もしも異世界から帰還した元勇者が、東京周辺に三十三カ所の迷宮がある世界の出身だったら 東京迷宮_2012

肉球工房(=`ω´=)

もしも異世界から帰還した元勇者が、東京周辺に三十三カ所の迷宮がある世界の出身だったら 東京迷宮_2012

「まあ、あれだ。

 そろそろこちらの世界にも馴染んできた頃合いだろうから、ぼちぼち真面目に働けや。

 お前なら稼げそうな職場があるから」

「そうなのか?」

 完爾は首を傾げる。

「ねーちゃんがそういうんなら、ちょっと試してみるかな」

 門脇家の姉と弟の間でそんな会話がなされたのは、二千十二年八月のことであった。


 首都圏内某所に居住している門脇家の構成員は、離婚歴がある姉の千種とその弟である完爾、それに姉の息子、完爾の甥にあたる翔太の三人になる。

 千種が所有するアパートの一室で暮らすこの一家は、完爾の経歴さえ除けば、さして珍しくもない家族であるといえた。

 その完爾の特殊な経歴とは、

「十五歳のときに異世界に召還され、そこで十八年間勇者をやりって帰ってきました」

 という、どこかのラノベかゲームの筋書きのようなもになる。

 完爾が異世界でどういうことをしてきたのか詳しく知りたい方は、「語る姫(http://ncode.syosetu.com/n9493bk/)」という作品をご覧になっていただきたい。

 その他の関連作品も含めてご覧いただくと、本作品もより一層おいしくご賞味いただけます。


 そんな事情で長年に渡り行方不明になっていた完爾は、記録上、死亡したことにもなっており、その戸籍を復活させたりなんだりといった手続きのため、完爾の姉である千種はこれまでに個人的なコネを総動員して奔走していた。

 完爾の帰還からわずか三ヶ月で戸籍を復活させ、保険証や年金手帳まで交付させるのは、この千種でなければまず無理であったろう。

 そのおかげで完爾は、この姉に頭があがらないのであった。

 また、現在三十三歳である完爾は、この世界に帰還した途端に中卒職歴なしというどうしようもない履歴を持ち主になっている。

 そんな男が容易にまともな勤め先を得られるわけもなく、現在の完爾は門脇家の家事や甥の保育園送迎などをして生活している有様であった。

 そんな矢先の、冒頭の会話である。

 他に身の振り方にあてがあるわけどもなく、完爾は素直に千種の言葉に従って、所沢迷宮へむかう。


 三十三カ所ある迷宮の中から完爾がわざわざ所沢迷宮を選んだのには、いくつかの理由があった。

 まず、自宅からの交通の便がよいこと。

 数ある迷宮の中でもこの所沢迷宮だけが他の迷宮から距離があり、それのため出入りしている探索者の数も他の迷宮よりは少ないこと。

 最後に、この迷宮は所沢航空公園の敷地内に存在するため、自宅からの移動の際、転移魔法を多用しても怪しまれそうもないな、と思ったことなどによる。

 勇者として活躍していた経歴のある完爾は、当然のように転移魔法をはじめとする各種の魔法を使用することができた。


 完爾が魔法を使えることは、この時点では、完爾自身しか知らない。

 姉である千種には、行方不明になっている期間のことも、

「別の世界でいろいろやっていた」

 としか説明していなかった。

 というか、そういった時点で千種がなにかを察したような表情になり、

「あ、もういい。

 それ以上、なにも説明するな」

 といって完爾の説明を強制的に止めたので、これまで説明をする機会を失っていた。

 だから、というわけでもなのだが、完爾は自分が魔法を使えるということを、この世界では特殊な人間であるということをできるだけ隠していこうと心がけている。

 不必要に目立つことで得をすることなど、なにもないのであった。


 ネット上で情報を集めていたので、必要される書類などは欠損なく用意していた。

 そのせいか完爾の登録申請はすんなりと通り、不可知領域管理公社の職員から、

「講習の予約はすぐに入れますか?」

 と問われた。

 現代の日本において、迷宮にはいるためには事前に探索者として登録を義務づけられており、その登録が行われていない者は迷宮に入れないことになっている。

 一種の免許制に近い扱いであったが、合計十日間に渡る簡単な講習を受けさせすればほぼ誰でもその登録は可能であり、合否判定が必要となる資格試験などは存在しなかった。

 仮に不適切な資質の持ち主が迷宮に入ったとしても、そのために損害を受けるのはほぼその本人だけだったからである。

 基本的に公社が行うことは探索者の支援であり、管理ではなかった。

 公社が管理するのは、その名の通り不可知領域、すなわち迷宮とそこに由来する資源だけであり、探索者の去就についてはすべて自己責任で、というスタンスを貫いている。


 こういう状況だと、確かに完爾自身のように経歴に問題がある者でもほぼフリーパスでも働けるよな、と、完爾は思った。

 案外、探索者の中には通常ならば就職しにくい前科者などが少なくはない比率で含まれているのではないか、とも思った。

 その完爾の予想は、あとで実例をいやというほど目の当たりにするのであるが。


 登録に必要な講習は大過なく終わる。

 基本的に完爾は、その間できるだけ静かに、大人しくして過ごした。

 座学についていえば、分野によっては興味の引かれる内容もないわけではなかったし、実習についてはできるだけ平均的な人間の振りをするように努めた。

 登録が済んでさえしまえば、そのあとは完爾ひとりで迷宮に入ることができるはずだった。

 本気を出すのはそれからでも遅くはない。


 講習は平日の午前中しかなかったので、これまでの生活リズムを崩す必要もなかった。

 帰りは、所沢航空公園のトイレに入り、個室の扉を手で押さえた状態で転移魔法を使用すれば、一瞬で自宅に着く。

 それから自分で作った朝食をいただき、翔太の保育園へ迎えに行くのも余裕だった。

 ちなみに、往路に関しては普通に公共の交通機関を使用した。

 転移魔法で出た先に目撃者がいたとしたら、それはそれで悪目立ちしそうだったからであった。

 この往路は公共の交通機関、帰りは転移魔法というパターンは、完爾が本格的に探索者として働きはじめてからもしばらくは続くことになる。


 そんな調子で登録に必要な講習を受けたあと、完爾はすぐに迷宮に入った。

 公社から最初に配布される服とプロテクター、ヘルメットなどをそのまま装備し、大容量のバックパックとそれに異世界から持ち帰ってきたいわくつきの魔法剣を自前で用意している。

 後者の魔法剣は本来ならば探索者用として登録しておかないと銃刀法違反ということになり、まともに持ち歩けない代物であったが、完爾の魔法によって封印を施されているため、完爾以外の者には絶対に鞘から抜くことができないようになっていた。

 そのため、実質的には鞘に収まった模造剣型の鈍器として扱われている。

 妙な誤解を受けないよう、外出時には外見からは中身がわからないよう、布製の袋に包んで持ち歩くことにしていた。

 完爾もこの魔法剣を容易に使用するつもりはなく、研修時に迷宮に入った感触では魔法だけでエネミーに対処できるであろうと予想している。

 この魔法剣をわざわざ持参するのは、念のための保険としての意味合いしかなかった。


 一目で初心者とわかるいでたちの完爾が単独で迷宮に入ろうとすると、ゲート管理の公社の人間はなにかいいたそうな表情をしていた。

 それでも、基本原則でして公社の人間は、探索者各自の方針などに介入できないことになっている。

 事故責任が徹底され、その分、成功したときの実入りも保証されているのが探索者という職業なのであった。

 はじめて単身で迷宮に入った完爾は、すぐに駆けだした。

 別の世界で十八年間も救世主をやっていた完爾の疾走であるから、非常識なほどに早い。

 すぐに小動物じみたエネミーを遠目に発見し、即座に弱めの攻撃魔法を当てる。

 エネミーは完爾の攻撃に反応する前に蒸発した。

 そんな完爾でサーチ・アンド・デストロイを徹底してエネミーを駆逐しながらかなりの速度で移動し、次の階層へむかう階段を発見したところですぐに降りる。

 もちろん、エネミーが焼失したあとになんらかのアイテムをドロップしたら、すぐに拾いあげてバックパックの中に放り込んでおくことも忘れない。


 そんな調子で完爾は迷宮内をひた走り、三十分もしないうちに五階層を越え、一時間も経過しないうちに十階層を突破、二時間もかからずに二十階層も通過した。

 途中、なぜか知らないがバッタ型のエネミーが万単位で群生している区画があったが、それも完爾の広域殲滅魔法一発で難なく打ち破っている。

 実働一日目の初心者としては大量のドロップ・アイテムを回収しつつ三十八階層に到着したところで正午になったので、完爾は転移魔法で迷宮の出口前まで移動し、迷宮を出ることにした。

 転移魔法を使用すれば迷宮外のどこへでも移動することができるのだが、この時点では完爾はまだ自分が魔法を使用できることを秘匿するつもりだったので、できるだけ目立たないように振る舞っている。

 本人としては、そのつもりだった。


 バックパックに放り込んでおいたドロップ・アイテムを窓口に提出すると、ちょいとした山になってしまった。

 特にて低階層ではアイテムがドロップする確率はそんなに高くはない。

 それも、明らかに初心者、かつ、ソロの完爾がそこまで大量のアイテムを持ち帰ったことを、担当した公社の職員は当然のことながら疑問に思った。

「パーティの方は別の場所にいるのですか?」

「いえ、おれはひとりで迷宮に入っています」

 問われて、完爾は素直にそう答える。

「それよりも、受理作業を急いでくれませんかね」

「ええ、ちょっとお待ちください」

 職員は、完爾が持ち帰ったアイテムを個別に鑑定しはじめた。

 数こそ多いものの、すべて見慣れた、低階層でよくドロップするアイテムだった。

 数量とデータベースと照合してこの時点での買い取り価格を確認し、換金帳票に記載していく。

 その日、完爾が持ち帰ったアイテムは、総額で八万三千五百二十円になった。

 その結果を見て、

「これなら、今までのように家事をやりながら探索者稼業をこなすことも十分にできるな」

 と、完爾は思う。

 午前中にここの迷宮に出勤し、午後に家事を行う。

 そういう生活パターンで、いけそうな気がした。


 完爾が姿を消したあと、完爾が持ち帰ったアイテム群はやはり公社の職員の間で不審に思われた。

 どうみても二十階層以上に深い場所でしかドロップしない物品が含まれている上、完爾は今日が実働初日の、しかもソロの探索であるという。

 早速、完爾のヘルメット・カメラで撮影された映像データを検分することになった。

 が、この試みは、真相を知るための役に立たなかった。

 完爾はほぼ常時、高速で移動していたため、映像はぶれぶれであり、まともに撮影できている箇所がほとんどなかったのだ。

 頻繁に不可解な爆発や雷光らしき映像がはいっていたのだが、映像そのものが不明瞭なため、実際にその場でなにが起こったのかははっきりと理解することができなかった。

 ただ、ドロップしたアイテムを拾うときなどに明瞭な映像が残されていることもあり、そうした場面を繋ぎ合わせると、完爾が順当に一階一階階層を降りていっていることも証明された。

 公社の職員は、極めて異例なことだが、完爾はなんらかの要因により初日から複数のスキルを修得し、それを駆使して攻略を行っている探索者である、という解釈を採用することにした。

 違法な行為を行っているのならばともかく、そうした形跡が見られない以上、公社としても完爾のやり方を否定するわけにはいかないのだった。

 個々の探索者の方法について必要以上に干渉しない、というのは、不可知領域の伝統的なポリシーでもある。


 完爾は三日目には百階層を突破し、十日後には三百階層を通過する。

 完爾は土日は休むことにしていたから、十日後とはいっても実働日数は八日であった。

 一日あたりの迷宮先行時間はきっかり三時間以内に収めていたので、完爾は実質二十四時間で三百階層を突破したことになる。

 流石の公社もこのあたりで完爾が非常識なほどに破格な存在であることを認めないわけにいかなくなった。

 そこで、完爾から事情聴取を行うことにした。


 事業聴取を行う前に、〈鑑定〉のスキルを持っている者に、マジックミラー越しに完爾の所持スキルを確認して貰う。

「彼のスキルは?」

「ありません」

 その返答は、公社側がまるで予想していないものだった。

「あの人は、スキルなんかまるで持っていません。

 ただ……」

「ただ?」

〈鑑定〉のスキルは、〈喝破〉のスキルがそうであるのように相手のスキルを読みとるだけではなく、相手の能力値もだいたい把握することができた。

「……あの人、人間ですか?

 基本能力が、べらぼうに高い」

「高いって、どの程度かね?」

「平均的な人間と比べたら……。

 いや、比較するのも馬鹿馬鹿しい。

 天と地ほどの差があります。

 スキルなんかなくったって、あの人なら、それこそ世界中を敵に回して戦うことだってできるでしょう」

 そういう〈鑑定〉スキル持ちは、全身に脂汗を掻いていた。

「あの人がこうして大人しく探索者なんてしてくれていることに、感謝すべきなんでしょうね」

 急遽、もっと別の、さらに詳細な分析能力を持つ専門家が召集されることになった。


「やあやあやあ。

 どうもどうも」

 その異相の男は室内に入って来るなり、完爾に対してにこやかに挨拶をした。

「どうも君は、今、面倒な立場に立たされているようなんだが、そのことを自覚しているのかね?

 ああ、ぼくのことならエルフ田マサシと呼んでくれ。

 この世界ではそう名乗っている」

 その男はオールバックで髪をきれいになでつけ、両耳は尖って、上の方にピンと立っている。

 にやにや笑いと相まって、エルフというよりは悪魔に見えるな。

 と、完爾はそんなことを思った。

「それで君、ああ、門脇くんといったか。

 君は、いったい何者なのかね?」

 エルフ田は、いきなり根源的な問いかけを完爾にぶつけてきた。

「中卒職歴なしの三十路男ですよ」

 完爾は即答した。

 それがこの世界での完爾の立場を客観的に表現すれば、おそらくそういうことになる。

「いや、そういう建前はいいんだ」

 エルフ田は、芝居がかった動作で首を横に振った。

「ぼくは、君が何者なのかを聞きたいんだ。

 ちなみにぼく自身は、君たちが迷宮というあの空間を経由して別の世界からここに漂着した別世界人ということになる。

 もう一度聞くよ。

 君は、一体何者なんだね?

 多種多様な魔法を使用でき、驚異的な魔力を体内に備蓄し、おそらくは身体能力も常人のそれを遙かに凌駕しているであろう、門脇完爾くん」

 魔法のオーソリティを自認しているエルフ田は、完爾の非常識な魔法使いとしての資質を一目で見抜いていた。


 結局、そのあと完爾は少し長めの自己紹介をすることになった。

 それでは飽きたらず、エルフ田に誘われてその夜一緒に飲みに行くことになった。

 とはいえ、昼過ぎから甥の翔太を寝かしつける時間まで、完爾は自宅の用事に帰っていた訳だが。


 差し障りのない範囲で完爾の事情を開陳したため、それ以降はなにかと動きやすくなった。

 なにより、公社が細かい詮索をしてこなくなったのが完爾としては助かっている。

 そのおかげもあってか、特に急いでいるつもりもなくても、実働開始から一月もしないうちに完爾は千階層を突破している。

 ちなみにこれは、七十年に渡る探索者の歴史の中でもダントツの最速踏破記録となる。

 完爾は一貫してソロで活動していたから、おそらく今後もこの記録が破られることはないだろう。

 驚いたことに、完爾はこの千階層に到達した時点で、トータル迷宮先行時間は百時間にも達していない。

 先行百時間以下といえば、通常の探索者なら、まだ迷宮の環境に慣れておらず、低階層をウロウロしているような段階であるなずなのだ。

 破格というか非常識というか、とにかく余人が真似をできないような領域であることは確かだった。

 この前後からなにかと目立つ完爾の行動は徐々に周知のものになっていき、誰ともなく「所沢迷宮のエース」と呼ばれるようになっていく。


 この前後、完爾は公社からある依頼を受けていた。

「レベリング、ですか?」

 そう。

 公社としては、非常識なまでの強さを誇る完爾を放置しておく手もなく、

「他の探索者たちとパーティを組んで迷宮に入ってみないか?」

 と完爾に打診してきたのだ。

 他の探索者たちとパーティを組んだ状態で完爾がいつもの通りに仕事をすれば、それだけでパーティメンバーを強化することになる。

 さらにいえば、千階層以降の深層を体験している探索者は、まだ数百人しかいない状態であったから、深層を実地に行くことは、それだけで貴重な体験となるはずだった。

「……少し、考えさせてください」

 しばらく考えた末、完爾は即答を避けた。


「と、公社の人にいわれたんですだけどさあ」

 その日の夕食の席で、完爾は姉である千種にそのことを相談してみる。

 これは別に完爾がシスコンであるというわけではなく、こちらの世界での経験が圧倒的に不足している完爾としては、なにかと世慣れている千種の意見を聞いてから判断をするべきだと思ったからである。

「なるほどなあ」

 一通りの説明を聞いたあと、千種は頷いてみせた。

「そんで、なんか躊躇う要素があるわけ?」

「いや、他の人と足並みを揃えていたら、今までのような速度で先には進めないかな、と」

 おそらくだが、元勇者である完爾と同じ速度で移動できる探索者は、ほとんどいないはずだった。

 探索者たちの中には妙なスキルを持っている者もいるから、絶対に皆無というわけではなずだが、それでも、ほとんどの探索者は完爾についてこれないだろう。


「あんたとしては、他人に構わずもっと先に進みたいわけな」

 千種は確認する。

「うん」

 完爾は頷いた。

「深い場所に行けば行くほど、希少な物質を拾いやすくなるんだよね」


 そうした希少な物質は、実のところ必ずしも高額で買い取られるというわけでもない。

 特にこれまでにドロップしてこなかった未知の物質などは、何ヶ月もどこかの研究所に預けられた末、二束三文にしかならなかったということが珍しくはないのだった。

 ただ、逆に、未発見の画期的な素材となる可能性もあり、科学技術や産業の世界で何十年分も時間を進める可能性も、ないわけではない。

 ここ最近の完爾は、一日あたり数十万円から三桁万円を稼ぎを出していた。

 上下差があるのは、迷宮深層という場所の基本的な性質であるから仕方がないにせよ、拘束される時間で考えれば破格の報酬を受け取っているといってもいい。

 自身に必要な報酬をすでに得ている以上、できればこの世の中になんらかの還元ができる仕事をしていきたいというのが完爾の考えであった。


「でもさ。

 それは、他の探索者たちの実力を引き上げることでも実現できるんでないかい?」

 千種はその点を指摘する。

「多少底上げをしたところで、他の人たちとおれとでは、ぜんぜん違うよ」

 元勇者である完爾と他の探索者とで、埋めようとしても埋められない溝がある。

 驕りでもなんでもなく、完爾はそのように認識している。

 他の探索者たちが束になっても、完爾ひとりの働きには到底及ばないのだった。


「それでは、週に何日かだけとか日程を限定して他の人たちとパーティを組んで、それに……」

 一通りの説明を聞いて事情を理解した千種はある提案を行った。


 数日後、千種と完爾は企画書を携えて所沢迷宮の公社事務所を訪れた。

 もちろん、事前にアポは取っている。

「探索者育成事業の法人化、ですか?」

 所沢迷宮支社長は、千種が提出した企画書を見て微妙な表情になる。

「この場合のメリットは、探索者の方々の育成だけに留まりません」

 ビジネススーツを着込んだお仕事モードの千種は、真剣な面もちで説明をする。

「こちらの完爾は、各種の魔法は使用できるものの、こちらでスキルと呼称されている能力は一切おぼえておりません。

 そこで、この完爾にその階層に居るエネミーを一掃して貰い、他の方々にはその際に出現したアイテム類を回収していただく形になります。

 現在、この完爾の回収能力は普段使っているバックパックによって上限が規定されている状態なわけですが、この方法ですと迷宮内で継続して長時間活動が可能となります」

「門脇さんのボトルネックが解消されることにもなるわけですか」

 支社長はそういういい方をした。

「現在のところ、当社が行う業務は以下の通りになります。

 まず、この特異な能力を持つ探索者であるところの完爾の勤務時間管理。

 次に、完爾との同行と希望する探索者の方々の募集と選定。

 最後に、その際に得られたレア・アイテム類の分析と換金、働きに応じたパーティ内で報酬の分配までを視野に入れております」

「待ってくれ!

 他はともかく、レア・アイテム類の分析は……」

 それは、公社の領分を侵すものではないか、と、支社長はいいかける。

「迷宮かで得たものを公社を通さずに処分することは、探索者としての権利として認められているはずです」

 千種は指摘をした。

 通常、一般的な探索者は迷宮で入手した未知の物質などを分析する方法やコネを持たず、公社に任せる方のが一番手っ取り早い処理法であるというだけのことなのだった。

「企画書の二十三ページめをご覧になってください」

 千種は、さらに詳しい説明をする。

「わたくしどもは、すでにクシナダ・グループと提携しております」

 クシナダ・グループとは、国内にある産業複合体の名称だった。

 国内でも有数の、ということは世界的に見ても第一線レベルの先端技術研究設備をいくつか有している。

 公社経由で持ち込まれた未知の物質がそうした研究施設に持ち込まれることも少なくはなかった。

 当然、そのクシナダ・グループに依頼すれば、たいていの調査や分析は可能なはずだ。


「稟議書を作成して上の意向をうかがってみませんと、この場では即答できかねます」

 千種の説明が終わると、支社長はそういった。

「是非、そうなさってください」

 千種も支社長に頷いてみせた。

 空前絶後の能力を持つ完爾という存在をこちらが抱えている以上、交渉の主導権は完爾たちの側にあるのだった。


 公社側からの正式な返答が来る前に、完爾たちは着々と準備を進めている。

 千種は「迷宮内での完爾の活動の支援と、そこで得られる物資の調査と換金化」を業務内容とした法人の登録し、それと平行して所沢迷宮の近所に事務所とワンルーム・マンションの契約を行う。

 ワンルームの方は、完爾個人の拠点にするつもりだった。

 今後も転移魔法を使用して移動するにしても、誰にも目撃されないようにするための拠点はそろそろ必要になっていた。

 また、現在の完爾の収入ならばその程度の不動産を確保してもまるで問題がなかった。

 事務所を借りてから千種はすぐに心当たりに声をかけたり募集をかけたりして、数名の従業員を確保した。

 完爾との同行を希望する探索者たちの管理と、これから出現するであろう膨大な物資の売却先を確保するのがこの事務所の主な仕事となる。

 とりあえずは、後者のための営業活動を行うことになった。

 もって帰れる物資の量に限りがある完爾は、エネミーの死体はその場に放置して帰ることが多い。

 だが、〈フクロ〉と呼ばれるイベントリーのスキルを持つ他の探索者たちは、エネミーの死体も持ち帰り、公社や別の業者に卸して換金している。

 エネミーの死体のほとんどは食用になった。

 一部、人間にとって有害な物質を含んでいたり、匂いや味になどが強すぎて食用にならないものもあるのだが、そうした死体でも薬品や肥料の原料として活用されていた。

 完爾が倒すエネミーの数は膨大なものになったから、これに〈フクロ〉持ちの探索者たちが同行することになると、これまで捨てていたそうした死体が活きてくることになる。

 もともと千種は経営コンサルタントとして働いていたこともあり、実に活き活きとして一連の準備を進めていた。

 ちなみに、なぜ千種がクシナダ・グループとのコネを持っていたかというと、その企業グループの基幹企業の創始者一族と大学時代に交友があったからであった。

 小学校から大学まで、同じ学校に通うことになった腐れ縁の友人も、その創始者一族の男に嫁いでいたりする。

 そのことを説明されたとき、完爾は呆れた。

 かなりいい大学を卒業したとは聞いていたが、そこまでのものだったのか。

 十八年間も別の世界に居た完爾は、千種の大学時代はおろか、その人生のほとんどを知らなかった。


 そうした準備期間中も、完爾は淡々と従来通りの生活を続けている。

 つまり、午前中だけ迷宮に入ったり、甥である翔太を保育園に送迎したり、炊事洗濯などの家事を行ったりしていた。

 特に力を入れているつもりもなかったが、完爾はあっという間に二千階層を突破し、二千五百階層を突破した。

 これまでの最深到達記録が千五百二十階層であったから、現在の完爾は毎日のように自己記録を更新していることになる。

 このあたりで公社から、完爾たちの会社と取引を行うという正式な返答があった。

 完爾が持ち帰るアイテムの中における未知の物質の割合が大きくなり、ぼちぼち公社が構築してきた分析期間だけでは処理できなくなりつつあった、という事情もあったのだろう。

 完爾や千種が自前でクシナダ・グループから全面的なバックアップの約束を取りつけているのなら、公社としても都合がよいのだった。


 いよいよ他の探索者たちを同行するにあたり、完爾はまずは探索者たちのレベリングを重視することにした。

 同行を希望する探索者たちのほとんどは、自力では千階層にも届かないレベルだったので、最低限、自衛を行える程度に育って貰わないと完爾もなにかと不自由をする。

 初日、五十名以上も集められた探索者たちは、完爾とパーティを組んだ状態で迷宮に入った。 

 それからすぐに、完爾の転移魔法によって、現在完爾が攻略中である階層へと移動する。

 そこで一端、完爾は他の者たちと別れ、単独でその階層を移動した。

 残された探索者たちは完爾が不在の間、自衛をする必要があるわけだが、なにしろ人数が人数だし、彼らもそれなりに経験を積んできた探索者たちであったので、完爾は特に心配してはいない。

 単純に迷宮内での経験ということでいえば、このパーティの中では完爾自身が一番のぺーぺーなのだった。


 単独行動になった完爾は、発見したエネミーを例によって片っ端から魔法で処理していく。

 死体を回収する必要があったから、火系統の魔法は使用せず、風系統か冷却系統の魔法を多用することになった。

 どんな魔法を使用するにせよ、たいていのエネミーは一発で沈黙するで、完爾してみれば手間はあまり変わらないのだった。


 適当にエネミーを始末して他の探索者たちと合流すると、彼らの多くはなぜかその場にうずくまっていた。

 少し落ち着いてから詳しく事情を聞いてみると、なんのことはない、迷宮内での蓄積強化現象というやつだった。

 探索者は通常、同じパーティに所属する者がエネミーを倒すと、マナだか経験値だかを体内に取り込んで身体機能を強化する。

 迷宮内部で使用できる〈スキル〉が使用可能になるのも、この累積強化現象のおかげだといわれていた。

 ただ、今回の場合、彼らがこれまでに体験したことがないほど大量のマナだか経験値だかが一度に入ってきたため、一時的に体調不良になった者が多かった、ということらしい。

 しばらく休むと、大部分の探索者たちが回復し、それどころか以前にもまして溌剌としてきた。

 レベリングの効果は予想以上に絶大で、確認してみたところ、この場で新しいスキルをおぼえた者も少なくはないようだった。


 体調が回復した者数名を連れて、完爾は倒したエネミーの死体がある場所へとむかった。

 そこに転がっているエネミーの死体を回収して貰う。

 この階層にまで至るとエネミーもかなり大型化していることが多く、わずか数体のエネミーを〈フクロ〉収納したところでスキルの容量上限になってしまった者が続出した。

 集められた探索者はベテランといってもいい者がほとんどであり、〈フクロ〉の容量もそれなりに多かったはずであるが、それでも間に合わないものらしかった。

 山のようにこんもりと盛りあがったエネミーの巨体を見あげて、完爾は、

「無理もないか」

 と、そんなことを思う。

 大きさだけでいえば、完爾が別の世界で戦ってきた大型の魔族にも匹敵する。

 怪獣といってしまった方がしっくりくるくらいの大きさであった。


〈フクロ〉が満杯になった探索者たちには完爾のパーティから外れて貰い、彼らだけでパーティを組んで迷宮の外に移動して貰う。

 迷宮に隣接している駐車場に、完爾の会社、門脇マテリエルが手配したトラックが待っているはずだった。

 エネミーの死体を回収した探索者たちは、そこで荷物を引き渡して本日の業務は終了ということになる。

 分け前の精算は後日ということになるが、それを外しても膨大なマナだか経験値だかをごく短時間のうちに得ているわけであり、彼らとしても損はない仕事になったはずだ。

 なんしろまだ、今日仕事を開始してから十五分も経過していない。


 そんな感じでその日集まった探索者たちの〈フクロ〉を片っ端から満杯にして送り出し、という行為を繰り返し、全員を迷宮の外に送り返してから、ようやく完爾個人の仕事に取りかかる。

 この階層までは完爾自身も来たことはあるのだが、これより下の階層はまだ未経験であった。

 足手まといになる他の探索者たちが居ない間に、もっと先に進んでおきたかった。


「あのなあ」

 自分の仕事を終えて地上に帰ると、待ちかまえていた千種に文句をいわれた。

「エネミーがあんなに大きいとは思わなかったぞ。

 そういう大事なことはもっと早くにいえ」

「……いわなかったけ?」

「聞いてない!」

 千種によると、丸ごと凍結させたエネミーの大半は手配したトラックに積載する重量に収まらず、探索者たちに手伝って貰って分断したり解凍したりと、結構な騒ぎになったらしい。

 風の魔法を使用して分解したエネミーについては、特に問題はなかったようだ。

「では、今後はできるだけバラバラにします」

 完爾としては、神妙な表情でそう約束するしかなかった。


 千種が自分の本業を休んでまでわざわざこの場に居たのは、今日が門脇マテリアルの実質初日であったからだ。

「思ったよりも量があったから、手配していたトラックには乗りきらなかった」 

 と千種はいった。

 ではどうしたかというと、トラックに乗り切れなかった分の荷物は、まだ探索者たちの〈フクロ〉の中に収納されているという。

 追加のトラックが到着しる頃に駐車場に来て貰い、改めて荷物の受け渡しをするという。

 エネミーの死体だけではなく、ときおり混じっていたドロップ・アイテムも運んで貰っているのだが、それらもひっくるめて、

「ま、大漁ではあるな」

 と千種はいった。

 荷物の量が予想外に多かったということは、単純に考えればそれだけの売りあげが見込めるということでもある。

 門脇マテリエルの未来は、なかなか明るいようだった。


 一度でも門脇マテリエルの仕事を受けると、探索者としての能力が劇的に向上する。

 探索者たちの間でそんな噂が広まるのに、そんなに時間はかからなかった。

 そもそも千階層以降に自力で踏み越えた探索者自体、まだ数百名単位しか存在しない現状では、無理もないことではあった。

 なにしろ完爾は現在、前人未踏の二千階層以降を攻略中なのである。

 そこで得られる経験は、他の探索者たちにとっても貴重なものであった。

 最近では、普段他の迷宮で活躍している探索者たちまでもが、完爾との同行を希望するようになっている。

 公社に協力して貰い、申し込みができるのはある程度のキャリアがある探索者だけに絞っているのだが、それでも予想外に多くの申し込みが殺到していた。


「ま、うれしい悲鳴ってやつだわな」

 そのことについて、千種はそうコメントした。

「こちらとしては、先着順で回すだけだなんだけど」

 むしろ、持ち帰った荷物のお届け先やトラックの手配が大変だという。

 近所から苦情も来はじめているため、最近では所沢迷宮だけにトラックを乗り入れず、探索者にわざわざ他の迷宮近くの駐車場まで移動して貰って、そこで荷物を積むようになっているということだった。

〈フクロ〉をはじめとする探索者のスキルは、ごく一部の例外を除き、迷宮の近くならば使用することができる。

 そのため、各迷宮の近くには必ず駐車場が設けられているのだ。

 とにかく、最近では、そうして手配がついたトラックの分だけ探索者を受け入れているということだった。


 そうして完爾が名義上の経営者と探索者としての仕事、それに自宅の家事とをこなしているうちに、はや年の瀬となっていた。

 完爾個人としても会社としても収入が劇的にあがっていく以外にはあまり変化のない日々が続いている。

 完爾の方の変化といえば、せいぜい普段着用している服や防具類が、当初の初心者用の物から最新鋭のハイエンド製品に変わった程度だ。

 これは、立場上、いつまでも安物を着用していると格好がつかないということと、それにクシナダ・グループからの厚意により開発中の装備類などのお裾分けをされることがあったことによる。 

 また、完爾としても毎日決まった日課を繰り返すくらい、単調な生活を送るくらいの方が、なにかと気楽であった。

 そんな毎日を繰り返しているうちに、いつの間にか完爾は三千階層を越えていた。

 この頃になると、他の探索者たちと完爾との間に能力の格差がありすぎて、もはや最前線の階層には同行できないようになってきている。

 他の探索者に対応可能なエネミーだけが出没し、なおかつその階層のエネミーでそこそこの利潤を得ることが可能な場所に狙いをつけて他の探索者たちを同行し、完爾自身の攻略とは完全に分別して行うようになっていた。

 そうした他の探索者たちと別行動をするようになって、かえって完爾の攻略速度は加速するようになった。

 また、ここまで下の階層ともなると、流石にエネミーの方も強力になってきていて、そろそろ例の魔法剣を使う時期が近づいているのではないか、という予感を完爾は抱きはじめていた。

 これまでのことろ、完爾は別の世界から持ち帰った魔法剣を迷宮の中で抜いていない。

 エネミーの相手なら魔法を使用するだけで十分だったからだが、最近ではどうもそれも怪しくなってきている。

 流石に下層なだけあって、それだけ強力なエネミーが増えてきていた。

 それでも、完爾が何日もかけなければ駆逐できないものがゴロゴロした、別世界の魔族と比較するとまだまだ弱いと思ってしまうわけだが。


 そしてある日、完爾はついに魔法剣バハムを抜く羽目になる。

 そのエネミーは小山のような体に数え切れないほどの頭部が生えた、特撮番組に出てくる怪獣のような形態をしていた。

 やっかいなことに、そのたくさんある頭部の口から、冷気だの毒液だの炎だのを個別に吐き出して攻撃してる。

 また、完爾が使用できる多くの魔法にも耐性があるらしく、距離を取ったままではなかなか沈めることができなかった。


 ひさびさに、近接戦闘をするかな。

 そう決意し、完爾はそのエネミーの攻撃をかい潜って大きく踏み込み、数ヶ月ぶりに魔法剣バハムの封印を解いて剣を鞘から抜いた。

 次の瞬間、そのエネミーの胴体は上下に分断されている。

 魔法剣バハムの刃だけでなく、剣勢によって発生した衝撃波がそのエネミーの胴体を分断したのだった。

 さらに次の瞬間には、完爾な何度も魔法剣を振るってそのエネミーの体を寸断している。

 この手の生命力が強そうな敵には、念には念を入れておいた方が確実であるということを、完爾はこれまでの経験で学んでいた。

 そのエネミーが、挽き肉とはいわないが賽の目の肉片くらいにまで分解されるまで、いくらも時間がかからなかった。

 本気になった完爾は、元勇者に相応しく、超素早いのだった。

 実際には戦闘に要した時間は、一分にも満たなかっただろ。

 完爾が動きを止めると、それまで完爾の動きに釣られて動いていた空気が完爾の頭髪を滅茶苦茶な方向に攪乱した。

 そして、そこで完爾は目を見開く。

 そこに、見知った女性と見知らぬ赤ん坊が居たからだ。


「ようやく剣を抜いてくれましたね、カンジ」

 襁褓にくるまれた赤子を抱いたユエミュレム姫が、そこにいた。

「この子が、あなたの娘です」


 とりあえず完爾は、その二人を伴い、魔法で直接自宅へと転移した。


「なに?

 あんたが行方不明中に手を着けた女が、赤ん坊込みでやってきただ?」

 電話で事情を告げると、千種をそんな風に驚きながらも、仕事を早めに切りあげて帰ってくると約束してくれた。

 完爾はユエミュレム姫にトイレの使い方などを説明したあと、ちょうど時間になったので保育園に翔太を迎えにいった。

 その帰りに、思いついてドラッグストアに寄って紙おむつを購入も購入しておく。

 ユエミュレム姫がおむつの換えまで持参しているとは思えなかったからだ。

 店員に聞かれたとき、赤ん坊がどれくらの月齢なのか、完爾は即答することができなかった。

 ユエミュレム姫と関係を持った時期から逆算して、

「まだ生まれたばかりです」

 とか、曖昧に答えてしまう。

 計算上、そのはずだなのだが。


 翔太にユエミュレム姫と赤ん坊の説明をするのも苦労した。

 なにしろ、ユエミュレム姫の風貌は明らかに日本人ではない上、言葉も通じない。

「この人はな。

 わざわざおれのことを追いかけて、遠いところから来てくれた人だ」

 そんな風な、曖昧な説明になった。

「カンちゃんのお嫁さん?」

 翔太は、無邪気にそう訊いてくる。

「まあ、そうなるんだろうな」

 いまだに実感がわいていない完爾は、そんな風に答えるしかない。

「さて、これからどうすりゃいいんだか」

 完爾は、そう呟いた。


「どうするって、問題を片っ端からリストアップして順番に片づけていくしかないでしょう」

 仕事を早退して駆けつけてきたくれた千種はそういう。

「この子たちの戸籍のこと、言葉のこと、それから……ああ。

 母子ともに、早めに、厳重な健康診断を受けて貰った方がいいかな。

 まあ、あんたのときもなにもなかったから大丈夫だとは思うけど、万が一、未知の病原体とかあったら怖いし」

 帰宅するなりそうまくし立てた千種は、やはり紙おむつとほ乳瓶、粉ミルクなどが入ったドラッグストアのビニール袋を抱えていた。

 その手の問題について千種は、十八年間行方不明であった完爾がいきなり庭先に現れたときに経験済みではあったが。


「とにかく、これから緊急家族会議だ。

 あ。

 その前に、完爾。

 あんた、迷宮から直接ここに来たってことは、公社的にはまだ迷宮に入っていることになるんでしょ?

 一度迷宮に戻って、迷宮を出る手続きをして来なさい。

 それから、ええと、ユエミュレムさん?

 この子の名前は、なんていうのかな?」

 日本語を理解できないユエミュレム姫のために、完爾はユエミュレム姫に千種の質問を翻訳してやる。

「名前は、まだないって」

 その、完爾とユエミュレム姫の名前を決定するのが、門脇家緊急会議の第一の議題になった。


 これ以降、完爾を含む門脇家の人々は、自分の妻子をこの日本で生活させるために奔走することになるわけだが……これは完爾のプライバシーに関する、また別の物語になる。

 本作はあくまで「所沢迷宮のエース」と呼ばれた空前絶後の探索者がどのような事情で出現したのかという物語として、一端、ここで筆を置くべきだろう。

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もしも異世界から帰還した元勇者が、東京周辺に三十三カ所の迷宮がある世界の出身だったら 東京迷宮_2012 肉球工房(=`ω´=) @noraneko

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