最終話


「…………おい、つまり何か? 俺がもし何もせずに、あの日記を最後のページまで使い切っていたら、その呪いとやらを受けて、俺は一生本音しか喋れない事態になっていた、と?」

「そうそう。いやぁ、回避できて良かったな。結果オーライ」

「ふざけんな、このオカルト親父!」


 自室で出かける身支度を進めながら、司郎は片耳にスマホを当て、画面越しに噛み付いた。


 つい数分程前に、突如かかってきた征一郎からの電話。


 そこでようやく明かされた『ホンネ日記』の全貌に、司郎は肝が冷えた。

 そんな危ない綱渡りをしていたのかと思うと、今さらながらじっとりした汗が流れる。


「だからこうして、呪いを回避する方法を教えようと、思い出して電話したんだ。まぁ、自力でやってのけたみたいだがな。拍子抜けするほど簡単だろ? 日記の更新を止めるには、『表紙の名前を消すだけ』って」


 「けど簡単すぎて、案外思い付かないんだよな」と、のんびり話す征一郎は気楽なものだ。

 下手したら、息子が本音しか喋れない愚か者になりかけていたというのに。


 それどころか、スマホからは耐え切れないといったような、忍び笑いまで聞こえてくる。


「でもこの方法で、呪いを避けた人間は他に居たとしても、お前くらいだろうな。そのあとに自分の名前を書いて、自分の心の内を、自分から相手に晒すような真似したの。いや、傑作だ」

「笑うな。クソ、わざわざ報告するんじゃなかった……っ」

「もっと賢い使い方なんて、いくらでもあるだろうに。しかも相手が立華ちゃんとか。司郎、お前って結構な馬鹿だったんだな」

「実の息子を馬鹿呼ばわりかよ」

「やーい、バーカバーカ。俺の息子バーカ」

「からかうな!」


 茶目っ気がありすぎるこの親父を、誰かどうにかしてくれと、司郎は脱力した。

 仕事の休憩中にかけてきたらしい征一郎の、笑い声はまだまだ止まらない。


「立華ちゃんの方もやるよな。司郎の名前を消して、日記なんて必要ないって突き返してきたんだろ」


 ――――そう。

 司郎が見舞いに行き、人生最大の黒歴史を産み出したあの日。


 それから一週間ほど経過したが、その日以来、日記の更新はすっかり無くなり、今では静かに司郎の机の引き出しの奥で眠っている。

 まだ白紙のページは残っているが、勿体無いとは微塵も思わなかった。もう二度と、あの日記を司郎が開くことはないだろう。


 つーか、触りたくもない。


「なんか色々と滅茶苦茶な使い方したから、どうなるかは不安だったがな……」

「ふむ。俺の予想だと、あの日記にはもう、不思議な力は宿ってないんじゃないかと思うぞ。たぶん、もう一度お前や立華ちゃんの名前を書いても、何の効果も発揮されない。他の人の名前を書いても駄目だろうな」

「……なんでそう思うんだよ」

「物には『役目』ってものがある。あの日記帳は、お前の元でその役目を終えたんだよ」


 そういうものなのだろうか。

 司郎には納得いくような、いかないような理屈だった。


 恐らく電話の向こうで、生暖かい表情をしているであろう父は、そんな息子に柔らかな声で言う。


 ――――だって、本音を自分の口から言い合った二人に、もうホンネ日記なんて要らないだろ、と。


 さらには、「次はもっと面白いオカルトアイテムを、司郎と立華にちゃんにプレゼントするな」と軽い調子でぬかした時点で、司郎は苛立たしげに通話を切ったのだった。





「あ、やっと来ましたか。姉さんが待ちくたびれていますよ、司郎さん」

「あー、出かける直前に、親父から電話がかかってきてな……」


 六月の中頃にしては、青く晴れた心地の良い空の下。

 司郎が車から降りて、大道寺邸のクラシカルな風体の門を抜ければ、玄関前に待機していたのは樹だった。どうも出迎えは彼の仕事らしい。


「それでは、すぐに姉さんを呼んできますね」


 扉の奥に引っ込む樹を見送り、花舞宴のときと同じタキシードを着た司郎は、眩しい日差しにスッと瞳を細めた。


 本日は、司郎の親友である徹の誕生日パーティーが、ホテルのフロアを貸し切って行われる。

 ごたごたがあって忘れかけていたが(徹には「友達甲斐のない奴め!」と拗ねられた)、当然のように司郎は毎年参加している行事だ。

 パーティー自体は、付き合いの深い内輪だけの小規模なもの。それでも徹も名のある花笠家のご子息なので、著名人も多く招待されている。司郎も鷲ノ宮家の者として恥じぬよう、きちんと身形を整えてきた。


 さらに今年は、徹は立華にまで、招待状を送ったらしいのだ。

 「良ければ司郎と一緒に」という、一文を添えて。


 パーティーではダンスタイムもあるらしく、それはもしかしたら、花舞宴で共に踊れなかった司郎と立華への、徹らしい気遣いなのかもしれなかった。

 それを「お節介め」とは思うが、「余計なお世話」とは思わない辺りが、司郎側の気持ちの変化なのだろうか。


 そんなこんなで、司郎はこれからパーティー会場に向うため、婚約者様を迎えに来たわけである。


「15分の遅刻ですよ、司郎様。遅れるのはまだしも、連絡が一つも無いのは如何なものかと思います」


 ガチャリとドアを開けて現れた立華は、開口一番、冷ややかな声と目付きでそう毒を吐いた。


 彼女の方は花舞宴のときとは異なる、フリルとリボンがあしらわれた水色のドレスを身に纏っている。前の色香のある赤いドレス姿より、可愛らしい装いの立華に見惚れる間もなく飛んできたお小言に、司郎は思わず端整な眉を寄せた。


 反射的に言い返しそうになるのを、司郎はグッと言葉を呑み込む。

 非があるのは自分だ。


「遅れて悪い。親父からの電話を切ったあとに、連絡し忘れていた。……次は気を付ける」

「あ……いえ。私もまた、言い方を間違えました。すみません。その、遅れると何かあったのかと心配ですので、早めに報せをくださると助かり、ます」


 爽やかな空気に混じり流れる、微妙な沈黙。

 それに気まずさを感じる前に、司郎はお互いの言動が妙に可笑しくなり、小さく笑いを零した。


 あの日。

 本音を明かしたわりには、まだまだ二人の距離は急接近とはいかず、こんな感じでお互いに歩み寄っている最中だ。

 司郎もなかなかの意地っ張りだが、立華の不器用さも折り紙つきなので、そうトントン拍子にはいかないのである。


 だけど立華の方も、最近はキツイ態度を改めようとする場面も増え、多少雰囲気が丸くなったことで、『氷の女王様が雪解けされた』とか周囲に囁かれているそうだ。

 ……そのせいで、立華のファンとやら(特に男子ファン)が増えたことが、ほんの少し司郎には気に食わなかったりもするのだが。


 そこは司郎も成長して、正式な婚約者としての余裕を見せたいところである。


「それと、あの、司郎様」

「ん?」


 そんなことをぼんやり考えていたら、いつの間にか隣に来ていた立華は、チラチラと司郎の様子を伺い見ていた。

 そして意を決したように、薄桃に色付く唇を開く。


「今日の司郎様も、あの、一段とその……カ」

「カ?」

「カッコいいです……っ!」


 真っ赤な顔で口元を押さえ、それだけ言うと、立華は勢いよく目線を反らした。

 結い上げられた黒髪が、髪飾りと共に忙しなく揺れている。


 刺が抜けてきただけでなく、立華は偶にだがこうやって、ホンネ日記の中で叫んでいた本音を、司郎に対して不意打ちで食らわせてくるようにもなったのだ。


「お、おう。さ、サンキュ」


 ……その度に、盛大に狼狽える司郎にはやはり、大人の余裕はまだ難しいらしい。


「い、行くか」

「はい」


 司郎は青空に視線を逃がしながら、レンガ造りの道を抜けて車へと歩み出した。俺カッコ悪い、そう思いながら。

 その後ろを、立華は俯きがちに着いてくる。


 しかしふと、そこで司郎は思い出した。


 いつかのホンネ日記で、確か立華は『司郎と昔のように手が繋ぎたい』云々と言っていなかっただろうか。

 そして暫しの葛藤の末、司郎は立ち止まり、無造作に背後の立華に手を差し出した。


「司郎様?」


 その意味が分からず、首を傾げる立華だったが、無言で手を出し続ける司郎に、彼女はようやく合点がいったようだ。

 おずおずと、立華は自分の手を司郎の手に重ねる。


 その手首には、赤い華の咲くブレスレットが、光を受けてきちんと存在を主張していた。


「……お前のドレス姿も、良く似合っていると思うぞ」

「!」


 ボソッと司郎がそう呟きを落とせば、触れる指先の温度が少し上がった気がした。

 そして門までの短い距離を、二人は心なしかゆっくりと歩いていく。



 ――――正直過ぎる本音を相手に伝えるのは、やはり容易なことではないが。



 それでも、可愛くない婚約者様が心底嬉しそうに、可愛く笑ってくれるのなら。

 お互いに素直になるのも悪くないなと、そう彼は思うのだった。

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可愛くない婚約者様のホンネ日記 編乃肌 @hada

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