幸せ姫

@ITK

幸せ姫

 あるところに、一人のお姫様が、平和な国で暮らしていました。平和な国の中でも、とりわけ平和なお城の中で、とても大切に、花よ蝶よと愛でられて生きてきたお姫様は、無感動でした。


 お姫様は大層可愛がられていたので、食事には困りません。


 お姫様は国の象徴でしたので、聖なる祈りによって怪我もせず、病気にもなりません。


 お姫様は幸せでなければならかったのです。幸せなお姫様があってこそ、国も幸せになれると臣民は皆信じていました。


 ですが、お姫様は幸せが何かを理解できませんでした。だって、生まれた時から幸せが当たり前で、その幸せな日々は、お姫様が知る幸せの意味とは程遠い退屈なものでした。


 年月が過ぎ、やがてお姫様は我慢できなくなりました。お姫様は大切な存在なので城内から外には出れません。ですので、民をお城に招いて、謁見の間で質問しました。


「お前の幸せはなに?」


 しがない農民であったその民は、こう答えました。


「私の幸せは、毎日を平和に過ごせることであります」


 当たり前の退屈な答えに、お姫様は溜め息を吐き、次は自国愛に満ちた騎士を呼びました。


「お前の幸せはなに?」


「私の幸せは、姫が幸せであられることであります」


 この答えに、お姫様は酷く憤慨しました。だって、お姫様は幸せではなかったからです。退屈な毎日の何を幸せと呼べましょう。


 騎士はその位を剥奪され、お姫様の怒りと嘆きは瞬く間に国中に広まりました。


 民にはお姫様の苦痛が理解できません。なので、やがて民の間では密やかに「不幸せ姫」という呼び名がお姫様につくようになりました。


 不幸せな姫の下で暮らす民達も、次第に暗くなっていきました。ですが、それでもお姫様は国の象徴ですので、民達は自分達のことよりも最優先でお姫様を大切にし続けました。


 平和な国の不思議な噂は外国にも伝わりつつありました。中でも、詩人の国の王子様は、不幸せ姫に興味を持ちました。


 詩人の王子様は、すぐに出立し、お姫様に謁見を申し込みました。


 不幸せ姫と呼ばれるようになって以来、自ら率先してお姫様と話したがろうとする者はいませんでした。騎士のように罰せられるのを、内心では皆恐れていたからです。


 なので、お姫様はその変わり者な王子様に興味を持ち、再び同じ問いを投げかけました。


「貴方の幸せはなにですか?」


 詩人の王子様は、笑いながらこう言いました。


「僕の幸せは、まだ知らぬものを知ることです」


 お姫様はその答えに、首を傾げました。


 すると、詩人は竪琴を奏でながら、一国の歴史を語った詩を詠いました。


 その詩には、喜劇と、それから悲劇が入り混じっていました。美しいその詩と、そして知らない世界への興味に魅入られ、お姫様は王子様に求婚を持ちかけました。


 王子様は喜んで、差し伸べられた手を取りました。


 それから、あくる日もあくる日も、放蕩な王子様は今まで旅してきた国のお話を詩に准えて、お姫様に詠って聞かせます。


 お姫様は、知らないことを知ることによる喜怒哀楽に満たされました。


 王子様の幸せはお姫様の幸せにもなり、二人は子供も授かって、とても、とても幸せに暮らし続けました。


 お姫様が女王様になり、歳を経て美しさが衰えても、それまでの人生を美しい詩に変えて王様になった王子様はいつまでもお姫様を愛し続けました。


 いつしか、「不幸せ姫」という呼び名は立ち消え、「幸せ姫」という呼び名が民に定着するようになりました。おかげで、平和な国は更に栄え、沢山の幸せの花を咲かせました。


 幸せは長く続きました。老齢に差し掛かって、よぼよぼの老夫婦になっても、二人はお互いを愛し続けました。


 ですが、ある時、王様は急な病に倒れ、あまりにもあっさりと亡くなってしまいました。女王様と違い、王様は聖なる祈りを受けていなかったからです。


 この時、初めて女王様は痛みを知りました。聖なる祈りを受けているはずなのに胸が痛くて痛くて堪らず、ぽっかりと空いたような心境で、わなわなと泣き続けました。もっと、彼を知りたかった。どんなに恵まれた財宝や、美味な食事や、平和な毎日よりも、彼の全てが欲しかった。


 そして、女王様は気付きました。これが不幸なのだと。そして、今までの楽しい日々が、如何に幸せだったかを痛感させられました。


 幸せの代償は、不幸を知ることだったのです。あまりにも辛い、その代償に女王様は長く泣き続けましたが、王様が死んでも愛は色褪せませんでした。


 あの世に逝ってしまった王様を、幸せにしてあげたい。そう思った女王様は王様の思いを引き継いで、王様の人生を綴った詩を墓の前で泣きながら詠い続けました。


 ずっと、ずっと、繰り返しました。睡眠もとらず、深夜でも、雨が降る日でも、肌寒い日でも。


 やがて、女王は聖なる祈りを自ら拒絶しました。あの人のいない世界で、永遠の命を生き続けるのは、永遠の不幸に等しかったからです。


 すると、みるみる内に女王は老衰し、子供に国の跡を継がせると病に伏せました。不思議なことに、王様が罹った病気と同じものでした。


 まるで、王様の後を追うように、女王様はみるみるうちに弱り果て、最期にこう言い残します。


「私は幸せ姫です。けれど、この世界ともお別れです。幸せにも不幸にも、等しく死が訪れるのです。さようなら、私に本当の幸せを教えてくれてありがとう」


 言い終えると同時に、女王様も天国へと旅立っていきました。


 民は、あの「幸せ姫」が死んでしまったことによって悲哀に暮れましたが、それでも、まるで王様と女王様の意思を継ぐかのように、平和な国はそれからもずっと平和でありつづけました。

 その頃、女王様は天国で王子様と再開し、まるでお互いの全てを共有し合うように永遠の愛で結ばれつづけました。そして永遠に等しい時間の中で、天国から平和な国の行く末を二人で見守りながら、ようやく女王様は王子様の全てを――幸せを手にすることができたのです。

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