第5話 若さの結末

ダメだ、ダメだ、止めろ、止めておけ、さもなくば、僕自身も必ず死んでしまう。


ケイ自身にも、ゾンビの群れの中へ飛び込むことの勝算のなさは十分に分かっていた。しかしその思いを完全にねじ伏せる強い声が自分の中でしている。走れ、今すぐあの気の良い木梨のじいさんを助けに、あの人はこんな死に方をしちゃいけないんだ。抗いがたいその心の声に従って、身体が跳躍の準備をする。


ケイは、昔から走るのが誰よりも速かったし、力も人一倍あった。しかし、今日までそれを嬉しいと思ったことは一度もなかった。学校では、その文字どおり人間離れした力は、ケイの異常さを周囲に知らせ敬遠させるものに過ぎなかったし、その力を活かしてスポーツの公式大会に出ようにも、送り人の家系にある人間は出場できない決まりになっている。まあ、ケイにそのつもりはなかったとしても、生きていく上で自分にかかる制限があるというのはあまり気分の良いものではなかった。とにかく、人ならざる現人神とまで言われ、かつてこの国の人々に崇め奉られた送り人の力は、平和な人の世に生きるその子孫にとって、無用の長物以外の何物でもなかった。


自分が他の人とは違う。そのことが一つの長所だと思えるようになったのはやっとつい最近の事で、どちらかと言えばそれも諦観に近い後ろ向きな形のものだった。どいつもこいつも、僕を陰で何とでも言っていれば良い。僕がその気になれば、誰も相手になんてならないのだから、と誰からも相手にされていない少年は思っていた。


しかし、今、まさにこの時だけは、自分の生まれ持ったこの異常な力に心から感謝したかった。この力があれば、きっと死地の中に活路を見出だせる。ゆっくりと、右足をグッっと曲げて、準備姿勢に入る。そして、そのまま全身のバネを跳躍させ、突進という言葉にふさわしい程の勢いでゾンビの群れに向かっていった。一歩、二歩、三歩、地面を蹴る度に100メートル近い距離がまたたく間に縮まっていく。木梨商店に群がる腐った奴らがケイに気付くその寸前、ケイは群れの端に居た、大男の側で身体を深く沈め、そのままローキックを腐りかけの足に叩き込んだ。



__ゴリュ



足の肉と骨が分離する音が聞こえる。左足を軸足にして、綺麗な半円を描いたケイのローキックは、見事な破壊力で大男をそのまま地面に横たえさせた。大男は、その腐りかけの脳みそと濁った眼球で、自分の足を明後日の方向に折り曲げた犯人を捜そうとするが、ついにその瞳がケイの姿を捉えることはなかった。



バンッ!!と破裂音をさせて、ケイは自分がローキックで倒したゾンビの頭を踏み抜く。ヌチャ、と足裏へ伝わる感触。そこで初めてケイは、自身が裸足であることに気づいた。


木梨商店を囲むゾンビ達は、背後に現れた新たな獲物にはまだ気づいていないようだった。怒りと興奮で肩を大きく上下させ、ケイはゾンビの群れを睨み付け、そして吠える。


「死人共!全員僕が相手をしてやるッ!」


その声を合図に、一斉にゾンビは向きを変えた。木梨商店に張り付いていたゾンビの内、半数近い数が、望みどおりケイを貪り喰ってやろうと向かってくる。


当然、ケイにはこの日この時まで、ゾンビと戦った経験もなければ、格闘技の経験も全くなかった。しかしその動きは、先ほどのローキックしかり、ケイ自身気付いてはいなかったようだが完全に戦いに熟練した人間のそれであった。


一度にこちらへ向かって来る群れに対し、後ろも振り向かず2歩跳び下がって距離を取る。そして、群れから一歩前に出てきたゾンビの顎めがけ、今度はすかさず前蹴りを入れ、そのまま真っ直ぐ空へ蹴り上げた。生前、女子高生だったであろう眼鏡をかけたそのゾンビは、顎がちぎれ飛び、そのまま首が背中に付く程に曲がり、ドサッと後ろ向きに倒れた。いける、これなら戦えそうだ。


それに続くように前に出てきた、恰幅の良い中年のゾンビが前のめりになって向かってくるので、そのまま上げていた脚を踵落としの要領で中年ゾンビの頭部へ振り下ろす。ボグッと頭蓋骨の沈む小気味の良い音がした。ジンジンとした痺れが自身の踵から伝わってくる。ケイは、何故か恍惚としていた。


あぁ、僕はこの為に生まれてきたんだ。足りないパズルのピースがカチッとはまる、くしゃくしゃに絡まった糸が、すっと解ける。僕の人生はこの時の為にあった、そんな気分だ。送り人に組み込まれた遺伝子がさせるのか、僕自身の性癖に由来するものなのかは分からない。しかし、今、生まれて初めて、この生を実感している。


【ケイ坊か!?何しとる、早くこっから離れんか!】


突然冷静だったスピーカーからの声が動揺と焦りに変わる。木梨のじいちゃんが表の状況に気付いたようだ。声にならない死人のうめきの中に、同じく声にならないケイの叫びを聞いたのだろう。


「うるさい!そっちこそいいから早く逃げろ!」


ケイは、もはや絶叫に近い声で木梨の居るであろう2階の窓に向かって叫ぶ。その間にもゾンビ達は、ケイを掴もうと距離を詰めてきている。何か武器が欲しい、蹴りだけでこの数相手だと限界がある。その時ガラガラと木梨商店の2階の窓が開いて、木梨さんの顔がこちらを覗いた。それは、顔面蒼白の上にどこまでも不安げにこちらを見ている。初めて見るそんな木梨の顔は、いつも明るく冗談ばかりを言うあの老人と同一人物とは思えなかった。


「阿呆、さっさと逃げんか!ワシがここに居る意味がなかろう!」


「死ぬなよ!簡単に死のうとするなよ!」


ほとんど悲鳴と言っていい、哀願するような声でケイは木梨に声をかけたが、ケイ自身も、既にケイ一人ではどうしようもない状況に向かいつつあるというのは理解していた。ケイに向かって来るゾンビは更に増え、ついにかわすのがやっとになり始めた。木梨商店にも変わらず多くのゾンビが張り付いて、戸は今すぐにでも破られそうだ。


それに、近づいてみて初めて気付いたのだけれど、こいつらの数は50体どころじゃ済まない。こうしてケイが戦っている間にも、木帰町に向かうその一本道の向こうから、数体ずつのゾンビが断続的にやって来るのが見えているのだ。もしかしたら100、いやそれ以上の数が街から山へ向かって雪崩れ込んでいるのかもしれない。これ以上の長居は、確実に自身の死を招くに違いなかった。


と、一瞬目の前の戦闘から意識をそらしたその時だった。次の動きを実行しようとする彼の左足首を、ガシッと掴んだ手があった。ケイは思わずバランスを崩し、無様にも腰から地面に落ちる。尾骨から響く、鈍い痛みが全身を襲った。一体何が、と自身の左足首を見ると、ケイを掴んでいたのはさっき蹴り上げ、首をへし折った眼鏡女子高生だった。首は折れてあらぬ方向を向いていたが、頭部は生きていたのだ。器用にその身体を動かし、ケイを死地へと追いつめる。倒れたのを見て、遠くでケイ坊!と木梨のじいちゃんの声がする。それは今にも泣き出しそうな声だった。


しまった、とケイは思った。もうこうなった以上は全てが終わった、という諦めという意味でのしまった、だった。このゾンビの群れの中で転倒することの意味が分からない程、ケイの思考力は鈍くなってはいない。あっこれ死ぬ?いや、きっと活路があるはず・・・。いいや、もうなくなった。どうやら打ち所が悪かったのか、ケイの身体は未だにその転倒のダメージから立ち直ってはくれなかった。ブラブラと首をぶら下げたまま、その眼鏡女子高生はケイの身体によじ登ってくる。はは、この子胸、大きいんだな、はだけた胸元を見て反射的にそう思った。こんなものが僕の最後に見る光景か。はは、僕の人生あっけなかったなぁ・・・



___ゴリュ



その音は、ケイの腹の肉を裂き、骨をひきずり出す音、ではなかった。気付けばケイの胸元近くまで来ていた眼鏡女子高生は、今や首の断面だけがこちらを覗いている。体液と血がケイの服にビシャビシャとかかった。え、一体何が


「口を開けるんじゃあない、出来たら目も閉じとけ、体液は毒だからな。」


ケイを見下ろしながら、あくまで冷静な声でその人物は声をかけてきた。こんな絶望的な状況下で冷静でいられる人物なんて、この町には一人しかいない。それは、親どころか祖父よりも早く死ぬという究極の親不孝をしでかそうとする馬鹿な孫を、一度説教してやる為にやってきたこの町最強の送り人、恐山その人だった。


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