第2話 ばきばきに折れた心
ある日、終電間近で帰宅し、東雲天馬は大きな溜息を漏らす。
ルヴィエル:「お帰り、天馬」
天馬:「……」
ルヴィエル:「……どうした? 身体の具合でも悪いのか?」
そう問い尋ねられ、天馬は青白い顔をルヴィエルに向けた。
天馬:「……さっきバイト辞めるって連絡した……」
ルヴィエル:「――は?」
天馬:「……もう無理……」
それだけ告げると、鞄を放り捨てて床に座り込んだ。
ルヴィエル:「バイトって、確か進学塾の講師だったか? なに? モンスターペアレンツな親御サンに潰されたか出来の悪い生徒サンに愛想でも尽きたか? それともお偉いサンの説教か?」
ケラケラ笑うルヴィエルに、天馬は能面のような顔を向けた。
天馬:「……全部だよ……」
ルヴィエル:「――マジで? でもなんで? 4年続けたバイトだったんだろ? 天馬頑張ってたし、天馬株だって上昇し始めた頃なんじゃないのか?」
天馬:「……僕の株? そんなの1年目でとっくに紙切れと化してるよ」
ルヴィエル:「えっ? どういうコトだ?」
天馬は言いにくそうに目を伏せる。
天馬:「……中学一年生だった女子が、僕に身体を触られたとか言い出して問題になったんだよ」
ルヴィエル:「――へぇ、それって事実なの?」
天馬:「当然事実無根だよ、だって僕、女の子好きじゃないし」
ルヴィエル:「そっかそっか、オレも同じ男の方が好きだぜ?」
天馬:「……あぁ、そう……」
ルヴィエルに背後から抱き締められ、天馬から苦笑が漏れる。
天馬:「最初は馬鹿な父親が『裁判沙汰にするぞ』とまで声を荒らげたらしいけど……結局、退会しちゃってさ……」
ルヴィエル:「フーン、その娘、出来は良かったの?」
天馬:「ううん、超絶出来ない子。眼鏡掛けてて大人しい雰囲気からは考えられない程の出来なさ。っていうか、あんなのに授業料つぎ込むんだったら税金払ってた方がまだマシ」
力の入った物言いに、ルヴィエルが思わず吹きだす。
ルヴィエル:「……じゃあいいじゃん。足りない生徒が消えてくれてw」
天馬:「……良くないよ……反論も出来ないまま逃げられてさ……その時点でボクに汚名だけが残ったっていうね……。そのときは寛大な処置だとばかりに『今回は訓告だけにしてあげます』なんて恩着せがましく言ってたけどさ……」
そう告げると、ルヴィエルは不思議そうに首を傾げた。
ルヴィエル:「まぁ、信頼はもうゼロだろ~なぁ。でもなんでクビにしなかったんだろうな?」
天馬:「……なかなか人が来ないからじゃない? 数学なんてそもそも人気ないし、あの塾、採用試験が結構難しいってネットで言われているから」
ルヴィエル:「そっかそっか。天馬って勉強出来るもんな~」
天馬:「……まぁ、それでも会社からの評価は既にマイナスだったよ。コマ数はどんどん減ってんのに、何故か都を飛び越えて3時間かかる教室に飛ばされたり、呼び出しはダントツで多かったし……やったこともない公立中高一貫校受験クラスとかいう訳のわかんないとこに左遷されてプレッシャーまでかけられて……その度に精神が崩れていったっていうのに……挙句の果てには『生徒が集まらなくてクラス分け出来ないのは数学科の東雲先生のせいだ』って本部が言い出してさ……なに? こっちは開いたコマの間無給で拘束されてんのにそこまで言われなきゃならないの?」
ルヴィエル:「――ってか、生徒が集まらんのは運営の力量不足のせいじゃねーの? ……って運営サンはそう思ってねーから言うんだよな?」
天馬:「……国語の先生にも責任がどうこう言ってたけど、僕一人だけが呼び出されたから、結局僕だけが悪いと思っているんだと思う……極めつきは『他の教室長は誰も東雲先生に手を挙げなかったものですから』って言ってさ……」
ルヴィエル:「――あぁ、なるほど。精神が一番弱っているときに上司に呼び出されて三行半つきつけられちゃったんだ?」
天馬:「……」
天馬は小さく頷いた。
天馬:「あの人……体調的に呼び出さないで欲しいってときに限って呼び出してくんの……で、いっつも婉曲な言いまわしでさ……しかも必ず最初に褒めるの。『私は貴方に期待してる』とか『貴方を高く評価している』とか美辞麗句並べて、『匿名の情報があって』とか言い出した後に『だからこそ、ここを直せばもっとスキルアップに繋がる』っていう話になるの。どう思う?」
ルヴィエル:「……まぁ、実際はそんなコト心にもねぇだろ~なぁ。第一、他の教師なり親御サンなりクレームがあって説教すんのが主旨なんだろうし、期待されている奴はそもそも呼び出しされねぇだろうしな。授業後に2人きりの状況にすんのだって、説教してるトコを生徒サンに見られたら会社的に後々面倒なんじゃね? まっ、少なくともオレは講師の沽券とやらよりもそっちだろ~なぁと思うけど」
天馬:「……」
ルヴィエル:「まっ、そもそも高々1時間半4500円の授業のためだけに都を飛び越えて往復6時間の通勤をするコト自体、なんなんだろうって思うがな。しかも説教されて体調悪くして帰ってくるなんて、まさに骨折り損のくたびれ儲け。得なんて一つもねぇじゃん」
天馬:「……ルヴィエル?」
ルヴィエル:「――第一、普通のバイトよりは高いっつー進学塾講師で月の給料が42000円なんて、身を削ってまでして続ける意味あるか? 神(あんなバカ)がそんなコトやらせたら、オレならぶっとばしてるトコだぜ? 話を聞く限りあちらサンだって天馬のコトを大事に思ってなさそうだし、寧ろ辞めるふんぎりがついて良かったじゃん」
天馬:「……でも、主任っていう人が電話してきて『今度ゆっくり話をしないか?』って……」
ルヴィエルは呆れたように肩をすくめた。
ルヴィエル:「……まっ、そういったトコだとお偉いサンから引き留めくらいされんだろうけど、応じる必要なんてないさ。第一要らねぇって判断したのは向こう側なんだから、相思相愛で嫌なんだったら躊躇う理由なんてまったくねぇじゃん」
天馬:「……ルヴィエル……」
ルヴィエル:「今日みたいに張り詰めたモンが一気に噴き出さねぇと、そんな決心つかなかったろ? 風が吹いたぐらいに思っておけばいいんだよ」
そう告げると、ルヴィエルは真っ直ぐ天馬を見つめた。
ルヴィエル:「今までよく頑張ったな、天馬」
天馬:「――!」
ルヴィエル:「お疲れサン」
天馬:「……ありがと……」
よく見えると、天馬の目には涙が浮かんでいる。ルヴィエルはフッと笑って、天馬の頭を撫でた。
ルヴィエル:「こう見えてもオレは天使のはしくれだぜ? 察するコトくらい出来るさ」
天馬:「……うん……」
ルヴィエル:「これで休みの日が増えたな。たまには気晴らしにどっか出掛けようぜ?」
天馬:「……うん……うん……」
天馬は喉を鳴らしながら、何度も頷いた。元勤め先で冷えた心に彼の温かさが染みる、そんな夜のことだった――。
(超短編)「正社員、正社員」って、正社員ってそんなに偉いのか? ~就職活動に100回落ちた男~ 中西ユウ @SeraphYu
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