違う世界で今日も…

@htc4iztd

第1話 ワームホール

生まれてからというものの、僕は親というものに愛情を受けた記憶がこれっぽっちも無かった。親が僕を過剰なまでに気にかけてくれていたのは事実だ。しかし大人になってから思えば、あれは愛ではなく、僕という存在を媒介とすることで埋められない自己への愛を埋めようとするものだった。


つまり何が言いたいかって?


結論を言えば、22の僕はヤバイ薬の虜になっていた。


米米米米米


----目が醒める。覚醒の時間だった。


目の前は僕の知る世界、故郷の街並みだった。ニュータウンと持て囃されてから30年が経ち、少々綻びが見え始めている、愛しくて堪らない故郷のメインストリートだった。

しかし、おかしなことだ。さっきまで僕はボロボロの一軒家の片隅で新しく仕入れた薬を試すところだった。僕は滅多に外出しない。するとしたって夜遅くだ。目の前の景色は陽光で白いクリームのような煌めきを放っている。僕の最後の記憶は、野良猫が集会を始めるような夜も更け込んだ頃だ。


いつの間に、僕はなにをしたんだろう。わからなかった。


視線を落とし、僕自身の胴体を眺めてみた。服装は意識を失う前と同じく、カーキ色の上下のパジャマだ。僕は丁度この格好で薬を試したのだった。

すると、なんだ?

薬をキメた僕は思わずハイになって、夜通しパジャマで街を走り回っていたとでもいうのか?

まさか。そんなわけがない。

僕が薬を飲むのは、自殺しないためだ。つまり、普段の僕は鬱の鬱の鬱状態だ。なーんもする気にならないし、たまーに一日中飯を食わないでも平気なくらいの無気力さんだ。だから薬をキメて「まとも」になるんだ。薬をキメて丁度真ん中。ゼロだ。そんなわけで、僕はハイになったりなんかしないのさ。


とはいえ、例外もあるだろう。なんせ、新しく仕入れた薬なのだ。はじめての薬なんだから、そりゃ変な効果が出ることもある。実を言うと、今もちょっとハイな気分だ。普段はもっとふさぎこんでる。こんな饒舌に思考を言語化することなど、到底不可能だ。


しかし、しかしだ。そうしたことを踏まえたとしても尚、僕はハイにになって走り回っただなんて可能性を信じる気にはなれなかったのだ。


その根拠は、感覚だ。


明らかに、この世界はオカシイ。そのおかしさは感覚により確信に限りなく迫るほどの推理を僕に強いるほどだ。目に見える物体は僕の知っているものばかり。信号機、家、アスファルト、コンビニ、ガードレール。


だが、僕はこいつらがどうしても、僕が知っている既存の世界の登場人物には思えなかった。

同じ形をしている。

でも、ちがう。

輪郭の辺りかな、違うのは。

いや、そうではない。匂いだ。

この世界は匂いがちがう。

明らかに、僕が薬をキメこむ前のあの世界とは匂いが違っていた。匂いってのは何も鼻で感じ取るだけじゃない。敏感さも熟練レベルになると、匂いを目や耳、肌から感じ取ることができるようになるのだ。ちなみに僕は熟練だ。この世のあらゆるフェティシズムを受け入れられる、世界エロチック協会の名誉会長を務められるレベルに違いない。


仕方がない。少し歩き回ってみるとしよう。

裸足のまま僕は歩き始めた。

日光の位置からすると、日が昇ってから時間が経っていないようだ。早朝というわけである。その癖にちっとも寒くないんだ、これが。秋も過ぎ去って冬になってしまっているというのに。これが薬の作用による神経の興奮状態なのか、この世界そのものがオカシイからなのか、それは断定しかねた。


米米米米米


世界は同質だった。

要するに、あっちにはビルが立ち、こっちには住宅が立ち並び、もっとあっちには海があったり、もっとこっちには山があったりする世界が、僕の目の前にあった。僕の生まれ故郷であり、これまでずっと住み着いていた街並みそのものだ。しかし、あのビニールが燃えるときのような匂いはどの物体にも添加されていた。僕は街並を大体見終わるとお台場の自由の女神を見たような気持ちになった。

この世界は違う。チープすぎる。


僕は薬のせいで、とんでもない現象に立ち会う機会を得たってわけだ。人間の意識なんて、そんなものなのかもしれない。夢が現実で、現実が夢とか、普通だったりするのかも。僕は同質でありながらちょっとチープな、そして完全なる異世界に迷い込んでしまったのだった。


……。


あ、そうそう。実は色々歩いたおかげで、もっと色々わかったんだった。


途中で犬の散歩をする細っそりしたお爺ちゃんに遭遇したりして凄く焦った。そらそうだ。こんな格好して少しニヤついたりなんかしちゃって。今の時代、こういう人間ってのは何もしてなくてもお縄にかかるもんだ。僕もその可能性を恐れた。歩いている間に色々触ったりすることができることを確認してたし、僕はこの世界に物理的干渉を図ることが可能で、僕という存在は物理的に承認されていたのも確認していた(この場合物理的な承認者は存在するのだろうか。神が物理を肯定するとは思えない)。


だが、お爺ちゃんの反応は僕の予想を超えるものだった。

お爺ちゃんは、僕を全く見ていなかった。そればかりか、目の前で犬に呼びかけ、笑顔満々だった。


これは、どういうことだろう。

普通、見るはずだ。僕を見るに違いない。でなければ見ない奴が狂ってる。いや、正常な反応なら、見るどころじゃない。ニヤついた不審な格好の僕を見れば、見た人間は得体の知れない恐怖に慄くに違いない。

しかし、お爺ちゃんにとって僕は存在していないに等しかった。


そう、よーくわかった。僕はこの世界の住民からすれば、僕は空気に等しいということを。


こいつは、僕にとって格好のチャンスだった。

僕はすぐさまお爺ちゃんを絞め殺した。


米米米米米


---これがすべての始まりになった。

この後、薬の効果が切れた。すると、意識は強制的にシャットダウンされた。僕の身体はボロ家の一室にあった。部屋の外では親がまたドメスティックなバイオレンスに励んでいた。僕はまた鬱になり、シンジくんみたいに体育座りになってふさぎ込んだ。


---そして2時間後、僕はもう一度薬をキメることにした。すると、僕の身体はそのままに世界はまた色を変えた。


こんなことを、僕はもう一週間続けている。


犯罪は、認識されなければ犯罪とはならない。犯罪が存在する社会はかえって健常な社会だってどっかの学者も言ってたなそういや。


一週間で殺した人数は、124人だ。

あちらの世界も、こちらと同じように朝が来て、夜が来る。人々は社畜やってたり学生やってたりしてる。同じ世界だ。

僕が完全犯罪を繰り返してから3日後、新聞の一面は僕の犯罪に関する文章で埋め尽くされていた。


僕はその事実に感動した。

人間の中でもクズの中のクズ、人から愛されず、利用されることさえなく、経済的に言えば何にも価値の無い僕が、こっそりと社会に影響を与えている事実を。


ふと、僕の中にあるアイデアが浮かんだのだった。


続く。

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