第9話 サキ

 言ってやりたいと思った。……でも、言えないでいた。言葉を扱えるサキにとって、私は、なついている猫みたいなもので、サキファン達の話のネタに過ぎない。それを崩して、サキの話題に取り上げられないような場所にいようと思った。

 ……ネタにできる友達じゃなく、サキにとっての、もっと別の何かになりたかった。


 私はそこまで考えて、丁度見つけた貝殻を拾い上げた。さっき海に向かって投げたものとそっくりな灰色の巻貝。

 あんたなんか最初から友達とも何とも思ってないし、可愛がられたいとも思ってない。「どっかにいっちまえ」と叫びながらぶつけてやるんだ。それでもし、サキが泣いて謝っても、怒ってどこかへ行っても、どうでもいいんだ。主人と猫の関係がなくなってしまったことを話題に、いつかまたサキと話すんだ。

 もしサキがずっと私のことを嫌いでも、彼女は私に会えば嘘でも笑顔になる。そしてまた、ぶつけてやるんだ。あんたなんか死んでしまえ。そして絶交して関係がなくなって、偶然どこかで出会って、大分前のことだけどごめんなさいねって言って、またきっと関係が復活するのを、私は見届けたいんだ。

 もう子猫じゃない。

 こんな体だけど。

 こんな気ままだけど。

 食欲、睡眠欲どころか、性欲もちゃんとあるんだ。あっちゃダメなのか。私みたいなのがそれを言ったら、かわいらしいのか、気持ち悪いのか。「へー、普通だね」と、流して欲しい。もっと楽にして欲しい。私も楽になれるから。

 私は貝殻を振りかぶった。


「できる! 私ならできる!」

 突然サキは海にむかって、声を上げた。


 私の目はまばたきすることを忘れていた。

 サキは、言葉を続けた。

「できる、私にだって、できる。心に届くメッセージが。震災で今なお苦しむ人々に向けた癒しの言葉が。私はあなたたちを愛してるって伝えられる。『ずっと側にいるよ……抱きしめてあげるよ……』だめだ、通じない。これじゃたぶん、通じない」

 波打ち際でサキは膝をついた。

 丁度祈るような姿勢になっていた。

 私はうつむいて地面に向かってしゃべり続けるサキの姿を見つめていた。

「差しのばす手……いや、いや、私達が暖めてあげる……いや! 被災者のみなさん、愛しています、好きです、夢はかないます、希望があります、道が見えます、乗り越えられます、そのつらい壁を打ち破ることができます。いや、それをしようとしているのは私じゃないか……」

 サキは黙った。しばらくして立ち上がり、私の隣まで来て、ゆっくりと腰を下ろした。

「何も……浮かばないね。この悲しみを受け止めたいのに。結局、与えたい気持ちに勝てない。みんなの苦しみは受け止めたけれど、どうすることもできない。大切な人を失った人に、言葉を届けられない。だって普通のOLだもん。何年後かにはたぶん馬鹿騒ぎして婚活してるの、わかりきった話じゃない」

 サキのしゃくり上げた声の合間に、波の音が入り込んだ。私はサキの肩に手を置いて「大丈夫」と思ってもないことを声に出していた。サキの顔は涙でくしゃくしゃになり、いつもより老けて見えた。

「サキの言葉、ちゃんと届いてるよ。そんな、そんな震災なんて、どうにもならないんだから、どうにかなるはずなんてないんだから」

 サキは私の言葉にずっと首を横に振りながら、唇を固く結んで、うつむいていた。


 私はサキに対して、首を横に振り、「サキ、それは違う、違う、そんな慰めじゃないの……私の言ってることは、普通なの……普通のことなの……」と言った。

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