第9話


 お父さんが、安楽死施設を利用して死んだ。

 四十過ぎの母さんと、高校生の私を残して。

 毎日、仕事が忙しかった。私が起きている時に帰って来ない事も多くて。

 午前に帰って来る事も、珍しくなかった。

 休みの日は、朝から晩まで寝ているだけの事も多かったっけ。


 

 お母さんは安楽死施設に怒鳴り込んだ。

 どうして、止めてくれなかったの?

 あなた達が止めてくれていれば……旦那は死ぬことがなかったのにと。

 お母さんの気持ちは分かるけれど、施設の人達に止める義理はない。

 最終的な判断をしたのは、お父さんだから。



 

 でも、お父さんを殺したのは、きっと私と母さんだ。




 仕事が忙しいのは分かっていた。それが世間の常識に比べたらおかしいのだって、私ですら薄々は気づいていた。

 死ぬ数日前、お父さんは朝ご飯の時に、『会社を辞めようかな』なんてポツリと呟いた。

 あの時、辞めていいよと言っていれば、お父さんは生きていたのだろうか?

 苦しんでいるのは知っていたのに。

 お父さんは悲鳴を上げていたのに、私達はお父さんの発するサインを見て見ぬ振りをしてしまった。


 

 お父さんは年だった。定年まで、数年を残すところだった。

 今、会社を辞めても再就職できる場所はない。

 会社は自分で辞めるのと辞めさせられるのでは、退職金が大きく変わるという。

 おかしな話だった。どっちも辞める事には変わらないのに、どうしてそんなに差が出るんだろう。

 自分から辞めさない為の嫌がらせとしか思えなかった。



 葬式が終わった後で、お母さんは、笑った――

 これで好きな人のところに行けると、子供のようにはしゃいでいた。

 私の名前を呼んで、お母さんは言う。


「あんな年のお父さん、嫌だったでしょ? 若いお父さんが出来るからね」


 お母さんは嬉しそうに、写真を見せてくれた。

 相手はまだ三十代で、セックスがとても上手なのと、いらない情報を教えてくれる。

 

 全身を襲う、気持ち悪さ。

 その日から、お母さんではなくなった。

 不気味な女だった。

 安楽死施設に怒鳴り込んだのは、『私は悲しんでいますよ』アピール。

 演技だったのかもしれない。

 大体、お母さんみたいなオバサンを、若い男が本気で相手をする筈がない。

 お母さんの不倫相手は、お母さんのお金が目当てなだけだった。

 お父さんが死んで、収入がなくなった我が家。

 最初から男は、お母さんとなんか結婚する気なんてなかった。


「ババアとなんか、結婚なんかする訳ねーだろ? あ、そう言えばてめーには娘が居るんだったな。可愛いんだっけ? 娘を好き勝手にさせてくれるつーなら、結婚してやってもいいぜ」


 その台詞で目が覚めたらしい。

 男に捨てられ、私の名前を呼びながら、毎日を泣いて過ごした。

 

 馬鹿な人だった。心の弱い人だった。

 誰かを頼らなければ、生きていけない人だった。

 お母さんは男に振られて一週間後、安楽死施設を利用して死んだ。


 

 短い間に二人が死んでしまったけれど、私は悲しくはありません。

 だって、会おうと思えばすぐにでも会えるから。

 

 うちの家系は心が弱いのかもしれません。

 二人が居ない世界でどうやっていきていけば良いのか、私には分かりません。

 だから……私は死ぬことに決めました。

 友達には、親の都合で転校すると言ってあります。

 学校も退学してきました。


 私は死んだ後の事を考えます。


 まずはお母さんを怒鳴ってやって、お父さんも叱ってやらないとね。

 可愛い娘を一人だけ置いて、何をやってるんだってっ!

 

「あはははははっ!」


 笑う私を、周りの人はおかしな人を見る目で見てきます。

 でも、仕方ありません。

 だって、私の心はコワレテルカラ――


 もし、自殺しようと思っている人が居れば、忠告しておきます。

 あなたは一人で死ぬつもりかもしれませんが、あなたが死ねば残された者まで壊れてしまうんですよ。


 よぉーく考えて、自殺を選んでくださいね。


「あはははははっ!」


 私は笑いながら、同時に涙を流しながら、安楽死施設に向かって歩いていく。

 こんな不気味な自分から解放される手段は、もはや死しか残されていなかった。





 今日も人が死んだ。

 自ら死んだことを知った少女の友人は、病んだ。


 

 死にたいと思う心は、連鎖していく。

 苦しみから抜け出したくて、最後には死を選ぶ。 


 死は――止まらない。




 たった一人の死から続く、狂想曲は奏でられたのだから。

 

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