いや、どこかで見たと思ったんだけど、思い出したよ」
「何を?」
「あの死んだおばさんのことさ。頭取だよ。銀行の。テレビと、後個人的に見かけたことがある」
おっさんが個人的に、と言った時に顔をくしゃりと歪めて笑った。その個人的な部分はどうもおっさんの嫌な過去のようだ。
「そういえば」
おっさんに続いて、桐谷が口を開いた。
「あの怖そうな人と、ホストっぽい人も、テレビで見た気がする」
「本当か? どういう内容で?」
「確か、ニュースです。うん。思い出した。あのホストっぽい人、詐欺だか何かで。それに、あの怖い人も何かの事件、麻薬密売だったような気がしますが、それで容疑者として指名手配されてました」
「そうそう。頭取の方も、賄賂だか何だかは忘れてしまったが取引法違反の容疑が掛かっていたはずだ。本人は否定していたけどね。あの女性も、旦那を殺害したとかでニュースになってたんじゃないかな。保険金目当てで。心神喪失が認められて無罪になったって、一時凄い騒いだことあったけど、その時の容疑者に良く似てる」
偶然だろうか。死んだ四人が種類は違えど犯罪者、容疑者として報道されている。
「で、最初の質問に戻るが、あんたはどうしてこの世界に来た? 神に何て言われた?」
「私は…」
途端、桐谷の口が重くなった。よほど言いにくい、言いたくないことらしい。そこまで言い渋るのを、無理に訊くことはない。ので、おっさんの方に水を向けてみた。
「あんたはどうだ?」
「私かい?」
おっさんは自分を指差して唇をゆがめた。
「良ければ教えてくれないか。どうせ時間があるし、暇だ。自己紹介交じりにどうだろうか。いつまでもあんたとかおっさんとか呼ぶのも失礼だろ?」
「あんたはともかく、おっさん、とは呼ばれてないんじゃないかな。まあ間違いなくおっさんではあるんだけど」
そうか、おっさんと呼んでいたのは心の中の便宜上か。
「では、自己紹介なるものをさせていただこうか」
咳払いをして、おっさんは語りだした。
「私は山里幸彦。今年丁度四十だ。以前は金属加工とかを請け負う小さな工場を経営してたんだが、この不況で仕事が無くなってね。潰れたんだ。借金の形に工場は取られ、妻とも離婚、無一文の宿なしになってしまった。再就職先も決まらず、もう死ぬしかないなと途方に暮れていた時に神にあった」
やはりおっさん、いや、山里も出会っていたのか。
「神は、私に命をくれるなら、残された家族の生活を援助しようと申し出た。それだけの価値が私の死にはあると。非合法、犯罪に関わることかもと疑ったのだが、私が妻や子にしてやれることはもうない。今更命は惜しくはないので、その話に乗った。後は君たちと同じだ」
蛇の生贄にされるとは思ってもみなかったけど、と締めくくり、どうぞ、と手で僕を促した。
「さっき話した通り、僕も、山里さんと同じ自殺志願者だ。ただ、僕にはもう家族はいない。唯一の家族である姉は四年前に死んだ。下手に自殺すると周りの人に迷惑がかかる、かといってこれ以上生きていても仕方ないと思っていた時に自称・神に会った。苦しまずに死を与え、墓も用意されて後処理もばっちりという話だったんだが、どういうわけか怪我だらけでまだ生きてる」
「…あの、あなたの名前は?」
桐谷が気付いた。意図的に僕は話さないようにしてたのだが。気にしすぎと言えばそうだし、それが何? と、誰も気にはしないとも思うのだけど。この世界の、これだけのパーツが揃っている状況で、あまりに僕の名前はピッタリ過ぎた。
「タケルだ」
わざと下の名前だけを出した。不思議に思われるかと思ったが
「良い名前じゃないか」
「そりゃどうも」
山里が僕の名前を褒めた。それ以降、追及される様子はないのでほっとした。
命名者は姉さんだ。
『生まれてすぐの貴方を見たときにふっと頭に浮かんだの。この子はタケルだって。ドラマか何かで聞いて、カッコいい俳優さんの名前だったかな。きっと貴方も男前になると思って。それに調べてみたらとってもいい意味をもつ名前なの。その名の通り、みんなに感謝されるような、カッコよくて尊い人になってね』
子どもの頃に、眠る前のお話代わりにきかされてきたけれど、残念ながら姉さんの願いは叶わない。それだけが悔いと言えば悔いだ。
「結局、感謝されることなんてなかったしな」
口に出して自嘲して、悔いを和らげようとしてみた。それで和らぐわけはなく、逆に幸せだったころの記憶が蘇り始末に負えなくなる。
「あなたも、山里さんも、あっちの世界に未練はないんですね」
「も、ってことは、桐谷さんも?」
尋ねると、弱々しく彼女は頷いた。死にたい、とは少し違いますが、と前置きして
「私は、逃げてきたんです。あちらの世界から」
「逃げる? 何から」
少し口籠った後、重々しく桐谷は口を開いた。
「自分の罪からです。私は、この手で父を殺しました」
桐谷はじっと自身の両手を見つめた。その手にまだ感触や、血の跡や、その時の情景が残っているかのようだ。
「父は、ひどい人でした。何かと暴力を振るう典型的な駄目親父です。母は気付いた時にはもういませんでした。死んだのか、父の暴力に耐えかねて出て行ったのか、それすらもわかりません」
「それは…学校や、他の親戚とかに頼ることはできなかったのかい?」
山里のもっともな質問に桐谷は首を振った。
「頼ったこともありました。ですが、父は言葉巧みに先生や親せき連中を納得させ、私を連れ帰りました。一流企業に勤め、社会的信用もある人でしたから、誰もが被害者である私よりも父を信じました。父も世間を納得させる言葉や態度を知っていました。高校まで通わせてくれたのもその一環でしょう。帰った家で待っていたのは反省した父ではなく、更に酷い虐待でした。次は殺すと包丁を突き付けられて以降、私は人に頼るのを止めました。もう自分の人生は終わりだと、諦めて生きていました。
ある日のことです。学校から家に帰ってきた私が着替えていると、突然部屋に父が入ってきました」
桐谷はぶるりと体を震わせ、両手で自分の体を抱きしめた。
「自分で言うのもなんですが、高校入学ごろから、体が急に成長し始めました。そんな私の体を舐めるように見つめ、突然飛びかかってきたんです。性の知識はありましたので、これから何をされるかわかりました。必死に抵抗して、逃げて、気づけば父は血だまりの中で倒れ、私の手には包丁がありました。いつかの、私を脅した包丁でした」
彼女を脅した包丁が自分の命を奪うとはまさか思わなかっただろうな。もちろん同情する気はさらさらない。
「最初に心に浮かんだのは、後悔でも罪悪感でもなく、安堵でした。悲しいどころか、嬉しくすらあったんです。襲われて初めて、反抗心が生まれました。この人の好きにさせてたまるかって、こんなの嫌だって、私の中にこんな強い感情があったことが嬉しかったんです」
うつむく桐谷。誰も声をかけられなかった。彼女を非難することは簡単だ。僕たちの世界のルールを破ったのだから。だが、一概にそれが正しいとは僕は思わない。ルールの網を潜り抜けてあくどいことをする人間を僕はよく知っている。
「捕まりたくなかった。せっかく自由になれたのに、これからやっと普通に生きていけると思ったのに、私の人生は終わったも同然だなんて、それも自分を虐げてきた人間のせいでなんて耐えられなかった。どこでもいいから逃げたかった。そこに、神様が現れたんです。どんな犠牲を払っても、ここから逃げたいのかって。あの場所よりひどい場所なんて無いと思ったから、私は逃げることを選択し、ここに来ました」
飛び込んだ先は蛇の餌場だったわけか。何とも報われない話だ。しかしあの神は蛇以上に残酷な奴だ。精神の不安定な人間を騙すなんて、詐欺もいいところだ。連れて行くなら、桐谷の父親を連れていけばよかったのだ。その方がよほどためになるだろうに。神が僕たちを選んだ基準がわからなくなってきた。
桐谷の話が終ったところで、僕たちの視線が子どもに集中した。
「名前、言えるか?」
尋ねると、やや時間があって「斑鳩スクナ。十三、中学二年」と返答があった。
「斑鳩君、は、何かそういうのあったかい? 逃げたいとか、死にたいとか」
山里が穏やかに尋ねる。斑鳩は記憶を探るように宙を見つめ、そして、狂ったように笑い出した。
「逃げたいと思ったこと? 死にたいと思ったこと? あったよ。たくさんあった。これまで腐るほど大量に。来る日も来る日も机に向かって勉強テスト勉強の毎日だ。学校へ行けば敵しかいない。敵意と嫌悪感丸出しの連中はまだ可愛げがあったよ。笑顔の裏で人を蹴落とす算段をしている奴らよりも数倍な。先生はテストの点数で人格を評価して、低い人間は人権がないように扱われる。病院に送られた人間、自殺未遂の人間が出ることなんて当たり前、しかも、みんな嬉しそうにするんだ。ライバルが減ったからって、枠空いたからって。地獄だったよ。逃げたくなるのは当たり前じゃないか!」
頭をかきむしり、斑鳩少年はうずくまった。
「なんだよ、俺が何したんだよ。どうしていつもいつも俺ばっかりがこんな目に遭うんだよ。化け物に襲われるなんて聞いてねえよ」
くぐもった嗚咽が広間に響く。桐谷と山里があわてて彼の背を撫でて落ち着かせようとしていた。そのそばで、僕は考えていた。中学二年、ということは、その狂った場所で一年過ごしてるということだ。一年間は何もなくて、二年目で何かあったと考えるのが普通だろう。もしかしたら、彼自身がいじめでもうけていたか、はたまたその逆で、被害者を出したか。
まあいいさ。詮索する気も必要性もない。欲しい情報は集まった。
しばらくして、ダイコクたちが料理を運んできてくれた。おにぎりが二つに水という、昨日のごちそうとは比べることもできないほど質素な料理だったが、目にした途端腹が鳴った。そう言えば起きてから何も口にしていないことに気づく。不思議なもんだ。どうしたって腹は減る。死人みたいな男でも、目を開いて息をしている分には喰いたい、という本能が働く。むさぼるようにしておにぎりにかぶりつき、竹筒に入っていた水をがぶ飲みした。桐谷と山里も食欲は何とかあるようだ。斑鳩も、桐谷に励まされるように食事をゆっくりとではあるが取っている。
食事、と言っても十分程度の時間ではあった。終わると同時にタイミング良くクシナダが一人で現れた。桐谷が斑鳩をかばうよう抱きかかえて後ずさる。確かに、自身がされたことを考えれば怯えもする。
部屋に入ったクシナダは、その場に土下座し頭を深々と下げた。その姿に桐谷も山里も目をまん丸にしている。
「許されるとは思っていません。ですが一言、謝らせてください」
申し訳ありません、とクシナダ。
「それは、もういいんです。私も自分が生きるために、人一人殺してますから」
「誰かを攻める権利などありません」と自嘲気味に桐谷が言った。
「私も、どうせ死ぬつもりだった。怖かったは怖かったが、なに、妻と子どもに恨まれるより恐ろしいものなどありはしない」
山里が笑った。俺も似たようなものだと伝えておく。クシナダは無言で、深く深く頭を下げた。震えているのは、泣いているからだろうか。しばらくそうしていた後、鼻をすすってクシナダが顔をあげた。
「私がここに来たのは、あなた方の今後を確認するためです」
「確認? 一週間後の蛇の餌にする気なんじゃ」
桐谷の疑問はもっともだ。嫌がったのは僕だけなのだから、自分や斑鳩、山里にはまだ餌の役目は果たせるはずだ。その質問にクシナダは首を横に振った。
「いえ、もう人身御供は行いません。先ほどの集まりで、この村を棄て、新天地へ向かうことが決まりました。今回の件で、気まぐれでいつ滅ぼされるかと怯えるよりも、一か八か新たな土地を目指す方が良いと。ですので、あなた方を生贄にすることはもうありません」
それを聞いて、桐谷はほっとした様に緊張を緩めた。
「それで、私たちの今後を確認と言うと、どういうことかな」
今度は山里が尋ねた。
「はい。私たちと共に行くか、別れるかを確認したいのです」
クシナダが僕たちの顔を見渡す。
「先ほどもお伝えしましたように、私たちはここから新天地を目指しますが、あなた方はどうされるのかと」
どうするもこうするも、ノープラン極まりない状態なんだが。
「…もしかして、元の世界に戻られたりはしませんか?」
思案のために黙っていたら、期待するかのようにクシナダが訊いてきた。
「もしそうなのであれば、厚かましいのは重々承知でお願いします。村人も一緒に連れて行ってください。全員が無理なら、せめて子どもたちだけでも」
お願いします。とクシナダは床に擦りつけんばかりに頭を下げた。山里も桐谷も気まずそうに顔を見合わせた。自分たちを騙したことは腹立たしいが、それも全て村人全員の命がかかっていたためだと訊かされると怒るに怒れない。それほど必死だったのだ。血を吐くような思いを込めた願いが叶わないとわかっているから、二人とも返事が出来なかった。
「何て言われようが無理なんだよ」
だから僕がはっきりと言った。
「僕たちだって、どうやってここに来たのかわかってないんだ。あんただって言ってただろう。僕たちのことを、神に選ばれた人間だって。てっきり知ってるもんだと思ってたよ」
「それは、習慣的にそう呼んでいただけで。私たちはそんな理由があったなんて知らなかった。多分、父も知らなかったと思う」
自分たちを助けるための生贄=神の思し召し、か。なんとも安直だな。
「これまで喰われた人間も、僕たちの世界から連れていかれた口だろう。僕たちのような自殺志願者であったり、元の世界にいたくない理由がある人間が選ばれているみたいだ」
「もしかしたら、あっちの世界でまだ捕まっていない指名手配中の人間は、こっちで死んでいるかもしれないね」
山里が言った。
「神は管理者、とも名乗った。世界の管理をするために、社会を脅かすような犯罪者をこちらに放り込んでいたのかもしれない」
そういえば、と神との会話を思い出す。異界に人を移すのは、古本屋のシステムのようなものだと。世界が不要になった人を神に預け、神がその人を必要な世界へ運ぶ。そのことを皆に話すと、全員の納得を得た。
「そうなると、こっちの世界へは一方通行と考えるしかないですね。あちらの世界からは不要と判断されたのですから」
桐谷が泣き疲れて眠ってしまった斑鳩の頭を撫でた。
「諦めるのは、まだ早いんじゃないかな。あの神様にもう一度会うことが出来れば戻れるかもしれない。他にも何か方法があるかもしれないし。とにかく、生きてれば活路は開けるものだよ」
私が言うのもなんだけど、と山里は苦笑した。
「こんなわけで、むしろ僕たちの方がどうすればいいか思い悩んでいるくらいだ」
「そう、なのですか・・・」
クシナダが大きく肩を落とす。しかしすぐさま彼女は首を振り、顔をあげた。頭を切り替えたようだ。いつまでも落ち込んでいる時間はないと理解していた。
「わかりました。では、改めてお聞きします。あなた方はこれからどうなさいますか?」
僕たちはお互いに顔を見合わせた。
「言っておくけど、あなたには絶対来てもらうわよ」
クシナダが僕を横目で睨んだ。わかってるよ、と苦笑しながら言葉を返す。
「私、ついていきます」
桐谷が言った。
「まだ死にたくない、このままでは死ぬに死ねないんです。父親を殺してまで得たものが化け物の食糧だなんて認められません」
「じゃあ、私ももう少しお供させてくれ」
挙手しながら言ったのは山里だ。
「ここであったのも多生の縁だ。子どもを放ったまま自分だけが楽になる、なんてのは大人として少しカッコ悪いしね」
優しい目で眠る斑鳩を見つめる。彼も子どものいる身だ。それを思い出したのかもしれない。
「では、全員私たちと共に来る、ということでよろしいですね」
クシナダが見渡した。斑鳩の意見は聞いてないが、多分一緒に行くというだろう。
「では早速作業を手伝ってください。時間があまりありませんので」
斑鳩に毛布をかぶせて寝かせておき、僕たちは彼女に連れられて外に出た。
外では、すでに馬や牛に荷車を取りつけて、荷物を載せている村人たちがいた。外に出てきた俺たちに気付いた村人たちは、一度敵意の籠った目を向けた後、ふいと視線を逸らし、こちらの存在を完全に無いものとして作業に戻った。
「あまり歓迎されてないようだね」
山里が言った。当然だろうな。俺たちが一緒に行くということは、それだけ食料が減るということだ。それにきっと、自分たちがこんな目に合っているのは僕たちのせいだ、なのになぜこいつらの世話までしなければならないんだ、とか考えているんだろう。被害者意識の強いことだ。彼らの中では、僕たちは喰われるのが当たり前になってしまっていた。当たり前になりすぎて人が喰われることに疑問を持ってないんだ。凝り固まった常識は時に人を殺す。この世界でも同じなようだ。
「気にしないで、というのも無理だけど、もう危害を加えるようなことはしないわ。私がさせない」
だといいけど。口には出さない程度にはわきまえている。
「何か言いたいことでもあるの?」
どうやら態度には出ていたようだ。気を付けよう。
それから僕たちは、クシナダの指示に従って作業場へ分かれていく。僕と山里は積み荷を荷車に乗せたりする力仕事。桐谷はクシナダと一緒に荷造りに行った。
「チッ。てめえも来んのか」
僕たちの作業場の責任者はダイコクだった。会うなり舌打ちとは嫌われたものだ。それでもダイコクは、渋々といったようだったけれど僕たちに指示を出す。
「てめえは俺と一緒に来い。そこの親父は、ここでこいつらと一緒に必要な道具や食料をかき集めて荷車に乗せてろ。おら、やること決まったらさっさと動くぞ。後ろから押せ」
ダイコクが指差した先には空の荷車。あれで、ほかの場所へ行って荷物を乗せに行くらしい。僕は言われた通り、荷車の後ろに回り、ダイコクは前の取っ手の部分を持ち上げる。
「おい」
道すがら、ダイコクが声をかけてきた。
「何?」
「お前・・・」
と言ったきり、黙りこくってしまう。
「なんだよ。はっきり言えよ。まだ殴り足りないとか?」
「違え! いや、ぶん殴ってやりたいのは間違いねえが、そうじゃなくてだな。その、お前に、聞きたいことがある・・・」
「だから、それは何だよ」
それでもなかなか口を開こうとしないから、もうなかったものとして僕は荷車を押し続けた。
「お前、クシナダと寝てないって本当か?」
目的の家の前に到着して積まれた家財道具を積みこんでいるときだ。何のことかさっぱりわからなかったが、これがさっき言いたかったことかと思い当たる。
「何を言いにくそうにしてると思ったらそんなこと?」
「そんなことじゃない! 俺にとっては大事なんだよ・・・」
まあ気になるのも当然か。許嫁のことなんだからな。
「安心しろよ。僕は何もしてない」
押し倒しそうになったことはこの際黙っておく。わざわざ言う必要はない。
「本当か?」
「本当だよ。彼女には何もしてない」
これで安心したか、と思いきや
「お前、馬鹿なのか? あのクシナダを見て何もしないって、もう女に興味がないとしか思えない」
呆れたようにダイコクが言った。一体どうしてほしかったんだか。とりあえずお前は僕に謝罪の一つもあるべきだ。
「僕からも聞いていいか?」
「そうか、何もなかったかそうかそうか」と嬉しそうに、今にも鼻歌を歌いだしそうな雰囲気のダイコクに声をかけた。
「ん? なんだ?」
上機嫌がそうさせたか、あれほど嫌っていた僕の質問にもきちんと対応してくれるようだ。
「これまで行ってきた儀式では、全員着替えてたか?」
「え?」
「服だよ。これまで儀式のときは、全員服を着替えていたか?」
一つずつ、懸念を消していく。理由を探していく。
「ああ、喰われた連中が着てたやつのこと、か?」
眉を寄せて、ダイコクが首をひねる。
「全員着替えていたか、と言われたら違うときもあった、と思う。よく覚えてないがな」
「なら、来た時の服装のまま喰われたやつもいるかもしれないってことか」
やはり、服装は関係なさそうか・・・。
「あの服を着てた人間以外は、全員裸だった。まあ、乱痴気騒ぎの後だからな。だから、来た時の服を着ていたまんまの奴は、いなかったんじゃあ、ないか」
ふむ。一考の価値あり、かな。
「着替えさせるか、素っ裸にさせとく、みたいな習慣みたいなものはあった。確か、先代の、そうそう、クシナダの爺様が言ってたと思う。神からそういう要望があったみたいな話を、自分も先祖から聞いたとか」
神の指示、ね。人間が食材の皮をはぎ、骨を抜くようなものだろうか?
「それが、どうかしたのか?」
「いや、ちょっとあんたの許嫁に頼まれてな」
「クシナダが? なんだよそれ。聞いてねえぞ」
語気を強めてダイコクがにじり寄ってきた。好きな相手のことを知っていたいというのは恋する人間の性だろうが、絡まれるこっちとしては面倒なことこの上ない。男の嫉妬は厄介というのは本当のようだ。映画のようなフィクションだけかと思っていた。苦笑いを浮かべながら仔細を伝える。
「僕が喰われなかったのには、何か理由があるんじゃないか、と、彼女は考えている。そこで、喰われなかった僕とこれまでの人間との違いを調べてほしいと言われた」
「なんだ、そういうことかよ」
何が安心キーワードになったのか知らないが、ダイコクはホッと息をついた。そして、がぜん協力的になった。ここで手柄を立てれば、彼女の評価もグンと高まるに違いない、とか考えたのだろう。
「詳しく聞かせろ。で、何かわかったら俺にすぐ伝えるんだ」
「構わないが、条件がある」
「なんだ」
「僕はかまわないが、他の三人に手出ししないようにしてくれ。ほかの連中にも伝えろ。あんたが、男連中をまとめてんだろ」
これくらいは、交換条件として出しても許されるはずだ。
「わかった。あいつらには俺からも話をつけておく」
「交渉成立だな」
ダイコクに向かって手を差し出す。その手をダイコクは煩わしいといった風に裏手で弾いた。
「手出しはしねえしさせねえ。お前も含めてな。が、俺はお前が嫌いだ。仲良くしようなんてこれっぽっちも思ってない。勘違いすんな」
「そりゃ残念」
弾かれた手を振りながら、僕は作業についた。
黙々と荷台に荷物を乗せては運ぶという重労働をこなし、ある程度の民家を回り終えたころ。あたりが急速に暗くなっていくのを五感で感じながら、僕は山里に手伝ってもらいながら、棚卸のようなことを松明の灯りを頼りに行っていた。現在のたくわえがどの程度あるか在庫チェックだ。僕が品物を数え、山里がそれをかき取っていく。僕たちがこの作業をしている理由は、たまたま僕がノートと万年筆を僕が持っていただけだ。姉さんのノートを開くのは少し抵抗があったが、後ろの白紙のページから使っていくことに決めた。それなら、懐かしい文字を見ることはない、が、それでも開くことに抵抗を覚えたため、書くのを代わりにやってもらっていた。
少し騒がしくなったのは、荷台のチェックをほぼ終えたころだ。首をめぐらせると、村の中央広場、僕たちが貼り付けられた生贄台を設置していたあたりに人が集まっている。山里と視線を交わし、互いに首をひねる。見に行ってみようということになった。
「それは本当なの?」
近づく僕に届いたのはクシナダの困惑した声だ。彼女の前には三人の男、そして村人たちがその周りを取り巻いている。
「よお、どうしたんだい?」
気軽に声をかける。
「私には、君が自殺を考えているような悲観的な人間には到底見えないよ」
と後ろで山里が苦笑した。
村人たちが初めて僕たちに気付いたようにこちらを振り向く。敵意は相変わらずだが、すぐに食って掛かられないところを見ると、どうやら僕らに対する感情を上回る何かがあるらしい。村人たちはすぐに視線をクシナダと男たちに戻した。その視線を受けて、男たちは答えを求められる。
「本当です。何度も試しましたけど、ある程度森に入ると同じ場所に戻されます」
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