第6話 一人
「望愛! こんなところにいたの!?」
金山のおじいちゃんが帰った後、ぼんやりと歩いていると、レベッカの声が耳に入ってきた。ふと顔をあげると、遠くの方に喪服姿のレベッカと日向が居るのが見える。どうやらおばあ様のお葬式に来てくれたらしい。レベッカは日向を連れて駆け寄った。
「優奈おばあ様のお葬式に来たのに、望愛、居ないのだもの。心配したわ」
日向は望愛の手をギュッと握った。
「ごめん・・・」
二人は望愛の様子を見て、お互いを見合った。そして、レベッカが口を開いた。
「心の整理がついたらでいいから・・・また学校来な、ね?」
「ん・・・」
「なんならウチら今日、泊まってってもいいし」
精一杯の気を遣ってくれるレベッカ。それに日向も同意するように頷く。
「ありがとう・・・。でも、大丈夫よ」
二人の気持ちは有難かったが、正直一人で静かに過ごしたいと望愛は思った。金山のおじいちゃんに言われたことをじっくり考える必要がある。自然と望愛の眉間には皺が寄った。それを見た二人は、望愛の辛い気持ちを感じ取った。
「望愛、今は本当に辛いと思う。けど、私たちが居ることを忘れないでね」
日向は力強い眼差しで、望愛の瞳を覗きこみ、一層強く手を握った。痛い位に。
「ウチらはずっと、あんたの味方だよ」
レベッカも望愛の肩に手をポンと置くように叩いた。
「二人とも、本当にあり・・・」
お礼を言おうと思った望愛だが、声が出ない。代わりに涙がぽたぽたと流れ落ちるばかりだった。
二人は静かにそっと望愛を抱きしめるように包み込んだ。
その日の夜、ベッドの上で望愛はおじいちゃんに言われたことを反芻していた。望愛は召使いさんを一人の人間として、母として想っていた。しかしおじいちゃんの言う通り、名前など気にもしなかった。召使いさんは召使いさんであり、他の何者でもないからだ。それでいいと思ってたし、それが普通の感覚だと思っていた。しかし考えれば考えるほど、私が召使いさんに対してどういう感情で持って接していたのか分からなくなっていった。
「・・・喉、乾いたな」
体から水分の抜けた望愛は喉の渇きを感じた。ベッドから降りると、リビングに向かい、水を汲みに行った。そこにはお母様がソファに座って居た。こちらに背を向けているので誰かは分からないが、お母様は隣にいる誰かと話しているようだった。
「──あら。丁度良かったわ」
望愛がリビングに降りてきたことに気が付いたお母様。そんなお母様を横目にお水をゴクゴク飲む。別に気が付かなくてよかったのに。上機嫌な様子のお母様に腹が立つ。
何がそんなに嬉しいのだろうか。いくら疎んでたとはいえ、身内から二人も死者が出たというのに。お母様とは一生分かり合える日は来ないだろう。
「望愛、あなたに朗報があるの。きっとあなたも喜ぶわ。―――さあ、挨拶しなさい」
お母様が横にいる人物にそう促すと、その人物は滑らかにソファから立ち上がり、くるりとこちらを向いた。望愛は目を見開いた。その人の容姿は完璧にお母様にそっくりであり、服装は『召使いさん』の恰好そのままだったからだ。
「こんばんは。望愛様」
聞き覚えのある声だった。お母様と召使いさんにそっくりな声だ。
「新たなクロノロイドが届いたのよ」
お母様はニコニコしていた。
「成体になるまでカプセルに入れられているプロトタイプだからマニュアル通りの事しかこなせないけれど。けれど、以前のポンコツと比べたら随分マシですわ」
「望愛様。製品番号β―911956です。西園寺雪麗様のクロノロイドとして派遣されました。どうぞよろしくお願いします」
横に分度器でもあるかのようにぴったり三十度でお辞儀をした。
「以前のはあまりに出来が悪すぎて廃棄処分になってしまったけど、これはとても良いわ。―――ね、私の言った通りだったでしょ?」
望愛の頭には「失ったわけじゃない」と言い放ったお母様の言葉が過り、怒りが爆発した。
「何が『失ったわけじゃない』だ! その人は『召使いさん』じゃないじゃない。全くの別人!! β版のクロノロイドを使うとか、命をどれだけ馬鹿にすればいいの!!」
「何言ってるのよ? 電化製品だって、壊れれば買い直すでしょう? それと一緒じゃない」
一蹴するお母様。
「電化製品じゃないわ。人よ!! ちゃんと感情も存在する、人と同じ存在よ!」
「何を馬鹿な事を。元々彼らは人間に仕えるために製造された存在よ。そんな存在が私たち人間と同じはずないじゃない」
「違う!!」
望愛は激しく否定した。そんな望愛の様子にお母様は軽蔑の眼差しを向けた。
「一体学校で何を習っているのよ。―――――あっちの子は優秀だというのに」
ボソッと最後の言葉を聞こえるか聞こえないくらいかで付け足したように言った。
「全く仕方がないわね。あなたが聞き分けないからこんな目に遭うのだから、お母様を恨まないで頂戴ね」
にやりと笑みを浮かべると、β板のクロノロイドに向かって命令した。
「では、あなた。早速仕事をしてもらうわ。あの子が『クロノロイドが人間だ』と二度と馬鹿なことを言わない様にきつく叱ってやって」
「畏まりました」
お母様に瓜二つの顔をしたクロノロイドが望愛を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。
「いや! 離して!」
「その命令は聞けません。
冷たい表情のまま、クロノロイドは望愛を引っ張り続けた。望愛はゾクリとした。
「ふふっ。β版は人間らしい感情を全く持ってない、ロボットのようなモノよ。何事も
お母様はソファに置かれた紅茶のカップに手を伸ばし、望愛が連れて行かれるのを横目に口に注ぎ込んだ。
「いやあああああ」
「あら、冷めてるわね。入れ直してもらわなきゃ」
「―――今日はここまでにします。それではまた明日、よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をすると、お母様の新しいクロノロイドは折檻部屋から出ていき。鍵を閉めた。部屋は一気に真っ暗になった。地面には『クロノロイドは人間ではない』とビッシリ書かれた紙が大量に散らばっていた。そしてそれを書いた人物である望愛の手は血まみれだった。今現在紙で文字を書くという習慣のない望愛にとって、これだけの量の文字を鉛筆で書くことは苦痛であった。その為、手には豆ができ、それが潰れて血が出ていた。床にはそんな望愛の鮮血が所々に垂れていた。
文字を書きすぎて血豆が潰れたから、というのもあるだろうが、大方の血はそうではない。剥ぎ取られた爪が在ったはずの部分からだった。望愛の左手の小指、薬指、中指の爪がある筈の部分が、真っ赤に染まっていた。しかしこの部屋には指から流れ落ちた血液や爪以外にも、茶色の乾いた血がこびりついていた。
ここはもともと召使いさんが折檻を受けていた部屋だ。彼女はほぼ毎日この部屋で何かしらの体罰を受けていた。今まで入ったことは無かったが、この壁のシミを見る限り、拷問と言っても過言ではないことが行われていたことが見て取れる。てっきり食事抜きや爪を剥ぐだけの小さな罰くらいだと思っていたのに・・・。ただ彼女がクロノロイドであったため、気付かなかっただけなのだ。
「ごめんなさい・・・」
なぜ気付いてあげられなかったのだろう。こんなひどい目に大切な人が遭っていたというのに。爪を剥ぐことがこんなにも痛いことだなんて知らなかった。暗く狭い部屋に一人でいることがこんなにも心細いことだとは知らなかった。血生臭い。痛い。怖い。寂しい―――こんな言葉の本当の意味さえ知らなかった。
苦しかったし、辛かったに違いない。誰にも言う事も出来ず、誰にも気づいても貰えず、たった一人で耐えていた。そして、最後は一人で死んだのだ。誰にも看取られず、物のように処分されたのだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
気づいてあげられなくてごめんなさい。無知でごめんなさい。一緒に居られなくてごめんなさい。名前を知らなくてごめんなさい。頼ってばかりでごめんなさい。わがままばかり言ってごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「本当に・・・ごめんなさい・・・」
――――望愛は、一人、泣いた。
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