第二話 「金魚」「残暑」「プール」「夕焼け」
九月。
蝉の声は大人しくなったモノの、熱源たる太陽はその猛威を振るうことを自重せず、例年を越える異常な暑さが続いている。
始業式の後、久々に会った友人達と話したり文芸部に顔を出したりしている間に、下校する頃には大分日が傾いていた。
夕焼け空の下、部長に付き合わされて部室の戸締りをした僕、
この暑さだ。多くの運動部は早めに練習を切り上げたようで、既に校庭にはまばらに下校する人の姿しかない。
そんな中、未だにプールからは楽しげな声が聞こえてくる。水泳部がその特権を存分に発揮して涼んでいるのだろう。正直、羨ましい。
よしなしごとを考えながら、校庭を校門へ向かって歩く道すがら、そこに佇む小さな人影に気付く。
横から見ると平面的なスタイル。
小柄な背丈。
頭上に乗った鹿撃帽。
最後の『探偵志望』を主張する記号が決定打。
遠目でもすぐ解る。
あれは金魚鉢のような分厚いグルグル眼鏡の幼馴染、
近所の女子高の制服を着た彼女を、下校する生徒達は珍しそうに見ている。
「おや? あれは君がいつも話題にしている、君のカノジョじゃないのかい?」
隣を歩いていた長身の文芸部部長、
部長に対しては、毎月の課題に絡めて奈子のことを何度か話題にしていたので、その特徴を覚えていたのだろう。まぁ、他の特徴はともかく『鹿撃帽を常用する女子高生』という特徴だけで判別可能だろうとは思うけど。
でも、僕はその言葉をそのまま受け入れることは出来ない。
「カノジョだなんてとんでもない! 幼馴染の腐れ縁ですよ」
本当、冗談じゃない。
あんな奴のこと、別に女としてどうこう思ってはいない。
幼馴染以上の何者でもない。
否定すべきはきちんと否定しないといけない。
誤解は解消されるべきなのだ。
「腐れ縁、ね」
スクエア型の縁なし眼鏡の位置を、レンズの上下を人差し指と親指で挟んでクイッと直しながら、口元にニヤリ、と笑みを浮かべる。
「まぁ、そこはもう少し見守った方が楽しそうだね……」
「見守るも何も、放っておいてください」
「何を言う? 毎月毎月楽しげに彼女……確か奈子君だったか? のことを話すのは君だろう?」
「それも、作家を目指す鍛錬の為です」
「作家を目指す鍛錬、ねぇ……」
部長は、僕の言葉に今一納得していない様子だ。しばしニヤニヤした笑みを浮かべながら僕と奈子を交互に見る。
「まぁ、いいだろう。そうだな、丁度今月の課題を出したところだし、また面白い話を期待しているよ……」
言って、いきなり姿勢を低くする。そして、
「じゃぁ、ボクはお邪魔だろうから、お先に立ち去るよ」
言うなり、サラサラの長い黒髪を靡かせながら、クラウチングスタートで走り去ってしまった。
その行動は文学少女とは程遠いが、あれで幾つかの文学賞で最終選考まで残ったこともあり、その筋では受賞間近と目される実力を持つのだから、ままならない。
いや、それだけ本人が個性的というのは強みになるのか? 作家志望の僕としては複雑なものがある。
まぁ、奈子の相手をするのに第三者が居ても混乱するだけだ。部長の気遣いを有難く受け取っておこう。
「で、奈子、なんの用だ?」
僕は校門にたどり着くと、開口一番、そう問うた。
「え? ジェダイ・マスターがどうかしたの?」
「誰も『スターウォーズ』の話はしていない!」
「
「『師弟無い』じゃない!」
「Fate?」
「stay night でもない!」
「ところでヨーダってなんか妖怪っぽいよね!」
「唐突だな。でも、まぁ、確かにあの見た目は妖怪っぽいとも言えるな」
「それで何か用かい? と問われたら、一緒に帰ろ! って応えるよ」
「戻ってきた!」
最初からそう言え、とは思うが言っても詮無きことなので何も言わない。
「それで、一緒に帰ってくれるの?」
なんだかちょっと殊勝な、瓶底眼鏡の奥の瞳を上目遣いにしての問いに、
「まぁ、どうせ家は近所だし、断る理由も無いな」
と返すと、妙に嬉しそうに僕の隣に並んでくる。
そうして二人、歩き出す。
どうも、周囲の注目を集めているように感じるが、僕は別に気にしない。
何せ、僕の幼馴染は近所では有数のお嬢様学校に通っていたりする。
それだけでも注目を集めるのに、その制服に鹿撃帽のミスマッチ。
そりゃ、注目されるというものだ。
ただ、ヒューヒュー言う野次はよく解らない。
まぁ、気にしても仕方ないだろう。
何事も無かったように、奈子と並んで学校から離れる。
改めて、注目を集めていた奈子の姿を見る。
シンプルなグレーのセーラー服は清楚さを醸し出す。
ついでに、その慎ましい胸元もまた、上品といえば上品だろう。
ただ、その頭には鹿撃帽。
お嬢様学校だと服装にうるさそうなものだが、熱中症対策で帽子の着用はむしろ推奨されるからと教師を言い包めて、合法的というか合校則的に、着用を認められているということだ。
この調子だと、寒くなれば学校指定のコートの上からインバネスコートを着用することだろう。そんな姿が今から目に浮かぶ。
だが、残暑厳しい今、それは想像だけでも暑苦しい。
そんな訳で、今の心情をなんとはなしに冗談交じりに口にする。
「今年の残暑はなんて厳しいんざんしょ」
「うん、残照は眩しくて厳しいね」
確かに、丁度西に向かっていた僕達の前に広がる夕焼けの残照は眩しかった。
「『残照』じゃなくて残暑」
「鰻丼に振り掛けると美味しいよね」
「それは山椒」
「焼肉に巻いて食べると美味しいよね」
「それはサンチュ」
「はぁ、それにしてもこの残暑は焼肉のように焼ける暑さね」
言って、額の汗をハンカチでぬぐう。
「……話が戻ってるというか間が余計だ。相変わらず、会話を成立させるのが面倒だな」
「うん、あたしは面倒な子、だからね」
嬉しそうに、答える。全く、相手をするのが面倒だ。
「それで、今月の課題は何かな?」
しばらくして、彼女はそう切り出してきた。
「ああ、それか……」
なるほど。文芸部の今月の課題か。
今までは僕が呼び出して彼女の突拍子もない解釈を聞かせて貰っていたけれど、呼び出しに応じるよりは学校の帰り道で話した方が効率的だろう。
そう、僕は彼女の行動理由に納得する。
「それなら、これだ」
言って、僕はスマホに表示したメールを示す。今日、部長とは直接部活で会ったが、基本、課題は月替わりの深夜にメールで届くのが通例だった。
「金魚」「残暑」「プール」「夕焼け」
示したメールには、この四つの単語が並ぶ。
因みに僕は『残暑厳しい中で涼を感じるために学校のプールを使って大々的な金魚すくいを行っていたら日が暮れてきて夕焼けに照らされた水面が迷彩になって更にハードルが上がってしまい最後はポイを使わずみんな手づかみになって収拾が付かなくなってしまう御華詩』とかを考えている。
さて、今月の奈子の回答やいかに?
「プールだけ仲間はずれね!」
「??? なんだ、それ?」
いきなり意味不明なことを言い出すものだから、思わず問い返す。
「この並びだと、そういう推理クイズも考えられるよ」
「推理クイズ?」
微妙に『探偵志望』に絡めている、ということか。
「うん。そういう方向性もアリだと思うよ」
「まぁ、何かしら話に繋がるならいいけど、何でプールが仲間はずれになるんだ?」
「自分で考えずに、すぐに答えを聞くなんて『ルトニ』というより『ゆとり』だね!」
「『ルトニ』もお前が勝手に僕につけた愛称だし、そもそも僕が『ルトニ』なのは円周率に対するゆとり的要素も入ってるだろうが」
「『およそ3』にまで合わせたら世捨てで人並と区別が付かなくなって『ルトニ』に限定できないよ?」
「ルトニの由来の話はいいから、仲間はずれの理由は?」
「……ワトスン役は読者よりちょっと愚かなほうがいいってロナルド・ノックス先生も言ってるし、ゆとりでもいいね。うん」
非常に不名誉な納得のされ方をしているが、今更気にしない。話を先に進める方が大事だ。
因みに、ワトスン役が引き合いにだされているのは、彼女は僕を自分の探偵助手だと勝手に決め付けているからだ。
「それじゃぁ答えだけど、『色』よ」
「色?」
「金魚は赤、残暑も熱を示すからサーモグラフィなどに見られるようにイメージとしては赤、夕焼けは言わずもがな。ほら、プールだけが仲間はずれよ」
「でも、夕暮れの水の色は赤くないか?」
「屁理屈は駄目だよ!」
「いや、お前にそれ言われたくないぞ」
本当に。
「ん? 『それ』とは言ってないよ?」
「ああ、確かに、その直前の台詞は『屁理屈は駄目だよ!』だったな……」
この屁理屈展開が、彼女とのコミュニケーションの面倒さの真骨頂だな、うん。
「でも、それなら、仲間はずれを仲間はずれでないようにする方向ってのも考えられそうね」
彼女は僕を放って、話を進める。
「いや、それなら、夕焼けで赤くすればそれで済むんじゃ……」
「簡単な方向に流れるのはよくないね。やっぱりゆとりね」
「もうゆとりでも何でもいいから、先を頼む」
「うん。だから、プールだけが仲間はずれだけど、それだからとプールを他の三つにあわせるんじゃ面白くないから、他の三つをプールに合わせる方向で考てみよ。歩み寄りは大切よ」
「だから、お前がそれを言うな……」
ポンポン話を飛躍させる普段の奈子と『歩み寄り』はギャップがありすぎる。
「あ、確かに言ったね! 『それだからと』って!」
「もういいから……」
「それじゃぁ、話を進めるけど、プールに色を与えるとしたら何色がいいかな?」
「青、かな」
「そうだね。だから、他を青くする流れで考えるの」
「なるほど、ね」
「先ずは、金魚が一番の難関ね…… 一応、
「それでいいのか?」
「いいよ。理由付けさえあれば」
「まぁ、そうかも知れんが」
「で、次は残暑と夕焼けなんだけど…… これはセットで解決しちゃうね」
「どうやって?」
「夜になるまで待てばいいよ。夜空は青いし熱も冷めて涼しくなってサーモグラフィ的に青」
「確かにな。それで、それらをどうやって繋げる気だ?」
今回はいつもと少し方向性が違うアプローチで、いつにも増して予想が付かない。
「ある男の子が青と金魚が大好きな女の子に喜んで貰おうと絵の具で大量の金魚を鮮やかな青に染め上げて、それを青白い月明かりに照らされた涼しげな学校のプールに放って二人で見れば気分も盛り上がると思っていたら、無理矢理青く塗った金魚の色ははげていって水面を青く染めて、更に絵の具を塗られて弱った金魚が片端から浮かんできて、青い中にまだらの金魚が沢山浮かび上がるおぞましい光景に錯乱した少女に哀れその男の子はプールに突き落とされて沈められて、翌朝青くなって水面に浮かび上がる御華詩、かな?」
「怖っ!」
「うん。そうして聞いた人がぞっとして青ざめてくれれば『青くする』って効果も見込めるからね!」
今回の彼女の答えは、そんなちょっとばかりメタ(?)な仕掛けの施された内容だった。
手段と目的を履き違えてお題が二つほどすり替わってしまっているのでやっぱり提出は出来ないけれど、その思考はやはり僕には想像の出来ないものだった。
そうこう話している間に、丁度二人の家の近くまできた。近所といっても隣同士ではない。隣の区画というだけで少し離れている。丁度、ここから右に曲がれば僕の家、左に曲がれば奈子の家、である。
「それじゃぁ、ここでね! また明日」
「いや、また来月だろう?」
「ん? 別に近所だから明日会うこともあるよ」
「……それもそうか。じゃぁ、また明日」
「うん、バイバイ」
そう言って、何が嬉しいのかニコニコしながら自分の家の方に走っていった。
ちょっと今までと流れが違ったけれど、始業式の帰り道で今月の課題は終わり。
少し奈子の態度が奇妙だった気もするけれど、もしかしたら本当に明日も会うことになるかもしれない。まぁ、別に僕は月一の課題の話が聞ければいいんだけれど、必要十分条件が十分条件になったところで特に問題は無い。だから、出くわせば一緒に登下校ぐらいはしてやろう。
そんな訳で、今月はこれにてお開き。来月も、どんな課題でどんな話を奈子が無理矢理構築するのか、楽しみにしていよう。
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