第6話 及ばぬ力

恐山がふるったのは、長さ1メートル弱、ちょうどバットのような形をした鉄塊だった。それを、ケイの身体を這っている留人の頭へ向かって力任せにぶつけると、哀れな頭部はそのまま身体に別れを告げて、ゴロゴロと長い髪を巻きつけ遠くへと転がっていく。それを呆然とした表情で見つめ、次にこちらを見上げたケイに、恐山は、毒に気を付けるよう促した。この地獄のような状況下でも、彼は冷静に見えたが、当然その内心は穏やかではない。


家で木梨の放送を聞いた途端、すぐに山下家へ向かったケイのことが頭に浮かんだ恐山は、甚平に下駄履きのまま、大慌てでここまで駆けてきたのだ。ケイは、幸い町の外へ出ていなかったが、恐山が見つけた時には、既に留人の群れの前で尻餅をついているところだった。もし一瞬でも自分の到着が遅れていたらと、今一度目の前の光景を見てヒヤッとする。よもや、これほどの数だとは思いもしなかった。


「おう、立ち上がれるか」


「ごめん、手ぇ貸して・・・」


ケイはどうやら腰を打ったらしく、恐山に手を取られてゆっくりと立ち上がった。すぐにここから離れようと、恐山が背におぶろうとするが、ケイはそれに抵抗し、フラフラとした足取りでなおも留人共へと立ち向かっていこうとする。


「木梨さん・・・助けなきゃ・・・」


そう、ケイはこの状況下にあってもまだ木梨を助けようとしていた。武器も持たず、まともに動くことも出来ずに、それでも前へ進もうとする。見ちゃいられない程痛ましい。それは、求める理想と厳しい現実の間をフラフラとさ迷うケイの心が、そのまま表れているかのようだった。


(ふざけるな、この大馬鹿者が!)


この期に及んで、命を無駄にするつもりかと思わず怒りを覚えた恐山が、ケイを叱りつけ諫めようとしたその直前、前方から恐山を呼ぶ大声がした。


「恐山っ!」


声のする方を見ると、そこには2階の窓から今にも乗り出さんばかりの木梨の姿が見える。


「後は頼む!」


彼は、はっきりと力強く、その一語だけを恐山に伝えた。その真剣な表情は、助けを求める、か弱い老人のそれではなく、ここで死ぬ覚悟を決めた男の顔だった。それに恐山はただ、うなずきで答える。当然だ、と。


ケイの優しい思いとは裏腹に、既に木梨商店の店主、木梨 幸之助その人は、現実を直視して、自分のやるべきこと、自分にしか出来ないことを理解し、全てを納得した上で今そこにいるのだった。そして、恐山もそれを汲んだ上で、恐山にしか出来ないこと、つまり自分の手で助けることの出来る人間を助けようとしている。


人は万能ではない。この過酷な世界の中、一個人には力を及ぼすことの出来る範囲の限界というものがある。それは、尋常でない送り人の力を持つ恐山も同じだった。二人は、圧倒的な現実の前に立った人間という個のちっぽけさ、自分達の力のなさをどこまでもわきまえていた。


恐山は意を決して、尚も前へ進もうとするケイの前に割り込むと、孫に手を伸ばそうと近寄る亡者の群れを、渾身の力を込めて一線に横殴りにした。その見た目のシンプルさに比例するかのような破壊力を持ったその鉄塊は、それを受けた留人達のあばらを砕き、肉を裂き、瞬く間に数体の動かぬ死体へと戻していく。返り血を浴びた紺色の甚平が、まだらに染まる。この無骨な鉄の塊は、単純に金棒と呼ばれており、恐山家の始祖である自身の父、国盛から受け継いだものであった。しかし、平和な時代には無用であったと共に、そのあまりの破壊力は遺体を丁寧に扱う恐山自身のポリシーにも反する。ゆえに、今日まで使用を避けてきた代物だった。


ただ留人を殺すという役割ではなく、人の死の尊厳を守る一助を担っているのだという、送り人としての恐山の吟時。それを破らざるを得ない、こんな地獄のような状況を作ったのは、一体神か仏か、それとも人間か。そのいずれだとしても、恐山はそいつを決して許しはしないだろう。


こんな山奥に、とんでもない数の死者が来ている。しかも、その数は刻々と増え続けているようだった。原因は何であれ、この平和な時代にこれだけの数の人間が死んでいる。この国を大きく揺るがすような一大事が起きていることだけは確かだった。街はどうなっているのか想像もつかない。街に暮らすケイの母、恐山の一人娘の身が案じられる。


その若さゆえ、目の前の冷たい現実を受け入れようとしないケイ。自らの命すら度外視して理想を追い求めようとする、そんな自分達とは違った強さを持った自身の孫を、恐山は無理やりに抱え上げる。数体程度なら、この金棒で何とでもなるだろうが、流石の恐山といえど、数十体という群れに囲まれて、無傷でいられるとは思えなかった。まして、まともに歩けない孫を連れてなら尚のことだ。


右肩にケイを担ぎ、最後に振り向きざまに木梨と目を合わせると、お互いの目と目が、無言で長年の感謝を告げた。そうして、数少ない友人の一人を背に、恐山は迫る数体の留人を足で突き飛ばしつつ、そのまま一直線に公民館へと駆け出した。後方からは、木梨が二人を逃がす為に、声を張り上げ、奴らを寄せ付けようとする声が聞こえる。


最初は、じたばたと恐山に抵抗していたケイも、いつしか恐山の身体に顔をうずめ、声を押し殺して泣き始めた。それでも恐山は黙って走り続ける。ケイの流した涙は、生まれて初めてこの世界の理不尽さを目の当たりにし、同時に自身の無力さを噛みしめた、行き場のない悔しさの涙であった。

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