第二章 学校

第7話

 おばあ様と召使いさんが亡くなって、三日経った。その間、ずっと書き取りをさせられた。『クロノロイドは人間ではない』という言葉を。あの部屋で延々。そしてようやく許された。「ごめんなさい」と泣き続けたことがお母様の耳に入ったらしい。どうやら十分に反省していると判断したようだ。実際は全く別な事で別の人に対して謝っていたのだが。それをわざわざ母親の耳に入れるほど、望愛は馬鹿ではなかった。何はともあれ、望愛はようやく解放されたのだ。

 しかし正直、学校に行く気分ではないし、かといって家に居たいとも思わなかった。それでも学校以外で家を出るとなると、そちらの方が面倒くさいことになるのは分かっていた。

「はあ・・・」

 望愛は心の整理も何もかも整ってはいなかったが、学校に行くことにした。それが一番最良の選択肢だと思えたから。



「望愛!!」

 教室に入ると、レベッカと日向が真っ先に駆け寄ってきた。

「もう学校に来て大丈夫なの!?」

「なんかかなりやつれてない? 大丈夫?」

「なんていうか、家に居たくなくて・・・ね」

 ははっと苦笑いを浮かべる望愛。しかし、日向がじっとある一点を見ていることに気が付き、望愛はさっと左手を隠した。

「今、何隠したの?」

 そんな望愛の様子に不審に思ったレベッカが、無理矢理望愛の左手を見ようとする。

「ちょ、止め―――っ!!」

 レベッカの手が傷に当たり、あまりの痛さに力が緩んだ。そして、左手全ての指に巻かれた包帯が露わになった。

「これ・・・どういうこと?」

 白い包帯には、若干赤い染みが浮かび上がっていた。もっと厚く巻くべきだったと望愛は後悔した。

「ちゃんと説明して! 望愛!」

 日向も厳しく詰め寄る。そんな日向の荒げた声にクラスがざわついた。注目を浴びたくなかった望愛は、このままではダメだと判断し、

「ちゃんと話すから、場所だけ変えていい?」

 と提案した。

 静かな裏庭で話すことにした。始業ベルはとうに鳴っているが仕方がない。望愛は説明した。召使いさんが亡くなったことも含めて。


「――β版って。今時、そんなの使う人居るの!?」

「居たのよ、実際」

 驚きを露わにするレベッカに、冷静に返す望愛。

「使いものにならないから、今のクロノロイドが出来たというのに。現にそれはやりすぎでしょ!」

 レベッカは望愛の左手を指した。

「けど、お母様はそうだと思わなかったみたい。この指を見ても顔色一つ変えないのよ」

「ぶっとんでる」

 ありえない、とでも言いたげだった。

「けど、私、召使いさんまで亡くなっているなんて知らなかったわ! 優奈おばあ様はということは聞いていたけど・・・」

「日向!」

 レベッカは日向にそれ以上言うなと言わんばかりに声を荒げた。日向は、はっと口を覆った。

「ごめんなさい、望愛。私、無神経だったわ」

「いいのよ。事実だし」

 日向はそんな望愛の顔を見て、自分が大変な失言をしてしまったと後悔した。

「・・・その、今日は保健室で休んだら? 先生たちも事情は知ってるし、一日ベッドに居ても見逃してくれると思う」

 日向はおずおずと提案した。

「・・・そんなに顔色悪い?」

「正直、ね。あんた鏡見た? まるでゾンビよ」

 そういって、レベッカは携帯の鏡を手渡した。起動すると、確かに酷い顔だった。たった数日なのに頬はコケ、目の下には濃いクマがあった。

「この顔なら、確実にベッドで休めそうね」

 あまりの酷い顔に、ふふっと望愛は笑った。

「笑い事じゃないっつーの!!」

 レベッカは望愛の背中を叩いた。

「痛ッ」

「文句言うな。ほら、保健室行くよ!」

 レベッカは半ば強硬的に望愛を保健室に連れて行く。


「失礼しまーす」

 レベッカは無作法に手をひらひらさせて保健室の中に入っていった。それに対して日向は控えめに軽く頭を下げながら入っていった。

「あら? リーさんと水無さんじゃない。どうかして?」

 白衣を着ていても、短いスカートを履いていても色気も何も漂わない残念な保健医の鬼灯先生は、突然の来訪者に首を傾げた。

「いえね、用があるのは私達じゃなくて、此奴です」

 とレベッカは後ろに隠れていた望愛を突き出した。

「あら、西園寺さん! 酷い顔じゃない」

 鬼灯先生はすぐにスキャニングして体調を確かめた。

「熱とかはないけど、酷く寝不足ね。あとメンタル面での疲労も現れているし・・・」

 そしてモニターから左手に視線を移した。

「何より、左手の指はどうしたの!? 全部爪が剥がれちゃっているじゃない!」

 望愛たちはギクリとした。爪の事をなんて説明するのがいいのか、何も考えてきてなかった。

「えっとぉですね、その・・・」

 レベッカは何か良い案は無いか話そうとするが、なかなか言葉が続かない。暫く沈黙が続いたが、鬼灯先生が折れてくれた。

「まあいいわ。とりあえず、指先の消毒するからこちらにいらっしゃい」

 望愛はそれに頷く。

「そこの二人は授業に出なさい。けど、昼休みは顔を覗かせにいらっしゃいね」

 鬼灯先生はウインクした。いい先生なのだが、その行為が似合っておらず、痛々しいとレベッカは思った。

「はーい。望愛、またお昼に来るから。それまでにその顔、少しはマシにしときなよ」

「またね」

 レベッカと日向はそれぞれ望愛に言葉をかけると、保健室から出ていった。

「いい友人を持ったわね」

 鬼灯先生はクスクスと笑った。そしてこちらの椅子に座るように促したので、望愛はそれに従った。

「ええ。私には勿体ないくらいです」

 鬼灯先生は望愛の指先に液体をかけると、その液体は染み込むように中に入っていき、保護膜を作った。

「これで日常の作業に不便にならないくらい左手は使えるわ。けれど、いくら再生液を使ったからって言っても爪が生えるまでに一カ月はかかるからね」

「はい・・・」

 望愛はぷっくりとあらわれた肉の部分をそっと触った。たった数滴かけただけなのに、今朝の痛さとは比べものにならないくらい和らいでいた。

「今日は一日ベッドに居てもいいわ。担任には上手く伝えておいてあげる」

 鬼灯先生は壁のホログラムを解除し、その奥のベッドを出した。

「ありがとうございます」

「二人の為にも今日はゆっくりと休養なさい」

 望愛がベッドに腰掛けると、すぐさま先ほどのホログラムを点けた。実際には無い壁だが、一人でいるかのような気楽さと、実際には人がすぐ傍にいてくれている安心感がとても心地よかった。

 横になると、数日ぶりに深い眠りについた。



 望愛の目の前には鏡があった。その鏡を覗くと、目つきの鋭い自分が同じくこちらを見ていた。訝しげに鏡にそっと触れると、鏡が水のような波紋を広げる。吃驚して後ろに思わず仰け反る。私が手を離した後も鏡の中の自分は中から鏡に触れており、押し出るように中から出てこようとしていた。徐々に後ずさる望愛。それに呼応するかのように鏡の中の自分が出てきた。体全体が鏡の中から抜け出すと、望愛に近づこうと一歩踏み出してきた。そして、鏡の望愛が鋭い口調で話し出した。

「私がお前だったかもしれなかった」

 一歩踏み出す鏡の望愛。それに合わせて一歩後退りをする望愛。

「お前が私だったかもしれない」

 再び一歩踏み出す鏡の望愛。それに合わせて一歩後退りをする望愛。

と考えることはできる」

 鏡の望愛は止まった。望愛も止まった。

「しかし、考える必要はあるのか?」

「何を言っているの?」

「起こった結果だけが全てで、もしもの世界なんてのはありはしない。はただお前を混乱させてしまった。無意味な情報を与えて、自分が出来なかったことを勝手に託そうとしただけ」

「だから何の事を言っているのよ!」

「分からないのかい? 君の胸の中を悩ませているの話だよ」

「事実・・・?」


 目を覚ますと、無機質な天井が目の前にあった。髪はじっとりと湿っており、寝汗を掻いていた。望愛はベッドから起き上がった。一体、先ほどの夢は何だったのか。鏡の中の自分は。同じ顔をした別人のような風貌であった。望愛は自分の胸に手を当てた。

 まだ胸がドキドキしている・・・。

 まるで何もかも見透かされているようで、鋭い瞳だった。強い意志を彼女から感じた。

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Fの時代 久遠海音 @kuon-kaito

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