第4話

〈4〉

はぁ、僕は大きくため息をつきながら朝食に出て来たニンジンをフォークで転がす。

 「おい拓斗、ニンジンちゃんと食べろよー」

 僕の横で翔が意地悪そうににやにやしながら急かしてくる。

 「分かってるよ」

 翔は僕がニンジンを嫌いだと知っている。だからこんな子供じみた(子供だからいんだけど)嫌がらせにうんざりしながら、またニンジンをコロコロ。

「おいおい拓斗、一体いつニンジン食べるの?今でしょ!」

 出た。翔はこのフレーズにものすごくはまっている。これとセットになる専用の表情と僕の方に差し出される掌がさらにイライラを助長させる。

 僕はいつも通り「はいはい」と適当にあしらうと、フォークでニンジンをブッ刺し、思い切って口の中に放り込んだ。

 うー、やっぱり苦いし、ここで栽培されている独特の野菜の味のせいでニンジン嫌いは前よりもひどくなったんじゃないだろうか。憂鬱だ。

 これに加えて僕を悩ませる要因がもう一つある。この病院で目覚めてからもう一週間がたとうとしていたが、ヨハンと初めて会った日以来、何も手がかりが得られていない。

 「おはよう、今日も早いね」ヨハンが図書室で爽やかな笑顔でいつも僕を迎えてくれる。

 朝食を取り終えると、図書室に直行するのが僕の日課になっていった(翔にはあまりいい顔はされなかったけど)。

 「さて、どうしたものかな」

 ヨハンが髪をかき上げ、くしゃくしゃと撫でまわした。うまくことが進まないからなのか、最近はふとした瞬間に焦り感じているのではないかという仕草をすることがある。

 「誰かに話を聞くっていってもね」

 翔や眞子にもあの後話を聞いてみたものの、だいたいは「覚えていない」と答えられ、質問をしてくる僕らになんでそんなどうでもいいことを聞いてくるのか、と逆に不審がられた。他の子供たちも同じだ。今の自分たちの状況に対して何も疑問を感じない。感じないから何も考えなくて、何も知ろうとしない。

 大人たちに聞くのはもっての他。答えてくれないことは分かり切っているし、反抗的とみなされれば僕たちがどうなるのか分からない。

 「気になる本もあらかた見たけど、何ものってないよなぁ」

 「流石に大人がそんな間抜けな真似はしないだろうね」

 僕は今日、何度目か分からないため息をまたつき、乱暴に机に腰掛けた。

 「もう、僕たちにはあまり時間がないのかもしれない」ヨハンがぼそりと言った。

 「僕は拓斗より一カ月先にこの病院に来ている。もしかしたらそろそろ他の子供たちと同じ症状が出てくるかもしれない」

 ヨハンの顔がわずかに歪む。恐怖を感じているのかもしれない。

 「ふとした瞬間に僕の頭の中で何かが囁きかけてくる時があるんだ。楽になれ、何も考えなければいい、って。みんなもこうして考えることをやめたんじゃないのかな」

 ヨハンが自嘲気味に笑う。

 「そんなの幻聴だよ。もっと気を強く持たないと、ヨハンらしくない」

 ヨハンのこんな発言は珍しい。自分の意思とは違うものが自分の世界をいつの間にか支配していく、自分が自分で無くなってしまう感覚、確かに想像するとおぞましい。

 「ねぇ、気分を変える為に下にいかない?何か新しい情報もあるかもしれないし」

 ダメだ、僕もこの波に飲み込まれそうになっている。こんな時は少し場所を変えて気持ちをリセットしなくちゃ。

 「そうだね、少し気弱になってしまったけどこれじゃいけない。食堂に行ってみよう」

 僕たちが食堂に移動すると、何やら騒がしくしているグループが確認できた。僕たちはどうしたものかと近づいてみると

 「ほんとだよ、昨日夜見たんだ」

 一人の少年が周りの子供たちに大きな身振り手振りをつけながら熱弁していた。だが、他の子供たちは全く信じていない様子で、呆れたという感じで散り散りになっていった。

 「ねぇ、何があったの?」

 僕は単純な興味と何か手がかりが得られればと思い、一人になってむくれている少年に声をかけた。

 「幽霊を見たんだ…」

 少年は僕たちから少し目を背けながら、小声でぼそっ話した。どうせ、お前たちも信じないんだろ、という感が聞いて取れる。

 幽霊か。確かに眉つばものっぽい雰囲気がガンガン出ている。でも、「その話、詳しく聞かせてもらえないかな?」藁にもすがりたい僕はとりあえず話を聞いてみることにした。

 すると、少年の顔がパッと明るくなり、「本当に?それじゃ言うけど―」真面目に話をやっと聞いてもらえた嬉しさからか、ためらいがちだった割に少年は勢いよく喋りだし、彼の口から雪崩のように言葉が押し寄せて来た。

 少年の話によると、幽霊を見たのは昨日の夜中のこと。実はその日の昼に、同じグループの子供たちと夜中に度胸試しをしようという話になっていたらしい。一人で夜中の病棟からリ食堂まで行き、テーブルの上に置いてある目印を書いたトランプを取ってくるというものだった。少年はいの一番に名乗りを上げ、自分の勇気を証明しようとしたのだ。

 「俺、きっと幽霊なんているはずないって、そう思ってたんだよ。だから軽い気持ちで名乗り出て、そんで食堂まで行ってみたら…」

 少年の反応が鈍くなってきた。さっきまでの勢いは消え失せ、顔色が悪くなっていく。

 「食堂の外、ちょうどあそこらへんに火の玉が浮いてたんだ!」

 少年は震えながら、背にしていたガラスの方へ指だけを向ける。

 「火の玉?」

 「そう。俺は火の玉から目が離せなかった。怖いもの見たさってやつなのかな。でも、少ししたら目が慣れてきて、ぼんやりと人の姿が見えて来たんだ」

 少年は自分の震えをおさめるように自らの両腕をそれぞれの手でギュッと掴んでいた。

 すると横で今まで黙って話を聞いていたヨハンが少年の発言に喰いついた。

 「それはどんな姿だったの?」

 「分からないよ、さっきも言ったけどぼんやりだったし、森にそのまま入って行く所までは見たけど、怖くなって一気に逃げ出しちゃったんだ」

 話しきった少年は息を荒くしていたが、自分の中の恐怖を外に吐き出せたためか、さっきよりは少し顔色が良くなる。

 僕は彼の背中をさすりながら

 「大丈夫?先生に見てもらった方がいいよ。もちろん度胸試しのことは話さずに」

 「うん、ありがとう。そうしてもらうかな」

 少年はゆっくりと立ち上がると、少しふらふらした足取りで食堂から出て行った。

 「どう思う?」少年を見送った後に僕はヨハンに聞いた。

 「かなり怪しいね」

 「僕もそう思った。きっと病院の関係者じゃないかな」

 「僕たちの考えには病院側に対するバイアスが掛っている。決めつけは良くないけど、調べてみる価値はありそうだな」

 ヨハンの目がぎらついた。

 「じゃあ、これからの目標は他に幽霊を見たことがある人を探す、森に何があるのかを調べる。これで決まりだね」

 久しぶりの情報の収穫で、ヨハンの気分は明らかに高揚していた。食堂に出て来た甲斐があったな。安堵のため息を僕はつく。とにかく、今はこの情報が真相に少しでも近づくデータになればと心から強く願うだけだった。

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