水谷さんは覚えない

@honenasiuo

第1話 やる気ない始まり

自分で言うのもなんだけど、私はあまり勤勉な生徒ではなかった。


学校の授業ははなから居眠りを決め込み、宿題もろくに提出せず、テストがあれば学校自体をボイコットするような、かなりふまじめな生徒だった。


理由は、簡単なこと。


ここではないどこかに。どこか、私にとってより居心地のいい場所へ。


だれもが一度は考えたことのある問いだろう。それはもはや哲学と言い換えてもいい、終わりのない人の欲だ。


人の欲とは決して満たされることはなく、潤しても潤してもかぎりはない。それはまるで乾いた土に水をやり続けるようなものであり、然らば人はだからこそ求めるのだろう。ここ哲学。

…こんなことを考えているだけで、私って実は偉いんじゃ?と思えてくるから不思議だ。推薦されて偉そうな仕事を引き受けてみたら、皆にやたらと慕われ過ぎて自分が王になったように感じてしまう、あの感覚に近い。


毎回テストで零点をとる、通称ゼロの委員長。それはわたしの武勇伝のひとつであるのだが、それはともかく、それと同じように。

どれだけ形を着飾ったところで、本質は何もかわらないのだーーーそう。


…ドサッ


目の前に積み上げられた、赤点復習さいしプリントが、山となって私を押し殺そうとしている現実は、何もかわらないのだった。


「人でなし…こんなの、あんまりだ…」

「誰が人でなしだこら」

「あうっ」


プリントを束ねて輪ゴムで縛って作られた、棒で叩かれる。たたいたのは人でなしーーーではなく、私の担任の前園先生だった。


「全部が全部おまえの自業自得だろ。人のせいにすんな」

「あぃ…」


叩かれたことによりひりひりと痛むおでこをさする。一枚一枚が薄い紙だとはいえ、地層のように重なった50枚程のプリントは「もう紙だなんて言わせない」とこちらに呼び掛けてくるような重量感を伴っていた。その重さは、公務員でありながらも教師という肩書きだけで第一印象を固定され、合コンに行くたびに「教師?あぁ…」みたいな反応を相手にされ、幾度となく敗走し続けた先生の持つ過去のようにも見えーー


「…。」


ナンデモナイデス。束ねたプリントが握り締められるのを見て、私はあわてて心の内で弁護士を雇う。

不思議とテレパシーでつながってしまったのか…。今野は私の考えた架空のキャラクターのお話であり、目の前にいる先生とは何の因果関係もありません。弁護終わり。


「…ふん」


重いが通じたのか、握り締められたプリントが手放されーーーってちょっと!


「しれっと私の課題プリントに加えないでくださいよ!」

「元々おまえの課題プリントだ、バカ」

「えぇ…?」


こんなことがあっていいんですか。もう、壁かってくらい積みあがってるじゃないですか。検察官用意!訴えてやる!


「まぁ、私も鬼じゃない。今日一日で片付けろとは言わんさ」

「まじすか。ですよね。そうでもなきゃこんなの、ブラックもいいとこですもんね」

「ほら」


卓上に投げられたのは、一つの鍵だった。


「学校の鍵だ。これから課題がおわるまでおまえは家に帰さないから、そのつもりでいろ」

「ちょっとなんですかその横暴はあ!」


私は立ち上がり抗議の声を挙げる。


「ひどい、こんなのあんまりだ、職権濫用だあ!」


叱るべきところに出れば、私が勝訴を勝ち取れますよ!


「職権濫用だぁ?お前の横暴に比べりゃあ、ましな方だろうよ。」


先程から脇に抱えていたプリントを片手に、罪状を読み出す濫用先生。


「一年の課題をオールバック。出席日数は足りてない、テストの点もオールレッドで三倍満。それで進級できないとわかったとたん人のアパートまでとぼとぼやってきてなきわめきやがって、あれから大家に睨まれてんだぞ」

「あぁ…」


そういえば、そんなことがあったような気がする。

有り余る自分の行動力が怖い。


「気がする、じゃねえよ実際にあったんだよ」

「勝手に人の心を読むの止めてもらえませんか?」


やはりテレキネス、これは侮れない。


「読心術は、教師の基本スキルだ」

「マジすか!?」


「あぁ。これでモンペが来ても向こうの心を読んで、速やかに折り合いを付けるって算段だな」

「なるほど…」


じゃあ私も教師になったあと、アメリカに渡ってラスベで一攫千金すれば一生遊んで暮らせるかも…?


「まぁ、うそなんだけどな」

「わかりにくいうそつかないでくださいっ!」

「いや、今のを信じるほうも信じるほうだろうよ」


じゃあさっきの読心はいったいなんだったんだ…?ん?読心…どくしん……独し

バッターン!


「いたあぁ!今なんか、ひらめきかけてたのに!頭がぁ、頭がぁ!!」


いきなり机のしたの足でちょいっと、椅子を押し倒され、涙目のままごろごろと床を転がるわたしに、


「なんとなくだ」


と言って、先生は楽しそうな笑みを浮かべた。







その後、「しっかりやっとけよ」と言い残し、私は一人取り残される。


「これぞまさしく、トリノコシティ……」


トリノコシティの意味、知らないけど。

なんとなくそうつぶやいて、とりあえず机にふさってみる。

ここは特に新学校というわけではない。

バカでも行ける、が取り柄みたいな高校で、大半の卒業生の行く先は地元の地方産業であり、ある意味才能もコネもない平凡な高校生のハイエンド、というところだった。まぁ、躊躇うことなく受験しておいて、入学初日からボイコットしていた私以上のハイエンドなんて、存在しないのだろうが。


「それでも……一応はやらなきゃダメか」



ああ

あああ

ああああ

あああああ

ああああああ

あああああああ」




自分らしくない発言をしたことからくる抑欝感に盛大にため息を吐いてから、一枚だけプリントを、上からいやいやとつまみあげてみる。

それからかを叩きつぶすように「ばんっ!」とそれを机に投げ出して見たそれは、


「あれ…?」


授業のプリントでも、先生たちからのお小言がかかれた恨み文書でもなく、それはただ一枚の履歴書だった。

(なんだこれ?新手の転校催促か?)と思ったが、どうも違うらしい。

なぜならそこには、明らかにこの学校へ入学するためであろう、「〇〇高校入学願書」という堅苦しい文字がかかれていたからだ。


おそらく、多すぎるプリントの束にまぎれこんでしまったのだろう…まったく、法外な量のプリントをよこすからだ。


「・・・ふふん」


しかし、今の私にとってそれは、たなぼたでしかない勉強しない口実だ。


「これでもわたし、バイトは掛け持ちがあるくらいやってるからねー」


せせら笑い、面接官にでもなったつもりでじろじろと履歴書を眺めてみる。

(授業サボリによってできた)時間により、面接だけは星の数ほどしてきた私のお目にかなうほどの履歴書をーーって、


「何これ…」


名前の欄以外……生年月日、性別、証明写真から志望動機まで…ほとんど白紙。しかも、唯一かかれているはずの名前の欄すら、「水谷」という名字しかかかれてないし。なんだこれ。


「やるきあんの、この人……?」


まったくブーメラン出しかない発言をして、ふぅとため息をついてみる。

それからなんとなく、ちらりとマイ筆箱の中身を開けてみた。


正式な文書として通用しそうなお堅いボールペン、興味本位で買ったなんちゃって姓名判断本、いつぞや交換した、誰かも覚えていないイケイケのプリクラ写真。


(あ、これいけんじゃね?)


思わずよぎった思考に裏打ちを付ける。それから、にやりと唇の端を曲げる。

この見知らぬ誰かを助けてやろうーーなんて仏のようなことは考えてはいない。

それは、そうーーーー私の目の前に当て付けのような量のプリントをとってよこした、あの先生への単なる腹いせのために!

道具として、使ってやるーーーーそう思ってわたしは、空きすぎている空欄にありきたりなことを埋めだした。



ーーこの出来事を後悔することになるのは、きっかり一ヵ月後のことだった。

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