4-3
*
建物が一度途切れる。すぐそこに、離れが建っていた。
勿論、他の場所と同様、渡るための廊下はある。だが、煌々と明かりがともされており、踏み出せばすぐに見つかってしまうことだろう。
その先では、兵らが二人、戸口に並んでいる。
ましろは、裳裾をたくしあげて、裸足で庭に飛びおりた。音を立てぬよう気をつけて、茂みの後ろを歩いていく。
(あれって、見るからに怪しい建物なんだけど、違ったらどうしよう)
そのときは、そのときだ。
はぐれた明葉達の無事を祈りつつ、ましろは建物の裏手に回り、そっと、廊下に這い上った。
御簾の内側は明るくなっていて、動く人影は一つもない。
(違ったかも)
そう思いつつ、覗いてみて、ましろは驚いた。
「貴矢!」
明葉の話では、都の外へ逃げたはずだった。その女が、目をかたく閉じて、室内に仰向けになって横たわっている。
近づこうとして、ましろは、違和感に足を止めた。
よく見れば、床には細い釘が打たれていた。
「糸が……結んである」
釘のすべてに糸が渡され、見る方向によっては、きらきらと美しく、まがまがしく輝いていた。
「抜け出してきたか。誰の手引きだ?」
急に呼びかけられた。
一番出会いたくなかったのだが、致し方ない。
ましろは顔をしかめて、視線をやった。
帝は黒の衣を纏っていた。白い、太刀を手にしている。
「真っ暗なところにいたら、気が塞いでしょうがなかったの。気分転換に出歩いて、何が悪いのよ」
「野良犬は、縛っておかないと落ち着きがないな」
帝の周囲には兵はいない。だが、一人きりだというのに、帝は悠然としている。
手にあるのは、真っ白な鞘と柄の、美しい造作の太刀だった。
「貴矢を、どうするつもり」
「どう? こうする」
すらりと引き抜かれた白刃が、振りおろされる。
ましろは飛びかかって止めようとしたが、足下の釘のせいで近づけない。
「やめて!」
「陛下!」
ばさりと、黒いものが、御簾を引き裂く勢いで飛び込んできた。
「羽黒」
ましろと帝の声が重なる。
羽黒は、先日襲撃されたときのような姿になっていた。太刀は鞘に入れたままだが、裾に返り血がついている。
「おそれながら申し上げます、呪術に傾倒された先代を恨んでおられた貴方が、なぜこのような真似をなさるのです!」
羽黒が、矢羽を床に叩きつける。矢羽は複雑な紋様で、おどろおどろしく飾られていた。
「……敵対勢力によるものだと、思わなかったか」
「思いたく、これまで目を背けて参りました。しかし、ご自身を狙う術者を、捕獲した後、次々に術者の元の依頼主が殺された。兵ではなく、呪いによって、です」
帝は静かに微笑んだ。
うろのように、ただ儀礼的に。
「陛下! 私には、行いたいことがございました。それゆえ、陛下に付き従って参りました。今や、私がお目障りか」
羽黒が、釘を迂回する。ちりり、と、太刀の端で引っかけた糸が、燃え上がった。
振り払うが、火は消えない。ましろは思いついて、母の布きれで力一杯火をはたいた。火は一瞬、強く燃えて、すうっと消える。
その隙に帝が身を翻していた。部屋を出る。
貴矢の周りの糸を、羽黒が切り払った。柄に母の布を巻いているためか、炎は不満げにくすぶるだけで、燃え広がらない。
ましろも、室内を見回し、戸板を外して、釘の上に渡した。貴矢を引きずり、部屋の外に出す。
目が覚めた貴矢に、逃げるよう言い聞かせた。
羽黒が戸板を踏んで、帝の消えた、奥へ向かう。ましろも、室内に駆け戻った。
奥の部屋、貴矢と同様に釘と糸で縛られた、白い狼がいた。
「白露王!」
狼は、仰向けのまま寝ていたようだが、ふと目を開けた。
「あれっ、幻覚か?」
「悠長ね!」
羽黒が糸を切ろうとするが、帝が狼へ太刀を振りおろす方が早かった。
狼は、糸で動けない中、どうにか身じろぎして太刀を逃れる。どすりと、太刀の切っ先が、床下まで突き抜けた。
「やめて! 何をしようっていうの!」
「さっきの女は、呪いの場所を検知する術式に利用した。本当は殺した方がよいらしいのだが、面倒なので放っておいただけだ」
「貴矢じゃなくて、この狼のことよ……っ」
「呪いで検知された狼だ。これを使い、住処を探索し、本拠を叩きつぶす」
「やめて、何でそんなこと」
帝は答えず、太刀を捨てて、護身用の短刀を抜く。羽黒が、戸板を釘の上に載せて踏み、帝を止める言葉を並べるが、帝は笑って応じない。
「狼を、どうしてそんなに目の敵にするのよ!」
ましろには分からない。帝に答える気がないことは分かっている。
(どうしたらいいの)
「そういえば……この狼にかかった、呪いの、作り手は、どうなったの」
「切り捨てた」
「そんなことだろうと思った」
こんなに騒いでいるというのに、外から兵が来る様子はない。だが、そのうち駆けつけるだろう。
帝が改心する方法が思いつかない以上、早く、少しでも話して、突破口を見つけたかった。
「貴方、狼が嫌いなの?」
「いいや。別に、どうということもない」
「では、好きなの?」
「どうというわけでもないと、答えたはずだが?」
「陛下! 貴方というお方が、御自ら、このような真似をなさいますな! 先祖は、大神でございましょう!」
帝の切っ先が、わずかに止まる。
その隙に、羽黒が膝を突いて叫んだ。
「よもや、祖を同じくする者を、殺しはされますまい」
「いらぬことを考える」
にいと、唇をつり上げて、帝は短刀を放り投げた。
「その弁で言えば、同族である人を殺したのだから、祖を殺しても変わるまい」
羽黒は、投げつけられた短刀を払いのけた。
「陛下!」
「あぁ。お前の祖にも、狼がいたな。狼に情でもわいたか」
「いいえ、私は陛下の御身を、思って」
「たわけ。国を立て直したいと、理想論をぶちあげた人間が何を言う」
羽黒が、うめく。
「陛下!」
「帝になる者など、お前と都合があいさえすれば誰でもよかったろう。兄上でも、姉上でも」
「陛下。どの皇子がたも、私の望みは叶えてくださらなかった。であればこそ……理想を理解し、よき為政者となられると思ったからこそ、私はついて参りました」
「お前の理想は聞き飽きた。お前達はこちらの意志に耳を傾けない。……父のようにはならぬ」
(……今気づいたけど)
ましろは、帝の乾いた笑いの合間に、閃いた。息を飲む。
この人は、大抵、己のことを、ちゃんと呼ばない。
(私は、私って言う。羽黒は、俺とか、私と言う。白露王は俺。帝には……この人には、自称がない?)
「ねぇ、貴方の名前って、何」
*
突拍子もない言葉だと、理解してはいた。
ましろは、変に緊迫がほどけた中で、それでも必死で帝を睨む。
「貴方って、自分では名乗らないし、自分のこともちゃんと、呼ばない。不便じゃないの?」
意味が通じなかったのか、帝は何も答えない。ましろは続けた。
「貴方の名前は何?」
「今の私に名などない。今上帝は一人だからな。必要がない」
「帝になる前は?」
「あったが、言う必要もあるまい? その皇子は死んだのだ。今は帝があるばかり。再び死ねば、法名は得られるが、な」
「死ななかったら?」
「退位するにしても、帝としては死ぬようなものだ。その後の名は、そのときに決める」
「面倒なのね」
かわいそう、とは、言えなかった。傍若無人な今の帝に、他の名があったところで、呼ぶ人もないだろうと思われた。
「なるほどな」
白露王が、人に通じる言葉で喋った。
「名を呼ばず、大事にしない。……自分を大事にしようとしない、だからやけを起こすのか」
「! 狼め、黙れよ」
帝の手が素早く、太刀の柄を引き上げる。ぎしりと、床から引き抜かれた太刀は、ばさりと乱暴に振りおろされた。
ましろは叫び声をあげた。
「白露王!」
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