第3話
〈3〉
翌日、目が覚めてしばらくすると病室に早坂先生がやってきた。
「おはようございます、一木さん。ご気分はいかがですか?」
「特に問題は無いです」
昨日と同じように早坂先生は聴診器で僕の胸の音を聞いて、その後に口を大きく開かされて喉の状態の確認をした。
「昨日のこと、怒っているんですか?」
えっ。思いがけない先生の質問に驚く。
「いえ、一木さんの僕に対する視線がちょっときつくて。昨日僕からは何の説明もせずに送りだしてしまいましたからね」
「はぁ、確かに面喰ったし、今もまだ混乱しています」
「きっとそうですよね。でもこれも院長の方針なんですよ。その方が患者さんにとっては有益だと」
「でも僕は…」
それよりも本当の事が知りたい、そう言おうとすると、早坂先生は自分の唇に人差し指を当てて静かに「しー」と言いながらウィンクをした。
「さっきも言いましたよね。僕は何も言えないんです。だから、今は勘弁してください」
昨日と同じように一方的に喋ると早坂先生は病室を出て言った。
それから間もなくすると、翔と眞子がやってきて、二人に連れ添われながら食堂へ行くこととなった。
食堂では多くの子供たちが既に食事をとっていた。全員が白色の服を着ているせいで、一層白の密度が増した。
昨日の子供たちと同じように初めて僕を見たやつらがひそひそと隣の子供と話したりしている。翔や眞子と同じようにみんなはここでの生活に疑問を持たず、受け入れているのだろうか。そう考え始めると、途端に僕は周りのひそひそは何か良からぬ物なのではないかと得体の知れない不安を感じてしまう。
朝食ははっきり言ってまずかった。病院食はまずいとよく言うが、何だか草っぽいというか…。
「これ、毎日食べてるの?」
思わず僕は翔に聞いた。
「ん、そうだけど。何、まずいの?」
「ここで採れた野菜を使っているのよ。無農薬栽培だから体にもいいわ」
と眞子は説明してくれたが、何だか馴染めなくて全部は食べきれなかった。
「図書室?」
眞子が聞き返す。
「うん、この病院にあるかな」
朝食を食べ終わり、リハビリという名の自由時間が始まった。
僕は本を読むのが好きだ。だからこの時間には本を読んでいたいと素直にそう思った。だけど、出来る限りこの病院にいる人間と同じ時間を過ごしたくないとも感じてしまっていた。何か物語を読んでいればその世界の中に没頭する事が出来る。
「あるわよ。図書室は四階にあるから案内する」
「おい、あそこに行くのかよ」
「そうよ、翔は行きたくないでしょうから来なくていいわよ」
「いや、行く。あいつがいないかもしれないし」
眞子は快く図書室への案内を引き受けてくれたものの、翔は何か行きたくない理由があるらしい。まぁ、今のやりとりで大体察することはできるけどさ。
翔と眞子と図書室に向かっていると、階段を上がるにつれて外の芝生、廊下から聞こえてきていた子供たちの声や気配がなくなっていく。
「ここよ」眞子の目の前にあるドアには図書室と印字されたプレートが突き出ていた。
ガラガラと音を立てドアを開けると、乾いた紙の匂いが僕の鼻腔に入り込んでくる。室内はあまり広いとはいえないけど、子供たちが全員入っても座れるぐらいの数と大きさの机やイスが設えられていた。そして部屋の後方にいくつもの本棚が並べられている。
すると視線の先に一人の男の子を見つけた。
「げっ、やっぱいやがった」
後ろで翔がため息を漏らすように声を上げた。
「やぁ、君が新しく入って来た子供だね」
少年はつかつかと机の間をぬって僕たちに近づいて来た。部屋の中は薄暗く、遠目からでは分からなかったが、少年は日本人ではない。しかも金髪碧眼の美少年というまるで漫画の中から出て来たような容貌をしていた。
「僕はヨハン、ヨハン・ジーメンス。君が来る少し前にきたんだ、よろしく」
流暢な日本語で自分の名を名乗ると、ヨハンはすっと手を差し出し僕に握手を求めて来た。さらさらの髪の毛が風にゆれていて思わず見惚れてしまう。
「僕は一木拓斗」
握手に答えながら僕も自己紹介をする。
「翔が僕に会いにきてくれるなんて嬉しいな」
僕の手を握りながら、ヨハンは翔の方を見てにっこりとほほ笑む。こんな笑顔をみせつけられたら大抵の女の子はイチコロだろう。
「おまえに、会いにきたんじゃねぇ。俺は拓斗の世話係だから案内してやってるだけだ」
「基本的に全部私がやってるけどね」と眞子が横からぼそっと呟くと
「うるせぇ、俺は案内したからな、もう行く」
翔はわざとらしく誰もいない廊下にガンガンと音を響かせながら歩いて行った。
「あぁちょっと待ちなさいよ」
眞子が慌てながら「それじゃ私も行くね」と言って図書室を出て行った。
二人とも僕がヨハンと初対面だってこと忘れてるのか?当然のように二人が去って少しの間、残された僕とヨハンの間に沈黙が流れた。
「拓斗はこの病院をどう思う?」
先に口を開いたのはヨハンだった。
えっ。何の前触れも無く、唐突に聞かれた質問は昨日僕が散々悩んでいたこと。僕は考えている事を正直に答えるべきなのか迷った。だって、ヨハンも翔や眞子のようにこの生活を受け入れて満足していたら、僕は絶望してしまうかもしれないから。
「僕はこの病院はおかしいと思っている。確かに表面的には楽園のような生活ができるように見えるけど、明らかに大人たちによって僕たちは管理されている。こんなに分かりやすいディストピアってないだろ?」
ヨハンは強い語気で僕に同意を求めて来る。その瞬間僕の頭の中で渦巻いていたもやもやが一気に晴れた。同じ考えを持っている人がここにいてくれた…。
「うん、僕もおかしいと思ってた。だけど、翔や眞子は疑問に思いながらも、楽しいからいいかなって。ひどく楽観的っていうか、何でこの状況でそんなに安心できるのかな」
ヨハンが僕の味方だと分かると、昨日から言いたくても言えなかったこの気持ちをヨハンに思い切りぶつけた。
「大人たちの言うことを聞けば何もしなくても自分たちは利益を享受することが出来る。大人たちも子供たちに詮索されたくない。それでWin‐Winの関係だからお互い幸せ、なんて思えるほどみんな馬鹿じゃないはずだ。大人たちにはこれじゃ何のメリットも無い」
思慮にふけっているヨハンの横顔に高くシャープな鼻筋が通って見えた。僕は無言で頷きヨハンの主張を続けて聞く。
「知っているかい?ここで暮らしている時間が長いほどに楽観的になっている傾向がある。環境への順応という意味では当たり前と思うかもしれないが、君も感じただろう。あの妙な違和感、何も考えずにただ快楽だけを求め続けているような雰囲気を」
うん、やっぱりヨハンもそこに違和感を覚えていたんだ。
「僕も全く同じ気持ちだよ。うまく言えないけど、何だろう酔っ払いと喋ってる感じかなぁ。考え方の違いじゃなくて、感じ方の違い?」
「確かに、そんな感じだ。楽しいという部分だけに思考が集中して、他の感情は排除されているかのような」
ヨハンもうまく表現しきれないことにはがゆさを感じ、悔しそうな顔をしていた。
「とにかく、大人たちにとって僕たちは利益になり得る物なんだ。病気なんかじゃない可能性が高い」
「でも記憶が無いのは?記憶を消す薬なんて聞いたことが無いよ。まぁ病気でこんなふうに記憶がなくなるってのも聞いたこと無いけど」
「そこはそうだね。鶏が先か卵が先か、僕たちに利用価値があるから記憶が無いのか、僕たちが病気だったから記憶がなくて利用価値があるのか」
こればっかりは考えても答えはでない。答えを出す為にはデータが不足しすぎている。これ以上の議論が難しくなり、ぼくたちの間に再び沈黙が訪れる。
「ねぇ、ここにずっといる子供ってどうなってるの?まさかネバーランドだから本当に年をとらないで子供のままってことはないよね」
ふとこんな疑問が頭の中に降りて来た。翔や眞子にも世話係がいたと言うけど、その人たちはどうなったのだろうか。
「そこは僕も分からないんだ。子供たちが一番よく知ってそうなのに、誰も知らないという。もちろん大人たちには聞けないしね」
「そうなんだ」
僕はがっくりとうな垂れる。これで今のところは手詰まりかぁ。
「メメント・モリって言葉知ってる?」
次はどうしようかと考えだそうとした時に、またもやヨハンの唐突な質問が飛んできた。
「ラテン語でいつか死ぬことを忘れるな、死を想え、って意味なんだけどね。人は病気や事故がなければいつかは老衰で死ぬ、死には誰だって嘘をつくことなんてできない。だから永遠に年を取らず子供のままなんてありえはしないのさ」
あぁ、僕が冗談で最後に付け加えたことに答えてくれているのか。死についてなど考えたことがなかった僕にはこの考えは新鮮だな。
「少し話がそれたね。何はともあれ、僕はチャンスがあればこれからも病院の謎を追っていきたいと思う」
ヨハンの目の奥には輝きがあった。絶対にやり遂げるという強い意志がそこにはある。
「だから拓斗、君にも協力して欲しい。二人で秘密を暴いていかないか?」
僕の前にヨハンの手がもう一度差し出された。僕はすぐに
「もちろん!」
ヨハンの手を取った。迷うことなんて何も無い。
昨日まで僕はこの世界にひとりぼっちのような孤独を感じていた。誰もが敵に見えて、怖くて仕方なかった。でも今ここに自分と同じ気持ちでいてくれる味方ができた。まだまだ分からないことだらけで不安もあるけど、今はもうひとりじゃないから、必ず真実を突きとめてみせる。
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