第8話 偽善者

 私は震えていた。

 サキどころじゃなかった。

 海の波のリズムに合わせて、自分の発したデマが目の前に浮かび上がっては沈んでいく。

 顔を上げて、目の前の海を見ようとした。途端、携帯電話にメモした親やネットにばらまいた私の言葉が、画面を見直さなくても声になって頭の中に浮かんできた。

 青ざめたまま、波を前に立ち尽くしていた。


 頭を無意識に掻きむしっていた。砂粒が無数に散って、私は大きなくしゃみをした。シャツで眼鏡を拭いた。余計に汚れてくもった。

 穏やかじゃないものが次々に込み上げてきた。

「納得できない!」

 と、叫びたいが、誰に向かって何を納得していないと言えばいいのか、わからなかった。海を見ていると、目に焼き付いた津波の映像が浮かんだ。たくさん人がいるはずのビルの地下に海水が流れ込んでいく映像で、「すげー」と若い男の笑い声が入っている動画が頭の中で流れた。それをツイッターに投稿して、こんな不謹慎な奴がいる。被災地の人でもこれはない、と怒りを拡散させたこと。それで逆に見知らぬ人から、「人は信じられない状況に出くわすとみんなこういう反応をするんだ。当事者でもないのに、偉そうなことを言うな」と叩かれたこと。

 私は掌に収まる小さな貝殻を拾って、波に向かって投げて気持ちを落ち着かせた。


「なんで海に来たの?」


 私は、視界の悪い眼鏡越しにサキの横顔を見ながら言った。サキはまだ答えず、靴を脱いで裸足になった。

 ケガしないようつま先立って波打ち際までサキはたどり着いた。サキの両手には色紙と筆があった。


「書けるかな……集中してみる」


 サキが海に向かって頭を垂れる姿勢になった。空は青く澄んでいるのに、海は青黒く、波は茶色く、波打ち際はゴミだらけで、人は私達だけ。

 京橋にいる時と同じな気がした。

 私は自分がまだ震えていることに気がついた。ゴチャゴチャしていて、何か汚い中に私達二人がいる。

「まさか、地震で死んだ人のために詩を書くの?」

 私は、話す時いつも、一呼吸考えてから言うようにしていた。サキに対して何も気持ちを込められなかった。


「うん……。私ならできるかなって。最近、自分の壁を突破できなくて苦しんでたの。感受性が強すぎて、つらくてたまらない。自分の中の壁を突破するには、一番苦しんだ人に届けられるような言葉が大事だなって。私、考えたの。私の友達、誰も死んでないの。大切なものも地震で失ってないの。だから何かしたいと思っても、全部自分のためみたいに思える。でも、それでいいんだって思った。今も苦しんでもがいている人。使ってもいいじゃんって。その人達を自分の表現に、言いたいことに、役立てることって、悪いことなのかな。駄目なのかな。もう一度津波が起こって、私がそれに巻き込まれにいかなきゃいけないのかな。そんなことないよね。使わないこと、触れないことで良いことをしている気分でいるのなら、私は悪いことしている気分でもいいから表現したい……よね」


 海を見ながらサキは言った。


 私は何かをその背中にぶつけてやりたい気になった。ケガしない程度で、投げやすいものを探している間、私はどんな皮肉をサキに言ってやろうか考えていた。なんてことを私は聞いて、知ってしまったのだろう。そして、なんてことをサキは言ったのだろう。

 頭の中に、また焼き付いてしまった。一生忘れないだろう。私の頭には、皮肉を超えて、中傷ばかりが浮かんできた。

 ――全部、自分のためにしてしまう。人の死もネタにする。まるで底なしの泥みたいに、なんでもかんでも吸い込んでいく。京橋のゴキブリだらけの下水口と同じだよ。突き進むことばかりに酔っていて、頑張っている自分以外に興味ないのに、誰かれかまわず好意を安売りする。それは……成長のために人を踏み台にして、踏んだ人に感謝して、踏んでることにまともに目を向けない偽善者だ。

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