3章
第1話
五月一日
――遠い昔に遡ろう。
昔日の頃、あれは未だ郷里の話じゃ。
我の妹ロロは、盛んに我の後ろを可愛げに追いかけては、よちよち、と懸命に着いて来て。
お兄タン、お兄タン。と舌っ足らずの口調で我を愛おしげに呼んでおった。
気にスンナ、あれは鬼異端の悪い癖だ。
と、ロロはげんなりしながら語る。
はて? 鬼異端、と聞こえたのは、気のせいであるな。
気にせず話を進めようか。
本当かよおぅ三太さん。
ずいっと暑苦しい獅子顔を距離感零で近寄り、鼻がくっ付きそうな位置で話しかける左京。
本当なのかよぅ三太さん。
と同じ設問を問いかけながら、むんっと病弱そうで、蒼白い犬顔を近寄らせる右京。
相変わらずこやつ等は、人と話すときは顔が近すぎる。
人と会話するのに、自身の意思が伝わらない、と思い込んでいるらしく、自然と近寄ってくる、厄介な悪癖を持った兄弟である。
我は暑苦しい顔を、むんず。と掌で押し退けて、遠退けようとするが、離せば離すほど、必死になり、汗掻き益々近寄る。
左京の天然パーマの毛質は硬く肌に刺さる。
右京の柔らかな毛質の髪が、鼻先をむず痒くさせ、二人の吐息からは、紅茶の優雅な香りが漂う。
ダージリン!
之では話す機会が訪れない。
お馬鹿ッ! さっさと仕事をしないか!
おおぅそうじゃったあ、三太さんあんたぁ怖いのは無いのかぁ?
おおう、兄じゃぁ、ナイス思考。
――大方我の弱点を突こうと、探りを入れているのだな。
間抜けな兄弟の思考が、手に取るように筒抜けなので、我は少し考えてから話を進める。
はてさて、この歳だと怖いのは、何一つないのぉ。
そんな連れないこと、言うなよぉ。
兄じゃぁ、の言うとおりだぞ、三太さん。
そんなこと言ぅてもなぁ、しいて言うなら、寄る年波ぐらいじゃのぉ。
そんなこと言うなよ、長生きしろよ三太さん。
兄じゃぁ、の言うとおりじゃぞいっ、三太さん。
そうか、そうか、まぁ強いて言うならば、怖いのは餅だな。
何と餅とは……餡ころ餅食うかあ?
語尾延ばしに尋ねてくる、執事左京。
馬鹿の鸚鵡返しで、同じく訊ねる弟分右京。
何処から取り出したのか、出所がよく分からぬが、出された銘菓、福福を美味しく、もぐもぐ。と食す我。
他に怖いのはないかぁ三太さん。
ないのかぁ、三太さん。
他には……お茶ぐらいじゃの、今飲んだら昇天しそうじゃ。
お茶か、成程、甘いもの食ったら、喉が渇くものなぁ。
兄じゃぁ、お茶じゃ、粗茶を出さねば。
お馬鹿っ! 憎い三太のあん畜生を殺すから、餅なのだこの間抜けが!
オオッ! さすが姐さんは物知りだ。博識だ。
間抜けな兄弟は、手を叩き、喜び合い、遂に馬脚を現した。
ロロの周囲で手を取り合いながら、華麗に円舞をくるくると舞っている。
満更でもない様子のロロであるが、両の掌で二人が距離感零、で主ロロを褒め称えようとしているのを、必死になって防いでいる。
馬鹿は御主らじゃぁ、餡を衣で包むから、それが詰まって、餡ころ餅なのじゃ。
好い加減にしてもらいたい。
一体これは何の茶番だ?
お茶を音立てながら、しずしずと飲み干す我。
同意の証に右京は右指で、音を鳴らそうとしたが、鳴らず、左手でも鳴らず、変わりに弟分右京の頬を、パチン。と叩いて、雷同の音色を奏でた。
何オするんだ兄じゃあ! 鈍鈍と地団太を踏んで、悔しい音を知らせる右京。
すまんな右京、ついつい手が出てしまった。
例え目上とは申せ、この仕打ち許さぬぞ、兄じゃあ。
二人は取っ組み合い、ごろごろと床を転がり、ご自慢の髪が揉みくちゃにされて、くんずほぐれつの、肉体的接触を幾度も交わしては、かわす。
はて? 一体こ奴らは何しに来たんじゃろか?
ロロから向かって、左の赤い緑青色の巻き毛が、獅子の左京。
右の群青色の、直毛が狛犬の右京。
その中心に腕組みして、無い乳を寄せて上げて、小山の体裁を何とか繕って居る我の妹ロロ。
あの手この手、その手を惜しみなく使用し、真っ黒な悪の手に染め抜いた手先である。
そんなこと今はどうでもよい、我は熱々の粗茶を左京にぶっ掛ける。
ぬうおぉぉ、左京、俺のキューティクルな髪の毛は、熱効果により、くるくるになってやしないか?
ごろごろと床を大袈裟に転げまわりながら、訪ねる兄左京。
兄じゃぁ大丈夫だ、元から天パーだ。
兄に歩み寄り、毛根ちぇぇつくしている弟右京。
心配げに声を返すが、口振りは何処となく兄に似て、間が抜けている。
そうかならば良しッ!
良くは無いぞ兄じゃぁ、この恨み返さぬ限り立腹じゃ!
そうだそうだ、忘れておった、三太しかと、仕返ししてやるぞ、ついでに鹿にもな!
おおぅ兄じゃぁ、鹿繋がりか巧いぞぉ!
オ黙りッ、このお馬鹿! 馬鹿な脳味噌見せるんじゃないよ!
ポカリと煙管で連続で叩き、馬鹿兄弟の頭にたんこぶを拵える、我の妹ロロ。
おおう、姐さんも巧いな、馬鹿だけに鹿繋がりか。
おおぅ、兄じゃぁ、相も変わらず賢いのぉ。
そっ、そうかい? そう言われると、満更でもない気がするねぇ。
で、あろう、姐さん。
その通りじゃ兄じゃぁ、姐さんは賢いからのぉ、何せ経営者じゃから。
探偵が、謎を紐解いたときの様子宛らで、背を仰け反らせて、何時までも笑ぅておる。
はて、この三馬鹿頓珍漢は、一体何しに来たのであろうか?
呵々大笑の高笑い。本物の馬鹿である……
日酒を煽るようにして、一息に茶を呑み干し、頭がカチカチとし、体が火照って熱くなりだす。
ぐいぐいと杯を重ね、しこたま酩酊したが頭は逆に冴え渡る一方で、良心の呵責に苛むされる我であった。
左京すまないのぉ、お詫びの証に、この炭酸水を飲みたまへ。
おお、すまんのぉ、三太さん。
ずるいぞぉ、兄じゃばかり、俺にもくれよぉ、三太さん。
案ずるなかれぃっ、右京にも馳走してやろう。
おおぅ、三太さんは太っ腹ぢゃのぉ。
然り然り、三太さんは御大尽様ぢゃあ、さすが経営者である。
そう言われると、我も財布の紐が、ついつい緩んでしまう。
そうぢゃ、ついでに、この清涼固体も食せ、一緒に食すと美味じゃぞ。
おおぅ、三太さんの言うとおりにしようか、右京よ。
その通りじゃな、兄じゃあ。
大口開けて、清涼固体をザラザラ、と口に放り込む義兄弟。
含まれた瞬間、口内では化学反応をおこし、炭酸水が盛り上がり、我慢しきれず、噴水の如き爆発水が、綺羅綺羅と中空に虹を描き出し溢れ出た。
な? なんじゃ、何の神術が我の口内で発生したのだ?
兄じゃぁ、魔術じゃっ、呪術かもしれぬぞ、警戒せよ。
口元を袖で拭いながら、互いの背後を合わせて、周囲を警戒しだす義兄弟。
――この間抜けが。
我は心底厭きれかえっておぅたが、あまりの滑稽な兄弟に、少々憐憫の情が湧いてきた。
少しは賢くなりたまへ。
暴れだす間抜けな兄弟をしーしー、どーどー、と言いながら押さえ込むロロ。手を焼かせるのが得意な奴等よのお。
ほんとに何用で参ったのか、困惑する我。
警戒止まぬ義兄弟を尻目に、我の妹ロロが、無い胸両手で腕組み寄せあげて、高らかに宣言す!
あんたの店乗っ取ってやる!
な、な、な、なんと! 驚愕する我。はたしてどうなる?
――饅頭恐怖咄家 真打萌津亭快楽師匠
夢酔独言幻想奇譚日誌 山田まさお @cola
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