第3話 送り人の孫

 留人を山下のばぁさんに戻し、事後処理を全て松森に投げた恐山は、鎖帷子のまま自宅に帰った。恐山家の自宅は築100年超の古民家であり、その荘厳な佇まいは、この集落を鎮護する役を担う恐山家の精神を体現しているかのようだった。


 玄関に入るや否や、頭からすっぽり被った鎖帷子を脱ぎ捨てる。強靭な肉体を持つ恐山とはいえ、多少は疲労していた。ジャラジャラ、と石畳の玄関に古びた鎖が広がる。そのままブーツも脱がずに玄関に腰かけ、ライター片手にゆっくり一服していると、居間の方からガラガラピシャンと乱暴な音が響いた。数日前に滑車を代えたばかりの立て付けが滑らかすぎるガラス戸を、力任せに開ける音だった。ドタドタと大きな足音もそれに続いてくる。


「おかえりー、つかゾンビ殺しに行くなら言ってよ!」


ゾンビ、若者言葉で言う留人の事を是非見たかったと悔しがるその若い声。それを無視して、タバコの煙を見つめたまま振り向きもしない恐山の後ろ姿に、尚もこの声は、次こそ僕も現場に連れて行ってくれと何度もぶうたれる。恐山は、おうおうと生返事をし、タバコをくわえたまんま無造作にブーツを脱ぎ捨てて、やっと声の主の方へと振り向いた。


「はぁ今度は絶対だからな爺ちゃん、あと朝飯出来てるから食べなよ。」


恐山を爺ちゃんと呼ぶその若者は、そう言ってから、だから洗濯は全て任せた、とちゃっかり付け加えた。肩にかかるくらいの金髪は、根元から元の綺麗な黒色に戻ろうとしている。寝巻き代わりなのか、黒と赤のツートーンでダボっとした服装をしている。金と黒と赤で目がちかちかする、と恐山は思っていた。最近は、街ではああいうのが流行っているのだろうか。山から出た事のない年寄りには分からなかった。その身体は、服装とは対照的に、恐山の血が混じっているとは思えない程ヒョロっと細長く、その白い肌と切れ長な目と相まって、一層頼りなさげに見えた。


ついでに風呂掃除も任せたから、等と調子の良いことを言う孫に、今度は思わず笑顔になった恐山は、ばかたれ、とだけ返した。昔気質で言葉足らずの祖父に、その孫はやれやれとでも言いたげに首を振る。そして、そのまま祖父と入れ違いに玄関の石畳の上へ、靴下のまま降りた。どこから聞きつけてきたのか、今から山下のばぁさんの家の様子を見てくるとだけ言って、半分潰した靴を引っ掛け外に出て行こうとする。


「おい、ケイ」


今まさに玄関から半身を乗り出そうとする孫に、やっと恐山は自分から声をかけた。振り向いた表情には、きっと何か年寄りに小言でも言われるんじゃないかと言いたげな、さも面倒くさそうな色が浮かんでいた。


いくら頼まれようと、この子を危険な現場に連れて行く気は恐山にはなかった。ゆえに今からその現場に行くと言われ、反射的に声をかけた次第なのだが、よく考えれば現場にはもう留人はおらず、それほどの危険があるとは思えないのだった。当然、山下さんの口内には、多少の体液は残っているだろう。しかし、ケイは高校生だ。あの歳で毒の事を知らぬほど世間知らずではあるまい。


「気ぃつけろよ」


自分の考えを改め、そう一言だけ伝えると、ケイは予想に反した肯定的な言葉をかけられ嬉しかったのか、おー!という力強い返事でそれに答える。そして、そのままパタパタという半履きの靴の音と共に遠ざかっていった。


ケイの留人に対する興味について、恐山なりに色々と思う所はあるのだが、現場では遺体の扱いに長けた町会長が、おそらく昼過ぎまで居残りしているだろうから、あまり神経質になることもないだろう。それにケイは普段、街に暮らしているせいで、人の死と出会う機会が滅多にないのだ。例えそれが興味本位からであれ、人が死ぬとはどういった事かを知る良い機会になるかもしれないと恐山は考えていた。



_______




木帰きがえり町は、とても良いところだ。


集落の爺ちゃん婆ちゃん達は皆親切で、若者が相当珍しいのか、必要以上にあれこれと世話をしてくれる。自然も豊かで、山に生い茂る草木の匂いは不思議と落ち着く。こういうの何ていうんだっけ、アロマテラピー?まぁいいや。他にも鉄砲で野鳥を撃ってる猟師のじいちゃんとか、自分の体重くらいあるんじゃないかって重い鍬を持って農作業してるばあちゃんだとか、紐につながれてない犬の群れだとか、ずっと街で生まれ育ってきた僕には何もかもが新鮮だ。


僕が、恐山の爺ちゃんのところへ転がりこんで早2週間にもなる。2週間前、学校帰りの僕は、ふと気付くと学生服のまま、いつもと違う方面行きのバスに乗っていた。乗客は僕以外居なくて、行き先は街から遠く離れた山の集落、木帰町行きだった。本当にふらっと寄り道でもするような気持ちで、何故か僕は街から100キロも離れたところへ無意識のうちに向かっていた。自分がしている事の意味にやっと気付いた時には、既に町のすぐ近くにまで来ていて、自分でも驚いて、驚きすぎて笑ってしまった。


こんな意味の分からないことするなんて、僕はどこか壊れちゃったのかなと思った。確かに学校には居場所がなくて、精神的に追い詰められるような日々が続いていたし、毎日毎日生きるのつれー、なんて思っていた。だけど、僕のそれは思春期の高校生なら皆が経験する程度のレベルのもので、いきなり無意識に遠くへドロップアウトしちゃう程深刻なものではなかったはずなのだ。友達は居なかったけど、別にいじめられたりはしてないし、家庭環境も至って普通だった。


いくら原因を必死で考えても、現に僕は間違いなく自分の足でバスに乗って、見知らぬ町の風景を見ながらぼんやり歩いている。自分のしていることのおかしさに気づいても、それを止められないような不思議な感覚だった。それで、気づいたら知らない古民家の玄関先に立ってた。でも、何故か頭のどこかで、ここって山の爺ちゃんの家なんじゃないかっていうのは分かってた。おかしいよね、爺ちゃんの顔すら思い出せないのに。やっぱり今思い出してもすげぇ不思議。後でこの不思議体験のことを爺ちゃんに言ったら、恐山家の血がそうさせるんだって言ってたけど意味は教えてくれなかった。何でもその昔、母さんも同じようなことをしたことがあったらしい。


僕が爺ちゃんの顔を覚えてなかったように、十数年も孫の顔を見てないのは爺ちゃんも同じなはずで、普通なら夜中玄関前に見知らぬ若者が立ってたら、驚いて当然だろうに、爺ちゃんは一瞬で成長した孫が来たって理解したのか、もしくはどんな不審者にも究極の寛容さを持って接する性格なのか、雨に濡れてぐしょぐしょで半泣きになった僕を見て、さも当然のように、はよ風呂入って来い、とだけ言って笑ってくれた。


数日後、街から僕宛ての荷物を持った配達屋が来た。送り主は母さんで、中身は当面の着替えや生活用品だった。どうやら爺ちゃんが連絡を取ってくれたらしい。相当心配しているのか、母さんから爺ちゃん宛の長文の手紙が配達物に付いていて、母さんの小さい文字を読むのに、爺ちゃんは老眼鏡をかけて苦心してた。一方僕は、全く街のことなんかその荷物が届くまで忘れてて、自分でも情のかけらもねえ奴だなって思って若干へこんだ。僕の意志はどうあれ、これって家出かつ不登校の不良行為だし、もっと学校のこととか親のこととか考えるもんだよね普通。


でも、親に心配かけて、学校を無断欠席してても、何故だか戻らなきゃいけないとは全然思わなかった。むしろ帰るべき家に帰ってこれたっていう感じがした。それに、この町での生活も僕には相当合ってるらしく、毎日じいさんばあさん達と無駄話したり、爺ちゃんの農業の手伝いなんかをしながら、この2週間、人生で一番楽しい毎日を過ごしている。なんだ、こんな楽しいとこならもっと早く来てればよかったって感じだ。


うちが送り人の家系だってのは、元々母さんから聞いてた。だから、いつもは農業をしてる爺ちゃんに、送り人としての本来の仕事がある事も知ってた。母さんからは、送り人を忌み嫌う人も多いから、あまり周りに言いふらすなって言われてたけど、僕が言わなくても周りが噂するから意味ない。人の口に戸は立てられないって言うじゃん?これは遺伝なのか知らないけど、明らかに同級生との身体能力に差がありすぎるし、先生も僕に特別気を使ってるっていうのバレバレだしね。学校では無駄に力があるからいじめられはしないけど、扱いづらい奴って思われて、青春の輪からは外れた超ぼっちライフを満喫してた。


それに、送り人って要はゾンビをぶっ殺す仕事ってことだし、世の中の役に立ってるから別に恥じる事じゃないと僕は思う。職業に貴賎なし。いや、むしろ送り人超カッコいい。最近じゃ、ゾンビも都の方でドラマとか小説の題材になるくらいにアイコン化してて、若い子の間で流行ってるし、実際僕が送り人の孫って噂を聞いて、変に目を輝かせて近寄ってくるオタクだとか、いきなり弟子にしてくれなんて頭下げて言ってくるチンピラみたいな奴もいたしね。オタクは何言ってるのか分からなかったし、弟子入り志願は丁寧にお断りしたけど。まぁでも、送り人最高。ただの根暗ぼっちの僕でも、送り人の家系なんて言われたら、実際はどうあれ特殊能力を持った選ばれし者って感じがするじゃん?


という訳で、送り人の孫として今日は、爺ちゃんの仕事場を現地視察に行くのだ。具体的にはいずれ後を継ぐ予定の、ゾンビ殺しの仕事を学ぶ為、林道沿いにあるらしい山下さんのお宅に訪問する予定。後を継ぐっていうのは爺ちゃんにはまだ言ってないんだけどね。今日夕飯の時に言ってみようかな。


家の前のあぜ道をパタパタ走って、集落の大通りに出た。都道8号線のアスファルトは、田舎までは整備されてないらしく、あちこちがヒビ割れて草花が咲いてる。でもまたこれが良いんだ。なんていうか風情があるよね。で、そのまま大通りを街方面に真っ直ぐ歩く。途中、道でたむろしてるばあさん連中に声をかけられると、軽く手をあげてそれに返す。僕はこの町じゃモテモテなのだ。


集落の一番端、この町の顔を自称してる木梨商店も軽く覗く。工業製品や、日用品なんかを扱ってるんだけど、平気で半年前の週刊誌なんかが置いてあるような適当な経営方針の店だ。それでも、木帰町と街を繋ぐ数少ない接点の一つになっていて、山では作れない街の物を買えるのは、近隣の町ではここだけだった。でも、そもそも山と街では生活スタイルが違うから全然売れてない。


また今日も冷やかしか坊主、なんて言いながら店主の木梨さんがお茶を出してくれたので、ご馳走になってしばらく世間話をする。この人話上手すぎて、いつも腹をかかえる程笑わされちゃう。そんな僕を見て木梨さんは、お前は爺ちゃんとは全然性格が違うなって言う。爺ちゃんは寡黙な職人って感じだからなぁ。


爺ちゃん、コミュ障なのか宴会以外であんまり町の人と話すことはないらしい。でも町の人からは尊敬されてるみたい。特に高齢のばあさんの中には、爺ちゃんを名前じゃなくてアラヒトガミ様って呼ぶ人もいるくらいだ。意味はよく分からないけど、神様並のリスペクトを受けてるって事らしい。


木梨さんとの話が盛り上がり、そういや山下さんが死んだらしいって話に差し掛かった時に、僕はやっと外に出た本来の目的を思い出した。やばい、早く行かなきゃ山下さん片付けられちゃうじゃん。お茶ありがとーって言いながら、木梨商店を出て駆け出す。天気は今日も良くって、澄んだ空気と風が気持ちいい。遠くでは、犬の鳴き声も聞こえてる。それも何匹も。


あれ、鳴き声っていうか威嚇?ちょっと尋常じゃない感じで犬達が吼えているみたいだ。あの子達は野良犬だけど、集落の人達に世話してもらっているせいか、畑を荒らす猿やイノシシを、いつも威嚇して追い払ってくれているらしい。でもちょっとこの吠え方は普通じゃない。もしかしたら熊でも出たのかもしれない、なんて冗談半分にちょっとしたスリルを求めて、犬の声のする方に近寄ってみる。ちょうど山下さんちに向かう方角でもあるしね。


そのまま都道を、街方面へまっすぐ200m程進んだ。すると、町へ入ってくるゆるやかなカーブの向こうから、犬の群れがこっちへ駆けてくる。いつの間にか吠える声も聞こえなくなっている。どうやら降参して逃げてきたらしい。


「おーい何なの、内輪もめ?」


と言葉の分かるはずもない犬達に話しかけてみる。でも、犬達は僕のことなんて目にも入らないようで、そのまま全力ダッシュで僕の側を通り過ぎ、集落の方へ駆けていった。あいつら冷たいなぁ、まさか本当に熊でも出たのかな。なんて想像してちょっと背筋がゾクッとした。一応町の人に言っておいた方がいいかな、熊は人を襲うこともあるって聞いたことがあるし。なんて思いつつ、このまま進むべきか一旦戻るべきかを決めあぐねていると、犬が逃げてきた方向、カーブになった道の向こうから、わらわらと何かがやって来るのが見えた。


最初は残った犬達が帰ってきたのかと思ったけど、どうも輪郭からして人間みたいだ。それもかなりの大人数。パッと見40~50人?学校だったら一クラス分くらいの人数だろう。


団体の観光客か何かかな?それなら犬が吠えたのもうなずける。あんなに沢山の人を一度に見たのは生まれて初めてだったんだろう。熊じゃなかったことに少し安心して、そのまま人の群れの方へと歩いていく。向こうもこっちに向かって歩いているから、お互いにすれ違う形になるだろう。どこへ行く予定なのか聞いてみようかな。なんて思いながらすぐに気付いた。あれ、これ絶対におかしい。


まずあれだけの大人数なのに、さっきから全然話し声が聞こえない。皆うつむきがちに、無言でこっちに歩いて来る。もしかして都の軍人さんの演習かもって可能性も一瞬考えたけど、普通に格好もバラバラで、中には小さい子もいるみたいだからそれも違うみたいだ。なんて考えてたらビューッと風が吹いてきて、強い異臭が僕の鼻まで運ばれてきた。今まで嗅いだ事のない、香ばしい臭いと遅れてやってくる強烈な腐臭。思わずえづきそうになるような不快な臭いだ。ここまできたら流石の僕でも分かる。こいつらゾンビの群れだ。


やばいやばいやばい、何がやばいってとにかく超やばい。生まれて初めてゾンビを見る上に、こんな大人数が人里に出るって事自体、異常事態だっていうのは僕にだって分かる。こんなの普通に全国ニュースどころか、既に都の軍隊が派兵されてきてもおかしくないくらいだ。血液がグングン体中を巡り、心臓の音が耳で聞こえるくらいバクンバクン言ってる。やばいやばい、やばすぎる。この事をとにかく町の人、いや爺ちゃんに知らせないと。この群れは、自分の位置からはもちろんのこと、町からも目と鼻の先まで来ているのだ。


頭がおかしくなりそうなくらい異常な状況下、瞬時に最善の判断が出来た自分を褒めてあげたい。僕は、すぐにきびすを帰して町の方へと駆けだした。途中で半履きの靴は脱げたが、それには気付きもしなかった。とにかく町へ、みんなに知らせないと僕の好きなこの町の人たちが皆、殺されてしまうのだ。

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