第9話 別れの夜

暗い室内を、ガスランプの明かりだけがぼんやりと照らしている。締め切られた平屋建てのボロ屋は、3人の男たちが居るにも関わらず廃屋のように静まり返っている。3人の視線は、今しがた息を引き取った一人の猟師の屍に向けられていた。



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恐山は公民館を出ると、発砲音のした方向にひた走った。出来る事なら一度自宅に戻り、仕事道具一式を手に入れたかったが、刻一刻と変化する状況はそれを許してくれそうにない。案の定、恐山が公民館から大通りまで降りると、目標を失い分散しつつあった留人達が、山側へ向かっていくのが見えた。


器用に、お互いぶつからないぎりぎりの間隔をあけながらゆっくりと歩くその姿。それは群れ化、と呼ばれる現象であり、生命がなく、知能も持っていないはずの彼等が行う不思議な集団行動の一つとして知られていた。ゆっくりとした動きではあるが、やがて発砲音のした現場は留人達で埋め尽くされてしまうことだろう。恐山は、手の届く範囲内入ってくる者を金棒で打ち据えながら、その中を、素早くかつ静かに駆けていった。

 

山側の集落にたどり着くと辺りは付近に居た留人達が集まり、先刻の木梨商店の前と変わらぬ惨状となっていた。しかし、あれ以降発砲音がなかった為か、目標を失った彼等は、ただウロウロと歩き回り、人間の痕跡を探しまわっているだけに見える。そんな中にやってきた恐山は、彼らにとってまさに絶好の獲物に見えたことだろう。その一部が恐山の姿を認めると、まるで群れ全体が一つの生命体であるかのように、緩やかに捕らえようとしてくる。


しかし、獲物に見えたその人間は、彼等の動きをいちいち待ってはくれなかった。最初に獲物を見つけた留人は、その頭を掴まれると、そのまま地面に横倒しにされた。すぐに立ち上がろうとするが、背中を踏みつけられており、身動きは取れない。そのまま成すすべもなく、重たい金棒で後頭部を叩き潰されてしまった。


恐山は、一番近いものから順番に金棒の突きをくらわせていった。留人達の恐ろしさは、その絶対的な数とリミッターの切れたようなタフさ、そしてどこまでも人間を追い続けるスタミナによるのものだ。しかし、まだ目標もしっかり定まっていないようなノロマ相手に、遅れをとるような恐山ではなかった。小さな子供一人分の重量はあるだろうその金棒を、まるで棒切れのように扱って頭へと叩きつける。その一撃は、脳がほぼ唯一の弱点である彼らに致命的なダメージを与えていった。一度に死に至らずとも、当然すぐに動き出せるような生っちょろい攻撃ではない。いくらタフとはいえ、元はただの人に過ぎない留人達は、うまく立ち上がることさえ出来なくなり、順番に止めを刺されていった。


彼らが群れを形成しようとするわずかなスキに、恐山の半径10m以内の留人達が次々になぎ倒され、地面にどす黒い血だまりが出来ていった。金棒を一振りする度、大昔、父の仕事を手伝っていた頃が思い出される。あれから数十年が経ち、体力は落ちたかもしれないが、その遺伝子に刻みこまれた怪力と、当時の経験は健在であった。


群れに四方を囲まれる前に、恐山は玄関の開いている民家に飛び込んだ。山側の集落の道沿い3軒目、そこは猟師を生業とする奥田の家だった。わざと壁を叩きながら、家の中を進んでいくと、留人達は音に釣られ開け放たれた玄関からぞろぞろと奥田家の中へと入ってくる。


それを尻目に、恐山は頭に入っている見取り図を思い出しながら、ずんずんと奥へと進んでいく。庭の見える縁側のガラス戸を閉めながら、長い廊下通り、家の真ん中にある広い居間へと出た。最近畳を張り替えたばかりなのか、青々とした畳から、いぐさの良い香りがしている。


すると、後ろから壁や物にぶつかりながら入ってくる客人がやってくる音が聞こえてきた。恐山は、その客人に聞こえるような大きな声でこっちだぞと叫び、手を何度か叩くと、かくれんぼでもするかのような動きで居間から隣の仏間へ移動し、ゆっくりと扉を閉めた。うめき声と共に大部屋に入ってくる彼らの気配を認めると、そこから先は、出来る限り物音を立てないように気をつけながら屋内を進み、勝手口から外へ出た。


あちこちで家具を倒しているのか、ドタンバタンと大きな物音が屋外にまで聞こえている。これで、かなりの数の留人をこの家に足止めしておくことが出来ることだろう。後は、この間に発砲音の主を探し出すだけだった。


しかし、一体どうやってこの集落の中で生存者を探しだすべきだろうか。おそらく彼らは、離れ山から下りて自身の集落にまでやって来ている以上、山には戻らずどこか屋内に隠れていることだろう。しかし一軒一軒を探している時間の余裕はなさそうだった。じき日も沈む。夜は、視力を必要としない彼等の時間なのだ。


ここで公民館まで引くべきか否か、一旦集落から離れて思索に耽ろうとしていた恐山の心配は杞憂に終わった。恐山の歩むその先、ほとんど山の木々に飲まれたような形のボロ屋の前に、十体近くもの留人が集まっているのを見つけたのだ。それを遠めに見ながら、ここは確かあの山本さんの家だったかと恐山は思い出す。このボロ屋は、この付近でも一目置かれている猟師、熊殺しの異名で知られる山本兵八の自宅兼作業場だった。


恐山が静かに近寄っていくと、その道中には、頭を刃物か何かで割られたようなゾンビが数体転がっていた。その内、まだ息のある者の頭を潰しながら、建物前へと近寄る。どうやら、留人達は目の前のボロ屋の方には目もくれず、地面に横たわる何かを食べることに夢中になっているようだった。恐山は、静かにかじりついている後頭部を力任せに殴り、物言わぬ死体へと戻していった。


その下から出てきたのは、顔の原型がなくなる程に食い散らかされた死体だった。それを見て、恐山の目頭はぶわっと熱くなる。もはや誰かも分からないが、服装や装備品からして、それは山側の猟師の誰かに違いない。その手には、血まみれになった散弾銃を固く握り締めていた。


恐山は、あふれる涙を拭いながらボロ屋へ近づき、おそらくそこに隠れているであろう生存者に向けてノックをした。しかし、中からは何の反応もなかった。ダメ元で引き戸に手をかけてみると、意外にも鍵はかかっておらずそのまますんなりと開く。


「うわっ」


そんな消え入りそうな声が目の前から聞こえる。暗い山小屋が外からの光で照らされ、玄関なんて洒落たものがない、外と地続きになったコンクリートの床が見えた。目をこらすと、その先の壁に寄り添うようにしている三人の輪郭が露わになる。


「恐山か、遅かったな」


その内の一人が、そう低く呻くような声で言った。壁に寄りかかったままの影は、このボロ屋の家主である山本平八その人である。左手で脇腹の辺りを押さえたまま、苦悶の表情でこちらを見上げていた。その両脇には猟師仲間の熊谷と篠原が、不安げな視線を山本と恐山へ交互に向けていた。


____



「一体、どれくらい持つんだ」



息も絶え絶えに尋ねる山本に、恐山は死ぬまであと数時間、その後一晩で転化するとだけ告げた。数時間、自身の余命を聞いた山本は静かに頷く。当然、留人に噛まれれば助からない事は知っていた。しかし、たった数時間しか持たないとは。噛み傷の大きさには見合わない、全身に広がる強烈な痛みが毒の強さを物語っていた。


群れを振り切るように走り、山本の自宅まで辿りついた所までは良かった。しかし、すぐ目の前にまで来て、付近に居たであろう群れに遭遇し、そこで動揺した奥田があろうことか転倒してしまったのだった。奥田は、ついに放心してしまい、顔面蒼白のまま、自身で立ち上がる力すら無くしてしまった。それを助けようとした山本が、ナタを片手に無我夢中で群れに立ち向かったのだが、力及ばず。目の前で絶叫を上げながら貪り食われていく奥田の姿を見て、半ば引きずられるような形で熊谷と篠原の二人に運ばれ、屋内へとたどり着いたのだ。すぐに喉を噛み切られたのか、声も聞こえなくなった奥田の事を思いながら三人で涙していると、ズキズキと自身の脇腹が痛んだ。山本は、そこで初めて自身が噛まれていたことに気付いたのだった。


山本は、痛む身体をなんとか起すと、山本の前にしゃがみ込み、目線を同じくしていた恐山に向かってぺこりと頭を下げた。


「すまねぇ、死んだら介錯を頼む。」


月が昇り、辺りが静寂に包まれた頃、山本は3人の男に見守られながら息を引き取った。仕事道具を持っていなかった恐山は、工具箱で見つけた釘を綺麗に洗い、この町の伝説の猟師に打ち込んだ。恐山は、ここでは決して泣くまいと感情を必死に押し殺して役目を果たしたが、長年の友人を一度に二人も失った熊谷と篠原は、次第に耐え切れなくなったのか、声を押し殺し、いつまでも泣き続けた。

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